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Tale:Dragon,tears    作者: 黒餡
二章 篇首拠点市街《ユリウス》〜異彩なる世界〜
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75話 星下の慰撫

 岩山の麓。最初に転移した場所の丁度正反対の方角に、ぽっかりと口を開けた洞窟。

 内部はそこそこ深く、奥は暗いが外界の光が壁に反射して真っ暗闇と言うほどでもない。

 その最奥、入り口から見通せない場所でレオルとレイナ、そして子狼の三者は身を寄せて座り込んでいた。

 先刻、一度だけ大きな爆発音が聞こえて行こう、外からの音沙汰は無い。

 

「シオン達、大丈夫かな?」


 不安なのか、膝に子狼を乗せたレイナが呟く。

 

「分かんない。ここからじゃあ何も見えないもん」


 そう答えながら、レオルは視線を子狼に向ける。

 自分達を助ける為に大量の魔力を消費してしまったらしく、今はレイナの膝の上で半ば気絶する様に眠っている。

 

「ちょっと、外の様子見に行く?」

「駄目だよ。危ない時以外は外に出るなって言われたでしょ」


 レイナの提案をきっぱりと断り、レオルは視線を入り口の方向へと向けた。

 自分達の役割は自分の身と子狼を守る事だと詩音に言われた。言い付けを破って外に出る事など出来ない。

 

────幾らかの時間、三者は黙ってその場でじっとしていた。

 すると唐突に、入り口から奥に近付いてくる足音が耳に入った。


「──シオンさん?」


 帰ってきたのかとレオルが名前を呼ぶが、返答は無い。


「シオンさん? シーナさん?」


 再び名前を呼び、レオルは立ち上がった。

 それに続いて、レイナも腰を上げる。

 レオルが先に入り口へと向かい、その直ぐ後ろを子狼を抱えたレイナが続く。

 そうして、入り口直前の角を曲がると、


「──ギ、ギギ」


 黒い、無機質な人形が二体居た。


「ッ………!」


 背後でレイナが声にならない悲鳴を上げるのをレオルは聞いた。

 傀儡は二体とも破損していた。片方は右腕が根元から無く、もう片方は胴体が一部吹き飛んでいる。そして両方が全身に細かい傷と無数の亀裂が刻まれている。

 だが、だからと言って

 その二体がレオル達にとって脅威である事に変わり無い。

 傀儡がゆらゆらと歩み寄る。


「っ! レイナ、退って!」


 レオルは叫び、ポーチからある物を取り出すと、それを傀儡達に向けて投げつけた。

 放り投げたそれは、二本の小さな竹製の筒。

 十セント程度の二本の筒はそれぞれ傀儡の胸と肩の辺りに命中し、次いで破裂音と共に弾けた。

 それは獣避け用の小道具。本来は破裂音で獣を追い払う為の物で殺傷力は皆無。

 しかしそれでも、至近距離で炸裂させればその衝撃は人を怯ませる程度の威力はある。

 傀儡共の体制が僅かに崩れる。


「今だレイナ! 走って!」


 そう言いながら、レオルは出口へ向かって走り出した。

 流石双子なだけあり、レオルの狙いを直ぐに察していたレイナも、殆ど同時に地面を蹴る。

 外に出れば何処かに隠れ直す事ができる。上手く行けば、詩音達と合流する事も。

 そう判断して、レオルはレイナと子狼を連れて全力で外を目指す。

 だが、後少し。後ほんの十数歩という所で。

 

「キャッ!」


 悲鳴と共にレイナが足を掬われた様に転んだ。

 子狼を下敷きにしない様に咄嗟に身を捻って背中から倒れたレイナは、背中を強かにぶつけ、衝撃と鈍痛を感じながら、自らの足に眼をやった。

 右の足首。革製のブーツの上から錆び付いた鎖が蛇の様に巻き付いている。

 鎖の先端には重りらしき金属塊があり、もう一方の先端は此方を振り向いた傀儡の一体、その左手に握られている。

 

「レイナ!」

 

 直ぐに、踵を返したレオルは駆け寄り、レイナの足首の鎖を取ろうとするが絡まる様に巻き付いたそれは簡単に外れない。

 所々錆びが浮き全体的に古ぼけてはいるが、それでもレオルの持つ安物の剣で切れる様な代物でもないだろう。

 傀儡が、再びゆらゆらと近付いてくる。

 レオルは腰の鞘から剣を抜き、両手で構える。

 

