59話 グリズリー・ハング
赤と白が刺すような殺気を挟んで賊と対峙する。
百近い敵を前にして、二人には一切の気負いは見られない。
「敵、か。俺達を野盗大隊 《グリズリー・ハング》と知っての言葉か?」
「勿論。というか、そうであって貰わないと困るよ」
ひょいと肩をすくめ、詩音は飄々と応える。
それを侮りと捉えたか、玉座に座する賊の長は不機嫌そうに鼻を鳴らして目下の賊共に命令を下した。
「男の方は殺して身ぐるみ剥いじまえ。だが女は生かして捕らえろ。極上の代物だ。あれなら俺等が楽しんだ後でも高く売れる」
指示を受け、賊は一斉に吠えた。
武器を構え、暴力に酔い切った目で二人を睨み付ける。
「おーおー、血の気の多い事で」
血色に染まった槍を構えながらヴィクターは何時もの調子で口走る。
「しくじるなよシオン」
「まあ、殺す気で頑張るさ」
同じく平時と変わらない声音で応じ、詩音も雪姫の柄に手を添えた。
「殺っちまえっ!」
誰が吠えたか。
開戦の合図を受け、盗賊達は一斉に二人に走り出した。
◆
先に動いたのはヴィクターの方だった。
朱槍を構え、体勢を落とし、迫る賊共を迎撃せんと突進の為の最初の一歩を踏み出した。
一方で詩音は、その時点では一歩たりとも動いてはいなかった。
その代わり、瞬き一回にも満たないほんの刹那、ゆらりとその身体をたゆませ───────
次の瞬間、
「───!?」
ヴィクターの視界に映ったのは、自らの前を行く詩音の姿と横に疾る銀の閃。そして、宙を舞う赤い飛沫だった。
詩音が振るった白刀《雪姫》。その刃が迫り来る敵の一団、その前列にいた数人の身体を一太刀で纏めて斬り裂いたのだ。
───速いっ!
崩れ落ちる賊達を見ながら、ヴィクターはただただそう思った。
一体何時追い越されたのか。事の一切が見えなかった。
間違いなく、ヴィクターの方が先に動き始めた。間違いなくヴィクターの方が武器の間合いが広い。
だと言うのに、先に敵を間合いに捉えたのは詩音の剣。敵を屠ったのは詩音の一刀。
一歩速く動き出した筈のヴィクターを、詩音は数歩追い越して敵陣へと斬り込んだと言う結果。
超加速とも言える瞬発力の発揮。
それを可能とした要素は二つある。
一つは《脱力》。
瞬発力は《脱力》と《緊張》の落差が激しい程、速力を生み出すというのはよく知られた話である。
弛緩と硬直。この二つの振り幅こそが速さの要。
しかし、《脱力》する。力を抜くというのは、口で言う程簡単な事ではない。
何故なら、人間とは常に力んでいるからである。
それは、意識できる筋肉の強張りだけの事では無く、本人も認識出来ていない様な無意識の領域の話。
いかに力を緩め、精神を落ち着かせても、それで取り除けるのは表面的な《意識内の力み》のみ。
肉体の奥深くに根付く無意識の緊張はそう簡単には取り払えない。
そして、それ等は筋肉の力を無駄に消費し、他の筋肉や関節への力の伝達を妨げてしまう。
だが詩音は、持ち前の人並み外れた肉体制御能力を駆使し、認識下の力みと共に身体の奥深くにある無意識下の強張りをも取り除き、自らの筋肉の硬直を限りなく《0》に近い状態へと引き下げたのだ。
そして、二つ目の要素は《歩法》
詩音は、脱力により身体を撓ませた直後、《踵》から走り出した。
それは、日本の古武術などで時折見られる身体操作術。
脱力による重心の落下により発生した下への加速を、踵で前方向の加速へと変換。
それと共に筋肉の力により、肉体を加速させる事で、一歩目から最高速に至るまでの超加速を実現させる。
だが、理屈で言われても早々出来る事ではない。
脱力させる最適な筋肉の選定と操作
落下を前進への加速へと変える肉体の制御。
変換した落下加速を一切損なう事なく、更に筋肉による加速を上乗せする。
理論への理解、身体操作、タイミング。
加えて、前述の無意識下レベルでの力みを排除する《脱力》。
どれを取っても常人には先ず出来ない、才能ある者が長い歳月を掛けて漸く手に入れられるかどうかという代物だ。
