51話 槍士の戦い
「まったく、一声掛けてからやってよ。今僕ごと刺すくらいの勢いだったでしょ」
詩音の抗議にヴィクターは口許に鋭い笑みを浮かべて応じる。
「お前さんならあれくらい躱せるだろう?」
自身が数分前に投げ掛けた言葉と同じようなものを返され、詩音は思わず口を紡ぐ。
「まあ、それはいいとして、最後くらいは俺が貰うぜ」
「………そう言うならさっきの連中の相手手伝ってくれても良かったじゃん。子供逃がして直ぐ帰って来たと思ったのに、ずっと傍観に徹してくれちゃってさぁ」
「しょうがねぇだろう。手伝う隙も必要も無かったんだからよ。さっきのだってこのままじゃ冗談抜きに全部シオン一人で片付けちまうと思って無理矢理割り込んだぜ?」
クックッと短く笑いながらヴィクターは肩を竦める。
その直後、軽口を交わす二人に斧刃が迫る。
ヴィクターの乱入によって数メートルも後退した大男がなんとか体勢を立て直して、戦斧を振るったのだ。
その反撃を二人は危なげ無くその場から飛び退いて回避する。
大男は怒りによってか歯を強く食い縛りながらヴィクターと詩音を睨み付ける。
その表情を見た後に、詩音は視線をヴィクターに向ける。
野生味を感じされる美貌に肉食動物が如き狂暴性を浮かべて槍使いは前方の敵を見据える。
───これは、闘る気満々だな
滲み出る闘気を感じ取り、詩音は今日幾度目ともなる溜め息を溢してからヴィクターに言った。
「じゃあもう、あれは任せるよ」
《雪姫》を鞘に納め、踵を返す。
「応、じゃあ遠慮なく」
応答して、ヴィクターは数歩前に出る。
赤い外套を揺らし、顔面を憤怒に塗り潰した大男に群青の長槍の切っ先を悠々と突き付ける。
「つう訳で、こっから先は俺が相手だ。悪いが鬱憤晴らしに付き合って貰うぜ」
間合いは四間───。
八メートル近い距離を隔て、ヴィクターは告げる。
「くそ、ふざけやがって! 手前ら二人とも細切れにして馬の餌にしてやらぁ!」
叫び、大男が戦斧を掲げる。
同時に、赤い体躯が超疾する。鋭い双眼に殺意を宿し、紅の槍兵は獲物を狩らんと疾走した。
◆
奔る槍突はまさに閃光だった。
腕、肩、脚。一息の内には放たれる三連が男の肉を裂く。
致命傷は無いが、傷口から血が弾け飛ぶ度に男の体力と気力は確実に削られていく。
相手を消耗させ、確実に討ち取るのが彼の戦い方なのか、或いは、容易く勝負を終わらせる気が無いのか。
どちらにしろ、戦闘は一方的だった。
刃の如き殺気を纏うヴィクターの刺突を男は斧頭を立て代わりとして防ごうと試みるが群青の槍はその悉くを抜け、一突き事に男の身体を朱色に濡らす。
本来、竿状武器による戦いは、相手との距離を保つ事を基本とする。相手より間合いで勝る以上、ただ迫ってきた敵を迎撃するだけでも勝利し得る。態々自分から攻め入るなどと言うリスクを冒す必要はないのだ。
だというのにヴィクターはそのセオリーに反し、当然の様に前へ出る。
自身にとって最良の間合いを捨て、相手との距離を詰めるなど、尋常な槍兵であれば目も当てられぬ失態である。
しかし、距離を詰める毎に、地面を踏み込む毎に、ヴィクターの槍撃は重みを増していく。ヴィクターの槍に後退は無い。
突撃の勢い、踏込の反動。全てを己が力と速さに変換して岩石すら打ち貫きかねない破壊力の塊へと変じていく。
尋常な槍士ならば失態と言える行動。しかしヴィクターは『尋常』の枠組みに収まる者ではない。
この男には、詩音同様に戦いの定石などありはしないのだ。
目にも止まらぬ連撃をすでに血まみれとなった戦斧使い如きが防げる道理などありはしない。
男はなんとか槍の間合いから脱しようと後退する。
だが、野獣が易々と獲物を逃がす筈も無く。
空いた距離は踏込の間として、紅の獣はさらに加速する。
放たれる強撃の連打は、ひも解けば単調な打突に過ぎない。しかしそれも極まれば、敵の逃げ道を塞ぐ刃の檻と化す。
