11・決着
軍人という身分は常に危険と隣り合わせにあり、俺自身これまでも何度となく目の前で命を落とす者を見てきた。それはひどく呆気ないこともあれば、顔をしかめたくなるほど凄惨なこともあった。
だが、その時の衝撃、或いは驚愕は今までのどんな時よりも強く我が身を震わせたように思う。
細い娘の身体に、次々と矢が突き立つ。背中から鏃が飛び出し、肉のえぐれた腕が骨を砕かれて弾け飛ぶ。死んだ。殺された、と思った。いくら「不死」と擬えるほどの治癒の異能であろうとも、既に命尽きたものを癒すことはできない。できようはずがない。
フェラン、と怒鳴った声は自分の耳にさえまともに届かなかった。降り注ぐ矢音、襲撃者の耳障りな怒号。それらが聴覚さえも圧している。しかし、それほどまでの猛攻を前にしておきながら、俺の許には一矢たりとて届きはしなかった。
目の前で盾となっている娘がいるからだけではない。今この時にも無数の矢に貫かれゆく娘の背後に築かれゆく障壁、それが矢の到達を阻んでいるからだ。人間の肉体を貫通し、腕を千切り飛ばすほどの矢の嵐。それが障壁には傷一つつけられずにいる。であれば、フェランがどれほどだけの力を割いて築き上げたのかも推して知れた。
本当に、これは馬鹿だ。馬鹿としか言いようがない。
望まざる異能を持って生まれ、幼くして親元から引き離され軍の駒となった。そうでありながら、この娘は一度も自分の為に戦いなぞしなかったのだ。同じ部隊の、同じ境遇の兵士を見捨てながら生き残ってきたのは、ひとえに「呪い子」を産んだとして肩身の狭い思いをしているだろう家族を支える為。そして今、我が身を投げ出し護りの障壁を築いているのでさえ、俺を防護する為であり、自分の命を守る為ではない。
その事実に、ふと言いようのない怒りを覚えた。名状しがたい反発めいた感情もあったが、それ以上に――何と不合理なことかと。相応の環境で育てていれば、この娘は今以上に有用な兵として鍛え上げられていたに違いない。何も特別なことをしろという訳ではない。ただ一般の兵と同じようにすればそれでいい。虐げることなく、十人並みの扱いをすればそれでよかったというのに。
まさに度し難いの一言に尽きた。この国は、我々軍部は、たったそれだけのことすら惜しみ、損失を生み続けている。愚かしいという言葉でも到底足りまい。下らないにも程がある。――だが、それに憤る前に。
「フェラン! 壁を消せ!」
目の前に厳然として立ちはだかる壁を拳で叩く。一面に降り注ぐ矢を阻み続ける壁は長大にして堅固、側面に回って抜けられるほど容易なものではない。フェランが俺の接近を、何より敵の接近を阻む為に築いたものだ。その術者の撤回なくしては、越えようとしても越えられはしない。
びしゃり、と壁に血が飛び散った。それは弾け飛んだ腕から流れたものであったのやもしれず、ついに矢がかすめて裂かれた頸から噴き出たものやもしれなかった。いよいよ立っていることもできなくなったのか、血まみれの背中がふらつき壁に激突する。
辛うじて原型を留めているばかりの娘の細身が壁に赤い帯を引き、地面にくずおれていく様を煮えたぎる怒りの中で見つめていた時、
「やっと死んだか?」
おもむろに射かけられる矢が止み、そのような声と共に暗がりから姿を現す男があった。
その男はまずフェランを見、次いで俺に目を向けると、ひどく下卑た笑みを浮かべた。この夜闇の中では視認しづらいが、体格のいい禿頭の男のようだ。歳は五十がらみといったところか。
「治癒の異能の『呪い子』ってのは、本当にしぶといもんだな。それを盾に使うのは、確かに悪くない判断だ。随分と上手く手懐けたとも見える」
「……貴様が烏合の衆の頭か」
「おうとも。たった一枚っきりの盾を失ったお貴族様の割には、気丈なこった。悪いがお喋りに付き合ってやる気はねえ。今夜は仕事が山積みでな。てめえをすり潰した後は村狩りだ」
