71話 赤い世界
外に出た瞬間、恐らく全員が驚愕した事だろう。
小屋の外は赤く染まっていた。
円形の花園。暗い森の中に存在する異質な空間は、更に異質な魔力で満ちている。
詩音達のいるこの空間だけが切り取られた様に赤い天蓋が被さり、外と内とを隔絶する。
───遅かったか
詩音は現状に内心でぼやく。
これは防衛機構だ。
魔術具を起動させたからか、傀儡を破壊したからか、或いはこの空間に踏み入った事自体が原因か。何にせよこの空間は詩音達を廃坑するべき害敵と捉え、ここに排除の術式を展開したのだ。
周囲を見渡せば、結界の内縁にはあの自動人形が半円状に乱列し、此方を半包囲している。
一体二体では無い。恐らく召喚魔法に類する方法で呼び出したであろうその数は数十を超え、百以上に昇る。
燃えている様な赤い世界で蠢く人形達のなんと不気味な事か。
まるで地獄にのさばる亡霊の様だと、詩音は感じた。
その直後、背後の異変に気付き振り向く。
振り向いた先ではシーナが座り込んでいた。全身を小刻みに震わせて俯いている。
過呼吸気味の呼気を溢すその様は、深刻度の差はあれど小屋の中で見た恐怖に怯える彼女の姿に酷似している。
レオルの掠れた声が耳に入る。
異常はシーナだけで無く、その数歩後ろに居た双子にも表れていた。
力無く膝を着き、完全に意識を失いその場に付している。
その様はまるで過度の疲労に襲われた衰弱しているかの様だ。
それで詩音は、この結界がそう言う物だと理解した。
効果範囲内の者を強制的に恐慌状態に陥らせる。
外部との遮断にリソースを割なくてはならない分、効果は小屋の中の物に比べ劣るだろうが本質は同じだ。
加えて、全員魔力の減少が著しい。
これだけの結界、空間に漂う魔力だけで維持するのは難しい。
不足分は結界内の生物から巻き上げているのだろう。
持ち前の耐性か、それとも豊富な魔力故か。詩音自身はそれほど影響を感じないが、シーナ達はそうもいかない。
唯一シーナの傍らの子狼だけは結界の影響を受けていない様で戸惑う様に詩音に視線を向けて来る。
「────」
出来れば早々に結界の効果範囲から抜け出したいが、現状そうもいかない。
不快な軋音が聴覚を刺激する。
周囲を囲む自動人形がゆらゆらとまるで亡霊の様に此方に近付いて来る。
一気に迫って来ないのは、此方が結界の効力により衰弱するのを待っているからだろう。
「ッチ」
舌打ちながら、詩音は雪姫の柄に手を掛ける。
鞘から引き抜いたその鱗刀を自身の足元へと突き立てる。
「権能、解放」
詩音達の周りに分厚い氷の壁が屹立する。
巨大な氷壁は半球状に詩音達を包み込み、地面から頭上までを完全に外界から隔離した。
それだけで事態は幾分かマシになる。
《耐魔力》の性質を含んだ氷壁は赤い世界から魔力搾取だけでも遮断するだろう。
「シーナ、……シーナっ!」
膝を着いてシーナの肩を掴み、揺すりながら強く名前を呼ぶ。
それに反応したのかシーナは恐る恐る視線を上げた。
「シ……オン……?」
「しっかりして。吸い尽くされたら命に関わる」
「でも……でも、怖いの……声が、あの子の声が……」
断片的な言葉を譫言の様に溢しながら訴えて来る。
まるで駄々を捏ねる子供の様に頭を振るシーナの肩を両手で掴み詩音は強い声を放つ。
「シーナッ」
「あぅ……あ……」
半ば強引にシーナの顔を向けされると、うっすらと涙に濡れたエメラルドグリーンの瞳が曖昧な焦点のままに此方を見る。
「呑まれちゃ駄目だ。僕を見て。僕の声を聞いて」
「あ……あぁ………」
声がシーナの内に染み込んで来る。
言葉が心を蝕む恐怖を溶かし、真っ直ぐに見詰めて来る蒼い瞳が落ち掛けた意識を現実へと引き戻す。
それでも恐慌は完全には消えず、シーナはすがり付く様に詩音の胸に顔を埋める。
それを受け入れる様に詩音はシーナの背中に腕を回した。
「その恐怖は君自身から湧き上がって来た物だ。閉じ籠っちゃ駄目だ、意識を外に向けて」
「ぅ……うん……」
囁きに弱々しくシーナは頷く。
万全には程遠いが、それでも少しは落ち着きを取り戻した様だ。
「クゥ!」
背後で子狼の鳴き声がした。
詩音が振り替えると、子狼はシーナと同じ様に倒れたレイナとレオルに近寄り、呼び覚ます様に吠えていた。
双子の症状はシーナのそれとは少し違う。
精神への干渉による負担よりも魔力の低下による衰弱の方が強い様に見える。
