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Tale:Dragon,tears    作者: 黒餡
二章 篇首拠点市街《ユリウス》〜異彩なる世界〜
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54話 冷たい瞳

 水が弾ける音が響く。

 次いで、酸素を求めて喘ぐ野太い声。


「ぐっ………がはっ、かはっ……はっ……」

「やぁ、お目覚めかい?」


 幼げな声。

 太い縄に拘束された男は失神の余韻と滴る水で曇った視界を頭を左右に振って回復させた。

 少しだけ鮮明さを取り戻した視界に映ったのは、見覚えのある白い外套を身に纏った、見覚えの無い少女だった。


「誰だ……?」

「あれ? ついさっき()りあったばっかりだって言うのに、もう忘れちゃった?」


 そう言って恐らく自分に気付け薬代わりの水をぶっかけたのであろう目の前の少女は右手に持った水桶を足元に転がした。

 その声には聞き覚えがあった。

 

「まさか、さっきの冒険者か?」

「なんだ、覚えてるんじゃん」


 先ほどまで戦斧を振り回していたリーダーの男を見下しながら少女は言った。  

 よく見れば、その少し後方には赤い外套を纏った槍兵の姿もあった。


「女だったのかよ……」


 思わず、戦斧の男は呟く。

 それに対して少女は僅かにムッとした表情を浮かべた後で短く溜め息を吐く。


「………まあ、それはどうでもいい。あんた達が《グリズリー・ハング》、最近この辺りで人攫いを働いている盗賊団だってのはあんたの部下が洗い浚い吐いてくれた」


 その言葉に男が槍兵の背後に視線を遣ると、そこには太い樹の幹に縄で縛り付けられた部下たちの姿があった。

 全員生きているが意識は無い様だ。


「って事で、あんたからはアジトの場所を教えて欲しい訳」


 場違いな程に可憐な面貌に薄く笑みを浮かべて詩音は問う。

 その表情に威圧感は感じられない。そも、こんな見た目の子供に尋問じみた事が務まるわけがない。

 そう思って男は、


「はっ、嫌だと言ったら?」


 と、強気な言葉を口にした。

 

「こうする」


 そう返しながら少女は細い指を男の右の眼の前に持って行ったかと思うと、次の瞬間、欠片の躊躇もなく男の眼窩へと捻り込んだ。


「ぐああああっ!!!!」


 苦悶の叫びが木霊する。

 挿し込んだ二本の指が抉る様に動き、気持ちの悪い水音を立てながら引き抜かれる。

 その手には、血と体液の混合液に濡れた男の眼球が握られている。

 

「濁ってるねぇ。煙草吸いすぎなんじゃないの?」


 引き抜かれた眼球を覗き込みながらそう言う少女の口調は、あまりにも平然としている。

 まるでなんて事ない世間話でもしているかの様に。

 男が苦痛に悶え、蹲っていると、少女は左手で男の髪を掴んで無理矢理に顔を上げさせた。

 残った片方の目でまっすぐに向けられる少女の眼を見る。それの何と恐ろしい事か。

 

 まるで深い、深い、何者の生存も許さない海の底を思わせる暗く蒼い瞳。 


 抉り取った眼窩をゴミの様に地面に捨て、簡素なブーツで踏み潰しながら少女は再び語り掛けてくる。


「勘違いしないでよ? お前に聞いているのはそれが一番手っ取り早いからだ。答えないならさっさとその首斬り飛ばして別の方法でアジトを見つける。手段は幾らでもあるからね」


 底冷えする程に冷たい声。

 本気だ――――

 少女の言葉が脅しでも何でもない事を男は瞬時に察した。

 喋る事を拒めば、少女は何の躊躇いも無く、それこそ羽虫を踏みつぶすが如く、呆気なく自分を殺すだろう。


「さあ、もう一つの眼も潰そうか。それで話さなければ次は耳を削ごう。それでも駄目なら次は爪だ。そこまでやって言わないのなら、もうお前に用はない。首を跳ねて獣の餌になってもらう」