男が一撃を防ごうとすれば、その隙を突いて五つもの刺突が男の肉を抉る。
最早戦いなどと呼べる代物ではない。
あの槍は速いのでもなく重いのでもなく、ただただ、巧い。剣や弓同様に、槍の術利も習熟と呼べる、或いはそれ以上の練度で納めている詩音から見ても、ヴィクターの槍捌きは見事だった。
守りの型は無く、瀑布の如き攻めで敵を完封していた。
そして―――、
不意に男の身体が大きく傾く。
今までの豪雨の様な打突から一転、ヴィクターは群青の槍を翻し、その柄で男の脚を払ったのだ。
単純な槍撃にすら対応できていない男が、この変則に対応できるはずも無く。横転する巨体にヴィクターは強烈な蹴りを叩き込む。
「ぐっ――――!」
槍と同等の勢いを持ったその一撃で男の巨躯は数メートル程吹き飛び地面に転がる。
そして、
「さて、そろそろ飽きてきた。終いにするか」
何とか体勢を立て直す男を見据え、ヴィクターはそう口走る。
直後――――――、
「ん―――?」
呟きは、その異変を感じ取った詩音のもの。
ヴィクターの手の中で長槍がどくんと脈動する。
そして、ゆらりとした動作でヴィクターはその穂先を数メートル先の男へと向け、
「その紅血、頂戴する」
その言葉が呪文だった。
一瞬、群青の槍が怪しく光る。それは、魔力の放出による超常の光。
瞬間、男の全身から血潮が迸った。
「ぐあぁぁぁ!!!!」
男の口から絶叫が走る。
これまでの連撃によって刻まれた傷が、突然その規模と深さを増して大量の血液を噴きだしたのだ。
「何今の?」
詩音は呟き、それに無機質な声が返答する。
『A 詳細不明。槍の効果による干渉と予測されます』
《HAL》システムが予想を提示する。状況からするにそう仮定するのが妥当だろう。
詩音が不思議がっている間も、男の身体からは絶え間なく血が流れ出す。しかし、それだけで終わりはしなかった。
吹き出し、飛び散った男の血液はそのまま地面に落ちるのではなく、ヴィクターの槍に吸い寄せられていく。
集約した血液は槍の穂先に吸い込まれ、そのまま槍全体へと行き渡って群青の槍身を紅に染めていく。
その光景に詩音の脳裏に《吸血鬼》と言う言葉が過る。
「頑丈な野郎だな。これだけ吸ってまだ倒れねェのか」
少し呆れたようにヴィクターが呟く。
男は苦痛と失血による倦怠感に顔を歪めながら、鬼のような形相でヴィクターを睨みつける。
「こ、の……くそがあああああ!!!!」
絶哮が川辺に轟く。
薄れる意識を呼び起こすように男は吠え、巨大な戦斧を掲げてヴィクターへと猛進する。
その様にヴィクターは小さく溜息を吐き、血色に染まった槍を構え直した。
血衣を纏い迫る男は最早死に体。しかし、その歩みを止めない限りは、どれだけ弱ろうとも己を害する敵である。
槍兵はゆっくりと紅色の槍を引き、迫る巨躯の心臓を穿たんとその穂先を向ける。
しかし、血の刃が奔るより先に、
「はい、そこまで」
銀線が男の身体を捕らえた。
少女のものとも思える幼げな声と共に放たれた銀色の細い糸が、男の腕を、脚を、胴を拘束する。
「な、なん、だっ!」
身体を締め上げる、絹糸のように細く滑らかなそれに、男は驚愕の声を上げ、同時に何とかその戒めから脱しようと手足を振る。
だが、引けば簡単に千切れてしましそうな細糸は、そんな抵抗を物ともせずに男の身体を捻じ曲げ、地面へと伏せさせた。
「ぐっ──あ……」
その衝撃で、男の意識が途切れる。
「こりゃまた、珍妙な物を出してきたな。なんでぇそりゃ?」
拘束され、意識を失った男から視線を外し、ヴィクターは戒めの糸、《竜線》を伸ばす詩音へと問いかけた。
「異国由来の何とやらさ。それより、殺すなら知ってる事全部吐かせてからにしてよ」
「おう、そいつは悪かったな。思った以上に往生際が悪いもんで、面倒になっちまってな」
ヴィクターから、殺気が引いていく。
敵を横取りし返された槍兵は若干不服気ながらもその刃を納めた。




