5話 里へ
世界に数多存在する種の中で頂点の一つと言われている獣。最高位のものは魔物では無く神獣と呼ばれ、他と隔絶した絶大なる力を有すると言う。それが竜という種族。
そんな存在が今、妖精達の目の前に居る。
圧倒的なまでの存在感。滲み出す魔力はクレハ達全員の内包魔力の総量を遥かに上回る。しかし、その姿を見て皆最初に感じたのは、恐怖や畏怖の類いではなかった。
「綺麗………」
半ば無意識にクレハは呟いた。そしてその言葉は他の妖精達が一概に抱いた感想を表したものでもあった。
その巨大な体躯を純白の鱗で覆った白竜の姿は、果てしなく幻想的だった。
白竜の藍色の大きな双眼が、様子を窺うように妖精達に向けられる。試しているような、それでいて皆を信じるような深い色の眼。それは紛れもなく今日出会ったばかりの、あの者の瞳。
「シオン………?」
その姿に息を呑みながら、クレハは半ば確信を持って銀髪の人物の名を口にした。直後、白竜の瞳が何処か嬉しそうに輝いたように見えたのは、クレハの見間違いだったのだろうか。
白竜はゆっくりと長い首を縦に振り、次いで自らの腕をクレハ達の前に差し出す。
と、その腕の傷から竜血が流れ落ち、中空に留まったそれは真紅と青銀の結晶となってクレハの元へと移動してきた。
「シオン……君は………」
クレハの背後で、他の妖精達よりも一早く混乱を脱したらしいアリスが呟くように問い掛けると、それに呼応するように再び冷風が吹き込んだ。
氷と雪の入り混じった冷風が吹き込み、白竜の身体を覆う鱗が剥がれる。
全身のそれが花弁のように風に舞う光景は、この世のものとは思えないほど美しい。
白い花弁の吹雪の中から姿を現したのは、長い白銀の髪を月下に靡かせたシオンだった。
「僕はシオン。人間であり、同時に白竜でもある存在」
何処か自身に言い聞かせるように。
可憐な姿に似合う少し幼げな柔らかい声で、シオンは自身の在り方をその名前と共に口にした。
★
「凄い………本当に竜血だ。それも見たこと無いくらい上質な」
数分間、再度灯した焚き火の前で氷に覆われた血液の結晶を鑑定する様に眺めた後でエリックが呟いた。
「間違い無いの、エリック?」
「エリックの《鑑定》スキルの高さは知ってるでしょ、アリス」
水妖精の問い掛けに答えながら鍛冶妖精の少女はエリックと同様に熱心に血の結晶を見詰める。
「その血は使えるかい?」
残ったココアもどきを飲み干して、真剣な表情で血液を鑑定するエリックに訪ねる。
「ああ、。このランクなら鋼死病だって一発で治るに違いない。………だが、本当に貰ってもいいのか?」
「この状況で『見せびらかしてみただけです』なんて怖くて言えないよ」
空のカップを置いて、傍らの薪を焚き火に放り込みながら、おどけた風にそう返す詩音。
そんなやり取りをしていると、横から何処か弱々しい声が掛かる。
「シオン、傷は大丈夫なの?」
その声の主は包帯やら薬やらを手に握ったクレハ。
「本当に大丈夫だって。もう殆ど治ってるから」
そう言って晒した左手首には言葉通り殆ど塞がった横一線に走る傷跡がある。
動脈に達する程深く裂いた切り傷も竜の再生力により猛烈な速さで修復されている。
恐らくは失った血液も、どういった原理で、何から作っているのかは不明だが、同等の速さで補填されているのだろう。
「ほんとだ。良かった………もぉ、急に自分で手首切るからびっくりしたじゃんか」
「本当だよ」
安心と抗議の声を零すクレハの横でアリスも同じ様な表情を浮かべる。
クレハが治療用具を取り出すのと同じ様に、アリスも治癒魔法を掛けようとして、竜の再生力に驚いていた。
「はは、さっきとは逆だねクレハ」
先刻のクレハが詩音の氷剣を素手で掴み、負傷しながらも野盗達を庇った出来事を思い出しながら詩音は小さく笑う。
するとクレハは、
「笑い事じゃ無いよ!」
と、これまた先刻の様な真剣な声音で叱って来る。
そして、詩音の傷が完全に消えるまで見張り続けたクレハは、治療用具を置き安心の表情を浮かべて、
「ありがとう、シオン」
と頭を深く下げた。
「これで皆を助けることが出来る。本当にありがとう」
その言葉に続いて、他の妖精達も(シーナを含めて)各々の言葉で詩音に礼を言った。
「礼を言うのはまだ早いよ。薬の材料は揃ったようだけど、まだ里を救えたわけじゃない。これから皆はどうするんだい?」
