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Tale:Dragon,tears    作者: 黒餡
二章 篇首拠点市街《ユリウス》〜異彩なる世界〜
85/120

80話 祭りの始まり

「何か……」


 遅れて合流してきた二人を交互に見ながら、フードの下で詩音は困惑の表情を浮かべた。


「さっきよりも更に二人の雰囲気が悪い気がするんだけど」

「いやいや、そんな事ぁねぇよ」

「ああ……何でも無ぇ」


 カラカラと笑いながらそう応えるヴィクター。

 対してカインは明らかに不機嫌な様子だ。


「おっすクレハ、久しいな。相変わらず元気みてぇだな」

「おっす。ヴィクターこそ、変わり無いみたいだね」

 

 面識があるとは聞いていたが、詩音が思っていた以上に親しい様で、クレハとヴィクターは仲良さげにハイタッチで挨拶を交わす。

 他の妖精達とも軽く挨拶し合うと、次いでヴィクターは詩音と手を繋いだまま様子を伺うミユに気付き視線をやった。


「そっちは初めて見るちびっ子だな」


 ヴィクターが腰を折り、視線の高さを合わすがミユはささっと詩音の背後に隠れてしまった。


「………会って早々嫌われたか?」

「はは、ごめんね。人見知りなんだ」


 詩音は小さく笑いながらヴィクターと対面させた。


「悪いな、びっくりさせちまって。俺はヴィクター、お嬢ちゃんの名前は?」


 訪ねるヴィクター。

 それに対して、ミユは少しオドオドしながらも応じる。


「ミユ……です」


 するとヴィクターはニカッと笑みを浮かべ、


「ミユか。良い名前だな。よろしくなミユ」


 と優しい声音で言いながらミユの頭を柔らかく撫でた。

 最初は緊張した様子のミユだったが撫でられるのが気持ち良いのか、直ぐに瞼を下ろして警戒を解いた。

 流石、妹が居るだけあって年下の扱いには慣れている様だ。

 いや、この場合、獣の扱いに慣れているというべきか。


「で、裏門(こっち)側から来たって事は、やっぱりヴィクターも喧闘祭に?」


 クレハが訪ねるとヴィクターは当然だと言うように頷いた。


「応よ。金剛級になってから忙しくて前回は観戦すら出来てなかったからな。クレハ達も出るんだろ? 当たるの楽しみにしてるぜ」

「うん。負けないよ」


 期待の言葉にクレハは威勢の良い笑みを返し、それに対して不敵な笑みを浮かべてからヴィクターは視線を詩音へと向けた。


「シオンも、俺と当たるまで負けんじゃねぇぞ」

「え、いや僕出ないよ?」

「──は?」


 当然の様に詩音が告げると、ヴィクターは間の抜けた声を溢した。


「出ないって、参加しないって事か?」

「そう言ってるじゃん。何で参加するのが前提みたいになってんの?」


 信じられないという様な表情を向けてくるヴィクターに、詩音は何故そんな反応を示すのかと言う意図を込めて首をこてんと傾けた。


「本気か? お前ならその辺の奴らに遅れを取ったりしねぇだろうが。何なら優勝だって狙える。参加しないなんて勿体ねぇぞ」

「えー、嫌だよ。めんどくさいし、目立ちたくないし。僕は観戦席から皆の活躍見ながら賭けで儲ける事に専念するよ」

「んな連れない事言うなよぉ。俺ぁお前と()れんの一番楽しみしてたんだぞ」

「いや、そんな事言われても…………」


 しつこく食い下がるヴィクターを、詩音は困り顔で宥めていると、


「いいじゃない。シオンも参加すれば?」


 不意にシャルロットが割り込んで来た。


「シャル?」

「急にどうしたの、シャル?」


 アリスが訪ねるとシャルロットは何処か含みのある笑みを浮かべて応える。


