58話 敵陣
下劣な笑い声、積み上げられたゴミの山、煙たい紫煙の匂い、充満する酒気。そして、複数の鉄檻に囚われた三十近い子供達。
六つの大型の魔術ランプで照らされた長方形の広間は嫌悪感を抱くには十分過ぎる程の有り様だった。
そんな部屋の様子を入り口の影で息を殺して詩音とヴィクターは覗き見る。
「…七十二か。他にも遺跡中に散らばった奴もいるから、そいつらが集まれば百は軽く行くだろうね」
「ふむ………まぁ想定の範囲内だな。で、あの奥でふんぞりかえってんのが頭だろうな」
互いにだけ聞こえる声量で言葉を交わす。
ヴィクターの言葉通り、広間の最奥には革張りのソファーに腰かけた者が一人。他の賊達より明らかに上等な軽鎧を纏った長身の男。己の身の丈にも迫る長剣を傍らに置き、左右には従える様に二人の人間が控えている。
「とりあえず優先すべきは子供達の安全の確保だね」
「ああ。となると、檻の周りの奴らを真っ先に潰さねぇとな」
子供達が囚われている檻は広間の中間辺りの壁際。周りには十弱の男達がたむろしている。
「さて、どうしたもんか。下手に踏み込んでガキを人質にでもされたら面倒だな……」
呟き、思案するヴィクターに、詩音が唐突に尋ねた。
「ねぇ、ヴィクター。君って夜目は効く?」
「あん? まぁそれなりに効くが、何だ? 何か策があるのか?」
「うん。まぁ、策って呼べる程複雑な物でも無いけどね」
そう言って詩音は腰のベルトから投擲用短剣を引き抜いた。
どこの武器屋でも手に入りそうな粗雑なそれを見て詩音の考えを察したのかヴィクターは、
「いいねぇ。単純なのは嫌いじゃない」
と呟いた。
◆
「じゃあ、手筈通りに」
「おう。頼むから外すなよ」
がしがしと詩音の乱暴に撫でながらヴィクターは不敵に笑う。
言葉とは裏腹にその表情に不安の類いは見られない。詩音がミスしない事を信じている。
「まあ、善処するよ。それじゃ─────行くよ!」
合図と同時に二人は広間に踏み入った。
これまで何の気配も悟らせなかった二人。その突入に気付きながらも盗賊達は数拍の間、対応出来ずに呆然としていた。
そして、その数拍で詩音は己の最初の役目を果たす。
両の手に計六本の短剣を持ち、広間に配置された大型魔術ランプに向けて一斉に投擲した。
飛翔した短剣は薄い軌跡を描きながら正確に全ての光源を破壊し、広大な広間は闇に包まれた。
ここで漸く盗賊達も事態に思考が追い付いたらしく口々に叫びながら各々武器を手にしたり、立ち上がったりと反応する気配があった。
そんな中に混じって他とは少し違う声と物音が上がる。
それは、苦痛による悲鳴と傷害の音。
次いで、闇の中に仄かな光が灯る。それは魔術ランプの光よりも柔らかで、遥かに大きな淡い青銀色の光。
光は泡の様にドーム状に広がって行き、それに伴い広間の闇が徐々に晴れて行く。
光の泡の中には盗賊達が拐った子供達を閉じ込めた鉄檻があり、その前には二つの人影。一つは血のように赤い長槍を携えた同じく血のように紅い外套を身につけた長身の戦士。そしてもう一つは血色の槍兵よりも数段背の低い純白の外套を纏った白銀の髪の少女、もとい少年。外套と同じ純白の鞘に収まった長刀に左手を掛けて盗賊達を見渡している。
「とりあえず、第一段階は無事完了だね」
「ああ、これで心起きなく暴れられる」
詩音の言葉に頷きながら、ヴィクターは足元に転がった何かを蹴飛ばす。
それは先程まで檻の近くで酒を飲んでいた賊の一人。頭を強打されたらしく、意識を失っている。
それで他の盗賊達は気付いた。よく見れば二人の周りには八人の盗賊のメンバーが気絶している。頭を叩かれて気絶した者が四人、恐らく何をされたかを理解する間もなく気絶させられたのであろう無表情の者が四人。
詩音が提示した案とはまず、突入と同時に詩音が投擲によりこの部屋の光源全てを潰す。続いて突然の奇襲に加えて視界が闇に閉ざされた盗賊達が混乱している隙に檻周囲の賊を排除し、その後に檻全体に結界を施し子供達の安全を確保するという至極単純な物だ。
詩音の魔術によって作られた物の上からヴィクターのギール魔術による《守り》を重ねたこの複合結界であれば、多少暴れても中の子供には影響はないだろう。
「大丈夫だよ。直ぐに助けるからね」
背後の少年少女等に視線を向け、詩音は努めて優しく語りかけた。
未だに状況が飲み込めていない様子の子供達は、その詩音の言葉で二人が自分達を助けに来たのだと理解したのか、一斉に声を上げた。
「ヴィクター、視覚阻害の結界も追加しといて。ここから先は子供には刺激が強いだろうからね」
「その方が良さそうだな」
了承し、ヴィクターは新たなギール文字の刻まれた小石を取り出すとそれを背後に投げた。
放られた小石は檻を囲む結界の光に触れた瞬間粉々に砕け散り、次いで結界全体を薄緑の半透明な膜が覆う。
「これでガキ共からは此方が見えない。好き放題暴れ放題って訳だ」
言って、ヴィクターは視線を前に戻す。
流石に、既に盗賊達は全員武器を構え、戦闘体勢を取っていた。
「手前ぇ等、何者だ? 見た所冒険者の様だが」
椅子に腰掛けたまま、奥の男が問い詰める。
「何者、って聞かれてもなぁ。冒険者で、闖入者で、余所者で」
「おまけに拐ったガキどもの前で手前ぇ等と対峙してるとなりゃあ、答えは一つだろう」
自らの立場を指折りに提示してから、槍兵と殺人者は声を揃えて宣言する。
「「あんた等の敵さ」」




