83話 紅と白銀の交錯
───疾る槍突。
───弾く剣閃。
交錯する二つの凶器は、互いにぶつかり合いながら火花を散らす。
眉間、喉、心臓。一息に放たれる三連は、全てが急所を穿つ必殺の穂先。
『凄まじい連撃だあ! 見えない! 疾る穂先がまるで見えない!』
実況席からレンレンの声が飛ぶ。
その言葉通り、ヴィクターの槍撃は常人には目で追うことすら敵わない。
だがその鋒を、剣閃が悉く弾き落とす。
残像すら霞む超速のヴィクターの槍。ならばそれに追随する詩音の剣も必然超速。
怒涛の如く繰り出される槍突を、直剣を以て防ぎながら詩音は前に出る。
だが、一歩目を踏み込んだ時点で詩音の足が止まる。
ヴィクターは詩音に二歩目を許さなかった。
剣対槍。その戦いの要は至極単純、間合いの取り合いである。
開いた間合いを詰められる前に敵を倒せば槍の勝ち。
逆に倒される前に間合いを詰めれば剣の勝ち。
剣は敵を倒す必殺の間合いに入らんと踏み込み、槍は踏み込せまいと距離を保つ。
それが剣と槍の定石である。
にも関わらず、ヴィクターは一合毎に己から前へと踏み込んで行く。
定石など知るものかと言わんばかりの勢いで自ら間合いを潰し、詩音に前進すら許さなかった。
その姿勢に後退の二文字はなく。
踏み込む度に槍の勢いは増し、それにより詩音は後退を強いられる。
「───っ」
槍撃が、詩音の間合いを侵す。
乱雑に見えて的確に急所を突いてく打突を、詩音は寸での所で捌き続ける。
端から見ても、ヴィクターは圧倒的だった。
一突毎に詩音の守りは剥がされ、一薙ぎ毎にその足は後退している。
観客の多くはこの結果を半ば当然と受け入れていた。
本来ならば、金剛級冒険者の中でも上位の槍使いであるヴィクターに、いかにこれまで予想外の結果を残してきたとは言え、ぽっと出の水晶級程度が勝てる見込みなど皆無。
その証拠に、現に詩音は防戦一方の戦いを強いられている。
この場の多くの者が、このまま続ければ、そう遠く無くヴィクターの槍は詩音の守りを掻い潜り致命的な一撃を見舞い戦いは終わるという共通の予想を抱いていた。
────一際、甲高い金属音が響く。
ヴィクターが更に一歩深く踏み込みながら放った重撃。
それを剣で防いだ詩音は、その衝撃の余波によって更に後方へと押し飛ばされた。
僅かに間合いが開く。
それはヴィクターならば一足で詰められる程度の距離。
弾き飛ばされた詩音は、地面に足が着くなり追撃に備えて剣を構えた。
だが、それまで絶えず攻め続けていたヴィクターは、開いた間合いを詰める事無く、唐突に攻撃の手を止めた。
「いや流石だな。当に十回は叩き伏せたつもりだったが全部防ぎやがったか」
構えを解き、槍を肩に担いで軽薄の態度でヴィクターは言う。
詩音もまた、間合いの外から同じような声音で返した。
「そっちはまだまだ余裕そうだね。なら余裕ついでにもう少し手加減してくれない?」
「悪いな、俺は昔から余裕は持てても加減ってのは苦手でな。それに────余裕なのはそっちだろ?」
「なんの事?」
「惚けんなよ。何がもう少し手加減しろ、だ。まだまだこんなもんじゃねぇだろうが、お前の力はよ」
「うわぁ……買い被りが酷い」