 そう言って少女は血に濡れた指先を残った男の左眼に向ける。

 

「ひっ………!!」


 情けなく、悲鳴の声が男の口を吐く。

 しかし、叫びはしなかった。眼前の少女への恐怖で、呂律が回らない。酷く口内が乾き、言葉が出ない。


「えげつねぇなぁ………。おい、素直に吐いた方が身の為だぜ。こいつ、本気(マジ)で容赦無い性格(タイプ)だ」


 少女の背後で槍兵が言った。

 仲間である筈の槍兵ですら、心なしか少女の行いに表情がひきつっている様に見える。

 今まで蚊帳の外だった槍兵だが、成程、この少女が尋問を担当するなら何の手助けもいらない。全て任せておけば問題ないだろう。

 

「早くしてくれる?」


 酷く面倒くさそうな言葉と共に、少女の指先が迫り、眼球に触れた。

 そこで漸く男は、自身が言うべき言葉を絞り出せた。


「……ば」

「ん?」

「ば、馬車の、席の下に、隠し戸がある」


 諦めた。

 激痛は脳髄を侵し、恐怖は心をへし折り。男の中に、最早「抵抗」の二文字は無かった。


「中にアジトの場所を記した、地図がある」

「……ヴィクター」

「あいよ」


 ヴィクターと呼ばれた槍兵は踵を返すと馬車に乗り込み、中を探り出す。

 間もなくして。


「シオン、あったぞ」


 と一枚の地図を手にして戻り、少女にそれを見せた。


「………他のが言ってた地形特徴と大方一致する」


 手書きだが精密に描かれたそれを視て、少女は槍兵に頷くと視線を男の方へ戻した。


「これがあんたの言う地図で間違いない?」

「ああそうだ。その地図通りに行けばアジトに着くっ! 本当だ!」


 頷く男を数秒見詰めてから少女は、


「嘘は言ってないみたい」


 と、槍兵に告げる。


「そうか。なら早いとこ出発()た方がいい。割とここから距離があるみたいだぜ」

「そうだね」


 男の心を簡単にへし折った重圧が消える。

 助かった………?

 生き残った。そう心の中で持った時、


「――――え?」


 視界に腕を振り上げる少女の姿が映り、次いで頭に強い衝撃が走った後で男の意識は途切れた。


 ◆


「―――行け」


 ヴィクタ―が短く命令すると、その掌から一匹の鳥が飛び立つ。

 鳩に似たその鳥はギールの魔術によって呼び出されたヴィクターの使い魔であり、その足には手紙が結ばれている。


「これで今日中には組合(ギルド)から誰か派遣されてそいつらを連れて行ってくれるだろうよ」


 気絶した戦斧の男とその部下達にちらりと目線を送りながらヴィクターは言った。


「便利だね、ギールってのは。僕もやってみようかな」


 男の体液で汚れた手を持参した水で洗いながら、詩音はなんと無しに言った。


「興味あるなら簡単な(モン)で良いなら教えてやるよ」

「え、良いの?」

 

 ヴィクターの言葉に詩音は少し嬉しそうに声を上げる。

 

「おう。別に秘伝でも何でもねえからな。まあ、この件が片付いて街に戻ってからの話だがな」

「そうだね。連絡も飛ばしたし、早速出発しよう。今から出ても今日中に着くのは無理そうだけど、少しでも早い方が良い」

 

 そう言いながら詩音は、コートのポケットから細いリボンを取り出した。

 先日カインから贈られた鮮やかな蒼色をしたそれで手早く腰まである長い白銀の髪を結い纏める。


「日が出ている内に出来るだけ近付いておきたい。少し走るぞ」

「うん」


 詩音は短く頷く。

 今一度地図に眼を通してから、二人は気絶した盗賊達を捨て置いたまま森の中を駆けて行った。


 ◆


 太陽が地平の下へと沈み、陽射の残留が空を僅かに紅く染める。


「今日は此処までだな」

「そうだね。今のうちに野営の支度をしておこう」


 川辺の平坦な場所で詩音とヴィクターは互いに言葉を交わす。

 夜通し走る事は可能だが、昼間に比べるとやはり夜の森は危険度が高い。

 幸い自らの脚で移動する二人は馬程道を選ぶわけではない。夜が明けてから動いたとしても、シエラの妹が乗っているという馬車がアジトに着くのと同じぐらいのタイミングで二人も到着するだろう。

