74話 覚悟の一矢
岩山の淵み立ち、詩音は森を見据える。
着実に喰い殺されて行く。木々は黒に染まり、その範囲は着々と広がって行く。
子狼を任せた双子は、岩山の麓に都合良く見つけた洞穴の中に隠れさせた。危険な場合以外は外に出るなと言い聞かせたので、取り敢えずは大丈夫だろう。
そしてシーナは、既に所定の位置に着いている。
後は詩音が動き出せば、それが開戦の狼煙となる。
傷の修復は未だ継続中。竜の再生能力を以てしても、即時修復は不可能な重症。
それでも、
「…………」
シーナに巻いて貰った包帯に視線をやる。
それは、応急処置とは言え、それでも確かに止血の役割を果たしている。
お陰で、垂れ流しにしている時よりも遥かに確りと腕の感覚を認識出来る。
「格好だけ、も侮れないな」
僅かに笑みを浮かべてそう呟き、詩音はそっと瞼を閉じた。
一瞬で、意識を入れ替える。
詩音が行動を起こせば、それが狼煙となる。
あれを葬るのは詩音の役目ではない。
今、詩音が為すべき事は攻め立てるのでは無く。
全霊を以て、背後を護り抜く事。
専心はそれのみに。
この命は一時の間、ただ護る為の盾以外の役割を放棄する。
「よし、行くか」
自身の存在意義を再定義し、詩音は視線を黒い森へと戻す。
焼き切れた外套を再生させ、《STORAGE》を開く。
引き抜いたのは漆黒の長弓。
身体は未だに万全とは程遠い。しかし、その不全を補う思考と意識があれば何の問題も無い。
後は己の役目を全うするのみ。
背中に大小二対の翼を広げて地面を蹴る。
竜の翼によって重力の軛から解放された詩音は、そのまま岩山から十分な距離を取った中空で静止する。
次いで詩音は、右手に氷の直剣を作ると、それを左腕の止血帯に当てた。
そして、
「──権能 解放」
詠唱を紡ぐ。
滲む鮮赤の血が、氷剣に巻き付くかの様に纏わりつき、次いで剣其の物が螺旋状に形を変える。
言霊によって、詩音に宿った技能が世界の法則に介入する。
魔力が水を支配し、氷と血の螺旋を造り出す。
弓に宛がわれたその《矢》は、白竜の能力によって投影された破壊を呼ぶ魔槍。
歪な槍矢を黒弓へと番え、そして───
「───Eis nimmdas feneran」
声が世界に響く。
黒色に侵された森の一点を見据え、詩音は弓を大きく引き絞り、
「──崩壊魔槍」
その名と共に解き放った。
空気の壁を穿ち、空間を捻り曲げながら青銀の竜巻が枯れた森の上を突き進む。
────そして、爆炎が大気を焼き尽くした。
変色した森の中央、先刻まで詩音達が居たと思われる場所に到達した瞬間に魔槍は閃光と共に爆ぜた。
これだけの距離を隔てて尚、衝撃と爆音が身体を叩く。
破壊はその実一瞬の事だった。
炎と煙が晴れて行く。その向こうで。
「────」
世界が破損していた。
外界から隔絶されていた秘匿の花園。そこをドーム状に覆っていた結界は、魔槍の一撃によって、まるで卵殻を叩き割ったかの様に一部が吹き飛ばされた。
世界に空いた孔の中から蛇の瞳が此方を覗く。
血走った紅の蛇眼は真っ直ぐ詩音の方を睨みつけ。
閃光と共に光弾を撃ち出して来た。
高速で迫り来る魔力の塊。それを詩音は二対の翼を広げ、回避する。
だが、初撃を躱したのも束の間。すぐさま次の攻撃が放たれる。
詩音を撃ち落とそうと迫る追撃。弾幕じみた勢いで撃ち出された光弾の数は十を軽く超える。
矢継ぎ早に来る光弾を大きく左に進路をとって回避しながら、右手に五本の氷矢を創り出す。
絶え間なく放たれる砲撃の合間に、全ての矢を黒弓に番え、一斉に蛇眼へと射った。
銀の軌跡を描いて飛翔する五本の氷矢。しかしそれを、蛇の眼は苦も無く迎撃する。
数に物を言わせた弾幕で以て、銀矢を撃ち落とし、光弾が爆ぜる。
そして、空中で広がった閃光の向こうからまた新たな魔弾が詩音に向かって飛来する。
絶え間なく放たれる蛇眼の光。その間を掻い潜り、氷矢を放つ詩音だが、射る矢の悉くは蛇眼に到達する前に撃ち落とされ埒が空かない。
そんな膠着状態ともいえる状況の中で詩音は、
――――頼んだよ、シーナ
胸の内で静かに、彼の少女の名を呼んだ。
◆
荒っぽい岩に覆われた小山。