男が大仰な手ぶりで言えば、追従するように方々から笑い声が上がった。
目を凝らしてみれば、当然のことではあるが、男の周囲には弓を手にした多数の人影がある。おそらくは傭兵、下手をすれば野盗の類だろう。先ほどの矢の威力を見るに、後者と考えるには練度が高すぎるが。
「村狩り? あのような小村に一体何の用だ」
「そこまでは教えてやらねえよ。ま、ここまで状況が煮詰まってりゃあ、言うも言わないも同じだろうがな。どっちにしろ、あの村はてめえと同じ目に遭うのさ」
「どこの手の者かは知らんが、よくもまあ自慢げに語る。傭兵かとも思ったが、賊の類だな。貴様らのそれは、立派な犯罪者の行状だ」
「何、報酬次第じゃあ何でもやる傭兵もいるもんさ」
「お喋りなことだ」
「状況が整えば慢心もする。慢心するってのは楽しいもんだ。この一帯は皆殺しの更地にする。そうすりゃ目撃者は残らねえし、後のことはさるお方が片付けてくれるらしいからな。楽な仕事さ」
男が片手を挙げてみせれば、それが合図となったようで周囲の者どもが弓を構える。
「――なるほど。では、そちらを皆殺しにしても問題はない訳だ」
その時、おもむろに声が上がった。
何、と禿頭の男が目を剥く。それもそのはず、その声の主は俺でもなければ、野盗の群れの中にいる訳でもない。俺の目の前……すなわち、完全に死骸となったと思われていた娘であるのだから。
「て、てめえ、何で生きて……!」
「生きているから生きているに決まっているでしょうが。まあ、死ぬほど痛くはありましたがね」
血みどろの娘は軽快な声で言いながら、壁に肘から先の弾け飛んだ手をつき、立ち上がった。見る間に欠損した腕が再生し、その手が無造作に引き抜いた矢の後に残された、鮮血を噴き出す傷穴が塞がっていく。
「もしや、私のことをご存じでない?」
「馬鹿言え、知ってるさ。ああ、知ってる……。『不死』なんて大仰な名前で呼ばれちゃいるが、要は半端な治癒能力を持ってるだけの小娘だ。多少腕は立つようだが、そんなもんは物量で囲い込んで」
「圧し潰せばいける、と思ったと。残念でしたねえ、その程度で私は止められない。『不死』に見えるほどの治癒を演じる人間が真実傷を癒して復帰しているのか、死亡してさえも蘇っているのか、それを確かめた者は誰もいない。ただただ、死がないかのように見えると『不死』を呼んで揶揄していただけ」
フェランが右手に剣を抜く。俺が与えた、あのウタツグミの紋の刻まれた剣を。
「ご存じでしょうが、殺していいのか悪いのか迷いながら戦うのは効率が下がる。お陰で、今夜これまでは苦労しました。――けれど」
一瞬、フェランが俺を肩越しに振り返った。その琥珀の色を見返し、頷いて答える。
「俺が命じ、俺が許す。奴らを全て始末してこい。必ずしも殺す必要はないが、容赦をする必要もない。気が向いたら、あの烏合の頭だけは尋問できる程度に留めておけ」
了解しました、と娘は笑った。
その朗らかな表情とは対照的に、襲撃者どもの顔は蒼白に怯え慄いている。
「さあて、今日は仕事が山積みですのでね。早めに終わらせてしまいましょう」
ゆらりと娘が剣を構える。堰を切ったように襲撃者が鬨の声を上げ、つがえた矢を放ち――白刃が翻った。
勝敗は夜が明ける前に決した。否、途中から勝負にすらなっていなかった。
まともな戦闘と見えたのは最初の十数分ばかりの間だけ。それから後は斬ろうが刺そうが射貫こうが、倒れることもなければ止まることもないフェランに恐れをなし、逃げ出す者が相次いだ。俺はフェランの壁を抜けて戦意を失った者どもを片端から捕縛し、そうしている間にフェランの戦いも終わった。
俺の指示は忘れていなかったらしく、戦闘と流血の形跡は見られたものの、例の禿頭の男は五体満足で鎖に縛り上げられている。昏倒しているようで、地面に転がされたまま動かなかった。
「終わりましたか」