そんな領域の技術群によって生み出される爆発力は正に、目にも止まらぬ速さである。
突然の間合いへの侵入と仲間が一太刀で複数人斬り伏せられた事実に、思わず盗賊達は怯み、進行を止める。
直後。
槍兵が、魔槍を薙いだ。
踏み込みの加速と鍛え上げられた技量によって放たれた横一文字の槍撃が、たたらを踏む賊を薙ぎ倒した。
「ちっ。初手は取られたか」
「じゃあ数で挽回してみたら」
背中を合わせ、悔しげに口走るヴィクターに詩音は悪戯っぽく言い返す。
と、ヴィクターは「ああ、そうするよ」と呟きながら槍を構え直す。同じく詩音も雪姫の鋒を賊達に向ける。
二人の殺気に呑まれたのか、数で遥かに勝る《グリズリー・ハング》の団員達は揃って一歩二歩と後ずさった。
その瞬間。
両者は同時に床を蹴った。
二手に散開し、紅の槍兵と白い殺人者は集約した敵陣へと疾走する。
ヴィクターの《血喰らいの魔槍》が固有の能力かその穂先に血の刃を纏い様々な形へと変化させながら賊共を穿ち、蹂躙する。
一方で詩音は、《魔眼》によって導き出される予測の未来視、《観識・先視の魔眼》を用いて数多の敵の動きを完全に読み切り、次々と敵を斬り捨てていく。
幾重にも殺到する刃の尽くを掻い潜り、賊の得物までも利用して戦う詩音の姿は、血飛沫の下であっても尚流麗で美しい。
そして、竜鱗刀《雪姫》が振るわれる度、盗賊達はそのあまりの剣速に防御すらできずに斬り伏せられていく。
時折、運良く防御が間に合った者も居たが、結果は同じだった。
最高位の竜の鱗より造り出された神器《雪姫》。その刃を前に賊共の粗雑な剣など一瞬の拮抗も許されずに両断され、武器事その身を斬り裂かれていく。雪姫と詩音の技量を持ってすれば、鍛え上げられた鋼鉄も紙切れ同然なのだ。
賊の中にはその姿に見惚れる者すら居た。
「なんだよこの女!? 全身に目でもあんのか!!」
死角からの攻撃をいとも容易く見切る詩音に、誰かがそんな叫びを溢した。
数十倍の数の敵を相手取りながらも、二人は圧倒的だった。
不意に、吼える賊の列を飛び越えて幾本かの光が詩音に向かって飛来する。それは集団の外縁で他の団員を援護している魔法使いの一団が放った攻撃魔法の光。
色とりどりの光を放ち、弧を描いて飛来するそれ等は高速ではあるが、決して回避出来ない物ではない。だと言うのに、詩音はその爆撃を避けようとはしなかった。
閃光と爆音、そして炎熱が詩音を包み込む。
「殺ったか?」
「これで死なねぇ訳がねぇよ………」
燃え上がる炎を眺めながら団員達は殺すなと命じられていた事も忘れて次々と喚く。殺さずに捕らえるなど不可能。殺さなければ此方が殺される。全員がそう確信していた。
故に、その光景を目にした瞬間、全員が揃って息を飲んだ。
舞い上がる粉塵と揺らめく炎の中から純白の矮躯が悠々と姿を現す。
十近い攻撃魔法の直撃を受けて尚、詩音は無傷だった。
《白竜の加護》、そして《竜凱》。
詩音に宿りし破格の加護。
この二つの前にはBランク以下のあらゆる魔法、魔術は無効となりる。
故に、魔力を用いた攻撃で詩音を傷付ける事は困難である。
雪姫を振り、まとわりつく土埃を振り払いながら、詩音は平然と歩み寄る。
眼前の事実に賊達は愕然とした表情で掠れた声を溢す。
「うそだろ………」
「無茶苦茶じゃねぇか……」
絶望が蔓延する。
眼前の脅威に盗賊達は底知れない恐怖を抱く。
そして、恐怖は判断力と反応を鈍らせる。愚鈍の集まりと化した団員達に詩音は一息に詰め寄ると瞬く間に手足を斬り戦闘能力を奪っていく。
と、乱戦の中、敵を斬り伏せる詩音に飛来する存在が在った。鈍色の光を反射しながら飛んでくるそれは六本の短剣。
詩音は眼前で曲刀を振り上げる男の胸倉をつかむと、その身体を引き寄せて飛来する短剣の前に突きだした。
鈍いを音上げて六本の刃が深々と盾の肉に突き立つ。