「レオルっ!」

「僕、僕が時間稼ぐから、レイナは早く逃げるんだ!」


 震えた声でそう叫び、レオルは視線を眼前へと向けると、


「わあぁぁ!」


 半ば悲鳴じみた叫び声を上げて剣を振り上げて傀儡どもへと突っ込んだ。

 上段に大きく両手を振り上げた、技術も戦略も無い突撃。

 当選、そんな物が通じる筈もなく。


「ギ」


 傀儡の一体が迎え打つ様に黒い短剣を握った腕を軽く振り払った。

 鈍い音と共にレオルの身体は二メル以上も吹き飛ばされ、洞窟の壁に背中を打ち付ける。


「ガ──はっ──!」


 強烈な衝撃で肺の中の酸素が呻き声と共に全て押し出される。

 視界にはちかちかと火花が散り、全身を突き抜ける鈍痛と炎で焼かれる様な熱で抑えようも無く涙が溢れる。

 どうにか首を動かして己の身体を見ると、右の横腹から左肩に掛けて服が切り裂かれ、その下から赤く濡れた肉が露出している。


「レオル!」

 

 レイナが悲鳴を上げるが、痛みと息苦しさのあまりその声はレオルには聞こえなかった。

 疼くまるレオルを余所に二体の傀儡はレイナと子狼へと歩み寄る。

 

「レ──イナ──」


 白飛びした視界の中、その光景を目にしたレオルは息も絶え絶えに声を溢す。

 全身が痛み以外の感覚を拒絶しているかの様に重たい。

 レオルは必死に歯を食い縛り剣を杖変わりにして身体を起こす。身体を動かす度に傷から流れ出る血液が洞窟の床に滴り赤い模様を刻む。

 それでもレオルは覚束ない足取りのまま何とか傀儡の前に踊り出て、レイナと子狼を守る為に剣を構えた。


「レオル、もういいから! あんただけでも逃げて! 殺されるわよ!」


 背後からレイナが叫ぶが、レオルは剣を下ろす事も踵を返して逃げる事もせず、傀儡達の前に立ち塞がる。


「ギギ──」

 

 そんなレオルに向けて傀儡は欠片程の慈悲も無く、無骨な短剣を投げつけた。

 レオルに躱すだけの気力は最早無く。

 黒塗りの刃は何の抵抗も無くその身体を突き穿つ────

 筈だった。

 しかし、放たれた短剣は、何故かレオルの手前一メル程の距離で静止した。


「………?」


 霞む視界の中、空中で突如停止した短剣に疑問符を浮かべるレオルの背後から、聞き知った声が飛ぶ。


「血の匂いがするかと思えば。全く、油断も隙も無い」


 少女の様な高い声。

 それを発した張本人が、レイナとレオルの隣まで来るとそれまで宙空に留まっていた短剣がぽとりと地面に落ちた。

 

「遅くなってごめん、二人共。レオル良く頑張ったね」

「シ……オン…さん……」


 白銀の髪を靡かせた純白の少女、否少年は優しい声音で二人に語り掛ける。


「後は任せて」


 その直後、傀儡が新たな短剣を手に飛び掛かって来た。

 だが、その刃が詩音に届く事は無く。

 傀儡は腕を振りかぶった前傾気味の体勢のまま、唐突に動きを止めた。

 

「ギ、ギギ──」


 不自然に停止した傀儡はどうにか動こうとする挙動を見せるが、全体を震わせるに留まる。


「………糸?」


 ポツリとレイナが呟く。

 詩音の眼前で停止した傀儡の身体には、目を凝らさないと見えない程に細い銀糸が何本も絡みついており、その先端は全て詩音の左手に握られている。


「最初の爆発で飛ばされた奴が迷い込んで来たって所か」


 傀儡は何とか拘束から逃れようとする仕草を見せるが、糸が切れる様子は無い。

 そして、


「フッ──」


 身動きが取れない傀儡の頭部に、詩音の蹴撃が炸裂した。

 洞窟の中に破砕音が響き渡る。

 それと同時に、白面を着けた頭部は胴体から千切れ飛び、洞窟の側壁にぶつかって砕け散った。

 頭を失った胴体から抵抗する力が消え、唯の人形の様に糸に身体を預けて沈黙する。

 そして詩音は一度、残るもう一体の傀儡へと視線を向け、


「───」


 何を思ったか、踵を返して背を向けた。


「え……?」


 その行動にレイナとレオルが揃って困惑の表情を浮かべた直後、傀儡は軋音を立てながら詩音へと飛び掛かった。

 ───しかし、


「うん、やっぱり」


 そう、詩音が呟くのとほぼ同時に、洞窟の入り口の方から膨大なエネルギーの塊が高速で飛来し、傀儡の頭部を吹き飛ばした。

 

