85話 異形のモノ
地響きと共に土煙が舞い上がり、衝撃で弾かれた槍が詩音の足元に転がって来る。
「な、何だぁ!?」
ヴィクターが声を上げる中、突如として飛来したそれはゆらりと土煙の中で身を起こした。
それは、一言で言うなら、人の形をした巨大な肉塊だった。
体高は四メートルに達するか。その全身は腐敗した様な紫色で皮膚を持たず、剥き出しの筋肉は肥大化した様に盛り上がり、所々から体液が滴り落ちている。
腕は脚に対して異様に長く、先端にはおおよそ生物の物とは思えない金属質で長大な爪が備わっている。
頭部に関しては首が異常に太く、その顔面には骨らしき白い物質でできた真っ白な仮面が張り付いていて表情の類は覗えない。
異形。その一言に尽きる。
なまじ人型に近い分、見る者によっては生理的嫌悪感すら抱きかねない異様な魔物。
「な、何だありゃ!」
客席から声が上がる。
突如として乱入してきたそれが、友好的な存在でない事は明らかだった。
魔物は一度、周囲の状況を確める様に顔を振るう。
そして─────
「□□■■■□□■□────!!!!!」
咆哮が鼓膜を叩く。
肉塊の魔物は深く身体をたわませると、その巨体からは想像も出来ない程の速さで客席の一部へと跳躍した。
客席から幾つもの悲鳴が上がる。
大慌てで逃げ出そうとすら観客達に魔物は異形の腕を振り上げた。
客の退避は間に合わない。
魔物は爪腕の一薙ぎを持って間合い内の人々をそれこそ羽虫の様に払い殺すだろう。
だが─────
怪腕が振り下ろされる刹那。
魔物の背中に向けて一条の氷矢が打ち込まれた。
流星じみた勢いで突き立った氷矢は、その瞬間に炸裂し魔物の身体を抉った。
「□■□□■──!?」
血飛沫が迸る。
苦痛か、驚愕か、或いは怒りか。
魔物は唸りと共に背後を振り替える。
無機質な白面が捉えるのは、黒色の長弓を構えた白衣の人物。
「今のうちだ! 速いとこ逃げな!」
客席に向けてヴィクターが叫ぶ。
その言葉など関係無いとばかりに、魔物が降り立った場所付近の観客は悲鳴と共に我先にと逃げ出した。
『観客の皆様! 組合員の指示に従って直ちに避難して下さい! 冒険者登録をされている方は、観客の避難及び安全の確保にご協力下さい!』
実況席から勧告が飛ぶ。
だが、観客の多くは言われるまでも無いとばかりに既に逃げ始めていた。
周囲を囲む客席が逃げ惑う人々で騒がしくなる。
しかし魔物はそんな物には興味無いとでも言うかの様に真っ直ぐに詩音の方を見ていた。
対峙して初めて、詩音の存在を認識したのか。
途端に魔物は纏う雰囲気を変化させた。
全身を小刻みに震わせ、荒々しい息と共に唸り声を溢すその様から感じられるのは、敵意や害意とは似て非なる、憎悪。
───まさか、こいつは……
その変化によって詩音がある事に気が付き、《HL》システムを起動する。
───既存データと参照。種族情報を提示して
『参照中…………。該当データ無し。何らかの生物の変異体である可能性が高いです』
───変異体………ならやっぱり………
《HL》の回答に思考を巡らせる、その時。
「■□■■───!!!」
再びの咆哮が響く。
魔物は右腕を上げ、鋭い長爪が並ぶ指先を詩音へと向ける。
次の瞬間、化け物の指がまるで触手の様に伸び、真っ直ぐに詩音に向かって打ち出された。
刀剣じみた爪を備えた触指が五本、鞭或いは蛇の様にうねりながら迫る。
詩音は長弓を《STORAGE》に収納すると、足元に転がる長槍を爪先で蹴り上げる。
舞い上がる槍の柄を握り、即座にその表面をスキル《氷雪の支配者》によって空気中から収束させた氷で覆った。
防護魔術を重ね掛けした祭り用の槍に本来の殺傷力は無い。
故に詩音はその槍を芯として魔氷を纏わせ、氷の刃を形成する事で他者を害する能力を付与させたのだ。
