72話 一対の殺意
群がる傀儡どもを見据える。
───数は……ざっと百五十ってところか……
黒い亡霊の様な人形達は詩音の姿を認識した途端に先ほどまでの停観が嘘の様にざわめき出す。
やはり所詮は人を真似た不完全な人型。
自立行動はすれど、自立思考は出来ないらしい。
詩音達が氷壁に閉じ籠っている間、何もせずに傍観を決め込んでいたのがその証左。
奴らは目標が先に動かなければ、自らの行動方針を選択出来ないのだ。
ならば、奴らがシーナ達を狙う事は無いだろう。
結界の精神干渉も竜の耐性故か、それとも生来の精神性故か、詩音はほとんど影響を受けていない。魔力搾取に関しても同様だ。
憂い無く、掃討に専念できる。
だが、
───両腕の修復が遅いな………
詩音自身、万全な状態とは言えない。
腕の傷が塞がらない。
あの結界の魔力が傷口に絡みついて回復を阻害している。そんな感覚がする。
耐性スキルは既に復帰ししている為、新たにダメージを負う事はそうそう無いだろうが、稼働には多少なりとも制限が掛かる。
───右は……骨の何本かに亀裂が入ってるけど……まあ、動くなら別に良い。問題は………
詩音は左手を握ろうと力を込める。
だが、五指の内握りの要たる小指が動かない。加えて薬指の駆動も鈍い。
結界を破った時の傷もあろうが、致命的だったのは子狼の牙だ。
あの一噛みが、不運にも詩音の左手の腱を断ち切っていたのだ。
平時の握力が発揮できない。加えて、結界の影響か《氷雪の支配者》による水の収束が覚束づ氷剣が作れない。
間が悪いな、と詩音は内心で自身の不運さと早計さを嘲り、意識を軽く自身の肉体へと向ける。
筋肉、神経、毛細血管の隅々まで、意識と認識を行き渡らせる。
切れた神経を意識し、絶たれた腱を認識し、破れた血管を承認する。
それが出来れば後は簡単だ。切れた神経を無事な神経で代用し、絶たれた腱を他の腱と筋肉で動かし、破れた血管を収縮させて止血する。
「───よし、いけるな」
そう呟いた時、詩音の出血は止まっていた。
動かなかった指も、万全とはいかないが動かせる。
「───」
無言のままに青い瞳を向けた、その時───
最早聞き慣れた軋音を上げながら、眼前の傀儡達が一斉に詩音へと走り出した。
短剣を、投剣を、己等に与えられた武具を掲げ、無機質な人形は蹂躙の波となって押し寄せる。
だが───
──、───、───、───!?
唐突に、数多の軋音をはね除ける様に乾いた炸裂音が立て続けに轟いた。
それとほぼ同時に飛来した膨大なエネルギーの塊が、先頭を走る傀儡達の硬質な白面を貫いた。
突如として起こった事態に傀儡の群れは脚を止める。
破壊の源は詩音の両手にあった。
未だ残る痛々しい傷に覆われた小さな手に握られる黒色の武器。
《STORAGE》から引き出されたそれは一対の拳銃だった。
だが、その姿は少しばかり異様だった。
金属製のスライドと銃身は少々長大で、グリップには滑り止めのソリッドが入っている。
だが、何よりも目を引くのは、長いスライドの下に沿う様にして取り付けられた肉厚の刀身だ。
通常ならば拳銃に取り付けられる様な物ではない鈍色のそれは、銃本体の無骨さも相まって、形容し難い異質さを放っている。
五十口径対人用大型自動拳銃。
固有名 《ヴォルフレクス》
《AS50 C》対物狙撃銃と同じく詩音が自身の知識と技術を以て造り上げた専用兵装である。
本身を失った白鞘を《STORAGE》へと納め、本体だけで三十㎝超という図体を誇る銃を二丁、左右の手に携えて詩音は傀儡の群れへと対峙する。
ただの器械。予め仕込まれた術式によって稼働するだけの装置の筈の雑兵等は、凶器を手に立ち塞がる詩音の姿に気圧されたかの様に停滞する。
だが、それも一瞬。
傀儡は傀儡等となって目の前の障害ににじり寄る。
元よりそれしか選択肢を持たない。この土地の防衛機構として造り出された人形にとって、侵入者を殲滅する事こそが存在意義。
ならば、詩音もまた殲滅を以て応える他にない。
───魔眼を解き放つ。
蠢く傀儡全ての挙動を凝視する。
傀儡の構造は先ほど眼にした。表面的な物でしかないが、それも遡れば根底へと到達する。
ならば、必要な物は既に手にしている。後はそれを読み解けばいい。
───構造想定完了。
構造式から可能な行動領域を算出。
人体機構との共通項より行動様式を想定。活動履歴に基づき思考様式の制定理論を疑似複製。
各工程統合。仮想結論から製作者の創造理念を一部解明。
判明心理を用いて各想定を補強。理論強度、最低値を突破。