「直ぐにでも里に戻るよ。ここからだと、どんなに急いでも五日はかかるからね。シオン、悪いけどお礼はその時まで待って欲しい」
クレハは頭を上げると一息に言って、詩音に理解を求める。
「構わないよ。それなら僕が里まで送ろう」
「え、いいの?」
「五日も待つのは嫌だからね。僕が竜になって飛べば幾らか時短出来ると思うよ」
妖精達は急いで出発の準備を始める。
手慣れた動きで大きめのテントや荷物を片付けて、焚き火等の始末も終えるまでに有した時間はほんの数分。
「それじゃ行こうか。僕は里が何処か知らないから案内頼むよ」
そう告げてシオンは姿を変える。二度、月光輝く夜空の下に純白の巨竜がその身を晒した。
白竜に転じた詩音は身体を低く伏せると、片翼を地面に垂らして妖精達が背中に乗り込む為の足場にする。
流石に二度目ともなると全員詩音の姿を見て呆然とする事は無く、代わりに警戒心が芽生えたのかじりっと後ずさる。
これが当然の反応だ。詩音自身も彼彼女等の立場であれば同じように、否、それ以上に警戒していただろう。故に詩音は暫く待たされるであろうと予想した。しかし、
「よいしょ………シオン、痛くない?」
気遣うような声色でそんな声がした。見ると、黒衣に身を包んだ少女、クレハが詩音の翼の足場から軽やかな動きで背中へと登っていた。
詩音は驚いた。躊躇い無く竜の背に乗ったクレハの胆力に、ではない。詩音を気遣って声を掛けたクレハの表情に一切の警戒の念がなかったのだ。
クレハが先行したことが背を押したのか、他の妖精達もおっかなびっくりと言った様子で翼に足をかけて詩音の背中に乗り込み始めた。その表情はまだ少し固い。しかし、先程までに比べれば幾分かマシである。それはクレハへの信頼から来るものなのだろう。
兎も角、全員が背中に乗ったのを確認すると、詩音は翼をゆっくりと一度はためかせた。すると、月の光を受けて淡く輝く竜の身体がふわりと大地を離れ離陸する。
高度百メートル程度まで垂直に上昇し、その場で滞空すると首を捻って背中のクレハに目を向ける。
「シオン、ボク達の里はここから西に行ったところにある!そこまでお願い!」
巨竜となった詩音に確りと届くようにクレハが大きな声で叫ぶと、詩音は身体を旋回させて西に向けると、四枚の翼を強く羽ばたかせた。
★
「そろそろ見えて来る筈よ」
東の空から太陽が顔を出し始めた頃、詩音の背中でアリスが呟いた。
(出発から大体八時間。クレハ達が振り落とされないように速度を制限して飛行したけど、それでもかなりの時短になったかな)
内心でそう思った時─────
(───ん……?)
不意に感じた感覚は、この世界で得た《魔力感知》スキルによるものでは無く、詩音が仕事を続けるうちに身に付けた《第六感》とでも言うべき直観による警告だった。
妖精達の故郷があると言う方角から漂ってくる濃密で重々しい、肌を舐めるような不快な気配。
(これは………戦いの気配だ………)
詩音は飛行の速度を上げた。突然の加速に背中の妖精達が悲鳴と共にしがみつくのを感じながら、彼等が耐えられるギリギリの速度で西を目指した。
詩音が減速したのは加速を始めてからほんの十分程後だった。
「……そんな………!」
鋭い声を上げたのはシーナだった。眼前に現れた光景に、悲鳴にも似た声を絞りだした。
そして、他の妖精達も同じような声を上げる。
その理由。
森の一部を切り開いて作られた平地。その土地に作られた街とその周囲を囲む外壁。壁の高さ優に二十メートルはあり、円形に里を守っている。
しかしその防壁の一部が破壊されており、その内側の街からは所々煙と炎が上がっている。
「何が起こってるってんだ!」
カインが叫ぶ。その答えを詩音はとうに見つけていた。外壁の損傷が最も酷い里の北側。
そこにこの惨劇を作り上げたであろう存在がいた。
その姿は、二本の脚に二本の腕、そして身体に頭と、一応人の形をしている。しかしその体長は里を囲む防壁との比較から考えると十メートルを越えている。ずんぐりとした肥満体のような体型をしており、その身体は深く濁った緑色をしている。頭部には捻曲がった角のような物と巨大な口まで確認できる。
そして、その足元では二十人程度の武装した兵士が怪物に必死の抵抗を行っている。
「あれは………《デスグール》!?」
そんな声を溢したクレハにエリックの声が被さる。
「そんな!何故あの魔物が里に!?」