絶命した男を放り捨てると詩音は凶器の投擲者に視界を向けた。襤褸布の様な外套を纏い顔の右半分を髑髏を模した仮面で覆った小柄な男。
全身に幾本もの短剣を納めた革のベルトを巻きつけたその者は、突撃前に頭の側に居た側近の片割れである。
「きシ……キしシ……」
半面の髑髏は大振りの短剣を両手に切れ切れの奇笑を溢す。
「なんか、盗賊ですら無さ気なのがでてきたなぁ」
「きシ……俺、盗賊、チガウ」
「え、違うの?」
「俺、盗賊チガウ…。俺、人殺シ!!」
叫び、髑髏は狂喜の表情を浮かべて短剣を掲げる。
振るわれる二刀は他の団員達とは比べ物にならない程に鋭い。
喉と心臓。急所を狙って放たれる突きと払い。詩音はそれを後退して回避する。と、逃がさないとばかりに、男は両手の四本の短剣を投擲した。
四肢を潰す軌道で放たれた二対の投剣。それを二筋の銀閃が阻む。
雪姫によって弾かれた短剣は詩音の周囲を取り巻く賊群の額や胸を深々と穿ち、その生命活動を停止させる。
だが、髑髏の短剣使いは投擲を防がれ、その投擲で味方が死んだ事など気にした様子も無く狂った叫びを上げて詩音へと飛び掛かる。
他の賊に比べて的確に人体の急所を狙ってくる男の攻撃。明らかに他より人を殺す事に馴れている。
それを躱しながら詩音は呟いた。
「あぁ、同類か」
そして、突き出された左手の短剣を僅かに身を逸らして避けると雪姫の一振りでその剣を握る左手を手首から斬り飛ばした。
短剣を握り締めたままの手が、血を撒き散らしながら宙を舞う。
しかし、
「キシャァアっ!」
四肢の一部を欠損しながら、男は止まらなかった。血液を迸らせながら、残った右手で短剣を突きだす。
迫る刃。詩音は男の手首を容易く掴み取りその一撃を阻んだ。
「ああ、クスリで痛感トんでるのか」
片手を失いながらも止まらない男を見て詩音は呟く。
「お前……チガウ………冒険者、チガウ」
傷口を痙攣させながら、男は掠れた声を溢す。
「いや、一応組合の認可受けてるけど。カード見せようか?」
「チガウ……お前冒険者ナンカじゃ、無イ。もっと……暗イ、何カ」
そう告げる男の血走った眼の奥に、幾つかの小さな感情が宿るのが見えた。
それは恐怖と狂気と、そして憧憬……。
本人は自覚していない様だが、少なくとも詩音にはそれ等の物が見て取れた。
「ああ、まあ、当たらずとも遠からず、ってところかな」
そう、苦笑と共に詩音は告げる。
すると男は、今度は不思議そうに首を傾げた。
「オ前、オレノ仲間、殺シタ。沢山、殺シタ。ナノニ……何故ダ?」
「ん?」
「イッパイ殺シタノニ………何故、オ前ハ、何モ感ジテ無イ?」
一瞬、詩音の手が緩んだ。
その一瞬を見逃さず、短剣使いは詩音の手を振り払いその首筋を掻き切らんと短剣を振るった。
だが、その刃が届く事はなかった。
振り下ろされた短剣が到達するよりも早く、その柄を握る右手は雪姫の刃によって左手と同様に斬り飛ばされた。
「そっか。あんたは殺しを楽しめるんだ」
平然とした声が男の鼓膜を打つ。
その直後、男の頭蓋に圧倒的衝撃が走った。
「キ……カッ──」
髑髏の半面が砕ける。
腕を断ち、振り払われた刀。その軌道に続くように詩音は腰から鞘を抜き、逆手に握ったそれで男の頭部を殴打したのだ。
鉄にも等しい強度を持つ《硬岩樫》から削り出された純白の鞘。
その打撃は一撃の許に男の頬骨を砕き、脳を震災が如く揺らした。
「…………」
崩れ落ちる短剣使いを詩音は無言で見下ろす。
──何故、オ前ハ、何モ感ジテ無イ?
男の最後の言葉が脳裏で繰り返される。
──何も感じてない、ねぇ……
何の感慨もなく心の内で呟く。
そして、周囲を取り囲む盗賊達に目を走らせる。
短剣使いが倒され臆したのか、賊は誰一人として斬り掛かってこない。
「赤の他人殺して、何か感じれる程まともじゃないんだよなぁ……………」
脳裏に、殺す事で唯一感情を揺さぶられた人の姿を想い浮かべながら、誰に言うでもなく呟いて、詩音は石畳を蹴った。




