60話 追跡
「ふぅ……。こんな物かな」
そう溢した詩音の周囲には数十の盗賊達が力無く倒れている。
死屍累々と言った様子で手足等、身体の一部を欠損した者も多いが死人は一人もいない。全員気絶しているだけだ。
尤も、意識を取り戻したところで、その身体は今後普通の日常生活すら送れないレベルにまで破壊されている。
ある意味、死ぬよりもダメージは大きいだろう。
そんな盗賊達に一切の同情の念を抱く事も無く、詩音は雪姫の刀身にまとわり着いた血を振り払った。
と、その時。
硬質な物同士がぶつかり合う音がして詩音は視線をそちらに移す。
向けた先では赤い槍兵と巨体の男が対峙していた。その周りには詩音の周囲と同様に数多の賊共が転がっている。全員意識は無い様に見える。
ヴィクターと向かい合うその巨漢は、先の短剣使いと同じく頭の隣に控えていた者である。
男の身長は2mを越える。
1m80は下らないヴィクターを更に上から見下ろせるその大男の手の身体は縄のような盛り上がった筋肉で覆われており、その手には巨大な鉈のような形状の蛮刀が握られている。
一瞬、援護に入ろうかと考えた詩音だったが、直ぐにやめた方がいいと思い至った。
一日二日の付き合いだが、ヴィクターという人間の人となりはある程度理解している。
多対一での戦闘ならば兎も角、個人同士の戦いに邪魔が入る事を彼は良しとしない。
それは戦士のプライドや誇りなどと言った高尚な物ではない。
彼は、例えるならば獣だ。戦いという獲物に餓えた一匹の野獣。
己の獲物は他者には譲らず、一方で餓えを満たす為ならば時には他者の獲物にさえ手を出す。道理や常識よりも己の本能と矜持を優先する戦士。
その牙は邪魔立てするならば味方にさえ向けられるかもしれない。
故に援護は出来ない。否、してはならないのだ。
詩音がそう方針を固めた直後────
甲高い音と共に戦闘が再開された。
◆
蛮刀と血槍。二つの凶器が交錯する。
素っ首を跳ね飛ばさんと繰り出される蛮刀を赤い軌跡が弾き返し、反撃の槍術を繰り出す。
そこに一切の情は無く、欠片程の容赦もない。
「──っぐ!」
巨体が退く。
ヴィクターの放つ朱槍は一撃毎に大男の間合いを侵食し、一歩一歩前に出る。
体格は勿論、恐らく筋力でヴィクターを上回るであろう大男が押し負け、後退して行くと言う事実。
踏み込み、加速、重心操作。そして長大な槍によって生み出される遠心力。あらゆる運動エネルギーを統合して放たれるヴィクターの攻撃は、単純な筋力差など容易く覆す。
残像すら霞む打突が男の守りを崩す。
「ぐっ!」
二度目の男の苦悶。
野生動物の如き強靭さと靭やかさを備えた五体から放たれる槍術は最早男の目では追う事が敵わなくなっており、必然男は己の全能力を防御に回す事になる。
だが、その全霊の守りすら血に餓えた魔槍と餓獣には通用しない。
突き出される穂先。その軌道に脊髄反射に任せて大男は蛮刀を翳す。男の技量か、はたまた幸運か、蛮刀はギリギリで槍の軌道上に踊り出た。
しかし、次の瞬間。
「がっ!」
赤い刃が男の左肩を貫いた。
既に数多の賊を屠り、その血を吸い上げた魔槍の刃は肉厚の蛮刀を容易く突き砕き、男の肉を穿ったのだ。
「終わりだ。とっとと降参しな」
男の肩から朱槍を引き抜きながら、ヴィクターは言い放った。
勝負はついた。
もう男に勝ち目はない。これ以上戦う意味も必要もありはしない。
しかし、男は武器を捨てはしなかった。
雄叫びと共に砕かれた蛮刀を振り上げ、眼下の槍兵へと飛び掛かった。
「たわけが………」
呆れた様に、飽きた様にヴィクターの口から罵倒が溢れる。
次の瞬間、赤い軌跡が走った。
振り降ろされる右腕の目掛けて振り払われる魔槍。その穂先に一瞬光が灯る。それは吸血の魔槍に血と共に蓄えられた魔力の光。
次いで、光を宿した穂先が伸び、蛇の様に撓る。延長された刃を形成するのは魔力によって操られる血液。
《血喰いの槍》。吸血の魔槍。その能力は血液と言う高濃度の魔力媒体を蓄えるだけではない。喰らい蓄えた血は持ち主であるヴィクターの魔力操作によって自在にその形、濃度、硬度を変化させる。
ヴィクターの技量により高速で振るわれた高濃度の血液で形成された刃は槍の撓りと遠心力をも破壊力へと変換し、絶大な運動エネルギーを内包したギロチンへと変化する。
その切れ味は鉄すら容易く両断して見せる絶対切断の刃。
必断の一撃は当然の様に、男の丸太の様な腕を根元から容易く切り飛ばした。
更にヴィクターは鞭の如き撓りを見せる刃を返し、同じように男の両足を切断しその戦闘能力を奪い去った。
高速で三肢を払われた男の身体が前屈みに倒れる。その表情は何が起きたのか理解出来ていない様子。
切断した刃があまりにも速く、鋭利であったが為に未だに男の脳は欠損による痛みを認識出来ていなかった。
そんな男の頭をヴィクターは槍の柄で払った。
鈍い音が響く。その一撃で、男は意識を失った。
「───さてと」
一度、失神した大男を見下ろしてから、ヴィクターは踵を返して詩音の方に振り返った。
「なんでぇ、ずっと見てたのかよ。先におっ始めてても良かったってのに」
「いやぁ、始め様にもお頭さん、僕らが暴れてる間にとっとと離脱しちゃってたから」
「なにぃ?」
詩音のその言葉にヴィクターは声を上げて広間の奥に目をやった。
そこには既に空となった玉座が存在しており、例の軽凱の男の姿はなかった。
それを確認するとヴィクターはため息を一つ吐き、じとっとした目線を詩音に送る。
「気付いてたなら何で止めなかったんだよ?」
その質問に詩音は苦笑と共に「ごめん」と小さく謝罪をしてから言った。
「この奥は行き止まりで外には出れないみたいだから、ヴィクターが終わるの待って二人で追い詰めた方が楽で確実だと思って。奥は少し厄介なのもあるみたいだし」
説明にヴィクターが軽く唸りながら「それならまあ、仕方ねぇか……」と納得の言葉を溢す。
「んじゃ、さっさと取っ捕まえて終わらせるとするか」
「賛成ー」
詩音は短く賛同してヴィクターの隣について広間の奥へと向かった。