「良い腕してるよ、シーナ」


 白衣の少年は姿の見えない妖精の少女の名を呼び、レオルに歩み寄る。


「レオル、大丈夫かい?」


 訪ねられると、緊張が解けたのかレオルは全身を貫く激痛と吐き気に膝を折った。

 倒れ伏しそうになる身体を、詩音が腕で抱える様に支える。

 そして、液体が装填された注射器を取り出す。


「回復薬だよ。射てば少しは楽になるから」


 細い針が腕に刺される。

 胴の痛みのせいで針が刺さる感覚は余り気にならなかったが、中身が注入されるにつれて、徐々に苦痛が和らいでいくのをレオルは自覚する。

 そして、痛みが薄れるのに比例して、身体の傷は小さくなっていった。


「レオル……大丈夫?」


 心配そんな表情で訪ねてくるレイナにレオルは、


「うん、もの凄く気分悪いけど、何とか」


 と、苦笑気味に笑って応える。


「もう……無茶し過ぎよ。死んじゃうかと思ったじゃない」


 「バカ」と、消え入りそうな声で呟くレイナの頬を涙が伝っていく。


「うん、ごめん」

「………でも、ありがとう」


 溢す様に呟かれたその言葉に、レオルは何も言わず、ただそっとレイナの頭を撫でた。


 ◆


 シーナと共に双子を町に送り届けた詩音は子狼を連れて、再び森へと戻っていた。

 空は既に暗青色に包まれ、太陽は完全に地平の下に隠れている。

 直ぐに、夜が訪れる。


「取り敢えず戻って来たけど、君の住みかはどの辺りなのかな?」


 片膝を着き、子狼を腕から下ろしながら訪ねる。

 傷も魔力も既に問題無い程度には回復しているようで、子狼はしっかりとした足取りで地面に降り立つ。

 数秒程きょろきょろと周囲を伺う仕草を見せたので、詩音は黙ってそれを眺めていた。

 しかし、何を思ったか、子狼はくるりと身を翻して、しゃがんだ詩音に飛び付いた。


「うわっ」


 受け止めると子狼は甘える様に詩音へと擦り寄り、離れようとしない。


「どしたの?……え?」

「クゥ?」

「あ、いや、僕はいいけど、クレハ達は何て言うかなぁ。……………まあ、皆良い妖精(ひと)達だから無下にはしないと思うけど」

「ミュウ……」

「───はぁ……。分かったよ。それじゃ、一緒においで」


 小さく微笑みながらそう言うと、子狼は元気な声で嬉しそうに吠えた。


 ◆

 

「───ただいまぁ」


 未だに躊躇いが抜け切らない声音でそう言って、詩音は(ホーム)の扉を開けた。

 と、玄関の目の前で詩音を出迎える人物がいた。


「お帰りーシオン」

「あ、クレハ」


 何時もの黒一色コーデで迎え入れる言葉と共に笑顔を向けてくるクレハだが、笑い掛けてくるその目が一切笑っていない事に詩音は即座に気がついた。


「え、えーと…………どうかした?」

「シーナから聞いたんだけど、まーた無茶したらしいね?」

「あ………いやー………今回のはそんな大した事じゃあ………」

「へー、シーナからは大怪我って聞いたんだけどなぁ」

 

 どうやら先に帰ってもらったシーナから、今日の出来事の内容が伝わっていたらしい。

 以前から行動の無茶を諭されていた自覚がある詩音は、今からお説教コースが待ち受けていると覚悟した。

 その時、


「クウっ!」

「え?」


 詩音の肩口からひょこっと黒い子狼が顔を出した。

 