縛り上げられた男からさほども離れていないところに、娘は座り込んでいた。
ああ、と答えて歩み寄ったフェランは全身赤くなっていないところがないほどの血まみれで、衣服も襤褸切れのよう。血濡れた肌のあちこちが大きく露出していたので、仕方なしに上着を脱いで放った。それを受け取ってもきょとんとしていた始末なので、「着ていろ」と余計な一言まで付け加える羽目になったが。
「ありがとうございます」
目を丸くし、はにかむ姿に訳もなく居心地の悪さを覚える。たかが服の一枚。そんなものの為に、まるで二度と起こり得ない奇跡を受けたような顔をする。
「……後続が到着し、賊どもの移送を預けた後、我々はジスァザ村に入る」
埒もない思考を振り切って告げると、小柄には些か大きすぎる格好の上着を四苦八苦して羽織っていたフェランは首を傾げながら俺を見上げた。
「あの村にご用事が?」
「これだけの騒ぎとなれば、後始末をしない訳にもゆくまい。……あの村に住む薬師とやらにも、話をつけておいた方がいい」
「その薬師という方は、何か事情があるのですか。襲撃者の先遣隊は『囚われの』と言っていましたが」
「ただの貴族の継嗣問題だ」
「継嗣……跡継ぎですか?」
「そうだ。ジスァザ村に隠居している薬師はとある貴族の末娘だ。過去に縁ある家に嫁いだが、印を持つ子を産んだがゆえ、嫁ぎ先から離縁され実家からも疎まれ、この村に追いやられたという。――が、病により次期当主が急死した為、次の候補を産ませるべく呼び戻そうとしたが断られた。それを追放した張本人である現当主、つまり薬師の父親だが、それが村を滅ぼせば帰還する他なくなると考えた」
そこまで語り、フェランが大層引いた顔をしていることに気が付いた。……その表情に何か思うところがあった訳でもないが、何とはなしに軽く咳払いをし、付け足しておく。
「言っておくが、俺の尺度からしても件の貴族の考えは軽蔑に値する。貴族の全てが同じ物の見方をすると考えるのは浅薄だ」
「はあ、いえ、少佐が同じように考えるとは思っていませんが」
ただ件の貴族の方の考えがあまりにも理解できなくて。
呟かれた言葉は、確かに否定のしようもない。未だ貴族と呼ばれる者たちには、己と異なる身分の者を軽んじる一派が確固として存在し続けている。或いは、貴族から軽んじられる者もまた同様に「呪い子」を軽んじることで均衡を取っているのやもしれなかった。考えてみれば、大層いびつな構造だ。
「ともかく、その薬師を狙う貴族の思惑と俺を失脚させようとした愚物の思惑が一致し、双方が結託した為に、このような事態が起きた。既に貴族の方にはマーヴィスの家から追及の手を出している上、愚物の方もやっと尻尾を出した。今頃憲兵に突き上げられてる頃だろう」
「憲兵、というと、軍の中の……? もしかして、基地司令ですか」
「あんな愚物が他に二人も三人もいるようでは軍もおしまいだ」
肩をすくめてみせれば、フェランは「確かに」と小さく笑う。
あの愚物はフェランを利用して得た物資の、ほとんどすべてを私的に流用していた。その証拠を掴むのにやや手間取り、このような事態を招いてしまったが――それらの詳細については、また後で構うまい。
「ところで、村人とは友好的な関係を築いているのだろう」
「ええ、はい、一応は」
「では、繋ぎになれ。今この時に突然訪ねて行ったところで、怪しまれるのが関の山だ」
「かしこまりました」
頷いて見せるフェランは、あくまで殊勝だった。だが、その裏では空恐ろしいほどの苦痛に見舞われているに違いない。先刻の作戦は、そうでもしなければ俺が無傷にはいられなかったとはいえ、無理があり過ぎた。
我が身を盾にすることで壁を築き上げる時間を稼ぎ、敵に自分が死んだと思わせることで意表を突く。言葉にすれば簡単だが、実際に矢を受け続けて死を装うというのだから、正気の沙汰ではない。否、死を装ったのではない。フェランは一度、間違いなく死んだ。