受けた指摘に、詩音はフードの下で苦笑を浮かべると共にぼやいた。
それに対してヴィクターは、隠す気配もなく溜め息を一つ溢した。
「なぁシオンよぉ。もう良いだろ?」
「────」
「俺はお前が強い事なんてとっくに知ってるんだぜ? 周りの奴らにしたってだ。少なくともこれまでの戦いで、お前がその辺の水晶級とは違うと思ってる。だからよぉ、もう少し本気で戦ってくれても良いんじゃねぇの?」
ヴィクターの言葉に、詩音は暫く考える様に無言を通した。
そして、
「─────そうかもね」
やがて、そう応えると構えを解いた。
切先が力を失い地面に向けて垂れ下がる。
その様は傍から見れば戦う気があるのかすら疑いたくなる程に自然体だった。
だと言うのに、対峙するヴィクターは詩音のその様を見るなり何かを感じ取った様に両の眼を見開いた。
その直後、切先がヴィクターの眼前に迫っていた。
「────っ!!」
長槍を翻し、眉間に迫る刀身を弾き飛ばす。
そして、一瞬のうちに間合いを詰めてきた詩音に返す薙ぎの一撃を繰り出す。
だがその反撃を詩音は胸が地面に着きそうな程に深く身体を伏せる事で回避して見せた。
それだけに留まらず、槍を振り払い無防備となったヴィクターに向けて、地に伏した際の反動を乗せた先の一撃を上回る勢いの切り上げを放った。
「くッ!!」
ヴィクターは大きく上体を反り、直撃を避けると、そのまま後方に大きく飛び退き詩音から距離を取った。
この祭りの中で、ヴィクターは既に三回戦っているが、自分から後退して見せたのは初めてだった。
「外したか。流石だなぁ」
再び切先を落としながら、詩音はなんて事無さ気に呟いた。
それに対してヴィクターは、
「ばーか」
とぼやいてから地面に向かって唾を吐いた。
地面に落ちた唾液には血が混ざっており赤く濁っていた。
「当たってるつーの。口ん中切ったわ」
顎の右端を手の甲で拭いながら告げる。
「いやぁ、顎を打ち上げるつもりだったし、その程度当たったとは言えないかな」
フードの下からヘラヘラと笑いながらそう言う詩音に、ヴィクターはいっそ凶悪なまでに好戦的な笑みを浮かべる。
「いいねぇ、いいねぇ。祭りはこうでなけりゃあ、なあ!!」
吼え、長槍を構えて紅の風が超走する。
走る突風。
踏み込んだヴィクターが放つ槍撃は先程までの比では無く。
底を見せていないのはヴィクターとて同じ。
数段以上速く鋭い打突は、空気すら切り裂きかねない。
「─────」
なおも速度を上がて行く穂先。
しかしそのどれもが、詩音の身体を捉える事は無く。
繰り出される槍突、その悉くを詩音は弾く。
最早その脚が後退することは無く。それ所か一歩ずつ、僅かだが確実に詩音は前進する。
剣と槍、二つの凶器が交錯する音が闘技場全体に響き渡る。
両者の打ち合いは今祭りで行われたどの戦いよりも速く、そして激しい物だった。
見る者は皆、実況や解説役も含めて、二人の戦いに圧倒され言葉を失っている。
両者の打ち合いは、拮抗していた
踏み込ませまいとするヴィクターと、剣一本を巧みに操り間合いを詰める詩音。
そこに決定的な差は存在しない。
火花を散らし、旋風を巻き起しながらぶつかり合う。
しかし、
────────?
