表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Tale:Dragon,tears    作者: 黒餡
二章 篇首拠点市街《ユリウス》〜異彩なる世界〜
64/120

61話 風切のジギル

 広間の奥は細く暗い廊下が続いていた。

 ヴィクターは慣れた手付きで布切れにギールを描く。《灯火(レイリス)》と言う意味を持つらしいその文字を刻まれた布切れは淡く優しい光を放ち、詩音とヴィクターの行く先を照らす。

 

「シオン、奴の行き先は把握してるな?」

「勿論」


 コクリと頷き詩音はギールの光を頼りに廊下を歩き始めた。その後ろにヴィクターが周囲に気を配りながら続く。

 廊下は一本道ではなく、時折横路や別れ道、扉に閉ざされた部屋などが視界に入るが、詩音はそれを無視して躊躇いなく奥へと進む。

 と、二人の眼前に扉が壊れ中の様子が見えている部屋が現れた。

 明らかな血と腐敗の匂いが鼻をつく。詩音とヴィクターは互いに顔を見合わせてから、その部屋を覗き込んだ。

 男の居る目的の場所ではないその室内の有り様を冷たい眼で視認する。

 そこは、廃棄場だった。道具も備品もないかつて何に使われていたかも分からない石の部屋。その中央に積み上げられているのは死体の山。かつて人だった物の塚。

 殆どが女子供。その全てが死んだ者ではなく殺された者達だった。

 詩音は床に転がる幼い少女の死体に歩み寄り、その傍らに膝を着いた。

 拷問と凌辱の後がありありと残る幾十の遺体。

 遺跡の前で見張りの者達が言っていた。『ガキどもで暇が潰せた』と。彼等彼女等はその《暇潰し》の被害者達である事は容易に予想できた。


「──俺もそれなりに場数はこなしてるつもりだがよぉ」


 立ったまま沈黙していたヴィクターが口を開き、詩音は顔を向ける。


「慣れていても、何度見ても、こう言うのは胸糞悪ぃな、やっぱり」


 そう語るヴィクターの声は変わらず平静だった。しかし、その瞳には確かな嫌悪と憎悪、そして憤りの光が宿っていた。

 術者の内心を反映してか、《灯火(レイリス)》の灯りが数度明滅する。


「気に入らない?」

「ああ、気に入らないな。あの野郎も他の賊共と同じように血祭りにしてやる」


 愛用の槍の石突きを床へと突き立てて応じるヴィクターを詩音は好意の眼で見上げてから「そうだね」と短く返して立ち上がる。


「行こう。もうすぐあいつに追い付く」

「ああ」


 二人はもう一度積み上げられた被害者達に目線をやってから部屋を後にした。


 ◆


 紅い刃が鞭の様にしなり、分厚い扉に叩きつけられた。

 数ミリと言う薄い板状に圧縮された高圧高密度の血の刃は、行く手を阻む扉を閂ごと容易く両断し、重々しい音を立てて部屋の内側へと倒れ込んだ。

 扉の破片を踏みつけ、ヴィクターと詩音は室内に踏み入る。

 薄暗く、先の広間にも劣らない広さを誇るその部屋の中には多くの巨大な鉄檻が転がっていた。檻の中には様々な動物や魔物が閉じ込められている。部外者の乱暴な侵入に驚いたのか、囚われた魔物達は口々に鳴き声や唸り声をあげる。


「驚いたな。どれもこれも見つけんのが手間な稀少種ばっかだ」


 檻の中に視線を向けながらヴィクターが呟く。


「人身売買だけじゃ満足出来ないみたいだね」

「こいつらも商品って訳か」


 そんなやり取りを交わしていた最中、唐突に二人は地面を強く蹴り大きく後方に飛び退いた。

 直後、今しがた二人が立っていた場所を鈍色の閃きが横切った。甲高い音が鳴り響き、一閃が通った軌道上にあった鉄檻が横一文字に切断されて崩れ落ちる。

 

「今のを躱すか」


 倒れた檻の向こうからそんな声が聞こえて来た。

 薄暗い闇の先に視線を向けると、そこには軽凱を身に纏った男が、余裕綽々と言った態度で仁王立ちしていた。


「よう。遅かったな。待ちくたびれたぜ」


 身の丈程の長剣を肩に担ぎ、男は二人に向けて言った。

 

「悪いね。ちょっと寄り道してたもので」

  