本来以上の殺傷力を付加された槍を以て、詩音は迫る五本の刃を迎撃する。
氷刃が蛇の如く蠢く触指を悉く切り刻み、肉片となって地面に落ちる。
その槍捌きは速度、精度、錬度、全てに於いて一流と呼んで差し支えない。
「■□□──!」
唸りが上がり、魔物は切り刻まれた指を引き戻す。
それに続く様に、詩音は氷槍を怪物の顔面目掛けて投擲した。
それを魔物は左腕で払い退けて防ぎ、氷槍が宙を舞う。
と、その氷槍に掛かる手があった。
ヴィクターが、舞台端の塀を踏み台に跳躍し、空中で槍の柄を掴んだのだ。
紅の槍兵は、そのまま落下する勢いを乗せて氷の刃で魔物の身体を叩き切る。
「■□□□■■───!!!!」
「凄げぇ切れ味だなこりゃ」
着地し、詩音の側まで後退しながらヴィクターは感心した様にぼやくと、次いで詩音に向けて言った。
「本当に器用な奴だな。剣に拳と来て槍まで扱うたぁ」
「流石に君には劣るけどね。気に入ったならそれ上げるから、あれなんとかするの手伝って」
「手伝うのは構わんが、貰うのは遠慮しとくわ」
そう言って、ヴィクターは氷槍を地面に突き立てると軽く右手を掲げた。
すると、出入口の方からその右手に向かって猛速で赤い閃光が飛来した。
血の色を纏いしそれは、神代の獣の力を宿す深紅の魔槍《血喰いの槍》。
「何今の。便利」
「へへ。良いだろ。ただちょっと嫉妬深い奴でな。本気の戦いでほったらかしにすると拗ねるんだわ」
まるで槍に意思があるかの様にそう言って、紅の戦士は深紅の魔槍を構える。
と同時に、魔物が再び全身をバネの様にたわませ、猛烈な勢いで二人に飛び掛かってきた。
それぞれ左右に飛び退いて回避する詩音とヴィクター。
魔物の意識は詩音に向いており、ヴィクターは眼中に無いのか背中を向けている。
「□■□■■■──!!!」
魔物の左腕が上がる。
詩音を叩き潰さんとする怪腕が、鉄槌の様に振り下ろされる。
それを、詩音は僅かに後退して避けた。
大地を揺らす轟音。魔物の拳は地面に食い込み、地響きと共に石片が飛び散る。
その拳を踏み台に、詩音は魔物の腕を駆け上がった。
そして、二足で肩口にまで到達し、そこを足場として強烈な回し蹴りをその頭部に叩き込む。
鈍い、骨にまで衝撃が届く手応え。
白面に亀裂が走り、巨体が揺らぐ。
更に詩音は、地面に降り立つと同時に右手に氷剣を作り出し、その両脚を切り裂いた。
膝を着き、崩れる様に体位が落ちる。
と、
「シオンばっかでこっちには見向きもしねぇたぁ、随分とツレねぇな、この面食いが」
そんな、状況に対してやけに緊張感の無い言葉が魔物の背後から飛ぶ。
「□■□□───!?」
直後、朱色の穂先が魔物の胸を貫いた。
背中から入り、心臓を貫くその一突きは紛れもない致命傷。
魔物の全身から力が抜け、長大な両腕がだらりと垂れる。
「────」
それを見届け、ヴィクターは槍を引き抜いた。
「………………」
紅の槍兵は、存外にあっさりと仕留められた魔物を今一度一瞥してから、詩音の方へと歩み寄ろうと視線を逸らした。
その時、
「駄目だ、まだ生きてる!」
詩音の叫びが飛び、それと同時に眼前の魔物がヴィクターに向けて左腕を薙ぎ払った。
「っ!?」
咄嗟にヴィクターはその場から飛び退いて直撃を回避する。
が、
「───っ」
地に着いたヴィクターの両脚、その腿から血の飛沫が溢れる。
爪先が僅かにかすった。
それだけでヴィクターの両腿は硝子片で裂いた様に肉を抉り取られた。
魔物の身体が起きる。
切り裂かれた筈の両脚で確りと大地を踏み締めている。
見ると、その傷口が沸騰した様に泡を沸かしながら目に見える速さで塞がっていく。
同じ様に、切り刻まれた右手の五指も氷矢に抉られた傷も断面を同じ様に煮立たせながら猛烈な速度で再生していた。
「っち、再生持ちか!」
憎々し気に舌打つヴィクター。