それは『当人の最も忌避する記憶を呼び起こす事で恐慌状態へと陥らせる』というこの結界の術式原理故と思われる。
恐らくはシーナと違い双子には己を見失う程の過去の経験が存在しないのだろう。
それ故に精神干渉を受けず、魔力のみを搾取されている状態だ。
そう結論付けた詩音は《STORAGE》から緑色の液体が満たされた瓶を取り出した。
掌に収まる程度の大きさのそれは魔力の回復を促す魔力回復薬。
硝子製の封をへし折り、中身をシーナと双子へと浴びせる。
それで全員の顔色が目に見えて良くなる。
経口接触に比べれば効果は薄いがそれでも魔力不足による衰弱死を遠ざける程度の効能は発揮している様だ。
それを確認すると、詩音は冷たい氷の壁越しに外の様子を見た。
氷壁の外は変わらず搾取と恐慌の結界に覆われており、蠢く人形達は様子を伺う様に進行を止めて白い面を此方に向けて来る。
「とりあえず、この中なら外に居るよりはマシだから。シーナは此処で皆を見てて」
「え………?」
呟きと共にシーナは顔を上げた。
詩音はシーナの背から腕を離し、蒼い瞳をこの場を囲む外敵達へと向ける。
「外に……出るの……?」
掠れた声で訪ねる。
我ながら馬鹿な質問だとシーナは思う。
何時までも此処に居る訳にはいかない。
そんな事は分かっている。
しかし、それでもシーナは詩音が離れて行く事に不安を感じずにはいられなかった。
「うん。ちょっと外の奴らを片付けて来る。何時までも閉じ籠ってる訳にもいかないからね」
平然とした声で詩音は返答し、傍らで此方を見詰めて来る子狼の頭に手を乗せる。
「レイナ達を頼むね」
ぽんぽんと頭を撫でられ、子狼は「クゥッ」と威勢の良い返事を返した。
そんなやり取りを見ながら、ちらりとシーナは外に視線を向ける。
赤い世界では相も変わらず黒い亡霊が無数に蠢いている。
「…………」
シーナは、傍らに転がる長弓に視線を移した。
震えて強張る指を、弓に向けて伸ばす。
しかしふと、氷壁の外に視線を向けた瞬間、その微弱な意思は巨大な恐怖に怯える本音によって押さえつけられた。
此方を窺う幽鬼の群れ。目も口も持たない筈の人形の顔がどろりと歪む。
無数の白い無貌に二つの眼が現れる。
加虐に酔った眼、血走った眼、狂気に染まった眼。
あの日、シーナを囲んでいた男達のそれと同じ、紛れもない害意と悪意を孕んだ双眼達。
その中に、あの眼が有った。
恐怖と驚愕に染まった幼い瞳。
二つのその感情は、男達では無くシーナ自身に向けられたモノ――――――――――。
幻覚だ。
解っている。
全てはシーナ自身が抱く恐怖心が作り出した幻。
しかし握れない。
長年使い続けた武器でさえ、今のシーナは手に取れない。
すると、詩音は再びシーナの側に膝を着き、その手の上に自身の傷だらけの手を重ねた。
「無理しなくてもいい」
「っ! でも……シオン一人戦わせて、自分は隠れてるなんて」
出来ない、そう言おうとしたシーナの言葉を詩音の声が遮った。
「シーナ。無理に戦う必要なんて無いんだ。こう言うのは、戦いたい奴だけがやればいい」
告げる言葉はあくまで穏やかで優しく。
戦う事を、立ち向かう事を忌避するシーナの本心を見据え、しかしそれを蔑む事も嘲笑う事もせず、詩音はその本音を肯定する。
「怖いのなら隠れてればいい、逃げたいなら逃げればいい。誰にもそれを責める事は出来ないし、責めて良い筈もない」
それは誘惑でも綺麗事でも無い。
本心からシーナが心の底で抱いている『逃避』を肯定する言葉だった。。
「………あなたは……戦いたいの?」
半ば勝手に問い掛けが口から零れる。
しかし詩音は小さく苦笑を浮かべて首を小さく振った。
「まさか。僕は臆病だからね。今だって、この場から逃げ出す方法を必死に考えてる」
それは意外な返答だった。
誇示こそしないが、それは自身の力に絶対の自信を持っているからであり、必要とあれば躊躇いなくその力を行使する。
それが眼前の白い少年に対するシーナの印象だったからだ。
「でもね」
だが、言葉とは裏腹に詩音はシーナの手を離すと、立ち上がり身を翻す。
氷壁は主に道を開ける様にその一部を解放する。
「僕に出来るのはこれだけだからさ」
それはまるで自分自身に言い聞かせる様に。
ただ守る為に、少年は赤い世界へと身を投げた。
なんか……テンポ悪いなぁ……