行動定理の確立、完了。
ゆらりと、押し寄せる傀儡に向けて詩音は両手の黒銃をつき出す。
銃声が轟く。二つの銃口から立て続けに放たれた大口径の弾頭は音を超えて飛翔し、迫り来る傀儡の弱点、白い面を的確に撃ち貫きその活動を停止させていく。
百余の人形は直ぐに詩音を取り囲み四方から斬り掛かり、八方から刃を放つ。
だが、詩音はその悉くを撃ち落とし、悉くを回避する。
《観識・先視の魔眼》
例え作られた命無き傀儡であろうと、それが人の形を取り、人に類する構造を持つのであれば、詩音の魔眼はその思考を観測し、起こり得る未来を視認する。
その魔眼を以て、詩音は傀儡の思考パターンを不完全ながら観測した。
覆い被さる様に襲い来る幾多の傀儡は、ただ一人の銃士の前に次々と残骸に成り果てる。
留めど無く鳴り響く銃声。一見闇雲にばら蒔かれている様に見える弾丸は、その実一発も損じる事無く投剣を落とし、白面を貫く。
スライドが解放され、都合十八の弾丸を放ち切った弾倉が落ちる。
銃である以上、その弾数は有限。
一対の弾倉を撃ち尽くし、無防備となった詩音に、好機とばかりに群れの中から幾体かの傀儡が飛び出した。
黒剣が走る。赤い世界に鈍黒の軌跡を描いて一体の傀儡が短剣を詩音へと振り翳す。
だが───
「──?、──!、───?」
甲高い音を上げて傀儡の短剣が宙を舞う。
次いで、殴打と斬撃が合わさった鈍い音と共に黒銃に付随した刃が傀儡の仮面を叩き割った。
遠近一体。二刀と二銃を合わせ持つヴォルフレクスに間合いの得手不得手は存在しない。
手斧の様に二対の刃を振りかざし、詩音は己が間合いに踏み込む外敵を一体残らず斬壊すると、《STORAGE》から新たな弾倉を直接銃へと挿し込んだ。
戦況は一方的だった。
傀儡が数の有利を振りかざし死角へと周り込もうと、詩音は傀儡の行動パターンを完全に予測し、それを撃ち抜く。
正確無比な迎撃を同じく数に任せて突破しても、踏み込んだ先で待ち受けるのは銃剣による斬殺刑。
数の差を物ともせず、詩音は傀儡達を次々と屠っていく。
しかし──
───減らないな……
背後から迫る敵を視線も向けずに撃ち抜きながら、詩音は内心で呟いた。
最初百五十と数えた傀儡の総数。
だが、既に都合五十三を倒しているにも関わらず、詩音を囲む傀儡の数に大きな変化は見られない。
その理由は明白だった。
詩音を囲む群れ。その最後尾の地面からまるで粘土細工を作るかの様に新たな傀儡が生まれている。
減らないのは当然だ。撃ち壊そうが叩き壊そうが、壊した端から新たな傀儡が製造、補填されている。
その事実には早い段階で気付いていたが、製造数に限度があるかとも思い様子を見ていた。だが、未だに底が見えない所を見ると、この結界は魔力がある限り傀儡を生成し続ける仕様なのだろう。
───面倒だな
このまま持久戦を続けるという選択肢もあるが、それでは後方のシーナが持たない。
氷壁が遮断しているのは魔力の搾取作用のみ。長くこの場に留まれば、いずれ彼女の精神は恐怖に呑まれ瓦解する。
それだけはあってはならない。
───《HAL》、この結界の中核の位置、分かるか?
『捜敵中………左後方、約110メルの地面に魔力の収束点があります』
迫る傀儡に向けてトリガーを絞りながら詩音は視線を己の背後に向けた。
現在位置より約110メートル。そこは丁度この円形の庭の中心に位置する座標だった。
円形の効果領域の中心に術式の収束点を置くのは、無理なく均等に魔力を全体に巡らせる結界術式では基本的な術式配列だ。
──………叩いて見るか
地面を蹴る。
雲霞の如く押し寄せてくる傀儡達の隙間を縫う様に疾走し、無理矢理に進路を閉ざそうとする物を踏み台にして詩音は高く跳躍する。
着地点に待ち構える新手をヴォルフレクスの弾丸で排除し、足が地面を捉えると同時に超走する。無造作に武器を掲げて飛び掛かってくる傀儡を弾丸と銃剣で残骸へと変え、目的の場所まで一息に駆け抜ける。
包囲を脱し、傀儡の追走を遠く置き去りにして、詩音は結界の中心地で立ち止まった。
そして、右の黒銃の弾倉を取り替える。
新たに装填した弾はただの鉄塊ではない。以前、黒の魔狼を一撃の許に葬り去った物と同じ竜の鱗より作られた魔弾。
蟲の様に這い迫る傀儡達を遠目に、詩音は銃口を花に彩られた地面に突き付けトリガーを絞る。
銃声が吠え、放たれた弾頭が地面を抉る。
瞬間、弾跡を中心にして放射状に幾つもの線が走る。それはこの世界を形成する為の魔術回路。