「別に。あたしやシーナと違ってシオンは近接も熟せるんだし、せっかくのお祭りなんだから暴れて来たら、って言う只の提案よ」

「────で、本当の狙いは?」

「シオンならランクも低くて倍率高いだろうから、皆でシオンに賭けて一気に大儲け」


 エリックの問いに隠す気が端から無いのか、あっさりと企みを暴露する。


「あ、それいいわね。カイン達に賭けるよりも効率的だし、シオンなら実質本命枠な訳だし」

「なるほどね。でも、賭けとか関係無しにシオンが出たら盛り上がるだろうなぁ」

「クレハとシーナまでそんな事………」


 シャルロットの発言を皮切りに妖精達が次々と詩音に参加を勧め出す。

 確かに水晶級(クリスタルランク)で表立った活躍をしている訳でもない詩音が喧闘祭で賭けの対象となった場合、相手にもよるがその倍率(オッズ)は金剛級の妖精達やヴィクターとは比べ物にならない数値になるだろう。

 安全牌の冒険者でちまちま稼ぐよりも効率よく稼ぐ事が可能か。


「なぁ、今からでも申し込んで来いよ」

 

 クレハ達も賛同してきた事で、好機と思ったらしくヴィクターは一層捲し立てる。


「いや、でもなぁ……」


 それでも詩音は首を縦に振らずに渋る様に言い淀む。

 するとヴィクターは、


「なぁミユ。ミユだってシオンの活躍してる所見てみたいと思わないか?」


 と、再びしゃがんで視線の高さを合わせながらミユに訪ねた。


「ミュ? かつやく?」

「ああ、きっと格好いいぞぉ」

「ちょっと、ミユを巻き込まないでよ」


 そう言って詩音はミユを抱き上げる。が、腕の中でぽそっと呟く声。


「見たい」

「ミユ?」

「ぼく、シオンのかっこいい所見たい!」


 満面に期待の表情を浮かべ、眼を輝かせながら見上げてくる。

 

「うっ…………………………………………っあぁ、もう。分かったよ。出るよ、出ますよ!」


 ◆


「はい、これで登録完了です。頑張ってくださいね」


 組合の受付嬢の営業スマイルに見送られて詩音は闘技場の参加申し込み受付を後にすると、石積の通路で紅色の槍使いは愉しげな声音と共に出迎えた。


「登録出来たみたいだな」

「えぇ、えぇ、お陰様で滞りなく」


 棘のある口調で返すと、ヴィクターは「そりゃ結構」と満面の笑みを浮かべる。


「全く。後で覚えててよ」

「ああ、しっかり覚えとくぜ。お前を説得する時は、まずお前の周りから言い伏せれば良いって事をな」


 悪戯が成功した少年の様に笑みながら、後ろ指で通路の先を指す。

 

「クレハ達は一足早く闘技場の方に行ってるぜ」 

「なら、早い所向かうとしよっか」


 並び、二人は闘技場を目指す。

 僅かに聞こえてくる雑音は、闘技場の人々の物だろう。

 何を話すでもなく詩音は歩を進める。だが唐突にヴィクターが口を開いた。


「なぁ、シオン」

「なに?」

「賭けをしないか?」

「賭け? 喧闘祭の?」


 訪ね返すが、ヴィクターは「いいや」と軽く首を振る。


「俺とお前、二人の賭けだ。祭りが始まって、俺とお前が当たって、もしお前が勝ったらお前の望みを何でも一つきいてやる。だが俺が勝ったら、一つお前から貰いたい物がある」

「貰いたい物って、何?」

「それを今言ったら面白くねぇだろうが」


 悪戯っぽく笑うヴィクターを詩音は怪訝そうに見返す。

 どうやら、意地でも貰いたい物の内容を話す気は無いらしい。


「はぁ………。《雪姫》は駄目だよ。あれはシャルから貰った物だから彼女に無断では手離せない。それ以外なら、まぁ」


 諦めの溜飲を溢してから詩音は応じる。

 ヴィクターの諦めの悪さは、つい先程実感したばかりだ。この賭けも、詩音が乗るまで食い下がらないだろう。

 