 ◆


「ふわふわだぁ」

「ちょっとクレハ、あたしにも抱かせてよ」

「あ、シャルズルい。次は私だよ」


 子狼を取り合うクレハ、アリス、シャルロットの姿を眺めながら、詩音はソファーに腰を下ろした。

 子狼のお陰でクレハのお説教は取り敢えず先送りになった様で、安堵の息を吐く。

 あわよくばこのまま有耶無耶になってくれる事を内心で願っていると、


「お茶、飲む?」


 と、ティーカップ片手にシーナが話し掛けて来た。


「ありがとう。頂くよ」


 カップを受け取り、柔らかい湯気が立ち上るそれを口許に運ぶ。

 

「結局連れて帰って来ちゃったのね」


 隣に腰掛けながらシーナがぽつりと言った。

 

「なんか、懐かれちゃったみたい」

「そう」


 シーナは短く応じ、視線を子狼と三人に向けた。

 妖精達は子狼が共に暮らす事を快く承諾してくれた。

 無下にはしないだろうとは思っていたが、一瞬の躊躇いもなく即座に許可が出たのは少しばかり拍子抜けだった。

 暫くシーナと共に無言で、じゃれあう子狼と妖精達を見ていると、不意にクレハが顔を此方に向けた。


「ねぇシオン。この子、名前はなんて言うの?」


 そう訪ねながら歩み寄ってくる。

 と、その腕に抱かれた子狼が勢い良く飛びついて来た。

 それを優しく受け止めながら、詩音は答える。


「ん、ああ、名前ね。帰ってくるまでずっと考えてたんだけど」


 子狼の顔を見ながら、詩音は脳裏に浮かべていたそれを口にする。


「ミユ、ってのはどうかな?」

 

 ミユ。

 その名前を告げると、子狼は数瞬の沈黙を挟み、次いで嬉しそうに声を上げた。


「気に入ってくれた? よかった。それじゃ、これからよろしくね、ミユ」

「クゥン!」


 ◆


 夜もふけ、静けさが街を覆う時間。

 詩音は自室でランプの灯りを頼りに一人書物に目を通していた。

 今回の負傷の件は、結局有耶無耶にはならずクレハに長々と説教され続けた。

 傷は直ぐに治るので何の問題もなく、現にこうして五体満足で戻っているのだから問題もなければ心配する必要もないのだが、そう言い返すとクレハはまるで自分が怪我を負ったかの様に辛そうな顔をする。

 ただ怒られるだけならばどうとでも言い返せるし流せるが、その表情を見せられるとどうにも強く出れない。

 本来ならば今も外に出て色々と調べたい事があるのだが、今日は早く寝る様にと念押しされているのでこうして静かに息を潜め、魔書を読み漁る事で妥協している。

 背後のベッドでは、妖精達と遊び疲れた子狼、ミユが丸まって静かな寝息を立てている。

 不意に、廊下の方で気配を感じ、詩音は本から視線を外した。

 気配は詩音の部屋の前を通り過ぎ、階段の方へと歩いて行く。


「シーナ………」


 呟き、暫し考え込んだ後で、詩音は本とランプを片付けて部屋を出た。



 ◆

 

 空を見る。

 屋上に座り込んで見上げた深黒と光粒に彩られている筈の夜空は、その大半が低い雲に覆われている。

 冷えた風が肌を撫で、薄ら寒さにシーナは薄着のまま出た事を後悔しながら一つ息を吐いた。


「冷やすと身体に障るよ」


 不意に、背後から声が掛かる。

 振り替えるとそこには白い外套を羽織ったシオンの姿があった。

 片手に毛布を持って小さく微笑んでいる。

 

「眠れないの?」


 優し気な声音でそう言って、ふわりとシーナの肩に毛布を掛けた。


「ありがとう………。うん。少し、寝付けなくて。星でも見ようかなって思ったんだけど………」


 言って、シーナは雲の掛かった夜空を見上げる。


「中に戻るの?」

「………ううん。もう少しだけこうしてたい」

「そっか」


 短くそう応えると、シオンはシーナの隣に静かに腰を下ろした。


「実は僕も眠れないんだ。一緒に良い?」


 申し出にシーナは無言でコクりと、小さく頷きを返す。

 詩音は何を言うでもなくシーナの隣に寄り添う。

 その静寂が心地良い。

 何も訊かず、何も語らず、ただ側に誰かに側に居て欲しい。

 そんな自分勝手な我が儘を見据えた様に詩音はただ隣に居続ける。

 その優しさに甘えていたいと思う反面、これ以上すがりたくないという感情が心の片隅で顔を出す。

 だから、絞り出す様にシーナはシオンに問う。

 

