56話 殺せる者、殺せぬ者
「───てめぇ、あのガキに賊供殺させようとしたが、一体どういう腹だ?」
発せられる声音は酷く真剣に。向けられる眼差し酷く鋭利に。
余りにも突然過ぎる変化だった。
つい先ほどまで下らない雑談に興じていたとは思えない程に、ヴィクターの纏う雰囲気が一変したのだ。
まるで、今から戦闘を始めようと考えているかの様な冷たく鋭い気配を漂わせるヴィクターの問いに詩音は、
「やっぱり、訊かれちゃうのかぁ……」
平時と変わらぬ口調で呟きを返す。
ゆっくりと腰を上げ、ヴィクターから少しの間を隔てて対面する位置に再び座り込んで自身の膝を抱える。
「なかなか話題にしないからこのまま有耶無耶に、なんて展開も少しだけ期待してたんだけどなぁ」
「………正直今の今まで迷っていた。お前がもし、本当に眠りこけていたなら、何も聞かずに流そうとも思った」
一度、ヴィクターの語気が弱まる。
「お前にはお前なりの考えがあるんだろう。それは分かる。だが、どれだけ考えても、何を思って 子供に剣を握らせようとしたのかが解らねぇ」
視線を詩音から外し、 考え込むように瞼を落とす。
だがそれも一瞬。直ぐに声音は凄みと怒気を取り戻す。
「なら、 俺はお前を問い詰めるしかあるめぇよ」
告げ、ヴィクターは詩音の肩を掴み、強引に自身と対面する様に座る向きを変えさせた。
「答えろシオン。 お前は何であんなことをした?」
「────」
再び投げかけられた問いに、詩音は数秒の沈黙を返す。
だがそれは 決して誤魔化す為の黙りではない。 真剣な眼差しを向けるヴィクターを詩音もまた一切の不純ない眼で見つめ返す。
そして、
「ふふ」
小さく、本当に小さく、詩音は笑みを溢した。
その様子にヴィクターは訝しげに眉を歪める。
「相手の考えを汲みはするけど、それでも子供を堕とすような行為を許容できない、か。やっぱり、君は優しいんだね」
語る詩音の声は 殺気立ってすらいるヴィクターに掛ける物としては余りにも柔らかで、いっそ愛おし気ですらあった。
「…………甘い、と嘲られている様に聞こえるが?」
「まさか。自分の為じゃなく、誰かの為に怒れるってのは凄く素敵な事だ。僕、ヴィクターみたいな人、好きだよ」
流石に、最後の一言には面喰らったらしく、一瞬ヴィクターの顔から全ての表情が抜け落ちる。
「………馬鹿。ふざけてねぇで真剣に答えろ」
「真剣だよ。本心から思ってる」
居心地悪い気にヴィクターが眼を逸らすと、詩音も焚き火へと視線を移し、続ける。
「でも、うん。僕の気持ちは今は関係無いね。自分本意な言葉を並べるのは、僕の悪い癖だ。………何で、あんな事をしたか………。あれがあの子を、シエラを諦めさせるのに一番有効だと思ったから。ただ、それだけの理由なんだ」
ぽつりぽつりと語られたそれは、余りにも平々凡々な答えだった。
複雑な理由も、深遠な思慮もない。
ただ手っ取り早かったから。ただ一番効率的だったから。
ただ、それだけの理由だ。
「…………もしそれで、あいつが馬鹿正直に奴らを殺そうとした場合はどうするつもりだった?」
「それは無いよ」
詩音は即座に断言する。「有り得ない」と。
それは予測でも推察でもなく、《確信》を持った言葉。
「何故そう言い切れる。子供って言うのは何を仕出かすか分からない物だ。あそこまで必死になっているなら尚の事だ」
ヴィクターの疑問は至極当然のもの。
可能性が低いというのであればまだしも「有り得ない」と断じる事が出来る根拠が見当たらない。
それに対して詩音は、一拍の間を挟んで答える。
「────人間ってのは不思議なものでね。他人を殺せる者と他人を殺せない者ってのが明確に分けられていんだ」
蒼い瞳に焚き火の光を写しながら、静かに語る。
「殺せる者は多少の葛藤はあれど、最終的には殺せてしまう。対して殺せない奴はどんな理由があっても、どれだけ正当化しようとしても、殺人を許容出来ない。
それは気性や性格なんて言う表層的な物じゃなくて、もっと潜在的な部分、深層心理に刻まれた本質の違いなんだ」
