8話 鬼と妖精の戦い
何時の間にか分厚い雲に覆われた空の下、戦いの音が森に鳴り響く。
フェルヴェーンの里からそう遠くない場所で二つの群れがぶつかり合う。一つが二メートルを優に超える体躯を持つ鬼の群れ。
一応人型の体は縄のくすんだ赤茶色をしており、縄のような筋肉に覆われた体表面には針金の様な体毛をまばらに生やしている。
そして各々が鋭い爪の生えた手に粗雑だが充分な殺傷能力を持った剣や斧を握っている。
もう一方はほぼ完全な人型をした一団。
キリハが指揮を取る妖精族達だ。
クレハやその両親、アルト、エイリス族長夫妻も含めた現在戦える全ての者が各々の武器や魔法で圧倒的物量で攻めてくる軍勢に抵抗している。
事前にキリハが告げた通り、鬼とは交渉の余地は無かった。妖精達を視界に捉えた瞬間、狂気にも似た殺意を放ちながら襲いかかり、そのまま戦闘へ移行することになった。
「間に出すぎるな!そもそも数が違うんだ! 下手に突っ込めば直ぐに囲まれて潰されるぞ!」
キリハの指示の声が飛ぶ。鬼の軍勢一万体余りに対して妖精族は千四百。多勢に無勢。まともに戦える戦力差では無い。
キリハを始めとした一部の者達は一人で二、三体を相手に出来るが、数の差を埋めるのははっきり言って不可能だ。
「そうは言ってもなぁ………」
「どのみちこの数じゃあ、潰されるのは時間の問題だね」
三十体以上の鬼に囲まれ、背中を合わして剣を構えながらクレハとアリスは乾いた笑みを浮かべる。
「まあでも」
「だからって負けられないよね。クレハ、詠唱時間何秒稼げる?」
問われクレハは僅かに考えた後で答えた。
「五秒かな」
「充分。お願いね」
「任せて」
クレハは左手を突き出すと自身の得意とする魔法を発動する。
瞬間クレハの左手が煌めき、次いでその左手を中心に薄い霧が広がる。クレハとアリス、そしてその周りの鬼を包み込んだ霧は視界を塞ぐ程の濃度は無く、目眩ましの効果は期待出来ない。
しかし、この魔法効果は目眩ましなどでは無い。
霧が辺りを包んだ瞬間、今まで二人に斬り掛かるタイミングを計っていた鬼達のぎらぎらとした眼がまるで眠りに誘われたようにとろけた。
《闇妖精》は妖精族の中で最も闇や眩惑系の魔法を操る事に優れた種族。今回クレハが使用したのは、広範囲に眩惑の効果を与える中位魔法《幻惑の魔霧》。
その効果に囚われた鬼は、宣言通り五秒程動きを止める。そしてその数秒の間に、
「水面に集う詩、泡潮を屠る橿。溢れ、揺蕩い、営みを呑み砕く。泡沫に臨む愚者。澄み消える銀の断頭。凍えし縁、氷輪に染まれ──」
アリスが更なる魔法の発動する。
瞬間、二人を中心として巨大な水の渦が巻き起こる。膨大な量の水が竜巻の様に猛烈な勢いで周囲の鬼を呑み込んでいく。
闇妖精が幻惑魔法を得意とする様に《水妖精》であるアリスは水の魔法の扱いに長ける。
今回アリスが発動した魔法の名は《魔竜巻・水》。
威力と効果範囲に優れた高位の魔法である。
圧倒的破壊力を内包した流水の竜巻が無産した時、そこに在ったのは高圧の水流に身体を引き千切られ、溺死した鬼達の死体だった。
「流石アリス」
「でもやっぱり、高位魔法は魔力消費が激しいから連発は無理ね、っと」
そんなやり取りをしている間にも新たな敵がわらわらと押し寄せてくる。二人は再び剣を構え直すと背中越しに一度目配りをして、
「アリスが魔法で活躍したならボクは剣で良いとこ見せないとね」
「ふふ。頼りにしてるからね、クレハ」
互いに言葉を交わしつつ、二人の妖精は群れなす鬼達へと突進した。曇天の空の下で二つの剣閃が鬼の軍勢を斬り払い、臓腑と血液が撒き散る。それを皮切りに戦いはより激しさを増していくことになる。
