52話 身勝手なモノ
幾本かの銀線が走り、呻く盗賊達を拘束する。
既に戦意と戦闘能力を喪失している男達は抵抗する事無く一ヶ所に固められた。
「さてと、そう言えばヴィクター、あの子供は?」
手早く盗賊達に止血処置を施し、詩音は背後の槍兵に訪ねた。
「あー……死にはしねぇだろうが中々に重症だ」
ヴィクターは困った様に髪を掻き上げながら報告する。
「盗賊達の話より、その子の治療が先みたいだね」
「治療ってもよぉ、気絶してっから回復薬も喉を通らねぇんだぜ。傷薬代わりの薬草程度ならその辺で手に入るだろうが、本格的な治療となると……」
「あー……まあ、一応診てみるよ」
そう言って詩音は少女を避難させていた荷車へと向かい、ヴィクターもそれに続く。
荷車の覆いを捲ると、中には荒縄で縛られた総勢二十人余りの十歳前後の子供達が怯えた様子で身を寄せており、先ほどの少女もその中に居た。
詩音は荷車に登り、少女へと歩み寄る。詩音の事も盗賊の一員だと思っているのか、近付いただけで子供達はびくりと身体を強張らせる。
それを無視して、詩音は力無く床に寝る山吹色の髪の少女に手を伸ばす。
しかし、その指先が触れるより先に、詩音と少女の間に両腕を縄で締め上げられた別の少女が割り込んだ。
年齢は背後の少女より少し上、十二、三歳程度だろうか。一束に纏められた手には荷車から剥いだのか、先の尖った木の棒を握り、その先端を詩音へと向ける。
栗色の少し癖のある長髪を垂らしたその少女は、ライトブラウンの瞳に持ち得る最大限の圧を込めて詩音を睨み付ける。
「こ、来ないで!!」
自身の腰の高さ程度の身長の少女の威嚇に詩音は、
「来ないで、って言われてもね。これも仕事の内なんで」
若干困った様な表情でそう応じ、その隣をすり抜けて再び少女に手を伸ばした。その瞬間、割り込んできた少女が手に持った棒を掲げる。
縛られた両手を振り上げ、覚束ない動きのまま詩音の背中を殴打せんと振り下す。
「うわ、危なっ」
それを躱して、詩音は少女に言った。
「落ち着いて。別にこの子をこれ以上どうこうするつもりはないから」
空振りし、少女はよろけて膝をつく。この少女もそれなりに衰弱している様だ。
その遣り取りを見て、
「おいおい、何やってんだよシオン」
紅の槍兵は少し呆れた様に言った。
外套と同じく紅色に染まった長槍を荷車の後部に立て掛け、ヴィクターはそのすぐ脇に腰掛ける。
「おいガキ共。安心しな、俺たちゃ奴らの仲間じゃねぇ。冒険者だ。お前らを助けに来た」
ぶっきら棒に、しかし簡潔に述べられた事実に、怯えていた子供たちは戸惑いながら互いに顔を見合せる。
しかし、暫くすると全員がわっと声を上げた。
不安と恐怖が過ぎた事を喜び、抱き合いながら、或いは涙を浮かべながら歓喜する。
「ぼ、冒険者? 助けに来てくれたの?」
栗色の髪の少女も呆気に取られた様子でビヴィクターの言葉を繰り返す。
「おう。そっちの白いチビもそうだ。訳あってお前らをさらった盗賊共をとっ捕まえに行く道中だ」
ヴィクターがあごで詩音を指すと少女の視線は再び詩音へと向かう。
だが詩音の方はそんな少女に目を向ける事無く、横たわる少女の腕を、脚を、顔を眺め傷の度合いを測る。
「で、どうするつもりだシオン? 言っとくが俺は回復系の魔法はさっぱりだぞ」
「あ、やっぱり? なんかそんな気がしてたよ」
詩音はそう言って一旦少女からてを離すとコートのポケットから真新しいハンカチを取りだし、逆のポケットからは《STORAGE》を経由して水の入った小瓶を掴み出した。
