6話 妖精の里
突然白竜から人の姿になった詩音に、兵士達から驚きの声が上がる。
「ど、どうなってんだ!?」
「竜が急に子供に!?」
「幻覚魔法か!?」
しかし、流石に兵士として里を護っているだけの事はあり、驚きながらも詩音への警戒を解きはしなかった。
「えーと、とりあえず此方に交戦の意思はありません。って言っても、『はいそうですか』とはならないよね、やっぱり」
「ああ、無理だな」
軽装の女剣士は短く応じながらも、いつでも詩音に斬り掛かれるように身構えている。
「よし、説明の続きよろしく。クレハ」
「あ、う、うん。この人(?)はシオン。《鋼死病》の治療に必要な竜血を提供してくれて、ここまで送ってくれたんだ」
クレハが簡潔に事情を言い終えると女剣士は、強い光の宿った小紫の瞳で真偽を探るように詩音を見据える。
「敵では……ないのか?」
「もしこの里を襲う気だったのならわざわざ目立つ竜の姿じゃ無くて、この姿で街まで入って中で竜になって暴れてますよ」
双眼に睨まれて尚、飄々とした態度を崩すことなく詩音は応じる。
その応えに女は諦めたように一度息を吐いた。
「どうやら本当に敵意は無いようだな」
そう言って女が戦意を納めると、それに続いて兵士達も順々に武器を下ろした。
「先程は失礼した。デスグールを追い払ってくれて助かったよ。ありがとう」
堅い表情が消え、小さな笑みを浮かべて女は礼を言った。
「私はキリハ=ヴスティー。クレハが世話になったようだな。もう少し事情を詳しく聞きたいのだけど」
「その前に病人に竜血を届けた方がいいんじゃないですか?」
「だな。それが終われば経緯を説明してもらうよ」
★
部外者である詩音が里に入る事を許された頃には東の地平から太陽が全貌を晒していた。
「待たせたなシオン。着いてきて」
その言葉に従い、詩音はキリハの後に続いて里へと入る。
中の様子は里というより街と言った方が正しいか。
綺麗に舗装された道からは作物を作る畑や動物を飼う牧場が確認でき、その先に建ち並ぶ家々はどちらかと言うと西洋風のデサインをしている。そして、多くの建物には独特の模様のレリーフが描かれている。
「ここがフェルヴェーン。妖精族の里か…………」
美しい街。それが詩音の感想だった。しかし同時に随分と静かだとも感じた。早朝だということを差し引いても、住人の気配が希薄過ぎる。
「本当に里中で病気が蔓延しているってことか」
「ああ、既に住人の七割近くは鋼死病におかされている」
呟きに先導するキリハが応じる。
「七割か。大流行だね。鋼死病ってのは伝染病なの?」
敬語は不要と言われたので自然体な口調で問いかける。
「いや、鋼死病の発生には幾つかの可能性があるけど、少なくとも伝染病の類いじゃ無いんだ」
「幾つかの可能性………。因みに今回の大流行の原因は?」
「厄介な事に、それが全く分からない」
そう答えキリハは重々しく溜め息をついた。
「水源に毒でも紛れたかと調べたが問題無し。病をもたらす獣でも出現したかと思ったがそんなものは居ない。一番可能性があるとしたら呪いの類いだと思われるが、そんな事をされる覚えは妖精族には無い。今のところお手上げってわけだ」
「ふーん。………そう言えば、僕は何処へ案内されてるのかな?」
「ああ、族長が話しをしたいって言ってきたんだ。クレハも鱗を薬師達に届けたら合流するから」
「そっか」
その後、適当に雑談しながら歩くこと数分。キリハが一軒の家の前で立ち止まった。いや、家というよりは屋敷だ。他の建物よりも明らかに大きく立派だ。その背後には巨大な樹が一本聳え立っている。
「ここが我ら妖精族の長の家だ」
既に訪問の話が通って居るようで、キリハが彩飾の施された木製の扉を叩くと、扉は滑らかな動きで開き始めた。
「失礼します」
キリハは一言告げてから入室し、詩音も続いて扉を潜る。
と、屋敷に入ってすぐの所に二人の妖精が立っていた。
一人はローブのような服に身を包んだ男性。外見上の年は二十代前半くらいか。漆黒の髪と同じく黒の瞳をした線の細い中性的な容姿をしており、何処と無くキリハに似ている。
もう一人は黒いワンピースに似た服を身に付けた小柄な女性。パープルブラックの髪を長く伸ばしており、淡い小紫色の瞳を詩音とキリハに向けている。此方はクレハに似ている。
――――――もしかして、この人達って…………
「シオン、此方が妖精族族長とその奥様だ」
「初めまして、シオン殿。妖精族の長、アルト=フェイ=グレイスと申します」
自己紹介と共に差し出された右手を詩音が取ると、
「エイリス=ファン=グレイスです。娘が御世話になったそうで」
と女性の方も名乗った。
―――――あ、やっぱりクレハの両親か。って事は、クレハって結構やんごとなき身分の娘だったのか………
「御初に御目にかかります。キリサキ=シオンと申します。来訪荒々しく申し訳ありません」
――――――にしても、この人達。クレハの親にしては何か…………。ま、家庭事情は人それぞれか……