「───ねぇ、本当に訊かないの?」


 その問い掛けが、例の小屋の中での事を指している事を直ぐに理解したらしく、詩音は微笑を浮かべて頷く。


「言ったでしょ? 訊かれたくないなら訊かないし、言いたくないなら言わなくていい」


 あの場所で告げた言葉を繰り返す。

 

「それに。君は優しいし真面目だからね。きっと僕が訪ねれば、どんなに言いたくなくても責任感で答え様とするでしょ」


 図星だった。

 付け加えられたその言い分は確かに正しい。

 だからこそシーナは自分から話すのではなく、シオンの方から問い質さないのかと尋ねたのだ。


「何も、無理に自分を責める必要はないよ。誰にだって言いたくない過去や知られたくない事実ってのはあるものだから」


 それは無関心ではなく、無興味でもなく。

 純粋な気遣いからの言葉なのだと直ぐに分かった。

 

「それでも君の気が済まないのなら、僕は待つ事にするよ。話したくなったら、話してもいいと思える様になったら、その時は訊かせて」


 シーナは暫くの間顔を伏せた。

 過去を思い返す。何時か、もう随分昔に同じ様な言葉を投げ掛けてくれた女の子が居た。


『今は無理でも、何時か、シーナに話してもいいって思って貰える様になるからね。その時は覚悟してよ』

 

 悪戯っぽく笑った甘い金の瞳の少女。

 その子の言葉に今も甘えている。


 でも、甘えているだけでは駄目なのだ。

 立ち止まっているだけでは駄目なのだ。

 

 自分から変わらなければならない。

 歩き出さなければならない。  


 そして今は、その初めの一歩を踏み出す機会なのだろう。

 一度、小さく息を吐いて、シーナはぽつりと溢した。


「私ね………、皆と……他の妖精族と違うんだ」


 シオンが此方を向くのが伏せた視界の端に映る。



「感情が昂ると、頭の中に靄が掛かったみたいになって………自分が自分じゃなくなくなって…………。何も分からなくなって、ただただ無性に血が飲みたくなるの。実際は、飲めもしないのに。見境なく、近くの人を襲っちゃうの。」

「……………」

「それで………周りの人から化物って呼ばれてた。……当然よね。血を吸う妖精なんて他に居ないもの。………それで、逃げる様に故郷を出て、冒険者になったの。でも血を見ると、昔の事を思い出して、また発作が起きそうになって……………。だから、それからは極力人に関わらない様にしてた。一人なら誰も傷付けないで済むから」


 話している間シオンは何の反応も返さない。ただ真っ直ぐに、真剣にシーナの方を見て話を聞いていた。


「……でも、ある時あの子に………クレハに出会ったの。………あの子と出会えてからは、変わったわ。………一人だったのに、アリス達と出会えて、冒険者の仕事も皆となら楽しいって思える様になった………。それからは、発作もほとんどなくなったんだ………」


 「………でも」と、両手でぎゅっと身体を抱きながら続ける。


「やっぱり……駄目だった。………あの時、凄く怖くなって、周りの事が何も分からなくなって………………」


 感覚が甦る。

 視界はどこか遠くの世界を見ているかの様に安定しない。

 そんな中でもはっきりと感じるのは、歯が柔らかい肉を裂く感触と、流れ出る血の暖かな温度。

 恐怖に呑まれ、何も分からなくなった思考の中で感じたそれに、嫌悪感は抱かなかった。寧ろ、歯が肉を抉る度、溢れ出る血が舌を伝う度、言い知れない多幸感と満足感を感じて、僅かに恐怖が遠のいていった。

 

────やっぱり………私は……


 『化物』と、最初に呼んだのは誰だったか。

 もう呼ばれ過ぎて覚えていない。

 言葉が詰る。

 まだ、全てを話してはいないのに、次の言葉が出ない。

 今は、ここが限界だ。

 更に深く視線を伏せ、塞ぎ混む様に膝を抱えたその時。


「ねぇ、シーナ」


 優しく、名を呼ばれて顔を上げた。

 視線を向ける。

 と、声の主は右手に小さな氷の短剣を造り出すと、それをシーナに見せる様に差し出しながら此方を見詰めてくる。

 薄っすらと透き通った、しかし海の様な深みのある色合いをした氷剣はまるで上等な宝石の様にも見える。

 