清廉な水を布地に染み込ませると、そのまま童女の腕にこびりついた汚れを拭き取る。
そして、粗方拭き終えると、今度は腰のベルトポーチに手を伸ばす。
ハンカチ、小瓶に続いて取り出されたのは長方形の薄いケースだった。片手からはみ出す位の大きさのそれの中には注射器と小さな濃い青色の液体に満たされた容器が一つずつ収まっていた。
ヴィクターと少女の視線が集約する中、詩音は容器の中の液体を注射器に装填すると、慣れた手付きで少女の血管を探り当て躊躇無く針を刺した。
ゆっくりと青い液体が注入されていき、全てを注射し終えた時、童女の身体を一瞬青白い光が包み込み、それが収まった頃には童女の全身の傷は跡形もなく消失していた。
注入した液体は、肉体回復薬を通常の三倍の濃度で精製した物。
更にそこに《双頭大黒蛇》から抽出した毒を精製、希縮した物を混ぜた特製の薬品。
回復薬の類いは血液投与で摂取した場合、経口摂取の時よりも遥かに高い効果を発揮する。
更には、共に調合した双頭大黒蛇の細胞を崩壊させる効果を持つ毒が破損した細胞を破壊し、この細胞破壊が擬似的なアポトーシスとして作用する事で、破壊された細胞はたんぱく質等の栄養分となって他の生きている細胞に吸収される。
その後、栄養を吸収した細胞は活性化し、更にそこに高濃度に調整した竜血の再生作用が発動する事で薬による外的治癒に人間の細胞が持つ内治癒能力が上乗せされる形で傷が修復される。
要するに、通常の回復薬による治癒よりもより深刻な負傷を、より速く修復できるという訳だ。
注射針を抜き、使用済みとなった道具一式を仕舞うと、背後からヴィクターが童女を覗き込みながら尋ねる。
「なんでぇ今のは」
「異国渡来の何とやらだよ」
説明が面倒だからと詩音は適当に応じる。
「……お前ぇ、それで何でも誤魔化せると思ってるのか?」
「うん、思ってる。あ、子供たちの縄解いといて」
ヴィクターは諦めたように息を吐いてから、何も言わずに子供たちの方へと歩み寄った。
それを尻目で見送ってから、詩音は呆気に取られた様子の少女に向き直る。
「さあ、次は君だ」
言って片手に氷の短剣を作り出すと、少女は一瞬怯えた様に身体を強張らせる。
それを無視して詩音は短剣を振るい、少女の腕を拘束していた縄を断ち切った。
「ちょっと失礼」
一言断ってから自由になった少女の腕に手を伸ばし、袖を捲る。
細い少女の両腕には足元の童女と同じ様な痛々しい青痣と幾つもの傷が刻まれていた。
「よくこんな手で殴りかかってきた物だね」
その呟きに、少女を責める感情は微塵も含まれていなかった。
詩音は再び腰のポーチに手をやると、水色の液体に満たされた小瓶を一つ取り出して少女に差し出す。
「回復薬だけど、飲める?」
問われて少女は躊躇いがちに頷いた。
それに短く「いい子だ」と頷いてぽんぽんと少女の頭を撫でてから、詩音は踵を返して奥の子供たちに聞こえる様に言った。
「他に怪我をしている子、もしくは体調が悪い子は居る?」
ヴィクターによって縛を解かれた子供たちの中から数人が遠慮がちに手を上げた。
「十一人、ね」
呟いて詩音はポーチから再び回復薬の小瓶を数本取り出し、不足している分を《STORAGE》から引き出す。
「怪我の子はこれを飲んで、体調の悪い子は症状を言って」
手を上げたのは怪我をした子供ばかりだった様で、全員薬を受け取って多少警戒しながらもそれを流し込んだ。
「随分と太っ腹だな」
回復薬の大判振る舞いをした詩音にヴィクターが笑みを浮かべて言った。
「別に、そこまでの出費じゃないさ」