その頭上で、此方を振り返った魔物が再び爪刃の並ぶ怪腕を振り上げた。
────くそ。こいつは当たるな
負傷した脚では躱し切れない。
避け切れないダメージを予感しながらも、回避の姿勢を取るヴィクター。
─────その刹那。
乾いた爆音が四つ鳴り響く。
同時に、掲げられた怪腕。その手首から先をが高速で飛来した四つの弾頭によって吹き飛ばされた。
「□■■──!」
魔物の動きが止まる。
振り替える白面。その先、爆音の源は詩音の両手に握られた一対の黒銃。
拳銃というカテゴリーを逸脱しかねない巨体。銃身と平行に備えられた肉厚の銃剣。
対人・対魔獣用大型自動拳銃 《ヴォルフ・レクス》。
風変わりな外見の凶器を化け物へと向け、詩音は立て続けに引き金を引いた。
炸裂が燃焼する音と衝撃。それと共に放たれた五十口径の弾頭が魔物の身体を抉る。
「■□■■───!」
悲鳴じみた叫びが上がる。
そして、それと同時に。
「ウオォォォ!!」
雄叫びと共に、魔物へと突進する影があった。
喧闘祭に参加していた冒険者だ。
それも一人では無い。
八人の冒険者が、弾頭に怯んだ魔物の周囲を囲み斧や剣、槍を掲げて飛び掛かる。
しかし、
「□■□──!!」
魔物は唸り声を発する。
それと同時に、魔物の全身から体表の筋肉を突き破る様にして、白く太い杭の様な物が四方八方に向かって猛烈な勢いで飛び出した。
それは、骨だ。
魔物の体内にある骨の一部が、槍の様に先端を鋭利に変形させて飛び出したのだ。
まるで巨大な剣山の様に周囲へと伸びた骨槍は、飛び掛かって来た冒険者達を容赦無く貫き、吹き飛ばした。
一瞬にして金剛級を含む中位以上の冒険者が八人人、戦闘不能に追い込まれた。
八人の内三人は頭部や胸部を貫かれており即死、残る五人もそれぞれ手や足を穿たれとても戦える様な状態では無い。
そして、魔物はそんな逃げる事もままならない冒険者にとどめを刺そうと容赦無く怪腕を振り上げる。
だが、
「□■□──!!」
高らかに掲げた凶爪が冒険者の身体を切り刻む直前、苦痛の声と共に怪腕は停止した。
詩音が魔物の背中に飛び乗り、その首筋にヴォルフ・レクスの銃剣を深々と突き立てたのだ。
「退ってて」
そう冒険者達に告げ、詩音は銃拳を突き立てたまま引き金を絞る。
零距離で放たれた弾頭は魔物の首を貫通し、血肉を撒き散らす。
「■□■□□■────!!!!」
絶叫と共に、魔物は身体を無闇矢鱈に振り回し詩音を振り払おうとする。
魔物の背から離れ詩音は、着地を待たずしてヴォルフレクスを発砲する。
放たれた弾頭を右腕を盾にして防ぎ、魔物は再び詩音を標的に定める。
迫りくる巨体。
弾頭は確実に奴の身体を削り、ダメージを蓄積させる。
しかし、そんな物はどうでもいいとばかりに、魔物は最早防御も回避もせず鉄の塊を撃ち込まれながら詩音へと猛進する。
「────」
銃では止め切れない。
詩音はそれ以上の発砲を止め、自ら魔物の方へと走り出した。
間合いに入った途端に薙ぎ払われる怪腕。
それを詩音は、体勢を深く落として躱し、そのまま地面を滑る様にして魔物の股下を抜ける。
標的を見失い、勢い止まなかった魔物は、そのまま舞台端の石造りの壁に突っ込んだ。
「油断したね、ヴィクター」
その隙に詩音はヴィクターへと駆け寄る。
そして、コートのポケットから回復薬の入った注射器を取り出すと、何の合図も無くヴィクターの腿に針を刺した。
「っ痛って!」
「この位の傷なら直ぐに塞がる」
その言葉の通り、薬を注入されたヴィクターの傷は物の数秒で塞がり、跡すら残らなかった。
更に、詩音に極められた右腕の痛みまで纏めて消えていた。
「おい、刺すなら刺すで一言掛けてくれよ」
「まぁまぁ、治ったんだから良いじゃん」
「そう言う問題じゃねぇっての、ったく」とぼやくヴィクター。