「もし僕がこの剣で君の心臓を突いたら、或いは首を切り裂いたら、君は死ぬかい?」

「え?」


 唐突な、そして酷く物騒な質問にシーナは言葉を失った。

 驚きと警戒から、身体が僅かに強張る。

 だが、その問いを投げ掛けてくる詩音の眼に悪意は一切感じられない。

 寧ろ、酷く優し気で愛おし気で。

 真意は読めない。

 だが、少なくとも害意がある訳では無いと察したシーナは躊躇いながら応じる。


「そりゃあ、まぁ、死ぬでしょうね」

「そっか。なら君は化け物なんかじゃ無いよ」

「え?」


 再び、真意の読めない言葉に、シーナは二度(にたび)、言葉を失った。


「…………どういう意味?」


 訳が解らずに問い返す。


「誰が君を化け物って呼んだかは知らないけど、君は首を切れば人と同じ様に死ぬし、心臓を突けば人と同じ様に死ぬ。だったら君は普通に人類()だ」


 氷の短剣を霧散させながら、詩音はそう言い切った。

 細氷が空へと舞い、鈍色の空の下で街の残り灯を受けて儚く輝く。


「化け物なんかじゃ無い。刺されれば死ぬし、怖ければ逃げる。何処にでもいる普通の人類()


 酷くぞんざいな物言いだった。

 なんとも滅茶苦茶な理屈だ。

 

「例え、世界の全てが君を化け物と呼んだとしても、君は普通の女の子だよ」

「…………………フフッ」


 小さく、笑声が溢れた。

 その余りにも乱雑な、屁理屈地味た物言いに、シーナは堪えきれずに声を上げて笑ってしまった。


「あははは、何それ」

「変かな?」

「ええ、変ね、ふふっ。前々から変わってるとは思ってたけど、まさかここまでとはね」


 数秒間、笑い続けたシーナは、その余韻を残したまま、一度小さく息を吐いた。


「はぁ~。こんなに笑ったの、久し振りだわ」


 先程まで強張っていた身体から自然と力が抜けていくのを感じながら、シーナは空を仰いだ。


「まさか、そんな風に言われるとは思わなかったわ」

「それっぽい言葉並べた方が良かった?」


 少し悪戯っぽい笑みを浮かべてそう言う詩音に、シーナは小さく(かぶり)を振る。


「――――ううん。今ので良い。シオンの言葉の方が良い」

「そっか」


 短く返してから、空を見上げた詩音の横顔をシーナは静かに見詰めた。

 少女と見紛う自身と変わらぬ、寧ろ少し幼気ですらある少年の言葉が胸の内側にゆっくりと、染み渡る様に入って来る。

 

 余りにも滅茶苦茶な言葉だった。

 けれどそれは、その言葉が彼の本心から来る確かな《想い》だと言う事の証左だ。

 もし、投げ掛けられたのが陳腐な慰めや、身勝手な鼓舞の言葉だったなら、シーナの心はきっとより深く沈んでいた事だろう。


『普通に殺して死ぬなら、化け物なんかじゃない』


 異常とすら言えるその発言。

 恐らくはそれが、彼にとっての《人類()の定義》の一つなのだろう。

 

 何時も、心の何処かで不安に感じていた。

 何時か、クレハ達にさえも、暴走し、血を求める化け物と呼ばれる日が来るのではないかと。

 彼女達が、そんな事を言う筈が無いと、頭では解っていても、その不安は消えなかった。

 

 けれど、詩音にならそんな不安を抱く必要は無いだろう。


 どれだけ暴れ狂ったとて、この白竜の少年に殺されない自分がシーナには想像出来なかった。

 そして、この少年が普通に殺せる限りは、誰が化け物と呼び叫ぼうが、どれだけ暴走しようが、少なくとも彼の中ではシーナは『普通の女の子』で居られる。


「―――――ありがとう」


 小さく、小さく。

 殆ど声に出さずに、シーナはそう呟き、コテンと軽く頭を詩音の肩に預けた。

 それに対して詩音は何も言わず、ただ優しく微笑む。


 暫く、互いに無言で座り込んでいた。


「さてと、そろそろ中に戻りましょ」


 十分近くして、シーナはそう切り出して立ち上がった。


「いいの? 星、全然見れて無いけど」


 同じ様に腰を上げながら詩音が訪ねて来る。


「うん。残念だけど、晴れそうに無いし、諦めるわ」


 空を見上げながらシーナはそう言った。

 夜の世界を覆う雲の帳は厚く。

 詩音も同じ様に、途切れる気配の無い漆黒が広がる空を見上げる。

 そして。


「だったら、上で見ようよ」

 