「おっしゃっ。成立だな。安心しろ、あの剣は確かに一級品だが、俺が欲しいのは武器じゃねぇ」

「で、何かは勝った時まで言う気は無いと?」

「そう言う事だ」


 詩音は再び溜め息を溢す。


「全く、君って奴は」


 呆れる様に呟き、詩音は賭けの話を受託する。

 途端に、隣を行く槍使いが笑みを浮かべた鋭い眼孔の奥で、確かな真剣さを宿したのを見逃しはしなかった。

 ヴィクターが何を欲しているのか。考察しようかとも思ったが、ここまで来たらもう彼の酔狂に身を委ねた方が楽だと思い、詩音はその思考を放棄して歩を進めた。


 ◆


 快晴の空の下、ユリウスの街最大の闘技場は既に数多の観客で埋め尽くされていた。

 円を描く形で設けられた階段状の客席を満たすその数は優に五桁に昇る。

 ただの雑談でさえ騒音となる数多の見物人達。その中心、巨大な石材を敷き詰めて作られた舞台の上に、この祭りの主役達は列を成して並ぶ。

 当然、詩音もその列の中に混じり、直立不動で待機する。

 観客達が祭りの始まりを今か今かと待ちわびる中、組合(ギルド)の人間が詩音達の前に姿を現し、定型文的な挨拶を交わした後に祭りの概要や規則(ルール)を説明する。

 その間、冒険者の中には早く暴れたいのか落ち着きの無い人物がちらほら居たが、一応は滞りなく説明会は終わり、一同は一時的に解散となった。


 

 解散した後に詩音は再び妖精達と合流した。

 と、

 

「シオン、何番だった?」


 クレハが訪ねてくる。

 詩音はその問い掛けに冒険者カードを差し出しながら応える。


「6番だよ」


 普段、身分証明書としても機能するカードの裏面には黒いインクで『6』の数字が記されている。

 喧闘祭の間は、この数字が詩音を識別する番号となっており、出番の際には魔術式の施されたカードがそれを報せる形となっている。

 

水晶級(クリスタルランク)だし、妥当な所だね」


 言いながら詩音はカードの数字に目線をやる。

 識別番号は基本的に階級が高ければ高い程大きな数字が与えられる。つまり、数字を見ればその人物が組合から見てどの程度の実力を持っているのかが分かるという仕組みだ。

 そして、そうして割り当てられた数字の中からランダムで対戦相手が決定される。

 つまり、大きな数字の冒険者と一桁の数字の冒険者とがぶつかるという事も普通に起こり得るという事である。


「ついさっき全員に数字が割り当て終わったらしいから、初戦の組み合わせてはもう直ぐにでも発表されると思うぞ」


 エリックがそう言った丁度その時、詩音の冒険者カードが明滅を始めた。

 それは紛れもなく対戦相手が決まった事を報せる合図。

 それが作動したという事はつまり、


「初戦から出番か」


 呟き、詩音は明滅するカードの表面を軽く指先で叩く。

 と、明滅は収まり、次いで常時されていた数字が消えて代わりに別の数字と文字が浮かび上がって来た。

 全員がそれを覗き込む。

 

《6 シオン=キリサキ ─── 137 ブーラス=バイドッグ》


「お、こいつは」


 名前を見た瞬間、カインが声を溢した。


「カイン、知ってるの?」

「ああ、ブーラスは前回の喧闘祭の優勝者だ。央都の方を拠点にしてる金剛級(アダマスランク)で何度か顔を合わした事がある」

「そんな優勝候補筆頭みたいなのが初戦から出てくるって大丈夫なの? 祭りの進行的に」


 いきなりの大物参戦に、詩音は苦笑を浮かべる。


「まぁ、組み合わせは完全に無作為(ランダム)だしね。でもこれは、かなりシオンの倍率が高騰しそうな相手ね」


 シーナが肩を竦めて言う。

 確かに単純に数字だけ見ても一桁対三桁。おまけに前祭りの優勝者ともなれば客観的に見てまず勝の目が無い詩音のオッズは凄まじい事になるだろう。

 