その頂の縁にシーナは居た。
その手に握るのは弓の柄では無く、長大なライフルのグリップ。
《AS 50》。詩音が作ったと言う風変わりな巨銃。
地面に身を伏せ、スコープ越しに交錯する数多の光を眺める。
詩音は矢継ぎ早に放たれる必殺の威力を内包した魔弾の間を掻い潜りながら、氷の矢を放って反撃している。
だが、空間に空いた孔から覗く蛇の眼は、その悉くを撃ち落とし、戦況は膠着している。
「シオン……」
シーナは小さく少年の名前を呼ぶ。だがすぐに、スコープの中の視線を蛇眼へと移し、その他の情報を無意識の領域へと放り投げる。
◆
「シーナ、君には此処に留まってほしい」
反論しようとしたシーナを手で制し、詩音は続ける。
「聞いて。あれを確実に破壊するのなら、近づくのは得策とは言えない。結界の効果範囲に囚われて、また魔力を吸われるなんて事になったら、さっきの二の舞だ」
「確かにそうだけど………じゃあ、どうすればいいの?」
訊くと詩音は空間系魔術の一種だと言う《STORAGE》を開いた。
現れたのは詩音の身長にも迫る巨大な銃、《AS 50》。
「今、結界の影響で此処からはあの術式の核が目視出来ない。だから僕が結界の一部に孔をあけて、弱点を露出させる。そうすれば当然、あの『眼』は僕を狙って攻撃してくるだろうから、僕はそのまま『眼』の注意を惹きつけておく。その間に、シーナはこれで核を撃ち抜いて」
「えっ? で、でも、私この銃、前に一回触らして貰っただけで、いきなりこの距離で狙撃なんて……」
思わず弱気な言葉が口を吐く。
変色した森の中心が結界のある場所だと仮定すると、この場所との距離は直線でも一キル半を超える。
そんな長距離での狙撃など、シーナは行ったことが無い。
そもそも、シーナの基本攻撃手段は弓。魔力で強化されていると言っても、その有効射程はせいぜいが二百~三百メル。
数字の桁が違う。
だが、不安を抱くシーナに、詩音は優しく微笑みながら、
「大丈夫、君の強さは僕の眼が知っている。何も深く考える必要は無い。普段通りやればいい。君の弾は、必ず的を射ぬくから」
そう言って、長大なライフルを此方に差し出して来た。
一度、小さく息を吐いてから、シーナはその無機質な武器を受け取る。
詩音が手を放した瞬間に、その巨体に見合った重みが両の腕に加わり、シーナは確りと踏ん張り保持する。
「心配はいらないよ。あれの攻撃は全部僕が引きうけるから。シーナはただ撃つ事だけに集中すればいい」
「……分かった」
◆
レンズ越しに蛇眼を捕らえる。
閃光を断続的に放ち続けるその眼は、拡大して見れば見る程精巧で生々しく、魔術によって造られた作り物とは、俄には信じがたい。
よく見れば血走ったその表面は僅かに透けており、その中心には球状の物体が確認出来る。
───あれが『核』………
『あの『眼』の今見えている部分は、殆どが魔力で構成された非実体の虚像だ。でも、虚像の中心の一点だけには実体がある。式の構造的にまず間違いなく、それが『核』だ。それを撃ち抜けば術式は停止する』
詩音の言葉を思い出しながら、シーナはスコープの照準線を『眼』の中心に合わせる。
距離と風向きを考慮しつつ、照準線の位置を調節しながら呼吸を整える。この辺りは弓で目標を狙う時と同じ要領だ。
だが、先も言った通り、これ程の長距離での狙撃を、シーナは経験した事はない。
心臓が激しく拍動する。
シーナの心の底には、未だに小屋の中での幻覚による恐怖がしがみついている。
比喩では無く、実際にあの術式はシーナの精神に魔力で編み上げた『恐怖心』という腫瘍を産み付け汚染しているのだ。
詩音が術式を破壊した今、この腫瘍は時間経過と共に霧散するだろうが、今直ぐに消す事は出来ない。
この汚染が残る限り、理由や道理に関係無く、シーナは無条件で恐怖に体が強張り、思考が乱れる。
加えて、使い慣れてもいない狙撃銃で今まで経験した事の無い距離を狙撃に挑むとなれば、平常心など保っていられる訳が無い。
だがそれでも。
───当ててみせる。
詩音は今、全力であの眼の注意を惹き付けている。自分が必ず『核』を射抜くと信じて。
───なら、私も信じる。シオンが信じる私自身を!
