88話 新たな地ヘ
「ニシシ、やっぱ今はこの手の話で持ちきりだなぁ」
人気の無い裏路地にぽつりと構える酒屋 《Poisson volant》。
その奥手の質素なカウンターに小さな身体を預けながら満足気に笑うのは情報屋のシアである。
その手に握られた笑声の元である新聞記事には、一面にこう題打たれていた。
《異形の怪物を討伐した無名の美少女! 謎に包まれたその正体は!?》
あの事件から早四日。
でかでかと表紙を飾るその文字の下には、魔物とかしたブーラスとそれと対峙する詩音の姿を収めた写真まで添えられていた。
「どうだシオン? 有名人になった気分は?」
「迷惑不愉快極まり無い」
シアに向かい合う形で座る詩音はぶっきらぼうな口調でそう言い捨てる。
その頭に普段のフードは無く、白銀の髪も蒼い瞳も晒け出している。
あの日以来、街中が同じ話題で持ちきりである。
今日に至ってはちょっと詩音が買い物の為に街に繰り出しただけで情報屋やら勧誘目当ての冒険者が人集りを作る始末。
何とかそれらの追跡を撒いて、この酒屋に逃げ込んで今に至るという訳だ。
「オマケに組合からは依頼外評価で紅玉、下手したら金剛級まで飛び級昇格させられそうな雰囲気だし」
「まぁまぁ。正当な評価が下されたという事じゃあないか。喜ばしい事でないかね、《雪華の白銀姫》君?」
そうカウンターの奥からこの店の主であるクワイエットが面白そうに言ってくる。
「僕は別に今までの評価に不満はありませんでしたよ。それと、そのあだ名は止めた貰えません? 店主」
溜め息を交えながら反論する。
《雪華の白銀姫》。
それは事件の翌日辺りから冒険者達の間で呼ばれ出した詩音のあだ名である。
氷を操り、新雪の様な純白の外套と白銀の髪を靡かせて戦う姿に由来するらしい。
「良いじゃんか。似合ってると思うゼ?」
「何処がさ? って言うか似合う似合わないの問題じゃ無くてさぁ」
再び溜め息を溢してテーブルに半ば突っ伏しながら詩音は不満全開の表情で新聞に目をやる。
「そもそも美少女って何? 僕男なんですけど」
「まあ、シオン君の場合は美少年よりもそっちの方が自然ではある気がするがね」
ボトルを磨きながらクワイエットがからかい混じりに言う。
「他人事だからって適当言わないで下さいよ、店主。確かに僕は女顔ですけど」
「いやいや、そんなレベルじゃねぇヨ。闘技場で初めてお前の素顔見た時だって女だと思ってびっくりしたからナ。それも女のオレから見てもとびきり『美少女』ダ。何なら今だって男だってお前の言葉信じて無いからナ」
「あのねぇ……。美少女ってのはクレハ達みたいなのを言うの。僕の顔は良くて中の上程度だよ」
ぶつくさとそう溢す詩音に、シアは「嫌味か!」と声を上げそうになったが直前で呑み込んだ。
詩音の場合、嫌味でも謙遜でもなく本気でそう思っているのだと、これまでの付き合いから分かっていたからだ。
「はぁ………決めた、七十五日経って収まらないなら街出て、何処か人気の無い田舎で畑耕す」
最早新聞も投げ出し、完全に顔をテーブルに伏せながらそうぼやいた時、
「あ、やっぱり此処に居た」
店の扉が開き、聞き馴染んだ声が聞こえて来た。
顔を上げた詩音の視線の先には、声同様にお馴染みの緑色の外套を身に付けたシーナの姿があった。
「シーナ?」
「おや、いらっしゃいシーナ君」
「お邪魔します、店主」
詩音達の方に来ながらシーナは店主とシアに軽く挨拶する。
「どうかしたの?」
「えぇ。ちょっとシオンに話があって。皆も家に集まってるんだけど、来て貰えないかしら」
「ああ、分かった。すぐ戻るよ。店主、長居してすみません」
「いやいや。何時でもおいで。今度シオン君の好きそうな物仕入れとくよ」
「じゃあナー、シオン。また面白いネタあったら買うなり売るなり宜しくナー」