「これは初っぱなから大儲けのチャンス到来ね」


 傍らでシャルロットがにしし、と乙女らしからぬ笑いを溢す。

 と、不意に足元のミユが詩音のコートの裾を引いた。


「シオン、もう行くの?」

「うん。ちょっと思ってたより早いけど」

「がんばってね、シオン。負けちゃダメだよ」


 期待に満ちた言葉と視線。

 それを無下にするだけの精神力を詩音は持ち合わせておらず。


「───うん。分かったよ。任せて」


 顔に笑みを張り付けて、頼もしい言葉と共にミユの頭を軽く撫でた。

 しかし内心では、憂鬱極まり無い気分だったのは言うまでもない。


 ◆


『さあ遂にこの時がやって参りました、《第二十四回 喧闘祭》! 三年に一度の冒険者の祭典! 小細工八百長待った無し! 互いに互いの力をぶつけ合う単純爽快の戦祭りの第一戦が今始まります!』


 拡声魔術によって拡張された実況が円形の闘技場全体に響き渡り、見物客が一斉に歓声が上がる。

 全方位から飛ぶときの声の中心では、既に二つの人影が対峙している。

 一つは言わずもなが白衣を纏いフードを目深に被った詩音。

 対するは隆々の筋肉に身を包んだ浅黒い肌の大男。前祭優勝者、ブーラス=バイドッグである。


『実況及び審判は私、冒険者組合ユリウス支部広報科所属のレンレン・ミラスカラが、解説は同じくユリウス支部所属、警備科のバザル・カリグルで担当させて頂きます! バザルさん、初日第一戦、何か気になる点はありますか?』

『そうですね。前祭りの優勝者であり、今回に於いて優勝候補筆頭でもあるブーラス=バイドッグがいきなりの登場。水晶級(クリスタルランク)のシオン選手がどのような立ち回りを見せるか注目したいですね』


 闘技場全体が開戦の合図を今か今かと待ち受ける。

 そんな客席の最前線、特等席にはクレハを始とした妖精族一同とヴィクターがずらりと並んでいた。


「それにしても、初戦から中々の大物を引き当てたわね、シオンの奴」


 舞台に立つ白衣の人物を眺めるシャルロット。


「なんだかんだで前回の喧闘祭の事あんまり知らないんだけど、実際あの人どうなのかな?」

 

 同じく詩音を眺めながら疑問を溢すクレハ。それに答えたのは左端に座るヴィクターだった。


「一応金剛級だからな。基本的には腕は良い。見た目通りの筋肉野郎で真正面からの打ち合いなら相手次第では同じ階級の奴を一方的にねじ伏せたりもできるだろうよ」 

「ほぇー。詳しいねヴィクター」

ユリウス(こっち)に来る前は一時王都に居たからな。それなりに名前の知れてる奴の話は嫌でも耳に入る」


 語るヴィクター。

 と、そこにクレハの右隣に陣取っていたシーナが口を開いた。


「まぁ、シオンなら問題無いでしょう」


 きっぱりと当然の様に言い切る。


「だな。優勝候補とは言え、シオンが遅れを取る様な相手ではないだろう」


 即座に同意するエリック。他のメンバーも皆同じ意見の様だ。


「そう言えば、シオンの倍率(オッズ)どうなってんの?」

「待て、今確認する」


 シャルロットに促され、カインが冒険者カードに表示されている詩音の倍率を確認する。


「通常勝利で四十.八倍、二分以内の早勝で五十三.三倍だな」


 『早勝』は早期勝利の略で一定の時間内、今回で言えば二分以内に勝利した場合を指す。

 早勝を買うと通常の券を購入する事は出来ないが、その分倍率に上昇補正が掛かる仕組みになっている。


「やっぱり結構高くなってるな。この倍率だと、俺達以外にシオンに賭けてる奴誰も居ないんじゃねぇか?」

 