「幾らか伺いたい話もある。どうぞ中へ」
丁寧な対応に詩音が首肯した丁度その時、二度木製の扉が開き、クレハが帰宅した。
詩音とキリハと家族二人、四者四様の言葉に迎えられたクレハは「ただいま」と返す。
それと入れ変わる様にしてキリハは兵の指揮に戻ると言って族長夫婦とクレハに頭を下げてから館を後にした。
「丁度良かったわ。色々お話したいこともありますし、二階で皆でお茶にしましょ」
エイリスがそんな提案を上げる。
詩音はそれを了承し、グレイス一家の案内で屋敷の二階へと上がった。
案内された部屋には木製の椅子とテーブルが設けられており、詩音は促されて席についた。
エイリスがお茶の準備をすると言って、その奥にある厨房らしき場所へと向かうと、アルトが詩音に頭を下げた。
「シオン殿、此度の助力心より感謝する。更には鋼死病の治療に必要な物資の提供まで」
「どうか頭を上げて下さい。成り行きというものです。それと、私は敬称を付けられる様な者でもありませんので、どうかお止め下さい」
「いや、しかし………」
「その方が此方としても気が楽ですので。娘さんにもそうして貰ってますし」
僅かな沈考を挟み。
「分かった。そうさせて貰おう」
そうこうしているうちにエイリスがお茶の準備を終えて戻って来る。ハーブティーを飲みながら詩音は族長夫婦に、クレハ達と出会った大まかな経緯を説明した後で、詩音はクレハに問い掛けた。
「鋼死病の方はどうだった?」
「うん。薬師に渡したらシャルの鑑定通り、鋼死病を治すのに十分な物だって。直ぐにでも薬を作るって言ってたよ」
その言葉に族長夫妻も安堵の表情を浮かべた。
「そっか。他の皆は?」
「一度家に帰ったよ。まぁ、家って言っても里にいる間使ってる宿みたいな物だけど」
「なら取り敢えずはこれでクレハ達からの依頼は達成かな」
目的を達成し、この後はどうしようかと考える。人里を目指すというのが基本的な方針となるだろうが、それには色々とこの世界の事を知らなくてはならない。この里で少し情報を集める事が出来れば、後は《HL》システムの解説と照らし合わせて何とかなりそうだが………。
「依頼達成、か。ではシオン君。お礼、報酬の話に入ろう。我々は何を差し出せば良い?」
単刀直入。真っ直ぐに詩音を見詰めながらアルトは真剣な口調で問い掛けた。
対して詩音も、真っ直ぐに漆黒の瞳を見詰め返す。
「そうですね。では要求させて貰います。僕が貴方方から頂きたいのは情報です」
「情報?」
「近々、人間の居る街に向かおうと思っています。しかし、何分この辺りの事をよく知らないもので」
詩音が提示した請求に、アルトはほんの一瞬、有るか無いかの間を挟んでから口を開く。
「それは、随分と良心的な請求だね?」
「そうでしょうか?」
「ああ。君には二度里を救われた。ならばそれ相応の返礼をしなければ、此方としても面目が立たない」
「それならば問題は無いでしょう」
詩音の返答にアルトは僅かに片眉を上げた。
「結果的には、確かに私は、いえ、僕はこの里を救いました。けれど、その実やった事と言えば、ただ吠えて、血を少し提供しただけ。クレハ達をこの里まで送った手間を含めても、この辺りが妥当な請求です」
あくまでも対等な報酬だと返答する。
だが、当然それは建前だ。
詩音も自分の行動の結果と、それに対する要求が釣り合っていない事は理解している。
別に人助けのつもりで安い対価を要求した訳では無い。これは謂わば保険だ。詩音は、この世界では明らかな異物だ。
そもそも住む世界、存在するべき場所の違う者。
何がきっかけで、この世界の人間に排除の対象と見られる様になるか分からない。
そうなった場合、身を隠せる場所が必要になる。
現時点でこの里は唯一友好的な関係を築く事が出来る可能性のある場所。
今後の為に一つ二つ恩を売り付けておいた方がいいだろう。
実際詩音にはこれと言って損失は無い。
必要最低限の情報が手に入り、里に借を作れるとなれば十分な利益となる。
────まぁ、族長夫妻はこっちの狙いに気付いてるだろうけどね
カップから一口お茶を飲みながら、並んで座る長老夫妻をちらりと盗み見る。アルトは真剣な面持ちで、エイリス婦人は笑みを浮かべてそれぞれ沈黙している。
二人の沈黙は三十秒にも満たないものだった。
「分かった。我々ができる限りの情報を君に提示しよう」
微笑みながら、アルトはそう答えた。詩音の狙いを見破った上で了承したのだろう。
そのくらい出来なくては、持ち札にする価値は無い。
「ありがとうございます」
「難しい話は終わりね? クレハも疲れたでしょう。シオンさんのお部屋も用意出来てるから、皆ゆっくり休んでね」
詩音も笑みを浮かべて礼を返すと、エイリスが椅子から腰を上げて言った。その言葉に、詩音はこの世界に来てからまともな休息を取っていない事を思い出した。
「ありがとうございます。それではお言葉に」
その時だった。
りんごーん、りんごーんという鐘のような、否、警報のような音が鳴り響いた。
少し展開が急な気がする…………。