《殺人》という、倫理という鎖に縛られた人類にとって最大の禁忌。
それは、命の価値が低いこの世界でも変わはない。
魔物に獣、命を奪う事に慣れたこの世界の住人でさえ、善人悪人の区別なく殺すことを躊躇う。
現に組合が言うには刃を振るう事が日常の冒険者でさえ、盗賊や手配犯への対処は、その七割が捕縛で終わり、殺害に至ってしまう事例は少数派らしい。
そして、その三割の命を奪った者の凡そ半分は、罪の意識から冒険者を引退してしまうのだとか。
大半の冒険者の役目は人々生活の補助である。殺人を考慮、或いは前提とした仕事や訓練を行う者など絶対数の少ない金剛級くらいであるのだから罪の意識に苛まれるのも仕方がない。
それほどまでに殺人という行為は重く、深い。
詩音の言葉を吟味する様に、ヴィクターは小さく息を吐く
「───殺せる者と殺せない者、か」
反復する。
その声から、先ほどまでの圧は感じられない。何かを考え込む様な、何を勘繰る様な、そんな口調。
言葉から重圧が消えると同時に、射抜く様な眼光も成りを潜め、代わりに何処か哀れむ様な眼で詩音を見る。
「そう、善も悪もない。正も否も関係無い。恐らくは生まれ落ちたその瞬間から、その者の根底に刻まれた絶対前提」
静かに瞼を伏せ、静かに語る詩音を、ヴィクターはしばし見つめた。
この詩音という少年の口から発せられる言葉には途方もない重みがある。
妄言ではない。偽弁ではないと、否応なしに納得させられるだけの重みが。
「────まるで……人の本質ってものを見てきた様な口振りだな」
語り終え、暫し口をつぐむ詩音に付き合って沈黙した後、ヴィクターは小さく唸る。
「納得いかない?」
「ああ、いかねぇな」
返答は静かな物だったが、ヴィクターは内心で新たな憤りが沸き上がってくるのを自覚した。
それは眼前の詩音に対してのものではない。否、それどころか、特定の誰かに向けられたものですらない。
自身よりも一回り以上幼げな少年が、人の本質などと言うものを語れてしうまでに至った経緯。
生半可な生き方では達し得まい。
十や二十どころの話ではない。数十、数百、或いは数千か。
いづれにしろ、尋常ならざる数の死を見て来たのは間違いない。
そんな人生を送らざるを得なかった理不尽、不条理、不道理に対してヴィクターは静かに怒りを感じていた。
人の本質を見て来た様な口振り、ではなく、恐らく詩音は見て来たのだ。
数多の人間の本質を、理念を、思想を、根幹を。
それらの見物によって裏打ちされたからこその、重みが先の発言には宿っていた。
故にヴィクターは詩音の言い分を理解し、信用こそすれど、納得する事だけはできなかった。
そんなヴィクターの内心を知ってか知らずか、詩音は「まあ、そうだよね」と溢しながら小さく笑う。
「───なるほどな」
「ん?」
「お前の事が少しだけ分かった」
最早言葉には一切の熱が無く、代わりに惜しみ無い悼みの念に満たされている。
「お前はきっと殺す事に慣れすぎていて、それ以上に、痛みという物に慣れすぎている」
哀れむ様に。憐れむ様に。
沈痛とも言える面持ちで語られたヴィクターの言葉に、詩音は沈黙を返す。
「お前はきっと、殺す事で他者を傷つけ、殺す為に己すら傷つけて来たんだろう。そして、そんなお前には、もう自分の苦痛を苦痛として感じる事が出来なくなっている。全ての痛みを許容してしまう様になってしまっている」
先刻の戦斧の男への尋問もそうだ。
慣れた手つきで、口調で、欠片の躊躇いもなく詩音は男の眼球を抉り取った。
ヴィクターとて、必要ならば同じ事をするが戦闘の最中ならば兎も角、あそこまで無関心に、無感動に出来るかと聞かれれば自信はない。
それほどの行為を、この幼げですらある少年は事も無さげにやって見せた。
「……なんで、そう思う?」
返す詩音の声音は、相も変わらず平静だった。
それにヴィクターは小さく鼻を鳴らして応じる。
「なんでもくそも無ぇ。そうでなけりゃあ、そうやってヘラヘラ笑って居られる筈があるか。
殺せる者と殺せない者。人の根底の絶対前提。