 カインの言葉にシーナが「でしょうね」と頷いた。


「端から見れば優勝候補筆頭の金剛級冒険者と無名で成り立ての水晶級冒険者って組み合わせだしね。初戦からここまでの大穴狙う奴は居ないわよ」


 その考えは尤もだ。

 詩音を知らない者からすればこの戦いはほぼ間違いなくブーラスが勝つのが分かっている試合。

 わざわざ自分から金を捨てる様な酔狂な真似をする者は居るまい。


「良いねぇ。今日はたんまりと稼げそうだ」


 ヴィクターがそう言って視線を舞台に戻した時。

 開戦を告げる鐘の音が闘技場全体に響き渡った。


 ◆


───さてと。どうしよっかな


 舞台の真ん中で対戦相手、ブーラス=バイドッグと対峙しながら声に出さず詩音は呟いた。

 相対するブーラスは身の丈百九十㎝に迫る浅黒い肌と無精髭が目に付く大男。

 背にはその長身に見合った大振りで肉厚な両手剣を背負い、体重は詩音の倍を優に越えるだろう。

 客席からも、勝敗は見るまでもないと言ったニュアンスの声がちらほら上がる。


「はっ。初戦からこの俺に当たるとはツイてねぇな、坊主」


 既に勝利を確信している様子で語り掛けながら、背にした両手剣を引き抜いた。

 その剣は冒険者組合がこの祭りの為に用意した特別な物で、素材は鍛鉄だがその表面を幾層もの防護魔術で覆ったもので、仮に人に叩きつけても切れる事はなく、衝撃も緩和される等の安全処置が施されている。

 喧闘祭では、相手及び自分に対して直接的に干渉する魔法、魔術及び魔力を用いた技能の一切の使用が禁止されており、舞台全体にもそれらを監視する為の魔法や魔術道具が複数配置されている。

 故に、戦闘は必然的に己の肉体と渡された武器を使った直接対決となる。

 詩音の腰にも同じ処置が施された簡素な直剣が一本ぶら下がっているが、いかに処置していると言えどこれらは当たり所次第では十分に人を殺傷しえる為に、舞台の外には何人かの回復系の魔法が使える魔法使い(メイジ)や魔術道具を用意した魔術師(キャスター)が待機している。

 現在の詩音は、上記の規定に従って常に身体全体を覆っている竜の耐性を全て無効にしているので、場合によってはそれらの世話になる可能性もある訳だ。


「恨むなら自分の運の無さを恨むんだな」


 大剣を肩に担ぎ上げ、勝ち誇った表情のままにブーラスは見下ろして来る。

 詩音はそんな眼前の敵に対して何を言い返すでもなく、胸の内で呟いた。


───ミユには任せてなんて言っちゃったし


「悪いが俺は手加減が得意って訳じゃねぇ。怪我したくなかったら早い所降参するんだな」


───泥試合みたいなのは避けた方がいいか


「全く、この俺をこんなに早く出すとは神様も祭りの盛り上げ方って物を知らんで困る。おまけに相手がお前みたいなのとなると、準備運動にもなりゃしねぇ」

───此方も此方で早勝に結構な額乗せてるし


「………おい」


───あんまり長引かせる物でもないか


「おいっ! 聞いてんのかっ!」


 何も言わず、自身の方を見る事すらしない詩音の対応が気に入らない様でブーラスは声を張り上げた。

 しかし詩音は、


「うるさいなぁ……」


 と、ぼそりと一言呟くのみだった。

 言葉を返す事はなく、ブーラスに視線を向ける意味は無い。

 既に詩音にはその必要性が無い。

 故に、ブーラスの声は、詩音にとって周囲の野次馬の叫びと同じ、ただ喧しいだけの雑音に過ぎない。

 

「って、手前ぇ……!」


 誰に言うでもなく、半ば無意識に溢した一言にブーラスが瞬く間に激しい剣幕を見せた。

 その時、闘技場全体に開戦を告げる鐘の音が鳴り響いた。


『さあ、第二十八回喧闘祭! 記念すべき第一回戦の開幕です! 両者、果たしてどのような戦いを見せてくれるのでしょうか!』


 拡声されたレンレンの声が響くのと同時に、ブーラスが両手剣を構える。

 今にも飛び掛かって来そうな雰囲気のブーラスに対して、詩音は剣を抜きすらせず開始前と同じ体勢のまま静止している。

 