◆
(今のはアリスの高位魔法ね)
離れた場所で立ち上る水柱を高い岩場から捉えたシーナは友人の奮戦に一瞬笑みを浮かべたが、すぐに笑っていられる余裕はないと気持ちを切り替える。
「セイ!」
眼下では短い桃色の髪をしたシャルロットが大振りの金棒で鬼の一体を叩き飛ばしている。《鍛冶妖精》の名の通り彼女の本職は鍛冶を初めとした武器製作であり単純な戦闘能力は仲間内でも高い方では無いが、それでも鬼の一体や二体に遅れを取りはしない。
そんなシャルロットの背後から四体の鬼が襲いかかろうと迫る。シーナはその四体を見据えたまま、手にした長弓に四本の矢を番える。弦を強く引き、瞬時に呼吸を整えると鬼が間合いにシャルロットを捉えるより早くあてがった矢から手を離した。
風妖精の得意とする風の魔法が付与された弓の力で矢は高速で飛翔し、四体の鬼の頭部をほぼ同時に射抜いた。
「シャル、背後には常に注意よ」
「あんがとねシーナ。助かったわ」
礼に小さく微笑みで返し、シーナは新たな矢を弓に番え迫り来る鬼を次々と射殺す。そして、シャルロットは必中の矢の僅かな間を抜けて来た敵を豪快な棍棒捌きで打ち倒していく。高台から見下ろす狙撃手によってシャルロットの死角は完全に潰された。
◆
血溜りに足を取られないようにしっかりと踏ん張りながらエリックは振り下ろされた剣を己の得物である斧槍の柄で受け流し、返す一薙で目の前の鬼を一刀両断する。
「いくらでも湧いてくるな」
顔に跳ねた血を拭い呟くと、
「はっ。どうしたエリックもうバテたのか? それともシャルの奴が居ねえのが辛えか?」
同じように敵を大振りの刀で斬り伏せるカインが茶化すように軽口を叩く。
「シャルロットは関係無いだろ」
「相変わらずの面倒くさい野郎だな。まあいい。それよりまだまだ粘ってくれよ」
「当然だ。そもそも俺はバテたなんて言ってないぞ」
口角を僅かに上げて新たに鬼を切り払う。
「お前の方こそ、太刀筋が鈍って来てるんじゃないか?」
「んなわけねえ、だろ!」
同じような笑みを浮かべて敵の頭を斬り飛ばしながらカインは言い返す。
その時、五体ほどの弓を持った鬼が二人に向けて一斉に矢を放った。
それを認識してエリックが地面に片手の平を叩きつけると、飛来する矢から二人を守るように土の壁がせり上がった。地属性中位魔法《土壁》によって造り出された壁に飛来する矢が阻まれると、カインはその影から飛び出し、
「喰らえ!!」
炎の槍を弓兵の一団へと投げ放った。火妖精のカインが得意とする攻撃魔法《火炎大槍》。
直後、爆炎が上がり弓使いの鬼達はその身体を黒炭えと変え崩れ落ちる。そして未だ初撃の炎も収まっていないうちにカインは新たな炎槍を前方の鬼へと放つ。
二度爆音が轟き炎が数体の鬼を焼き払う。
「少しは魔力の残量を考えろよ?」
「わかってるって」
再び構え、血と臓腑に濡れた地を二人は疾走する。息の合った二つの刃が敵を斬り倒し、更なる血飛沫をまき散らして行く。
◆
キリハは鬼を斬り倒しながら指揮官として指示を飛ばす。クレハやその友人達は魔法や得意の連携を駆使し、鬼の群れの一部を分断し、他の者の負担を削減している。その効果と個々の戦闘能力の高さも相まって戦いは拮抗していた。コートの様な戦装束に身を包んだアルトとエイリスに至っては二人で百以上の敵を圧倒している。
しかしキリハも族長夫妻も、敵を分散しているクレハ達も分かっていた。
このままではいずれ敗北する、と。
戦闘開始から十時間以上が経過した頃、次第に兵士達が迫り来る鬼の群れに対応できなくなってきた。とうとう 《数》という単純にして致命的な差が牙を剥き始めた。
「ぐぁっ!!」