そんな物はな、才気に溢れた戦士が数多の戦場を戦い抜き、満足に身体を動かせなくなるくれぇに老齢になって漸く理解できるかどうかの極地だ。
まともな生き方してたら、お前の歳で至れる物じゃねぇ。至っていい物じゃねぇ。そして、そんな人生を過ごしていた奴が、そんな風に穏やかで居られる訳がねぇんだ。
お前がそうやって笑って居られるのは、お前自身が自分の 《痛み》って物を全て容認しちまっているからだ」
怖いくらい真剣な表情で、ヴィクターは自分が知り得た詩音の本質を語る。
その指摘に詩音は小さく、ヴィクター曰く全ての痛みを許容している笑みを浮かべて呟く様に応じた。
「─────やっぱり、君は優しいね」
先と同じ事を繰り返す詩音の声音は、先と同じ様に柔らかで優し気だった。
「───」
この期に及んで尚、その態度を崩さない詩音に対してヴィクターは不満気な表情を浮かべつつも、その言葉に耳を傾ける。
「昨日今日出会ったばかりの赤の他人の事を心から悼み、憐れみ、しかし決して同情はしない。
それは簡単な事じゃあない。
優しさと甘さの違いを理解しているからこそ出来る事だ」
多くの人間は、他者の苦行を知った時、悼むよりも憐れむよりも先ず同情の念を示す。それがその者の積み重ねて来た苦患、歩んで来た苦難を侵害する行為だとも知らずに。
ヴィクターは確りとそれを弁え、純粋な憐憫のみを向けてくる。
詩音はその心遣いを少しだけ嬉しく思った。
「君は君で、色々な物を見て色々な事を経験して来たんだね。
でも、君が言う程、僕は寛容な訳じゃないよ」
静かに、真っ直ぐにヴィクターを見ながら詩音は呟く。
一瞬、大粒の宝石の様な蒼い瞳に幾つかの感情が見えた様な気がして、ヴィクターは小さく目を見開いた。
その感情が憐撫を欲する脆弱さなのか、潰滅を求める願望なのか。判断するよりも先に、
─────ああ、駄目だ。こいつは俺の手には負えねぇ………。
ヴィクターは我知らず溜め息を吐いた。
本人が自身の在り方が異常であると気付いていないのであれば、それを指摘して自覚の楔を打ち込む事も出来ただろう。
しかし詩音は、己の異常性を理解し、その上でそれを良しと受け入れている。
そうでなければ、お前の人生は苦痛と理不尽に満ちていると指摘され、今のお前の在り方は異常だと突き付けられて、こんな風に穏やかで居られる筈がない。
無自覚ならばそれ故に指摘に反対し、突き付けられた言葉に反論する筈だ。
それをしないのは、自身の人生が理不尽に満ちていると自覚し、己の在り方が異常だと自認しているからだ。
自認した上でその在り方を突き通している。それが諦念によるものか、何らかの信念によるものかは定かではないが、どちらにしろ本人が良しとしている限り昨日今日会ったばかりのヴィクターには何も出来ない。
他人でしかないヴィクターの言葉が詩音の在り方を変える事は有り得ない。
「──もういい。そもそもお前の在り方や生き様をとやかく言う資格は俺にはない。土足で踏み込んで悪かった」
自ら踏み込み、手に負えないからと自ら引き下がる自身の不甲斐なさを心中で嘲りながら、ヴィクターはそれらしい理由を付けて話を切った。
「脱線しちまったが、元々はお前にどんな考えがあったのかが聞きたかっただけだ」
「言ったでしょ。考えなんてない。主観的な感覚と根拠のない直感に従って一番効率的な方法を選んだ。ただそれだけの事。ヴィクターが怒りを覚えるのは当然さ」
ヴィクターの脚を跨ぐ様に対座したまま、詩音は答える。
「確かに主観的だ。俺にはあの方法を選んだ理由は理解出来ん。だが、結果はあの通り。あれだけ意気込んでいたシエラを見事に鎮めた。ならそれは正しい選択だったのだろうよ」
「それで収めてくれるなら、お言葉に甘えさせて貰うよ」
「だが、これだけは聞かせろ」
真っ直ぐな視線を向けるヴィクターに、詩音もまた愚直な目で応じる。
「もし仮に、お前の直感ってのが外れてシエラが本気で奴らを手に掛けようとしたなら、お前はどうした?」
正直意味のある問い掛けではない。
たらればは話した所で何の意味もない。