決めた瞬間、シーナの心臓は先程までが嘘の様に鼓動を落ち着かせた。
それは一瞬、正に瞬き一回分程度の極短い時間だけ訪れた静謐の瞬間。
その一間を逃さず、シーナは《AS 50》の引き金を絞った。
落雷の様な轟音。
それとほぼ同時に強烈な反動がシーナの全身を駆け巡り、放たれた竜鱗の弾頭が音を遥か置き去りにして世界を飛翔した。
空気の壁を易々と貫く魔弾は、一直線に蛇眼の中心、その核へと爆進し、そして────
命中する直前で停止した。
完全に核を破壊する軌道で飛翔した弾頭は、その手前で幾重にも展開された半透明の障壁によって受け止められた。
それが核を保護する為の防壁である事はスコープ越しにその光景を見ていたシーナにも理解出来た。
弾を阻んだ防壁に亀裂が走る。
竜の鱗より精製された弾頭は、あらゆる魔力を突破する破魔の弾丸。
その特性を以て、魔弾は次々と展開された障壁を貫きながら前進する。
しかしそれまでだ。
最後の防壁を破壊したのと同時に、竜弾は内包していた破壊力を使い切り砕け散った。
核を守護する防壁は、その全てが完全に破壊されながらも、何とか予期せぬ狙撃を相殺して見せた。
そして、核を撃ち抜け無かったシーナの位置を『眼』は目敏く感知する。
「────」
蛇眼が光る。
回避は間に合わない。
暴風の様な膨大な魔光が,シーナの視界を埋め尽くし────
刹那、一条の雷閃が破壊の光を切り裂いた。
致死の威力を内包した魔力の塊が霧散する。魔力の残光が溶ける様に消えると、其処には此方に背を向けて浮かぶ詩音の姿があった。
麗剣 《雪姫》を握り、シーナの百メルほど前方で詩音は振り向く事なく宙空に留まる。
長い白銀の髪を靡かせ、純白の翼を広げたその姿は幻想的と言う他に無く。
シーナはこんな状況だと言うのに思わず見惚れてしまったが、一秒ほどで何とか思考を立て直して、《AS 50》のスコープを覗き直す。
それとほぼ同時に、再び蛇眼に光が灯り、幾つもの光弾が放たれる。
この丘全体を吹き飛ばして余りある威力と数の光群。
それを詩音は流麗かつ躍動的な舞を踊るかの様に縦横無尽に雪姫を操り、残像と銀跡を残しながら斬り払う。
それを見てシーナは小さく、胸の内で呟く。
───ここまでは、予定通り
◆
「初撃はまず間違い無く防がれる」
巨大なライフルを抱えたシーナに、詩音は言った。
「傀儡術式の『核』を囮にしてまで、結界の『核』を守ろうとしていたんだから、当然本命の結界の『核』の方にも何らかの防衛手段を施している筈だ」
「じゃあ、一発目でその防衛手段ってのを破壊して、二発目で核を狙うって事? でも、それだと」
「うん。狙撃位置は露見してしまうだろうね。でも、心配しないで。見つかった後は、僕がシーナを守るから。絶対に君を撃たせたりしない。だからシーナはその場から動かずに、二撃目に集中して」
「………分かったわ」
◆
衝撃音と鮮やかな光の破片を散らしながら、連続で迫る砲撃の悉くを斬り払う詩音の後方で、シーナは再びAS 50の銃口を結界の孔に向け、照準線を蛇眼へと合わせる。
視野はスコープの内径に合わせて狭まり、外界の情報が制限される。
「───ぁ」
スコープ越しに視認した光景を前に、シーナの口から小さく、声が零れる。
動いている。
外界からの攻撃への対策か。
先程まで眼球の中心で静止していた核が、今は非実体の『眼』の内部を縦横無尽に走り回っている。
この二撃目が、この作戦の本命だ。
今現在、詩音はシーナの真正面で蛇眼からの攻撃を防いでいる。
だが、いざ弾丸が放たれれば、詩音はその場を離れ、射線を通さなければならない。
もし、これを外せば、蛇眼は間髪入れずに反撃してくる筈だ。
そうなればその一撃は、詩音という鉄壁を失ったシーナは跡形も無く吹き飛ぶ。
言ってしまえば、この一発にはシーナの命が掛かっている。