『私の異能は正真正銘の『不死』です。何をしたって死ねない、何をされたって殺されない。――死ねば、その瞬間に肉体の治癒が最高速で始まります。意識を取り戻した時点で、更に加速を図る。すぐに戦闘可能な状況にまで復帰ます。けれど、それは『すぐに』であって、『即座に』ではありません』
その為の時間を稼いでほしい、とは壁で隔離されながら伝心魔術で伝えられたことだが、正直に言えば二度と御免こうむりたい。博打としても、心情的な影響としても、さすがに性質が悪い。
フェランの異能については、確かに自己申告通りのものであるのだろうが、それでもいくつかきにかかるところもある。後で改めて質さねばなるまい。だが、治癒であれ再生であれ、その発揮には必ず代償が伴う。今はそれさえ分かっていれば十分だった。
いずれにしろ、俺の稼げた時間は損傷を癒すにはあまりにも須臾のものでしかなかった。その刹那をもって復帰を果たしたのならば、相応の無理を押したに他ならない。
……本当ならば、きちんと魔術薬でも用意してくればよかったのだろう。だが、この村への襲撃が図られているばかりか、フェランに与えられた偽りの命令がどのようなものか判明した時点で、取るものもとりあえず出てきてしまった。全くもって我ながら馬鹿馬鹿しいと思うが、手持ちには武器以外のろくな装備がない。
「フェラン」
呼びかけると、娘が今一度俺を見上げた。
「剣を出せ。――言っておくが、取り上げる訳ではない。一時貸せということだ」
おかしな曲解をされる前に付け足しておくと、フェランは不思議そうにしながらも腰から剣を抜き取る。立ち上がろうとするので手振りで制し、こちらが腰を屈めて受け取れば、与えてからの短い間に随分と使い込まれた風であるのに苦々しい感慨が浮かんだ。
あの愚物め、と込み上げる怒りとも不快ともつかない感情を飲み下しながら、剣に魔力を込める。これで少しは治癒が促進されるはずだ。
「持っていろ」
魔力を込め終わった剣を寸前とは逆に、こちらから差し出す。
フェランはそれを受け取りながら、何やら躊躇いがちに口を開いた。珍しいことだ、むしろふてぶてしい類の小娘であるくせに。
「あのう、一つお伺いしてもよろしいですか」
「何だ」
「少佐は、何故私にこれを?」
「お前は俺の運用する兵だ。俺は俺のものに横から手を出されて黙っているほど、寛容でも臆病でもない」
「……そう、ですか」
へへ、と娘が笑う。照れたように、そこはかとなく嬉しそうに。さくりと、胸郭の内側が引っ掛かれたような錯覚を抱いた。
ああ、と小さく息を吐き、馬鹿なことだと思う。その感慨がどちらに向けたものとも判然としないまま、座り込んだ娘に向かって手を伸ばした。
「少佐?」
眼前の娘は知る由もないが、先ほどから俺の元には伝心術を用いた報告が寄せられていた。ようやっと手配した傭兵団が林に到着したのだ。拘束した賊の場所を教え、それらを回収しておくように命じるついでに我々は村へ先行する旨を伝えれば、些かの難色を示されなくもなかったが無視した。
文字通りの独断で先行するのは、もちろん褒められたことではない。だが、今は別に優先しておくべきことがあった。
「後続の者が到着し、後始末を請け負うと申し出があったゆえ、我々は村へ先行する。その有様ではまともに移動もできまい。大人しく運ばれろ」
「えっ」
答えを待たず、フェランを両腕で抱え上げる。横に抱いた体躯の、何と軽いこと。間近に顔を見れば、記憶にある面差しに比べ、明らかに頬がこけていた。
「村に着く前に起こす。可能であれば、それまで身体を休めていろ」
「め、命令ですか」
信じられない言葉を聞いたような顔をして娘が問いかけてくるので、ひそりと喉の奥で笑う。
「ああ、命令だ」
言い放てば、フェランはいよいよ愕然とした風の様子になる。
結局、抱えた痩躯は村に到着するまで、ひたすらに硬直していたが。