詩音はそれを適当に流し、右側の拳銃を太腿のホルスターに納めて空いた右手に氷剣を作り出しながら冒険者達の方を盗み見た。
動ける者は自力で、動けない者も動ける者の手を借りながら何とか離脱していく。
────一先ず大丈夫か
そう判断し、詩音は魔物に視線を戻す。
「しかし、心臓を潰しても死なねぇとはな。不死身かあいつは?」
ノロノロと身を起こす魔物を見てそう口にするヴィクター。
それに対して詩音は真っ直ぐに魔物に視線を向けたまま首を振った。
「────いや、そういう訳じゃないみたい」
「あ?」
「あれには心臓が十個ある」
「なに?」
詩音の魔眼は既に魔物の肉体が内包する情報を暴き出していた。
心臓を貫いた瞬間とその直後による流血の量と圧力の変化率。
呼吸による身体の膨縮具合。
拍動による筋肉の伸縮。
そして、巨体に似合わない肉体の行動速度。
常人ならばまず認識できない極小の情報を正確に捉え、それらを結び線を成す事で、詩音は異形の怪物の身体構造を看破した。
「おまけに再生能力まである。一つ潰したくらいじゃあ止まらないだろうね」
「っち。殺すには全部の心臓を再生する前に潰さにゃならんって事か」
「面倒だな」とヴィクターが愚痴ったその時、
「───」
「!?」
両者は同時に背後を振り替える。
向けた視線のその先。地面に散らばるのは、詩音が氷槍を以て切り刻んだ魔物の肉片。
その一部が、動いていた。
最初は蟲の様に蠢き、次いで魔物の傷口の様に泡を纏って肥大化していく。
それらは軈て人型へと変わる。
一体の骨ばった細い肉体の新たな化け物が生まれる。
体高は元の怪物の半分程度。しかし異様に長い両腕と爪刃、そして表面の体色は共通している。
「増えやがった!?」
「もう何でもありだね」
新たな怪物は、ふらふらとした足取りで歩き出す。
向かうは詩音やヴィクターの方では無く、未だに多くの人々が逃げ惑う客席。
「う、うわあああ!!」
「きゃあああ!!!」
絶叫が上がる。
逃げ遅れた観客達に、怪物は血肉を前にした獣の様に迫る。
「くそ、化け物が!」
「囲め囲め!」
そんな気勢の声と共に、闘技場にいた他の冒険者達が怪物に立ち向かう。
だが、肉片から生まれ出た怪物は長大な爪を備えた腕の一薙ぎで迫り来る冒険者達を払い飛ばした。
「かはっ!」
「ぐああっ!!」
まるで羽虫の様に吹き飛ばされ地に転がる冒険者達。
怪物はそんな冒険者の一人を標的と定めると、何の躊躇も無くその刀剣の様な爪を振り翳した。
吹き飛ばされ、壁に強く打ちつけられたその者には向かう迫る追撃を躱す事は叶わない。
爪刃は、何の抵抗も許さずにその身体を切り裂くだろう。
しかし、爪刃が冒険者に届く直前、その間に黒い影が割り込んだ。
黒染めの外套を纏い、アメジスト色の髪を靡かせるその影とは、先刻まで避難する人々を誘導していたクレハだった。
クレハは怪物の一撃を、手にした魔剣 《エリュクシード》で受け止めると、
「早く逃げて!」
その声に、冒険者は痛む身体に鞭打つ様な表情でその場から逃げ出した。
「▣◇▣───」
眼前のクレハに、怪物は鬱陶し気に唸り声を上げると、怪腕を受け止める彼女を力任せに押し潰そうとする。
「ん、ぐ───!」
骨と皮だけの様な身体からは想像もつかない重圧がクレハの身体にのし掛かり、足元の石畳に亀裂が走る。
だが、
「──っせああ!」
それでも、力比べをするには相手が悪い。
逆に気合いの声と共にクレハは怪物の腕を押し返すと、そのまま弾き飛ばした。
間を開けず、クレハは黒剣を振るう。
疾る黒閃。その鋭さは並みの冒険者の繰り出すそれとは比べ物にならない。
しかし、
「───!!」
十重二十重に繰り出す剣撃。
その悉くを、怪物は両腕の爪刃を以て防ぎ切る。
再び、怪物の爪刃を受け止め、鍔競り合いながらクレハは実感した。
────こいつ、強い!