気前の良い笑みでそう言ってくれるクワイエットとシアに詩音は礼を言って酒屋を後にした。
■
最初に囲まれた辺りと、その後詩音が通った逃走経路から逆算して導き出した情報屋達に見つからない順路を使い詩音とシーナは家へと向かう。
返ってに目印になるからと、詩音はフードを取り払い素顔を晒したままだ。
裏道と表通りを交互に通る様なルートの為に普通に目的地を目指すよりも遠回りになってしまうが、そのお陰で情報屋に見つかる気配は無い。
遠回りになる事を詩音が謝罪するとシーナは気にした様子も無く笑みを返す。
しかし、帰路を進み、裏道から何度目かの表通りへ出た時、
「おい、あれシオンちゃんじゃないか?」
誰かが、そんな声を上げた。
途端にだった。
周囲の通行人──主に男性──の視線が一斉に二人、というよりも詩音に向けられる。
「本当だ、シオンちゃんだ!」
「お、シーナもいるじゃねぇか」
「シオンちゃーん、この前の活躍凄かったぜ!」
次々と声が飛ぶ。
二人の存在に気付いた連中は、我先にと駆け寄ってくる。
直ぐに、ちょっとした人だかりがその場に形成された。
興味の矛先は、専ら詩音へと向けられている
例の一件に於ける詩音個人への称賛、質問、勧誘……………。
その内容は多岐に渡り、終いには食事の誘いにまで発展して行った。
半ば蚊帳の外気味のシーナが、隣で睨みを効かせていたお陰で無闇に距離を詰めて来たりと言った事はなかったが、冒険者達は何とか詩音との時間を作れないかと交渉してくる。
そんな彼らに、詩音は嫌な顔、不愉快な仕草を欠片も見せる事なく終始笑顔で丁寧に対応する。
決して無下にせず、称賛には素直な礼を、質問にはユーモアを交えた返答を送り、食事の誘いもやんわりと、本当に残念そうに断る。
そんな詩音の対応に、無理強いする気が削がれたか、冒険者達の強引さは次第に引いて行き、その頃合いを見計らって詩音は謝罪と共に彼らの輪から抜け出した。
シーナもその後に続いて離脱する。
未練がましく詩音の方に視線をやりながら遠退いて行く彼らに、詩音は笑顔のまま手を振りながら立ち去る。
「ごめんねシーナ。時間取らせちゃって」
再び家へと向かいながら、詩音は再び謝罪した。
「別に構わないわよ。でも意外ね。シオンはああ言うの面倒くさがって無視するか追っ払うと思ってた」
「ああ、下手にそうするよりもある程度は愛想良くしといた方が相手も早く諦めてくれるからね」
その説明にシーナが「なるほどね」と納得すると、続けて詩音は言う。
「それに、あんまりにも無視して冷たくしてると逆上されて強引に何処かに連れ込まれたり、意地でも反応させようとして無理矢理触ってくる人も居るし」
「へー…………………………ちょっと待ってシオン。あなた何かされて無いでしょうね?」
「───────ハハハハハ」
「ねぇ。ちょっと。こっち見なさいよ。何もされて無いわよね!? ねぇってば!!」
シーナがどれ程問い詰めても、詩音は何処か遠くを見ながら乾いた笑みを浮かべるだけだった。
■
「ただいま」
「………ただいまー」
結局、詩音が口を割る事無く家へと辿り着いた。
不満気なシーナと共に広間に行くと、既に全員が集結していた。
各々から「お帰り」と言葉を受け取り、シーナは定位置のテーブル沿いの椅子に、詩音は適当にソファーの空いていたスペース、カインの隣に腰掛けた。
すると、直ぐにクレハの膝の上に居た子狼のミユが軽やかな仕草で床に降り立つ。
とてとてと軽い足音を立てながら詩音の眼前まで来ると、狼から少女の姿へと変化して膝の上に飛び乗ってくる。
「詩音、おかえり」
「ただいま、ミユ」
両腕で抱き抱えると、撫でろと言わんばかりに後頭部を擦り寄せてくる。
仰せのままにと三角耳の並んだ頭を愛撫すると、人型だと言うのに途端にミユはゴロゴロと小さく喉を鳴らして甘えてくる。