この戦いで最初となる妖精族側の脱落者が出た。鬼の攻撃を防げずに一人の兵士が吹き飛ぶ。全身を縄の様な筋肉に覆われた鬼の膂力で振るわれた一撃を受ければ鎧の上からでも骨は砕け、内臓は破裂を免れない。駆け寄った別の兵が負傷した兵を担いで運んでいく。
後方には少数ではあるが回復魔法や治療を行える者が控えているため死にはしないだろうが、直ぐに戦線への復帰は望めないだろう。
この被害を皮切りに戦況は徐々に傾いていく。
鬼達の侵攻は勢いを増し、妖精達を呑み込み始める。拮抗は崩れ、負傷者が続出する。
撤退の許されない状況。絶え間なく迫り来る敵。数倍の物量差。
精神的にも肉体的にも兵士達には多大な負担が蓄積していく。
元々種族的に体力では鬼側が優れている。戦闘の長期化がそのまま妖精達の敗北につながるのは明白だった。
故にキリハはクレハ達の様な戦力に秀でた者を使って敵の分断を試みたのだ。
そして同時に、もし本隊が潰されても彼女らだけでも離脱でもできればと考えていたのだが、それも無駄な抵抗だったと言わざるを得ない。
◆
カインの刀の刃が大きく欠ける。
「ちっ」
「カイン」
「よう、エリック。どうだ調子は」
肩で息をしながら背中を合わせて語りかける。 そして、その周りを多数の鬼が包囲する。
「武器がそろそろ限界な事を除けば、悪くはない」
エリックの握る戦斧も刃がこぼれ柄には亀裂が走っている。
「こっちも似たようなもんだ。はぁ~あ。そろそろ腹括らねえとかもな」
「そうだな。だが、それでも俺は後三十は仕留めるさ」
「へっ。なら俺もそのくらいしないとな」
勝機は無く、勝算も無い。それでも二人は疲弊した身体で、限界の近い武器を掲げて走り出した。
全方位を囲む鬼に突撃し、目の前の敵を半ば特攻じみた勢いで斬りつける。その勢いに二人よりも屈強な身体付きの鬼達も僅かに怯む。
しかし、合わせて八十ほどの敵を斬り殺したところで二人の武器がほぼ同時に限界を迎えた。
「……ここまで、か」
「だな……」
予備の武器はもう無い。補給に戻ろうにも目の前の鬼達がそれを許しはしない。
鬼が徐々に間合いを詰めて来る。
皆一様に勝ち誇った笑みを浮かべ獲物を見据える。そして、最後の距離を詰めようと一斉に地面を踏み込み───────
◆
「シャル」
「あんがと、シーナ」
差し出された手を掴み、シーナの助けを得てシャルロットは岩山に登る。
「全く……。あれだけ倒したってのに全然減ってるようには見えないのよね」
眼下に群がる鬼を見下ろしながらシャルロットは呟く。
「まあ、数が数だからね」
空になった矢筒を肩から下しながらシーナは座り込む。
矢はもう一発も無く、シャルロットも金棒は取り落としている。
魔力も殆ど残っていない。
「それでも、こいつらが私達を狙ってる間は他の負担が少しだけでも減る訳だし、精々長く引き付けてやるわよ」
威勢よく呟いたシャルロットにシーナは苦笑じみた笑みを浮かべる。
「相変わらずねシャルは」
「ヘヘ、度胸が無いと鍛冶師は務まらないわよ。―――――んじゃ、行くわよ、シーナ」
「はいはいっと」
鬼達が二人の居る岩山を登ってくる。
嘲笑いながら、吠え唸りながら。
同時に立ち上がったシャルロットとシーナは、次いで同時に岩の足場を蹴る。
群がる鬼共の頭上を飛び越え、地面へと着地した両者。
シャルロットが鬼達の方へと振り返り、
「此方よー、ノロマ!」
そう言い残して踵を返すと、シーナと共に走り出した。
そんな二人を鬼達は怒涛の勢いで追い掛けた。
◆
クレハとアリスの戦場はすでに汚濁した体液の沼地となっていた。
息を切らし、体液の沼に足を取られながら、クレハは剣を振るう。
「あーもう、しつこいな」