しかし、肝心の『核』は一瞬も止まる事なく、目で追うのも難しい程の速度で暴れ回っている。
円形を描く様な曲動。
不規則に変化するその軌道を予測する事は困難。
だと言うのに、不思議とシーナの心に不安は無かった。
恐怖の腫瘍は消えていない。
緊張もしていて心拍数も上がっている。
確実に当てるという自信がある訳でもない。
きっとその理由は、詩音だ。
彼が守ってくれている。
その事実があるだけで、根拠の無い安心感が沸き上がってくる。
何があっても、彼なら守ってくれる、と。
此処に来て、シーナの思考は澄みきっていた。
心は未だに凍え、震えている。だが、銃を握る右手は確かな熱を取り戻していた。
それは、あの時───幻影に囚われ、孤立を恐れたシーナの手を握ってくれた詩音の温もり。
呼吸を整える。
長く息を吸い、同じ時間を掛けて吐き出す。
それと同時に、あの感覚が渡来する。
外界で響くあらゆる音が遮断され、不要な情報が切り捨てられる。
思考は加速し、それと反比例する様にスコープに映る視界は停滞を開始する。
先程まで追うのもやっとだった核の動きが徐々に徐々に遅くなり、最終的にはしっかりとその軌道を視認できる様になる。
全ての感覚が、全ての思考が、この一撃の為に集約する。
そして、一瞬。
蛇眼の攻撃が途切れた僅かな隙間を縫って────
────行け!
シーナは引き金を引いた。
それと同時に、前方の詩音の身体が左に傾いた。
何の打ち合わせも、合図も無いままに、詩音はシーナが撃つその瞬間を正確に読み切り、射線を明け渡したのだ。
巨銃AS 50の内部でハンマーが撃針を叩き、装填されていた竜鱗の弾頭を瞬時に超音速まで加速させ───
豪雷が再び轟き、銃口から爆炎が迸る。
銃の側面からは、役目を終えた薬莢が自動的に排出される。
膨大な圧力と銃身に施された加速魔術によって、閃光もかくやという速度まで加速された魔弾は、初撃と同じように空気の壁を容易く貫き、そして────
一寸の狂いも無く、一分のズレも無く。
結界の心臓。
無秩序に奔走する『核』の中心を貫いた。
あれだけ激しく動いていた核も、矢継ぎ早に砲撃を繰り返していた蛇眼も、全てが凍りついた様に硬直する。
次いで、まるで巨大な硝子細工が砕けるかの様に、硬質な破砕音を立てて崩れ落ちた。
◆
ふわりと、詩音はシーナの前に降り立った。
巨銃を抱えたまま立ち尽くすシーナに、詩音は穏やかに笑い掛けながら歩み寄る。
「お疲れ様。流石だね」
労いと賞賛の言葉と共に右拳を突き出す。
シーナも「ありがとう」と言って、こつりと自分の拳をぶつける。
拳を下ろすと、詩音はゆっくりと背後を振り返った。
釣られてシーナも同じ方向に視線を向ける。
《核》を射抜かれた蛇眼の結界は、最早何の力も残っていないと主張する様に崩壊していく。
炭の様に黒化していた森は、それに合わせて徐々に葉緑を取り戻す。
硝子の様に砕け散る破片が魔力の光を溢しながら落ちて行くその光景に、あれだけ苦しめられたというのにシーナは思わず見入ってしまう。
「………組合への報告が面倒ね、これは」
などと、意味も無くを呟く。
「そうだね。でも、あの結界の影響で、この森全体に認識阻害効果が付与されてるみたい。中に居た僕達はともかく、外からこの騒ぎは見えて無い筈だから面倒な部分は適当に簿かしてもバレないと思うよ」
「そう………」
短くそう返してからも、暫くの間崩れ落ちる異界を二人で眺めていた。
やがて、詩音が言った。
「………そろそろレオル達を迎えに行こうか」
「…………うん、そうね。あんまり待たせても悪いし」
シーナがそう返事をした時だった。
「───っ」
唐突に詩音が振り返った。
「どうしたの?」
驚きながらもシーナが訪ねると、
「レオル達が危ない」
それだけ告げて詩音は、風の様に走り出した。
「ちょ、シオン!?」
シーナは慌てて、その背中を追いかけ様と地面を蹴った。