短く返してから、詩音は念の為回復薬を飲んだ子供の傷の様子を診てから、他にしゃべれない程重症な者が居ないの確認してから、一度ヴィクターを連れて荷車を降りた。
「お前、子供好きなのか?」
唐突にヴィクターが訪ねてきた。
「なんだい、急に?」
「なに、随分と手厚く見てたからよ」
その言われに詩音は視線を子供たちの居る荷車に向けて黙り込む。
正直、そこまで子供に優しく当たっていた自覚は無い。他の人間に接する様に、普通に相手をしているつもりだ。
しかし、端から見ていたヴィクターは、詩音のその様を「優し気」だと感じたらしい。
だがそれは、きっと思い違いだ。
詩音はただ不愉快なだけだ。
子供の悲鳴が。
子供の泣顔が。
聞いていて酷く気分が悪い。
見ていて酷く不愉快だ。
だから黙らせたい。
だから見たくない。
だからきっと、詩音は優しくは無いのだろう。
「……………いや、苦手だよ。特に泣いてる子供は」
「……そうかよ。まあ、お前が言うならそういう事にしとくさ」
「うん、しといてよ。――――――さてと。それで、あの子供たちどうする?」
話を切り替え、目の前の荷車を指して詩音は問う。
「うーむ……。ここで待たせておく訳にもいかんが、最寄の村や街まで送るのも手間だしなぁ……」
「送るだけなら、あの馬たちに頼めば何とかなると思うけど、子供だけってのもねぇ。護衛役が必要だよね」
「……馬とも話せるのか?」
「うん。まあ、魔物ほど詳しくは無理だけどね」
「はん。シオン、お前冒険者じゃなくて大道芸で食っていけるんじゃねえの?」
その発言に詩音は苦笑を浮かべる。
「冒険者の方がまだマシだよ。それよりヴィクター。君、召喚魔法の類は使えないの?」
再び問いかけるとヴィクターは腕を組み、難しい表情で応じる。
「使えない事は無いが、なぁ」
言い淀む槍兵に詩音は「何か問題があるの?」と小首をかしげる。
「俺の召喚術はちょいと触媒になる物が必要なんだが、今は手元になくてな。シオン、何か宝石の類持ってねえか」
「宝石?」
「まあ、厳密には宝石じゃなくても、魔力を込め易い鉱石なら何でもいいんだが……」
「あ、魔水晶ならあるよ」
「だよなぁ、都合よくそんな物持ち歩いてる訳……ん? 今なんて?」
自身の耳を疑いながら顔を上げるヴィクターの眼前に、詩音は《STORAGE》から取り出した魔水晶の欠片を差し出した。
淡い魔力光を発するそれを見て、ヴィクターはその美豹に驚愕の表情を浮かべた。
「……おいおい、随分な希少品が出てきたな、これは」
「使える?」
「十分すぎるつーの。つうか、この触媒に見合った術を組む自信が無ぇよ。本当に使っていいのか? 触媒にしたら、使い物にならなくなるぞ」
使い潰す事を躊躇う様に確認するヴィクターに詩音はさして気にした様子も無く頷く。
「別にいいよ。送り届ける手間が省けるなら、安いもんさ」
そう言って、魔水晶を押し付ける。
「はぁ……。わあったよ。後で後悔しても俺は知らんぞ」
諦めた様に欠片を受け取るとヴィクターは、
「少し離れてな」
一言、警告した。それに従い詩音は数歩後退する。
それを確認すると、ヴィクターは魔術を発動した。
掌上の魔水晶が赤い光を放つ。火属性の焔色の光とは違う、血色の光を放つそれをヴィクターはそっと地面に落とした。
水晶は地面に着くと同時に砕け散り、落下点を中心に複雑な陣が浮かび上がる。
詩音が普段使用する魔術とは勿論、魔法とも異なる術式によって発生した文様は一際強く輝きを放つと、次いでこの場に存在しない生命を呼び寄せる。
「へえ、これは―――――」
呟く詩音の目前には巨大な獣が佇んでいた。