技術は無い。
だが、反応とスピードがズバ抜けて高い。
「▣◇▣!!!」
「っぐ───!」
怪物が爪先を押し込んでくる。
それを受け止め、再び押し返そうとしたその瞬間。
クレハの背後から、赤々と燃え盛る炎を纏った矢が立て続けに飛来した。
火矢は全て怪物の頭部に吸い込まれる様に命中すると、破裂音を響かせて爆ぜる。
「▣▣──!」
咆哮と共に、もうもうと爆煙の立ち上る顔面を両手で押さえながら、怪物が後退する。
クレハは火矢の飛来した方を振り返った。
その視線の先にはシーナの姿があった。クレハより数段高い、ニ十メートル程離れた客席から、此方に向けて弓を構えている。
そして、クレハの両脇を抜ける様にカインとアリスが苦悶の呻きを溢す怪物に向かって疾走した。
アリスが右手の細剣を霞む様な速さで突き出し、一息の間に怪物の身体の五点を穿つ。
そこに間髪を入れずカインが踏み、その身を逆袈裟に斬り裂いた。
「▣▣▣───!!!!!!」
先よりも明確に、苦痛の念を含んだ声で怪物は吠えた。
だが、顔を焼き飛ばされ、身体を穿たれ、斬り裂かれ。
全身に深く傷を刻み込まれながらも、怪物は止まらなかった。
爪刃が狂暴に輝き、眼前の敵を斬殺せんと掲げ上げる
が、凶刃が振り下ろされる直前、突然走った一閃によって怪物の腕が肘の辺りから両断された。
その一刃は、クレハ達の頭上を飛び越える様にして怪物へと突撃したエリックの斧槍が放った物だった。
そのまま、怪物の眼前に着地したエリックは、斧槍の柄を返し怪物の両足を払い取る。
両足の支点を失った怪物の身体は、成す術もなく地面に仰向けに倒れた。
だが、腕を斬り飛ばされる程の深手を負いながらも怪物は直ぐに身を起そうと身動きする。
そこへ、
「せえぇい!!」
気勢の声と共にエリックの隣を駆け抜けたシャルロットが身の丈を超える両手棍を容赦なく叩き込んだ。
鈍い音と共に棍棒の直撃を受けた怪物の頭部が潰れ、身体は数回痙攣した後に再び脱力するように地面に伏した。
「悪い、遅くなった」
「武器取りに控室まで行ったら通路が避難する人で溢れかっえっててさ」
遅れた理由を言いながら踵を返して皆の元に歩み寄ろうとするエリックとシャルロットだったが、
「皆、まだ動いてる!」
後方。弓を構えたシーナが叫んだ。
全員が振り替える。
体幹を斬り穿ち、腕を跳ね、頭部を潰し。事切れたと全員が判断していた。
だが、怪物は身を起こす。
斬られた傷も、潰れた頭部も目を疑う様な速度で再生させ立ち上がる。
「な、なんだこいつ!」
「まだ動けるの!?」
カインとアリスが驚愕に声を溢す。
他の妖精達も二人と同じ心境だった。
しかし、驚きながらも停滞する事はなく、全員が即座に己の武器を構え直す。
怪物は左腕を高らかに掲げ、備えた爪刃を妖精達に振るわんとする。
言葉を交わす事もなく、全員が各々に取って最適な、そして他の者にとっても最良な行動を取ろうとする。
が、クレハ達が動き出す直前。
再び、彼らの頭上を越え、怪物に向けて何かが高速で飛来した。
シーナの矢、では無い。
それは人の頭程の大きさをした濃紫色の立方体。
まるで朧気な蜃気楼の様に存在感が感じ取れないその立方体は、振り上げられた怪物の左腕に吸い込まれる様に飛翔する。
そして、立方体に触れた怪物の腕が音もなく消失する。
突然の事象に驚愕して、怪物は己の腕へと潰れた視線を向けた。
だが、そこへ間髪を入れずに先の物と同じ濃紫の立方体が四つつ、新たに飛来して怪物の両足と右腕を呑み込み、胴体に正方形の風穴を開けた。
「▣─▣▣◇!!」
再び両足の支えを失い、咆哮を上げながら崩れる様に膝まづく怪物。
そして、小さな、濃紫色の影がクレハ達の脇を抜けて怪物へと走る。
「ミ、ミユ!?」
紫影、濃紫の塊を放った張本人である少女の姿を見て、クレハが声を上げる。
紅白の祭衣では無く己の魔力を編んだ魔装に身を包んだミユは黒白の髪を風に靡かせ、獣の様に跳躍するとすれ違い様に虚空を纏った両手の爪を振るい怪物の頭部を切り跳ばした。