これはヴィクターが詩音という人間の性質と方針を測る為の問いだ。
もしシエラと言う少女が、己の言葉により人の命を奪うと言う愚行に走った場合、その後の責任を取る覚悟が有るか否か。
もう幾度目ともなる短小な沈黙を挟み、
「その時はその時さ。君が全身全霊でシエラを止めた後、全力で僕を殴り飛ばして、その後は僕を見限って別れる。どの道あの子が手を汚す結果には成り得ないよ」
清く、一片の曇りもない信用の視線をヴィクターに向けながら、詩音は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
そこに嘘や偽りの類いはない。
純粋に、自身が不覚をとってもヴィクターがあの子供を守ってくれると信じている。
その答えに、ヴィクターは一瞬面食らった様な表情を浮かべてから、
「…………はっ」
思わず、小さく苦笑を溢した。
「女かと思えば男で、ガキに甘ぇかと思えば辛辣で、人でなしの類いかと思ったら、昨日今日会ったばかりの俺の事を一切の疑心無く信用しやがるか。全く、訳の解らん奴だ」
「なら、それが僕って事だよ」
「そうかい。………そうだな」
呟きだけを返し、ヴィクターは笑みを浮かべたまま口を閉ざした。
その沈黙は、この一時の問答が終わりである事を告げていた。
そして、ヴィクターはゆっくりと腰を上げると、今度は自ら詩音の方へ歩み寄り、その隣へと腰掛けた。
「ヴィクター?」
小首を傾げる詩音に向けて、
「まだ交代には早い。寝なくてもいいから楽にしとけ」
そう、優しい口調で告げながらその肩を抱き寄せて自身に凭れ掛からせる。
大きくごつごつとした手が、柔らかく白銀の髪を撫でる。
まるで割れ物を扱うかの様にこの上無く優し気に。
別に慰めるつもりなど無い。
けれど、今は少しでもこの少年に触れていてやりたかった。
「―――うん。ありがとう」
小さく、変わらぬ口調、変わらぬ声音で詩音はそう囁いた。
◆
眠りに落ちたヴィクターを起こさぬ様に、その腕から脱した詩音は静かに炎を見詰める。
全てを呑み込む様な夜闇に覆われていた空も僅かな光を帯びて来てきた。
もうすぐ夜が明ける。日が登れば、直ぐに此処を立つ。
うっすら明るくなった森の中で、詩音は木に背を預けて瞼を閉ざした紅の槍兵を見る。
間違いなく眠っている。
しかし、その意識は微睡みの中にあって尚周囲を警戒している。
もし仮に、今この場で異変が起きれば、ヴィクターは瞬時に飛び起きて血色の魔槍を構えるだろう。
その整った顔を眺めながら、詩音は先ほどのヴィクターの言葉を脳裏で繰り返す。
────お前がそうやって笑って居られるのは。お前自身が自分の《痛み》って物を全て容認しちまっているからだ
素晴らしい慧眼だ。
詩音に隠す気がなかったとはいえ、数回の問答のみで詩音の送ってきたモノをぞんざいにであろうが読み取って見せた。
その心眼に称賛の念を抱きつつも、
──少しだけ、違うんだよなぁ…………
詩音は心の内で呟いた。
確かに、霧咲詩音は常人よりも身体的、精神的な苦痛に馴れている。馴れざるを得ない人生を送ってきた。
しかし、「全てを許容してしまっている」と言うのは過ちであると詩音は感じていた。
常人ならばまず壊れているであろう苛辣極まる人生。
それを経て尚笑って居られるのは、恐らくは極初期の段階、もしかしたら産まれたその瞬間から、霧咲詩音という人間が破綻していたからだ。
人並みの感情を待ちながら、何処かで何かが欠落している。
そんな思考が基盤となっているが故に、詩音は己に対する苦痛の類いに対してひどく鈍感なのだ。
常人が憤りを感じる理不尽、絶望する不条理を詩音は許容出来るのでは無く、そもそも認知しない。
──きっと估暦に出会わなければ、もっと酷い有り様だったんだろうなぁ…………
あの人に会えたから、あの人と家族になるたから、詩音はぎりぎり人で居られた。
大切な人を失うという痛みを知れた。
あの人との思い出が、あの人との別れが、詩音をぎりぎり人の側に留めている。
少しだけ、昔の事を思い出しながら、詩音は静かに夜が明けるのを待った。