打ち合いの最中、ヴィクターはある違和感に気が付いた。
百をとうに超えてぶつかる己が槍と相手の剣。
それによって伝わってくる感触と自身が予感する感触とがどうにも合わない。
僅かに軽い、かと思えば次は僅かに重い。
感覚が狂う。
そう思った直後からだった。
「───くっ」
苦悶の声がヴィクターの口から零れ、その脚が後退する。
一歩だけではない。二歩、三歩、と立て続けにヴィクターは後ろへと追いやられて行き、逆に詩音は前へ前へと前進する。
ここに来て両者の力関係が最初と逆転した。
その理由は、ヴィクターの繰り出す槍撃の変化にあった。
超速かつ正確無比を貫いていた穂先。それが徐々に詩音の身体を捉えられなくなって行く。
放つ突きは寸での所で狙いを外し、払う薙ぎは空を打つ。
そして、詩音の方もその事を把握している様で、弾いていた突きは刀身で僅かに軌道を逸らすだけで回避し、受け止めていた薙ぎ払いは僅かな挙動のみで躱し切る。
二度、大きな衝突音が鳴り響く。
胴を打ちにきいたヴィクターの槍を、詩音は刀身で受け、鍔競り合いの様に両者の動きが止まる。
「シオン、お前ぇ何かしやがったか?」
剣に槍を合わせながら、ヴィクターは詩音に尋ねた。
直後にクスっと、フードの下で小さく笑うのが見え、それと同時にヴィクターは仕切り直しを兼ねてその場から飛び退き再び距離を取った。
そして、十分に間合いが開くと詩音は口を開いた。
「《戦技殺し》。なんて事無い手品の類だよ。君の技の感覚を一部殺した。君の槍はもう、まともに僕に当たる事はない」
それを聞いた瞬間、ヴィクターは酷く驚愕し同時に納得した。
先ほどまで感じていた違和感。あれこそがヴィクターの技術を殺す詩音の刃だったのだ。
相手に違和感を叩き込み、強制的に感覚をズラす。
ズラされた感覚は、間合いやタイミングを狂わせ結果的に技能その物が死滅する。
理屈では何となく理解できなくもない。実際に可能かと聞かれれば疑問ではあるが。
それほどの事を一切の魔法、魔術を用いずにやって見せた詩音という少年にヴィクターは戦慄すら覚えた。
「おっかねぇ奴だな」
「よく言われるよ」
笑って詩音は肩を竦めた。
「しかし意外だな。シオンの方からネタバラししてくるとは。お前は戦いで無駄に喋る性格じゃねぇと思ってたんだが」
「まあ、そうだね。でも、こんな舞台でそこまで徹底するほどの堅物でも無いつもりだよ」
「ハッ、そうかよ。────でもこれで終わりじゃないだろ?」
「ん?」
「まだ持ってんだろ? ここまで来たら全部出しちまえよ」
技能を殺されながらも、紅の槍使いはまだ足りぬとばかりにそう吼える。
自身が押され始めている事を理解していない訳ではない。
尚も先を求める理由。それは単純な闘争への渇望。
強欲に、貪欲に、戦いを欲するその瞳は純粋なまでに澄んでいる。
この時ばかりは他に何も要らぬ。故に全てをぶつけて来いと鋭い眼光は告げている。
「はぁ………。欲が深いね、君は」
「へへ、欲張り者は好かねぇってか?」
「いいや。前にも言ったでしょ? 僕、君みたいな人好きだって。───うん、じゃあもう少しだけ、踏み込もうかな」
そう言うと詩音はゆらりと力無く脚を踏み、前へと出た。
しかしそれは酷く緩やかな歩み。まるで普通に道を歩くかの様に、詩音はゆっくりとヴィクターへと近く。
一瞬、様子見のつもりかと思ったヴィクターだったが、
「?」
ふと、ほんの僅かに違和感を感じた。
無防備にゆったりと近く詩音。
その輪郭が僅かに一瞬、極僅かにブレた様な気がした────
次の瞬間、詩音はヴィクターの間合いへと突入した。
その踏み込みは強烈で、間合いを驚異的な速度で詰める。
だが、それは速くはあるが単純な突撃。
ヴィクターがそれに対応出来ない筈も無く。
踏み込んできた詩音に向け、ヴィクターは手に持つ槍を突き出した。
詩音の踏み込みと同等の速度と鋭利さを持った穂先。
真正面から、鋭い切っ先が迎え打つ。
そして、その穂先が詩音の眉間を完璧に捉え─────
ヴィクターはこの一撃が当たる事を確信した。
詩音が何をしようとしたのかは分からない。だが、この一手は明らかな悪手である。
何の策があろうと、あの間合い、あのタイミングでヴィクターの槍を躱すのは不可能。
技を殺されていようが、単純な突きならば問題無い。
故に確信した。
この一突は詩音の眉間を打ち、戦いの流れを再びヴィクターへと呼び戻す一撃となると。
だが─────────────────────
次の瞬間、ヴィクターが感じたのは、自身の槍が虚しく空を突く感覚だった。