花々が咲き乱れる地面全体に広かったその回路はついでに大量のガラスが割れる様な破砕音を上げて砕け散り、霧散した。
『回路断絶』
《HAL》システムが術式の破壊を報告する。
赤い世界が揺らぐ。
回路の破壊に伴い、結界の存在に綻びが生じ、傀儡の群れ崩壊する。
基盤を砕かれたならば、それを構成する全ての要素が瓦解するのは道理だ。
だが、
───違う……
違和感を感じ、詩音は告知を否定した。
直後、違和感は結果となってその正体を現す。
揺らぎが消える。解れた世界は再び存在強度を取り戻し、再び異界へと成り果てる。
基盤を失った魔術は消滅する。それは全ての術式に共通する絶対条件。
しかし、未だに異界は健在だ。ならばその答え一つ。
今しがた詩音が破壊したのは結界維持とはまた別の、恐らくは傀儡の存在を固定する為の制御術式。
結界存続の為に切り捨てる事を前提とした囮と言う事だ。
「全く用心深いなっ」
そう毒づいた時、
「───っ」
魔力の胎動を感じ、詩音は顔を上げた。
視線の先、この地を覆う巨大な蓋の頂点に周囲の魔力が収束する。
それはやがて可視の実体を得て現界する。
眼だ。異界の頂上に現れたのは血の様に赤い隻眼。
蛇を思わせる鋭い瞳孔が、結界の中を一瞥する。
─────瞬間、世界が枯渇する。
周囲の魔力が吸い上げられる。
その吸収率はこれまでの比ではない。十数倍の速さで魔力が奪われた行く。
今まで何の問題もなかった詩音の身体からも、僅かづつだが魔力が漏れ出している。
不味いと思い、詩音は顔をシーナ達の方へと向けた。
視線の先では、先ほど築いた氷の壁が少しづつ崩れ堕ち、魔力として吸収されていた。
その中で、不安と驚愕の表情を浮かべ天を見上げるシーナの姿があった。
氷壁が終われば、次に結界はシーナ達を襲う。
詩音でさえ僅かだが影響を受ける吸魔の異界。シーナ達ならば直ぐにでも体内の魔力を吸い尽くされ、最後には死に至るだろう。
直ぐ様詩音は銃口を上空の眼体へと向ける。
しかし、それと同時に、
「!」
蛇眼が光る。
縦長の瞳孔から強烈な閃光を伴って魔力の塊が撃ち出された。
地面を蹴る。詩音は上空から飛来する光弾を大きく飛び退いて回避する。
「───っ」
爆風が肌を撫でる。
大地を穿った光弾は、爆音を上げて炸裂して地面を吹きとばす。
小さなその光に宿った魔力の総量は平均的な大人の魔力量の実に十倍に達するだろう。
直撃していれば、如何に竜の鎧と言えど耐えられまい。
空を見る。
蛇眼はこの異界を統べるかの如く下界を見下ろしながら、新たな光弾を装填する。
眼下に光が収束する。それだけならば先の光景の反芻だ。
灯った魔力の光は単体では無く。
瞬く間に十の光弾が異界の空に列を成す。
「チッ──」
下打ち詩音は地面を蹴る。
それを見越したかの様に光弾は地上に向けて投下された。
光の雨が降り注ぎ、轟音と炎熱が花の大地を蹂躙する。
矢継ぎ早に落とされる光弾は、一撃一撃が高位の攻撃魔法に相当する必殺の閃光。
「人から奪った魔力だからって、やりたい放題っ」
脚を止める事無く、数に物を言わせて絶え間なく降り注ぐ光の雨を銃剣で弾き落としながら毒づく。
不意に、それまで詩音の姿を追いかけていた蛇眼が視線を逸らした。
「──このっ!」
視線を追うまでもなく、詩音は吼えて進路を帰る。
蛇眼はシーナ達に向けられていた。視線の変更に伴って光弾も照準を改める。
既に氷壁は七割方が魔力として吸収され、防護機能は無いに等しい。頭上の蛇眼からすれば格好の的だ。
光塊が放たれる。致死の威力を含んだ光弾は鉄槌となってシーナ達に降り注ぐ。
地面を蹴る。
竜帝憑依を解き放ち、竜の身体能力をその身に宿して詩音は加速する。
竜の肉体性能は並みでは無い。人外の膂力により発揮される圧倒的加速を以て、詩音はシーナ達の前に踊り出ると、床へと突き立てた雪姫を引き抜いて迫る光弾を切り払った。
「シオンっ」
背後からシーナの声が飛ぶ。
だが、それに応じている余裕は無い。
上空に鎮座する魔眼は、既に複数の光弾を展開している。
「ッチ」
苦々しく舌打ち、数秒後に始まるであろう爆撃に備える。
回避は許されない。
自身の持つ全能力を費やし、シーナ達を護り切るべく詩音は雪姫を構えた。
直後、豪雨が放たれる。
一息に放たれる十以上の魔力の塊。
迫る破壊を前に、詩音が身構えた。その時────
「クウゥッッ!!!」
小さな咆哮と共に魔力が迸る。
世界の法則を捻曲する光がシーナと詩音、そして床に伏した双子を包み込み───────。
次の瞬間、その場から全員の存在が消失した。