ふと視線をクレハの方にやると、露骨に拗ねた様な目を詩音に向けていた。
しかし、別に詩音が無理矢理強奪した訳では無い。こればかりはミユが決める事なのでどうする事も出来ない。
ミユはクレハにもかなり懐いているので、また何時でも機会はあるだろう。
「それで、シーナからは話があるとだけ聞いたんだけど」
クレハへの若干の申し訳なさを呑み込み、詩音は切り出した。
丁度その時、アリスが眼前のテーブルに紅茶の入ったカップと蕃茄果水の入ったグラスを置いた。
「ありがとう」と礼を言うとアリスはにこりと笑ってから詩音の問いに応じた。
「さっき組合ホームに行ったらね、丁度依頼が来てたの」
「また遠出の依頼?」
「うん。王都の組合本部からの直接依頼。それでね、シオン君さえ良ければ協力してくれないかな?」
「協力?」
「うん。手伝って欲しい事があって。駄目かな?」
「いや、僕の方は問題無いけど、いいの? 組合本部からの直依頼なのに、水晶級の僕が同行しても」
国に点在する全支部を統括する組合本部からの直接依頼は通常の金剛級冒険者のみに下される依頼中でも取り分け難易度、危険度の高い物が多く、当然、金剛級以外の冒険者が同行するのは、組合側からも極力控える様にと警告されている。
詩音の問いには、アリスの説明を引き継ぐ形でクレハが応じた。
「組合の方から許可は降りてるよ。今回のは本部からって言っても、普段の直接依頼とそれほど難易度は変わらない物だからね。それに、この前のお祭りの件でシオンの評価がかなり上がってたから、ユリウス支部の方から本部に申請してくれたんだ」
「なるほどね。で、依頼の内容ってどんなの?」
「遺跡の調査なんだ。王都周辺の森で、新しい遺跡が発見されたらしいから、ボク等にはその内部調査をして欲しいんだって。中の構造とかが把握できて危険が無ければ組合が新しい観光名所にするみたい」
依頼内容を聞いて、詩音は何故クレハ達が協力を求めて来たのかを察した。
詩音の技能の一つである《反響定位》は閉鎖的な空間の構造を把握するのに適した能力。
それを用いれば、闇雲に探索するよりも効率良く、そして安全に調査ができる。
今回の依頼には持ってこいという訳だ。
「遺跡調査か。でも、王都には確か騎士が居るって言ってたよね。この手の依頼が来る事ってよくあるの?」
重ねての詩音の疑問に今度はシャルロットがグラスを傾けてから答えた。
「いんや。正直言って珍しいわね。あの辺りは完全に騎士の縄張りだし。でもま、全く無い訳でも無いし、向こうも人手不足なんでしょ」
「ふーん、そうなんだ」
「出発は明後日の予定なんだけど、どうかな? 勿論、泊まりになるし無理なら──」
「ううん。大丈夫だよ。僕にできる事なら幾らでも手伝うよ」
アリスの言葉を遮り、詩音は一瞬の迷いも無く了承した。
こうして、唐突に詩音は皆と共にこの国の中心である王都へと出向く事となった。
■
──────二日後。
出発当日。
ユリウスを囲む防壁の門前に馬車が一台停まっていた。
荷車をベースに屋根やら椅子やらを増設した様な構造の車体。その前方には二頭の馬が繋がれている。
「皆、忘れ物は無いか?」
エリックの確認に皆それぞれの言葉で問題無しと伝え、続々と馬車に乗り込んで行く。
馬車は詩音達八人が乗り込んでもまだある程度のゆとりがある。
これならば、多少の長旅でもそれなりに快適に過ごせそうだ。
「それじゃ、出発するぞ」
その言葉と共に、馭者台に腰掛けたエリックが手綱を軽く振った。
二頭の馬がゆっくりと歩を進め出し、それに伴って馬車も前進する。
青く澄み、心地よい風が吹き抜ける旅出には絶好の空の下。
ゆっくりと、だが確実に遠退いて行くユリウスの街を、詩音は暫くの間静かに眺めていた。