 飄々と返しながらも詩音は相手の一挙一動を見逃さない様に観察する。  

 隣のヴィクターも同じように警戒しながら身構えている。

 

「だがまあ、追いかけっこも此処までだ。大人しく投降しろ………つって大人しくする訳ねぇよな」

「まあな。その提案にゃ乗れねぇ。代わりと言っちゃなんだが、俺からも提案だ。お前等、俺と組まねぇか?」

「あん?」


 男の言葉にヴィクターは訝しげに眉を歪める。詩音の方は表情こそ変えはしないが、内心では男の発言に呆れていた。

 そんな各々の反応を無視し、男は続ける。


「お前達二人の実力は見せて貰った。素晴らしい事この上無い。冒険者なんて組織に管理された狗に甘んるなんて、勿体無ぇ。俺の下につけば、規則に縛られる事もなく自由にその力を使う事ができる。欲しい物を欲しいだけ手に入れる事ができる。どうだ?」


 あまりにも突拍子の無い提案だった。

 この場での双方の関係は、「敵同士」の一言につきる。

 そこから突然部下になれなどと、呆れ果てて戯言と笑う気すら起こらない。

 

「大胆不敵な心意気は、まあ嫌いじゃねぇが…………それは度が過ぎてるって物だな」


 鼻で笑いながら頭を振るヴィクターだが、その眼は一切笑っていない。

 寧ろより鋭さと殺気を増した刃の様な眼光で男を睨み付けている。

 

「そもそも、部下が戦ってるのに自分だけそそくさ逃げといて何言ってやがる」


 はっきりとした軽蔑の感情を込めての言葉。それに対して男は悪びれる様子もなく応じる。

 

「それは単純な損得の問題だ。あいつ等が全員殺られても、お前等を引き込めるのなら釣りが来る。…………が、どうやら良い返事は貰えねぇみたいだな。そっちの嬢ちゃんはどうだ? 今なら俺の女としてかなりの好待遇を約束するが」