 と、何と無し気にそう言った。


「上?」


 再び、言葉の意味が分からずにシーナは声を零した。

 

「ちょっと失礼」


 首を傾げるシーナに、そう断りを入れると、詩音は唐突にシーナの身体を抱き上げた。


「えっ?」


 息が掛かる程の距離に迫ったシオンの顔にシーナは思わず心臓が跳ね、驚きの声が漏れる。

 女のシーナから見ても華奢に見える細い身体ながら、あっさりと自身を持ち上げ、ふらつく様子も無いのは流石と言うべきか。

 と、そんな事を頭の片隅で思っていると、「しっかり掴まってて」と声が掛かり、直後に詩音は背に二対の白い竜翼を広げた。

 飛ぶつもりなのだと察したシーナは咄嗟にシオンの首元に腕を回した。

 それを確認するとシオンは四枚の翼をゆっくりと羽ばたかせた。

 脚が地面から離れ、二人の身体が浮遊する。

 そして、重たい黒の世界を貫いて、高く高く飛翔した。

 二対の白翼で大気を蹴り、高度を上げて行く。

 普段街中で竜の身体を曝す事を嫌がる彼が、一体どういう風の吹き回しかと耳元で風が鳴るのを感じながら思っている内にも、二人の身体は低く広がる雲にどんどん近付いて行く。

 かなりの速度でシーナは思わず両目を強く瞑る。

 しかし、シオンの飛行は非常に安定しており、思いの他不安や恐怖は抱かなかった。

 寧ろ、身体を貫く加速感が心地よくすらあった。 

 雲の僅かな隙間に縫う様に入り、やがて白い天涯を抜けた時、シオンは翼を広げて減速し、ゆっくりと停止した。

 身体を撫でる風が止んだ事を感じて、シーナはゆっくりと瞼を上げた。

 そして、


「うわぁ……」


 視界に飛び込んで来た数多の光に、思わず声を溢した。

 空の蓋、低い雲海の上には、深く優しい黒に覆われた空が広がり、その中で満天の星々が競い合うように光を振り撒いている。

 そして、そんな星達を見守る様に真円を描く満月が淡い黄金色の光を放っていた。

 

「お気に召して貰えたかな?」

「えぇ、凄く綺麗………」

「そう、良かった」


 眼前の景色に圧倒されるシーナに、詩音は静かにそう言って笑った。


「でも、急にだったから驚いたわ」

「ごめんね。もう少し、君と二人で過ごしたかったからちょっと強引に連れて来ちゃった」

 

 恥ずかし気も無くそんな事を言う詩音。

 人によっては何か勘違いをしてしまいそうな物言いだ。

 まさか普段からその辺の同性(男達)にも同じ様な調子で言葉を発しているのだろうか。

 若干の心配を抱くシーナだったが、今はそれを問うても仕方がないと思い直し、視線を詩音から普段夜の空に向けた。


 人の営みの気配が遥か遠く。 

 まるで世界に二人しか存在していないかの様。

 

――――――いや。


「――――――――」

「――――――――――――」


 誰にも邪魔される事無く、宝石を散りばめたかの様な闇と光の世界。

 今この瞬間、シーナの世界には自身と身を寄せる白銀の少年の二人しか居なかった。


 ◆


「────見つかったか」


 何人も存在しない深い森。

 命は一つたりとも存在しない湖の底で、()()は誰に言うでもなく呟く。 

 薄雲の隙間から射す月光は水を透過し、裸体を照らし出す。


「予定が狂ったな………否。狂わされたというべきか……。まあいい」


 心底愉しげに、心底嬉しげに、細く笑みを浮かべ、それは水の底から届かぬ月に手を伸ばす。


「もう少しで逢えるからね───────────お兄ちゃん」

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