「ミュ」
何とも緊張感の無くなる声と共に着地したミユは突然の参戦に驚愕し言葉を失う妖精一同を他所にキョロキョロと辺りを見渡す。
そうして目を止めたのは、先ほどエリックが切り跳ばした怪物の右腕だった。
ぽてぽてと小走りで駆け寄ると、小さな両手でどうにかこうにか持ち上げると、
「あむ」
突然、その肉片にかぶり付いた。
「「「「「えぇ!!??」」」」」
妖精達が同一に声を上げる。
その一方でミユは怪物の肉片を噛み千切ると、そのままもごもごと咀嚼する。
数回の咀嚼の後、ごくりと喉を動かすとにっこりと笑みを浮かべた。
「おいしい」
黒毛の尻尾をぱたぱたと動かしながらそう言って、更にもう一口怪物の肉片を齧り取った。
「う、うそぉ」
「く、食えんのか、あれ?」
「そんな訳無いでしょ! ミユちゃん、そんなの食べちゃ駄目!」
「ペッして! ペッ!」
呟くカインとシャルロットを一喝して、アリスとクレハが大慌てでミユの捕食を阻止しようとする。
ミユの能力によるものか、怪物の失われた身体は再生する気配が無い。
未だに痙攣する様に身体を震わせているのを見ると、死んではいない様だが、四肢も頭も失ったのならば一先ず脅威にはならないだろう。
尤も、この状態で死んでいないという事実には驚く他に無いが。
そんな感じで一瞬だけ弛緩した空気だったが、次の瞬間、再び全員の間に緊張が走る。
前方に向けられる総員の警戒の眼差し。
その矛先、地面に散らばる魔物の肉片。複数散乱するその全てが同じ様に蠢き、同じ様に肥大化していく。
それは先刻と同じ光景。ならば、その行き着く先も同じ。
新たに、怪物が誕生する。
一体では無い。その数、十七体。
姿形は今も地面で身動きを続ける怪物と全く同じ
だが、姿の違いは別どうでもいい。問題は一体一体の能力だ。
もし、あの怪物達の全てが、最初の怪物と同等の戦闘力を有しているとすれば────
「──厳しいな」
冷静な、しかし確かな緊迫感を宿した声音でエリックが呟いた。
◆
「おいシオン。向こうヤバいんじゃねぇか? っと!」
クレハ達の状況を見て注言するヴィクターに、魔物が殴り掛かる。
それを飛び退いて危な気無く回避し、鞭の様にしなる血液の刃でその腕を切り裂く。
詩音もクレハ達の現状は視認していた。
幾ら彼らでも、観客を守りながらあの数の怪物を相手にするのは厳しい部分があるだろう。
本体程では無いが、分裂したあの怪物もなかなかに手強い。
下位の冒険者は勿論、並みの金剛級でさえ、単独では荷が重い。
「どっちか加勢に行くか?」
魔物の攻撃をいなしながら、ヴィクターが提案する。
だが、
「いや、必要無い」
詩音は即座にその提案を否定した。
「あっちには」
怪物は間違いなく強敵。それが十七体。
放置してはクレハ達の身が危ない。
だと言うのに、詩音は何の不安も心配もしていなかった。
何故ならば────
「───剣聖が居る」
◆
「──っつ!」
怪物の一体を剣で弾き跳ばしたクレハは数歩後退る。
他の者も皆一様に、怪物に押されて壁際に追い込まれる様に集結する。
「やっぱりキツイか」
「一体一体はまだ何とか出来るレベルだけど………」
アリスやカインの口からも苦い言葉が漏れる。
やはり数が多い。
怪物達は追い込まれた妖精達を半包囲する様に散らばり、ジリジリと間合いを詰めて来る。
そして、その内最前線の三体が一斉にクレハ達に飛び掛かった。
即座に全員が身構え、迎撃しようとする。
だが、怪物が妖精達の間合いに踏み込む直前。
「「「「「「!?」」」」」」
突如、旋風の様に到来した人影が一瞬の間に迫る怪物達の身体を切り刻み、吹き飛ばした。
「全員、怪我は無いか?」
漆黒の外套を纏ったその人影は、片手に握る直剣を振り払いそう訪ねる。
妖精達全員が、その黒衣の人物を知っていた。いや、知っているなんて物では無い。
全員の内心を代弁する様に、クレハがその人物に向けて声を上げた。
「と、父さんっ!?」