「ヘッ。どうした? ビビって剣も抜けねぇってか?」


 と、そんな詩音にブーラスは煽りを入れながら間合いを詰めようとする。

 その時、


「──ん?」


 不意に、詩音が何かに気付いたかのような挙動を見せた。

 かと思うと、あろうことか視線を左の観客席の方へと向けた。


「───何やってんだ、あの人………?」


 ぽつりと呟く。

 ブーラスにとって、詩音の行動は不可解な物であったが、今その内心を埋め尽くしているのは疑問ではなく《怒り》だった。

 開戦の合図が鳴った今この瞬間に堂々と余所見をする。

 その余裕とも取れる行動が、詩音を格下と見なしていたブーラスの自尊心(プライド)を盛大に傷付けたのである。

 開戦の前の態度、そして余所見。

 自身の事を嘗めているとしか思えない行動の数々に、遂にブーラスは我慢の限界を迎えた。


「嘗めるのもっ、大概にしろっ!」


 怒号と共に地面を蹴り、大剣を詩音の頭目掛けて振り下ろす。

 力任せの一撃。

 しかし、流石は金剛級の称号を得るだけあって一見粗暴に見えるが、その実斬撃の鋭さはその辺の冒険者の物とは比べ物にならない。

 幾ら魔術を施しているとはいえ、これ程の物が直撃すれば大怪我は免れまい。

 下手をすれば死亡するあり得る。

 だが、上段からの全力振り下ろし。

 今更加減も寸止めも出来ない。

 大剣は真っ直ぐに詩音の脳天を叩く。

 ブーラスはそれを確信したのか、隠しきれないと言う様に笑みを溢した。

 ──────だが、

 刃が詩音に触れる事はなかった。

 頭上から一切の減速なく全力で振り下ろされる大剣。

 詩音はその刀身の横腹に軽く左の手甲を打ち込み、軌道を逸らした。

 狙いを外された大剣が盛大な音を立てて地面を叩き、喧しい衝突音を撒き散らす。

 その直後。


「カッ!?」


 詩音の右手が霞む様な速度で疾り、正確にブーラスの顎の先端を打ち抜いた。

 それは、速くはあるが重みは皆無な軽い一撃。

 しかし、生じた衝撃は首の付け根を支点とした梃子の原理によって、ブーラスの脳を揺らした。

 瞬間、ブーラスの感覚から平行が失われ、自立能力を剥奪する。  

 軽く当てた一発。幾ら急所()に入ったとはいえ衝撃の何割かは首の筋肉により吸収される。

 故にブーラスが平行感覚を失う時間は凡そ数十秒、長くても数分程度。

 しかし、それで十分だった。

 脳震盪により自立する力を失ったブーラスの体勢が落ちる。

 それに合わせて再び詩音は動いた。

 鋭く、ほぼ垂直に振り上げられた脚が既に意識混濁状態のブーラスの顎を再び蹴り抜いた。

 

「ガッッ!」


 その威力は先の拳打の比では無く。

 完全にブーラスの制御を離れた身体が膝を折って地面に崩れ落ちる。

 そして、全高が下がったブーラスの頭部に向かってだめ押しとばかりに、詩音は蹴り上げた脚を振り下ろした。

 踵が顔部を打ち、ブーラスは額を地面へと叩き付け、戦いは終わった。

 前祭の優勝者が立ち上がる事は無く、終わってみればそこには土下座をするかの様な形で意識を無くしたブーラスと、開始の位置から一歩たりとも動いていない詩音の姿があった。