 舐める様な視線を向けながら男が詩音に言った。

 その発言にヴィクターは更に殺気だった表情を浮かべて男を睥睨する。

 隣人のそんな変化に気付かなかったのか、詩音は男を見返しながら平時と変わらぬ様子で答えた。


「いや、この流れでそっちに行く訳ないでしょ」


 両者から拒絶された男は、眉を顰めて、大きく溜息を吐いた。


「交渉決裂か………」


 ぼやき、目に見えて落胆してから、男は顔を上げる。


「あ~あ、しょうがない。惜しいなぁ、勿体無ぇなぁ。勿体無ぇが、殺すか」


 そう呟いた瞬間、男の纏う雰囲気が一変した。

 どことなく弛緩していた空気は一挙に張りつめ、軽薄気だった男の気配は鋭い殺意を帯びる。

 対する詩音、ヴィクターの二人は針の様に突き立つ殺気を平然と受け止めて睨み返す。


「威勢がいいな。お前一人で俺たち二人を相手できると思ってんのか?」


 ヴィクターが問う。

 その言葉は侮りでは無く、事実男の戦闘能力では詩音、ヴィクターの両者を相手にするのは不可能だ。


「まさか。俺もそこまで自惚れていないさ」


 小さく頭を振る男に、詩音は少し不機嫌そうに言った。


「だから、この部屋に逃げたんでしょ?」


 詩音の発言に男はニヤリと口角を上げ、ついでパチンと指を鳴らした。

 それが術式起動の合図だったらしく、部屋の壁に掛けられた魔術ランプに続々と灯りが灯り薄暗い部屋の様子を照らし出し、突然の明暗の変化に檻の中の魔物達が騒ぎ出す。

 そして、


「───っち。つくづく汚ねぇ野郎だな」


 明るくなった部屋を見てヴィクターは憎々し気にぼやいた。

 男の背後。

 部屋の最奥の壁際。

 そこには鎖と枷に拘束された数人の少女の姿があった。

 数は三人。年齢は十歳程度か。

 全員服とは呼べない様なボロボロの布切れを腰と胸元に巻いており、口元を布で塞がれて泣きじゃくっている。


「いやいや、人質は妥当な手だと思うぜ。あいつ等の鎖には炎属性術式が組み込まれている。俺が術式を起動させれば、奴らは火だるまって寸法よ」


 そう言う男にヴィクターは再び舌打ちをし、詩音も厄介気に表情を曇らせる。

 確かに、実力的に上の相手に対して人質或いは物質(ものぢち)という手段は有効である。


「さてと、種明かしは済んだ事だし、さっさと死んでもらうぜ。ああ、嬢ちゃんは殺さないから安心しな。後でたっぷり躾てやるからよ」


 下品な胴回声で笑いながら、男は右手の長剣を掲げる。

 身の丈にも迫る長大な刃。

 男と詩音達との距離は凡そ六メートル。いかに長剣と言えど剣の間合いには些か遠い。

 にも関わらず、男は余裕の表情を浮かべて剣を振る。

 瞬間、男の手元から鈍色の閃きが伸びた。

 走る鈍線は横一文字にヴィクターと詩音に襲い掛かる。

 対応は、ヴィクターと詩音で違っていた。

 ヴィクターは後方へ素早く飛び退く事で閃の軌道から逃れ、一方の詩音は右手が霞むほどの速さで腰の鞘から雪姫を抜き放ち迫る鈍線を純白の刃で迎えうった。

 甲高い金属音と共に虚空で火花が飛び散る。

 そして、雪姫の刀身に打ち弾かれた事で、鈍線の正体が判明した。

 それは奇抜な武器だった。

 幾つもの楔形の刃節が太い鉄線で繋がれており、その根元は男の持つ剣の柄に繋がっている。


「蛇腹剣ってやつか」

  

 奇っ怪な構造の武器を見て、詩音は呟く。

 《蛇腹剣》。鞭と剣、二つの武器の性質を合わせ持った複合武装は蛇の様に空中で身をくねりながら男の手元まで引き寄せられ、再び長剣の形を取る。


「ほう、良く防いだな」


 言いながらも男の表情から余裕の笑みは消えない。

 その様子を見て、詩音の後方でヴィクターが呟いた。


「その武器……。そうか、お前が《風切りのジギル》か」

「ヴィクター、あいつの事知ってるの?」

「ああ、直接顔見たのは初めてだがな。元水晶級(クリスタルランク)だが、その実力は金剛級(アダマス)相当と言われる冒険者上がりだ」


 ヴィクターの解説を男、ジギルは哄笑と共に肯定する。


「ハッハッ、俺の名もまだ廃れちゃいねぇか」

「強奪と殺人を繰り返して組合から追放されてからめっきり表に出て来なくなったらしいが、人浚いに鞍替えしてやがった訳か」

「ああ、こっちの方が性に合ってたみたいでな。殺して奪う。犯して殺す。組合に縛られる冒険者なんかよりも遥かに自由に生きていける。────どうよ、これが最後だ。お前等も此方に来ねぇか?」

「断る」

「ちょっとしつこいよ」


 再三におよぶ勧誘を二人は各々の言葉で跳ね除ける。

 と、ジギルは今一度大きく溜息をこぼす。


「本当に、世の中思うようにいかねぇなぁ」


 ぼやきながら、ジギルは剣の柄を振るう。

 腕の動きを伝達して刀身は刃節毎に分離し、風切り音を鳴らして投げ縄の様に振り回される鋼の鞭。

 遠心力により加速される刀身は最早人間の動体視力で捉えられる限界を超えている。

 