 ならばここで一度一息入れ、明日に備えるべきである。

 そうと決まれば二人は直ぐに夜営の準備に取り掛かった。

 手早く詩音が河から水を汲み、火を起こしている間にヴィクターが《ハーブラット》と言う少し大きめの兎型魔物を狩って来た。

 慣れた手つきで詩音がそれを捌き、焚火に掛ける。

 

「ランクの割には手馴れてるな」


 詩音の手際にヴィクターが関心したような声を上げた。


「野宿やら何やらには慣れてるからね」

「戦闘経験も夜営経験も豊富か。お前さん冒険者になる前は傭兵でもしてたのか?」

「まあ、似た様な感じかな」


 そんな遣り取りをしながら暫く待っていると、次第に兎の肉から香草の香りが漂い始める。

 ハーブラビットの肉の匂いは人にとっては食欲をそそる香りだが、自然界の住人たちからしたら異臭の類らしく肉の匂いで野生動物たちが集まってくる事はないのだとか。

 河の水で洗った大き目の葉を皿代わりにして、その上に香ばしい野肉を乗せてヴィクターに差し出す。

 

「おいシオン、どう言うつもりだ?」


 それを見てヴィクターが口走る。

 鼻孔を刺激する香草の香りを立ち上らせるハーブラビットの肉はその全てがヴィクターに差し出されており、詩音はというと何かを食べようとする素振りなど一切見せずに黙って焚き火に薪を放り込む。


「ん?どうかした?」

「どうかした、じゃねぇ。お前は食わねぇのか?」


 指摘に、詩音は「ああ……」と納得気に呟く。


「僕はいらない。ヴィクターが食べなよ」

「馬鹿か。んな訳にいくかよ。お前も食え」


 と、どこか叱る様な口調でヴィクターは詩音に葉皿を突きつける。


「いや、本当にいいから。どっちにしろこんなに食べられないし」


 戸惑い気味に申告する。

 元来、詩音は非常に食が細い。

 必要最低限の量のみを摂取するという生活を送っていたことが原因である。 

 その最低限の摂取も竜種となり、必要性が失われてからは自発的には行わなくなった。

 所詮摂食とは栄養分の摂取作業。

 生きる為に、肉体を維持する為に必要な行為故に行うというのが詩音の認識だ。

 それが必須作業から純粋な娯楽と成り果てたのであれば、そうなるのも必然である。


「そんなんじゃあ持たねぇぞ。それともなんだ。肉の類いが食えない理由でもあんのか? もしそうなら魚でも取って来るぞ」

「いや、食べれないって訳じゃないけど…………」

「ならちゃんと食え」


 ゴリ押しされ、詩音は渋々気味にヴィクターの手から葉皿を受け取り、新たな皿に一部を切り分ける。

 凄む様なヴィクターの視線を受けながら、詩音はナイフで小さく切った肉を口に運ぶ。


「………」


 数回の咀嚼を挟んでそれを飲み込むとヴィクターが「どうだ?」と感想を求めてくる。


「うん、まあ。良いと思う」


 曖昧に返事をする。

 もとより肉が食えないと言う訳ではない。

 鼻腔を擽るハーブの香りや噛む度に溢れる肉汁に不快感は感じない。

 まあ別段美味とも感じないが。

 元の世界の兎肉はやや鶏肉に似た、それでいて特有の舌触り物だったが、これは鶏と言うよりは牛や豚に近い肉質をしている。

 詩音が簡潔に感想を述べると、ヴィクターは表情を崩して小さく笑う。

 