背の上で言い放たれる未知の名称に詩音は内心で首を傾げながら空中での停滞を破り怪物に近付く。純白の翼が風を生み、それに乗って飛翔した詩音の身体は、直ぐにデスグールとの距離を百メートル以下に縮めた。
流石に、巨大な白竜がこれだけの距離に近づけば、怪物の方もそれを察知して意識を里から離した。その足許で怪物を迎撃しようとしていた者達の視線もまた詩音に向けられる。
怪物の意識が自身に向いたのを確認すると、詩音は鋭い牙の並んだ口腔から大量の空気を吸い込み───
「■■■■■■■■■■■!!!!!!!!!」
咆哮が世界を揺らした。爆音は大気を震わせ、衝撃波とも言える音圧によって森の木々が薙ぎ倒されんばかりに身体を反らせ、地上の人々が軽く吹き飛ばされて倒れるのが見える。
人間を含め、あらゆる生物は《音》に恐怖を抱く。それは度胸や胆力等とは関係無い、本能に刷り込まれた根源的な恐怖。
厳しい自然界を生き抜く屈強な猛獣達でさえ、人間が近くを通った際の僅かな物音に恐怖を感じて、護身の為に音源に襲い掛かるという。
音とは、生物にとって最も原始的な恐怖の対象となる現象なのだ。
遠く離れた山脈に、竜の叫びが木霊する。一瞬、大気を吹き飛ばす勢いで放たれた咆哮が残留さえ残さず過ぎ去った後に訪れたのは、爆音とは正反対の静寂だった。そして───
「ぁ………」
詩音の背中で咄嗟に耳を塞いだ手を下ろした妖精達の誰かが小さく呟いた。
デスグールが、その丸く巨大な体躯に似合わない俊敏な動きで身を翻し、そのまま森の中へと走り去って行った。
詩音の威嚇は、デスグールに脅威を感じさせるに足るものだったらしい。
敵意や害意が無くなったのを確認した詩音は《氷雪の支配者》のスキル効果を用いて空気中から水分を集約し、里内の火災が発生している建物に落とした。
火事の煙に混ざって水蒸気が上がり、程なくして全ての火の手は鎮火された。
危険は去った。詩音はそう認識した。しかし、地上の者達はそうは思っていない。
デスグールの姿が見えなくなったのを確認しても、一瞬たりとも気を抜きはしなかった。彼等にとっては、白竜という新たな外敵が現れただけなのだから。
デスグールが居なければ、村から少し離れた場所に降りて人化していたのだが、今言っても仕方がない。
詩音はゆっくりと里の手前に着陸する。途端に大勢の兵士が一斉に長槍や弓矢を向けて牽制してくる。それとほぼ同時に、
「待って!武器を下ろして!」
その叫びと共に背中からクレハが飛び降りた。それに続きアリス、カイン、シーナ、エリック、シャルロットも飛び降り、兵士達と向き合う。それを見た兵士達の口から妖精達の名前が上がるところを見ると、クレハ達はこの里では顔が知れた存在らしい。
「この竜は敵じゃ無い!」
そう告げるクレハに続き、アリスが口を開く。
「《鋼死病》の治療に必要な物を持って来ました!兵の皆さんは武器を納めて下さい!」
兵士達の輪が乱れた。顔の知れているらしいクレハ達の言葉を素直に受け入れることが出来ないというようにチラチラと詩音に目線を飛ばしながら考察している。
と、不意にそんな兵達の中から声が上がった。
「敵では無いとはどう言う意味だ」
よく通る澄んだ声だ。それに合わせたように、兵士達が左右に割れた。開いた道を、一人の女が進み出てくる。灰色の髪を無造作なショートカットにして、前髪を白いヘアピンで留めている。細身だがよく鍛えられた身体を手入れの行き届いた軽鎧に包み、その上からマントを羽織っている。その腰には鞘に納められた大振りな剣が下がっている。
「言葉の通りだよ。キリハ」
キリハと呼ばれた人物は数秒の間クレハを見つめた後、次いで詩音の方へと視線をやる。
「白竜。それもデスグールを咆哮一つで追い払うとはかなりの高位竜のようだな。確かに害意は感じないが、一体何があった?」
「シオンはボク達に協力してくれたんだ」
「シオン?この竜の名前か?」
そう女が尋ねたタイミングで、詩音は竜化を解いた。冷風が吹き抜け、それに乗るように全身の鱗が剥がれ落ち、人の姿へと戻る。
その姿を見た瞬間、女も含めた全ての兵士が驚きの表情を浮かべる。
「ふぅ………長時間の竜化は慣れてないせいか疲れる」
「人間………なのか………?」
目に見えて戸惑いながら呟く女に、詩音は笑みを浮かべて答える。
「初めまして、妖精族の皆さん。キリサキ=シオンと言います。見ての通り、竜ですが人でもあります。どうぞ宜しく」