「なるほど、《風切り》って渾名はそれが由来か」


 その光景を見てヴィクターは納得の声を溢す。


「ああ、俺の剣の軌道を目で追う事はできねぇ。さっきは初撃で加速が足りなかったが、次はそう上手くはいかねぇぞ」


 その言葉と共に再び刃の鞭が振るわれる。

 確かに、その速度は先の一撃の比ではない。

 鉄色の斬撃はとうに視認不可能な領域に達している。

 その速力から生み出される破壊力は、先程鉄檻を容易く両断して見せた通り。

 詩音の物理耐性すら貫通し得る物だ。

 刃の鞭がヴィクターと詩音、両者を薙ぎ払う様に襲い掛かる。

 二人は迫る刃を跳躍して躱すが、回避した矢先に鉄鞭は詩音へと再び襲い掛かる。

 ジギルは標的を詩音一人に絞ったらしく、連続で蛇腹剣を振り回す。唸り迫る鉄色の鞭を、詩音はギリギリで回避する。


「はっは! 躱すなぁ! だが、俺の剣は振れば振る程速くなる! 何時まで逃げられるかな!」


 舌を出し、(けだもの)が如き表情でジギルはせせら笑う。

 その言葉通り、鉄の鞭は躱す度に空振りを新たな加速として、勢いを増す。


「野郎っ!」


 幾度と振られる鞭撃の外でヴィクターが毒吐きながら、詩音を助けようと走り出そうとした。

 だが、飛び込む寸前でヴィクターはふと気が付いた。

 詩音は、振るわれる鞭撃の悉く躱している。

 その全てが紙一重の回避ではあるが、それでも確実に刃を避けていた。  

 振り回す毎に加速するジギルの鉄鞭は、先端部で言えば音速すら越える速度だと言うのに。


「まさか、見えて………」


 縦横無尽に飛び交う刃の先端は、ヴィクターの超人的な動体視力を以てしても残像を追うのがやっとである。

 しかし、詩音はそんな超音速の鞭打を見切り、対応している。

 何故か。

 それは詩音が飛び交う刃ではなく、その刃を操るジギルの手元を見ているからだ。

 刃は目では追えない。

 しかし、どれ程高速で振り回されていようと、その軌道は操る者の手の誘導に依存している。

 故に、注視すべきは刃ではなく手元。

 柄を握るジギルの手は、刃節の動きを雄弁に語ってくれる。

 加えて詩音は、《思考観測(アブソリュー)・未来擬視(・ヴィジョン)》によってジギルの思考パターンを看破し、次の挙動を《未来視》する事でより高精度の軌道予測を可能にしていた。

 

「このっ! なんで避けれる! くそっ!」


 十二分に加速された刃が避けられる事は予想外だったらしく、ジギルは焦りと驚愕の表情を浮かべながら叫び、更に蛇腹の剣を振り回す。

 殺さないという先の発言は、撤回したと思っていいだろう。

 そして、 


「おらあっ!!!」


 叫びと共に刃が奔る。

 その速度は、今までの鞭斬の中でも最速。

 鉄、岩、軌道上にある物は例外なく切り裂く絶断の一刀。

 鉄柱をも切り裂く不可視の斬撃。

 そんな一撃を前に詩音は、


「鈍い」


 そう、小さく呟いた。

 次の瞬間、


「―――嘘…だろ…」


 信じられないと言う様に、ジギルは呟いた。

 まるで化け物でも見たかの様に顔中に油汗を浮かべ、両の目は眼前の光景に限界まで見開かれている。


「おいおい……冗談だろ」


 同じくその光景を目の当たりにしたヴィクターも、引き攣り気味の乾いた笑みを浮かべて零す。

 不可視だった筈の鉄鞭は、絶え間なく駆動していたその身を停止させ、幾つもの刃節と鉄線によって構成されたその姿を晒している。

 その先端。音速すら凌駕していた切先は、詩音の左手に捕らえられていた。


「あり、えねぇ……」


 ジギルの言葉は尤もだった。

 超音速で暴れまわる刃の鞭、それも最も高速化する最先端を素手で掴み止めるなど、正気の沙汰ではない。

 

「どんなに速くても、軌道が分かっていれば避けれるし、使い手が悪ければこうして止めることもできるよ」


 その声は、奇跡の如き荒業をなした化け物が言い放ったとは思えない程に素っ気なかった。

 次いで、


「なっ!!」


 掴まれた切先からジギルの手元に向かって蒼い光が奔った。直後に甲高い破裂音と共に、ジギルの蛇腹剣が爆散する。

 詩音は切先を掴む左手で《拍幅魔導(アラドヴァル)》を発動し、高周波の魔力を送り込んだのだ。

 指向性を持って発せられた高周波高濃度魔力は蛇腹剣の刀身を破壊しながら伝導し、爆散した破片と魔力の余波はジギルの右腕を盛大に殺傷した。

 裂け千切れた肉の隙間からぼたぼたと赤黒い血液が滴り落ちる。


「づっ……グッ」


 苦悶の叫びを無理矢理に飲み込む様に唸りながらジギルは左手で右腕を抑える。

 傷の深さは見掛け以上だろう。

 何せ拍輻魔導は対象の内部組織へと浸透する。

 ジギルの右腕は、筋は千切れ、肉は焼け焦げ、使い物にならず、ただただ激痛だけを与えている。

 だが、それでも。


「っクソがっ!」


 ジギルは血液を垂れ流しながらも忌々し気に詩音とヴィクターを睨み付け、次いで一番近い位置にいた栗色の髪の少女に駆け寄って左手を伸ばした。

 