意識せず悪態を吐く。一体どれ程の数の敵を倒したか。
切り捨てた数が四十を越えた辺りから、数える事を止めた。
眼前の敵が振り下ろす刃に自身の剣を合わせる。
鉄と鋼がぶつかり、火花が散る。
クレハの剣は鬼の蛮刀を弾き飛ばし、返す一閃を以て鎧に包まれたその胴を切り裂いた。
敵を屠ること都合百余。
「―――――っ」
一向に減らない敵にクレハは無言の悪態を吐く。
視線を一度、アリスへと向ける。
数に分断され、少し離れた位置で戦うアリスの方も似たようなものだ。
体力を消耗し、見て分かるほどに反応や剣技の切れも落ちている。
十重二重に押し寄せる鬼の群れは一向に数が減らず、むしろより数と勢いを増しているようにすら感じる。
不意に眼前の鬼を斬り払ったアリスの体勢が崩れた。
血の溜まった地面に足を取られたのだ。
そして、その少しの、しかし致命的な隙を突こうと一体の鬼が手に持った直剣を高らかに掲げる。
「アリス!!」
クレハは叫びながら飛び出した。決して遠くないアリスまでの距離を全力で走った。
アリスも鬼の攻撃には気づいているようだが、体勢を立て直し、回避や防御をするには遅すぎた。
アリスが動きだすよりも先にクレハが追いつく。
手の届く距離にまで近ずくとクレハは全力でアリスを突き飛ばした。
押し退けられたアリスはほんの一、ニメル程飛ばされて地面に倒れ、代わりに鬼の凶刃の下に晒されたクレハは何とかその一撃を弾いた。
そして、それが最後だった。
甲高い金属の悲鳴。
強引に鬼の剛腕による一撃を防いだクレハの愛剣は、累積した疲労を爆発させて根本から折れ砕けた。
「―――――ッ」
武器を喪失した。
剣撃を弾かれた鬼がその事実に牙を剥く笑みを浮かべながら、返す一刃を振り下ろす。
剣の軌道はクレハの身体を完全に捉えている。
致命傷は確実。
一瞬の後、粗雑な剣の刃はクレハを斬り裂き、その生命活動を停止させることだろう。
思考が加速しているのか、クレハにはその光景がひどく緩慢に見えた。
しかし、必死に「躱せ」と命令しても体は従わない。
ゆっくりと、死が振り下ろされる。そして─────。
「クレハっ──────」
アリスの口から悲鳴が零れ落ちる。
だが、凶刃がクレハの身体を切り裂く事は無く。
眼前の鬼は絶命していた。
振り上げた剛腕ごとその巨体を長大な氷の槍に貫かれて。
そして、クレハがその光景を認識した直後、空気を切り裂く音と共に周辺の鬼の群れに大量に降り注ぐものがあった
それは眼前の個体を絶命足らしめた物と同じ巨大な氷柱。
長さ三メートル程の鋭く尖った氷の槍だった。
上空から飛来した無数の氷柱は鬼の強靭な肉体を貫き、頭蓋を撃ち抜いていく。
此処だけではない。
彼方此方の戦場に同じように降り注ぎ、鬼のみを射殺していく。
突然の氷槍の雨はほんの数秒で収まり、その僅かな時間で数百の鬼が物言わぬ肉塊に変わった。
誰も声を発しない。
鬼も妖精族も、突然の事態に凍りついたように硬直する。
「鬼達よ、剣を引け!」
強く大きな、しかし少し幼げな声が静まり返った戦場に響く。
その場の全ての視線が声の方向、上空に向いた。
空を覆うぶ厚い雲が途切れ、森に幾筋もの光が差し、そのうちの一つが声の主を照す。
雪の様に白い外套。
白銀の長い髪を風に靡かせる、二対の純白の翼と長い尾を持った人影。
戦場には場違いなほどに可憐かつ神秘的な姿の人物がそこには居た。
「シ……オン……?」
意外な人物に、クレハは放心気味にその人物の名を呟いた。
詩音はゆるりと左腕を上げ、そこに握る物を掲げると告げる。
「既にお前たちの長は仕留めた!」
握られていたのは人の物より一回り大きな、鬼の首だった。