「そうか。たくお前は。まさか普段からこうして誰かに言われないと飯食わねぇんじゃねえだろうな」

「……」


 ヴィクターの指摘に思わず押し黙る。

 妖精達にも同じような事を指摘され、叱られた事があるので少しばかり動揺してしまう。

 沈黙を肯定と取ったのだろうヴィクターの口から短い溜息が零れる。 


「全く。そんなんだからヒョロヒョロなんだよ。ちゃんと食わねぇとデカくなれねえぞ」


 呆れたように言いながら自分も大口を開けて肉に齧り付く。

 そして、


「辛っ!!」


 盛大に咽た。

 慌てて肉を置いて口に手を当てて咳き込む。 


「え、何? どしたの?」


 突然の事に困惑する詩音。

 対してヴィクターは、


「くそっ。これハズレじゃねぇか!」


 と悪態を吐いた。


「ハズレ? どう言う事?」

「ハーブラビットは何匹かに一匹、滅茶苦茶に辛ぇ奴が居んだよ」

「へぇ〜。それに当たっちゃったんだ」


 まさかのギャンブル食材に詩音は自分の分の肉をまじまじと見た。


「ったく。何が『良いと思う』、だ。お前、良くこれ食って平気な面できるな」

「あぁ……、まぁ、僕味覚が死んでるから」

「なに?」


 詩音のその発言にヴィクターは眉を寄せた。


「どう言う意味だ?」

「ん?そのままの意味だよ。味覚の大半と痛感の一部が死んでて、物の味が感じられないんだ」

「………全く味が分からないって事か?」

「うん。あ、でも甘みは少しだけ分かるよ」


 そう応じながら、詩音は一口肉を口に放り込むと数回咀嚼して飲み込んだ。


「生まれつきか?」

「いいや。四歳くらいからかな? だんだん味を感じなくなって、六歳頃には今みたいになってた」

「病気か何かか?」

「う~ん。病気と言うか、幼い頃の不摂生が祟ったと言うか」

「不摂生だと?」

「あぁ……言っちゃえば薬物乱用。色んな薬やら何やらを打たれ過ぎちゃってさ。いやぁ、最初の頃はびっくりしたよ」


 なんて事無いかの様に語る詩音。


「………その事、あいつら知ってんのか?」


 『あいつら』というのはクレハ達を指しているのだろう。

 

「いや、知らない筈だよ。言って無いから」

「伝える気は無いんだな」

「うん。だって普段良く一緒に食事する奴が味が分からないってなると白けるでしょ」


 苦笑を浮かべながら再び肉を口に運び呑み込む。

 

―――――このハズレ個体の肉を気にせず食う辺り、マジみたいだな………

  

 そう判断したヴィクターは一つため息を吐く。 

 と、


「はい」


 と一言言って、詩音は何やら白い粉末の入った小瓶を差し出して来た。


「何だこりゃ?」

「自作調味料。かければ辛さも幾分かマシになると思うよ」


 受け取り、説明を聞いて小瓶の中身をしばし見詰める。

 そして、言われた通り、ヴィクターは自身の分の肉にその粉末を振り掛けて一口齧る。


「ん!」


 と、詩音の言った通り、辛さがかなりマシになった。

 加えて、程よい塩気と仄かな甘みが追加されて中々に美味な物となっていた。  


「旨い」

「それは良かった」


 そう言って微笑む詩音。

 その様は至って平静。

 先程の話からするに、かなり苛烈な幼少期を過ごした様だが、微笑むその姿には影の様な物は一切感じない。

 

「―――――今度、旨い甘味屋紹介するから付き合え」

「え、何、急に?」

「甘みなら分かるんだろ。それとも甘いのは苦手か?」

「いや、寧ろ好きだけど」

「なら決まりだ」


 唐突な誘いに小首を傾げる詩音。

 だが直ぐに、「ま、いいや。楽しみにしてるよ」と言って食事に戻った。

 何の味も感じない肉を口の中に放り込んでは呑み込む。

 それは詩音にとって半ば作業の様な物だった。

長くなりそうなので2話に分けました。

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