「っっ……動くんじゃねぇぞっ」


 声を上げ、ジギルは片手で少女の身を抱え込むと空いたもう片方の手を腰の後ろに回した。引き抜かれたそれは、金属製の銃身(バレル)と木製のグリップを持ったフリントロックピストル。片手用のその武器の銃口を少女の頭に押し付けて詩音とヴィクターを牽制する。


「その腕で良くやるねぇ。やっぱり、さっきの奴と同じでクスリで痛覚トばしてたか」


 少女の側頭部に当てられたフロントロックは、詩音の持つ(AS 50)に比べるとあまりにも単純で幼稚な構造の物だが、それでも込められた鉛玉に人一人を殺すのに十分過ぎる程の殺傷力を与えるだけの力を持つ。

 ダメージからして、少女等の枷に掛けられた魔術を起動させるだけの魔力は編めないだろうが、面倒な事態である事に代わり無い。

 ヴィクターも舌打ちをこぼす中、ジギルが再び口を開いた。


「少しでも動いてみろ。このガキの頭に風穴があくぞっ!」


 よほど御立腹なのか、或いは叫んでいななければ意識を保っていられないのか。

 ジギルは荒い息のまま怒声じみた声を飛ばす。


「やだ……やめ……」


 銃を突き付けられた少女は、恐怖でライトブラウンの瞳から涙を溢しながら、怯え切った表情でか細く声を漏らす。

 

「ちっ………おい、いいのか? 痛みが無ぇとは言え、その傷と出血じゃあ早いとこ治療しねぇと死ぬぞ?」


 なんとかジギルから少女を引き剥がそうとヴィクターが問いかける。

 しかし、やはりと言うかジギルは人質を手放さない。


「ああ……っ……すぐにでも回復薬(ポーション)を飲むさ。此処からおさらばしたら直ぐになぁ……。おら! お前ら両方共武器捨てろ!」


 恐らく、通常の回復薬では完全に治癒しきらないだろうが、今はそんな事関係無い。ジギルは銃口を更に強く少女に押し付け、従わなければ撃つと脅しを掛ける。

 

「ちっ………つくづく腐った野郎だな、手前ぇ」


 怒りの感情を隠しもせずにヴィクターは毒づき、右手の愛槍を手放した。血の魔槍が硬い音を立てて石畳の上に転がる。


「おら女餓鬼(メスガキ)っ! お前も早く剣を捨てろ!」

 

 怒声が飛ぶ。

 ジギルは鬼の様な形相で睨み付けながら詩音を急かす。その表情に、当初の余裕さは皆無である。

 その様を一瞥してから、詩音は視線をジギルの腕の中で泣きじゃくる少女に移して口を開いた。


「お嬢ちゃん、名前は?」

「え……?」


 唐突な質問に少女は声を漏らした。

 意味が分からないのはジギルも同じな様で、


「何を、言ってやがる! 早く武器を捨てねぇか!」


 と苛立たしげに声を荒げる。しかし詩音は、そんな言葉には一切耳を貸さずに、捕らえられた少女に問いかける。


「君はなんて名前なのかな? 言えるかい?」


 二度問いかけるその声はこの緊迫した状況には不似合いな優しく落ち着いた声音。


「手前ぇ、聞こえねぇのか! 早くしねぇと本当にこのガキの頭ふっ飛ばすぞ!」


 それが尚の事気に喰わなかったのか、再びジギルが吠える。が、その怒声に混じる様に、


「マ…マ…エラ」


 ボソリと少女は震えた声で名乗った。

 「マエラ」。

 その名を聞いた瞬間詩音は「そっか。君がマエラか」と納得した様に呟いてから視線をジギルに戻した。

 そして、ゆらりと雪姫の鋒を起こし、その柄から手を離した。それを見たジギルの口角が上がる。

 支えを失い、白き神刀は重力に従って落下する。

 そして─────

 詩音は、地面に落ちる直前でその柄尻を脚で蹴った。

 