 この間、実に数秒の出来事だった。

 途切れる事無く野次を飛ばしていた闘技場全体は、それまでが嘘の様に静まり返る。

 予想外の出来事に多くの者が言葉を失い、己が目を疑う。


『………あっ! ブ、ブーラス=バイドッグ、戦闘不能! 勝者、水晶級冒険者、キリサキ=シオン! 瞬殺、瞬殺です! 優勝候補筆頭の金剛級冒険者を瞬きの間に叩き伏せ、キリサキ=シオンが初戦を制しました!』


 いち早く我に返ったレンレンが詩音の勝利を宣言する。

 それにより、観客達も次第にざわめきを取り戻していく。


『いやぁ、予想外も予想外! まさかこんな結果になろうとは』

『解説をする暇もありませんでしたね』


 そんな実況席の会話が流れ出る中、詩音はもう一度だけ観客席の方に視線を向けてから、やがて踵を返した。

 詩音が舞台を後にする頃には、観客席は元の騒がしさを取り戻し、賭けに負けて嘆く者の声や単純に驚愕の感想を述べる者の声などで溢れ返っていた。


 ◆


「お疲れ様、シオン」


 舞台から引き上げ、石畳の廊下を歩いていた詩音をクレハを先頭にした一同が出迎える。


「疲れるほど舞台に居なかったけどね」


 労ってくるクレハに、少しおどけて返すと、


「シオン、すごかった! ばんばんばーんって!」


 何時に無くテンションの高いミユが目を輝かせながら感想を述べる。

 そんなミユを抱き上げながら「ありがと」と頭を撫でる。

 正直、ミユの希望する 《格好いい所》があれで良かったのかと不安だったが、どうやらお気に召した様で詩音は安心する。


「まさかあそこまで圧倒的とはねぇ。一瞬で終わらせちゃって。シオンの相手には不足だったんじゃないの?」


 シャルロットがそう言ってくるが、詩音は「まさか」と肩を竦めた。


「あの人は強かったよ。しっかりと鍛えられてて」

「あれを見せられた後じゃ、本人の口からそう言われても説得力が無いわね」


 シーナの横槍にその場の全員が頷いた。

 と、


「そう言えばシオン君。始まる前に観客席の方見てたけど、どうかしたの?」


 アリスが思い出した様に訪ねて来た。


「あぁ…………。いや、何でもないよ。ちょっと知り合いの顔が見えただけ」


 若干の間を開けて詩音は応える。

 それに対してアリスは「ふぅん」と特に疑う様子もなく納得した。


「あ、そう言えば、確か初戦の間に今日一日の組み合わせが発表されてたんだよね? どうだったの?」


 その問いに堪えたのは女性陣の壁に阻まれ、詩音に近づきあぐねていた男性陣の中のカインだった。


「残念だが、今日は俺達の出番はなかった」


 それに続く様にエリックが口を開く。


「明日の組み合わせは明日の祭りの最中に発表される。それまでは暫く観客に徹する事になるな」

「因みに、シオンは今日後三回、名前が出てるぜ」


 被せる様に入って来たヴィクターに言われ詩音は自分の冒険者カードで今日一日の組み合わせを見る。

 確かに後三回、それなりに時間を開けてではあるが、詩音の名前が上げられている。


「一日に四戦って……。忙しいなぁ」

「つっても、残りの三戦もどうせ瞬殺だろ? 次も稼がせて貰うぜ」


 当たり前の様に言ってくるヴィクターに、詩音は小さく溜め息を吐く。


「あんまり期待されると重圧(プレッシャー)で寝込むよ、僕」

「そんな柔じゃねぇだろうが」


 そんな他愛無いやり取りをしていると、やがてアリスが声を上げる。


「時間は空くけどシオン君はこの後も出場しないといけないんだし、立ち話はこの位にして移動しようか。シオン君、控え室で休む? それとも他の人の戦い見ていく?」

「ん? そうだなぁ。せっかくだし観戦していくよ」

「それじゃ、もう少しで二回戦始まるし観客席行こっか。シオン君の席もちゃんと取ってあるよ」

「ありがとう、アリス」


 アリスの気遣いに感謝しながら、詩音は一同と共に観客席へと向かった。

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