「ッ!?」


 蹴り飛ばされた雪姫はジギルへと真っ直ぐに飛翔し、その左足を鋭利極まる刃で貫いた。

 ジギルの身体が大きくよろめき、その腕から少女が解放される。

 純白の竜刀は肉を斬り、骨を断って、ジギルの脚から身を支える力を剥奪した。

 そして───


「ッラア!」


 気合いの声と共に赤い軌跡がジギルへと走る。

 人質を手放した瞬間に、ヴィクターが足元の魔槍を拾い上げ、ジギルの横腹に叩き込んだのだ。

 鈍い音がなり、ジギルの身体は右側の壁に激突して、そのままずるずると床へと崩れ落ちる。強烈な槍打はジギルの内臓を盛大に破壊した。


「大丈夫かい?」


 詩音は少女、マエラに微笑みながら手を差しのべる。

 マエラは一瞬何があったのか分からないと言った表情をしていたが、すぐに自分が助かった事を理解したらしく、再びポロポロと涙を溢しながら手を取る。


「よく頑張ったね。怖かっただろう」


 言葉を掛けながら詩音は外套(コート)を脱ぎ、マエラに羽織らせる。

 そして、手足の拘束具を指先から発した拍輻魔導で破壊した。

 残る子供の方に目をやると、ヴィクターも二人の拘束具を破壊していた。二人共、助かったと言う安心感で泣きじゃくりながらヴィクターに飛び付き、ヴィクターもそんな子供達に「もう大丈夫だ」と声を掛けて頭を撫でる。

 それを確認してから詩音はマエラに話し掛ける。


「シエラから君の事を頼まれていたんだ」

「お姉ちゃんから……?」

「うん。シエラも無事だよ。君が帰ってくるのを待ってる」   


 姉の無事を聞いて尚更安心したのか、マエラは漸く「よかったぁ」と笑顔を浮かべた。

 その背後で───


「ぐ……くそ……」


 吐血と共に悪態を吐きながら、ジギルが身動きする。震える腕を上げて、その手に握る銃の照準を詩音へと向ける。

 

「───、野郎!」


 それに気付いたヴィクターが罵声と共に動き出す。が、一歩目を踏み出すより先に───

 淡青の軌跡を描きながら飛翔した何かがジギルの腕を銃ごと貫き、壁に張り付けにした。

 飛来したそれは氷の剣。なれば投擲者は語るに及ばず。


「ヴィクター、この子達お願い」


 そう言って詩音はジギルの方へと歩み寄る

 その様子を見てヴィクターは察したらしく、マエラを含めた三人を物陰へと移らせる。

 

「あんたも往生際が悪いね」

「グッ」


 脚を貫いた雪姫を乱暴に引き抜きながら、詩音は冷え切った眼でジギルを見下ろす。それを見てジギルは、心底憎々しげな表情を浮かべた。


「へへ……その目……。そうかい。嬢ちゃん……はなっから冒険者なんかじゃ……なくって……俺等側の人間だったのかよ……」 

「ああ、そうさ。僕は君たちと同類だ。だから、誰とも知らない赤の他人が人質になろうがどうでもいいし、人質を取る奴を軽蔑しもしない。────でも」


 ゆっくりと竜剣を振り上げる。


「子供が泣いているのを見せられるのは─────不愉快だ」

 

 言葉と共に刃が落ちる。

 振り下ろされた氷刃は既に風前の灯火であったジギルの命を刈り取った。


「さようなら、《風切りのジギル》。恨むなとは、言わないよ」


  ◆


「よう。終わったか」

「うん」


 事を終えた詩音をヴィクターが出迎える。

 その表情に蔑みや軽蔑はなく、同じように称賛も肯定もない。


「マエラ達は?」

「部屋の隅に押し込んだ。ガキには見せない方がいいからな」

「そうだね。ありがとう……ッ!」


 唐突に、詩音は何かを感じとり背後、ジギルの亡骸の方を振り返った。ヴィクターもそれに続き視線を向ける。

 めきり、と死体の身体が軋む。内部から圧倒的な圧力を受けたかのように肉が膨れ上がり、骨と臓物が潰れる音が響く。

 そして、肉を透かし、内部から魔力光らしき光が見えたかと思うとその血肉が破裂した。

 細分化された血肉の霧と土埃、そして魔力の残留らしき煙が広がる。

 

「なんだ………」


 得体の知れない現象にヴィクターが呟いた時、

 

「がっあ……!?」


 突然、詩音がヴィクターの身体を思い切り蹴った。

 「何をする!?」。

 蹴り飛ばされながらそう思った直後、


「!?」


 広がった煙の中から飛来した巨大な炎球が詩音を呑み込む光景が、ヴィクターの視界に映った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