50話 人を殺す者
鈍色の刃が迫る。
ある者は罵声を上げながら、ある者は哄笑しながら、暴力に酔い切った表情を張り付けたまま各々の武器を掲げて詩音へと突撃する。
「弓兵がのこのこ姿を現しやがって、この間抜け!」
賊の一人が罵りながら詩音に向けて直剣を振り翳した。
確かに尤もな感想だ。本来弓の利点とは、魔法使いと同等、或はそれ以上の長い射程を持つという点。
長槍を遥かに上回る間合いを生かした後方からの一方的狙撃を行ってこその弓兵である。
その利を放棄し、盗賊達の前に姿を晒した時点で弓使いの敗北は決定している。
尤もそれは―――――
対峙する人物が常套な弓士であったならの話である。
上段から渾身の力を籠めて振り下される一刀。
雑な一撃ではあるが、速度と威力は十分人命を刈り取って余りある。
そんな致死の刃を詩音は悠然と構えたまま半歩左に避けて回避した。
狙いを無くした刀身が無意味に空を薙ぐ。
直後、剣を空振った男の身体が転倒する。回避と同時に詩音は、男の右手首を掴み長弓で軸足を鮮やかに刈り取ったのだ。
男がその事実を認識したのは仰向けに倒れ、背中を強かに打ち付けた後だった。
そして、手足が弾け飛んだと錯覚するほどの衝撃に見舞われる男の手から、詩音は容易く直剣を奪い取ると、何の躊躇いも無く男の利き脚の太ももにその切っ先を深々と突き立てた。
激痛に男が悲鳴を上げる。一突きで骨と筋を断たれた男に最早戦闘能力は無い。
「この野郎っ!!」
「死ねやっ!!」
続き、二方向から十字槍を構えた男と片手斧を掲げた男が雄叫びを上げて突っ込んでくる。
突進の速度はほぼ同じ。しかし武器の長さの関係上、槍使いの方が先に詩音の間合いに入るだろう。
詩音は倒れた剣士の脚から直剣を引き抜くと、そのまま槍使いに向けて投擲した。投げ放たれた剣は低い軌道で飛翔し、槍使いの右脚を鈍い音と共に穿つ。
右脚が支えとしての機能を喪失した槍使いの体は詩音の間合いの手前で大きく前方に倒れる。
必然、十字の槍は詩音に向けて突き出される形になるが、攻撃でもなんでもないそれが詩音に届く筈も無く。
詩音は槍の柄に手を伸ばして転倒する槍使いの手から奪い取ると、そのままの勢いでもう一方から迫り来る片手斧使いに向けて突き出した。
一連の動作は流れるように。
突き出された十字槍の穂先は片手斧使いの脇腹を適確に貫いた。
十秒。先手を取ろうと突っ込んだ三人の賊は僅か十秒の間に全員が行動不能に陥った。
その事実に残る七人は思わず脚を止め、互いに次に斬り掛かる役を押し付ける様に視線を交わす。
だが詩音が、待つ気は無いと言った様に一歩前に踏み出すと、賊の一人が堪らずと言った様子で左手を前に突き出し、早口で詠唱を始めた。
「闇の帳、恐心の具現。我が身が求めしは咎世の住人──《召喚・想造悪魔!!」
四節の詠唱を終えた瞬間、賊達の前方に魔法陣が描かれる。次の瞬間、魔力光を放つ陣の中心に大柄な影が出現する。
闇属性に部類される召喚魔法によって呼び出されたのは、二メートルは下らない長身の魔物。
四肢五指を備え、二足を以て立つ物を人型と呼ぶのであれば、それは確かに人型と言える。
しかし、明らかにヒトでは無い。
細く、しかし引き締まった筋肉に覆われた手足は異様に長く、漆黒の皮膚を纏った身体の上に乗っているのはヒトの頭では無く、痩せこけた山羊のそれ。
背には蝙蝠を思わせる皮膜を持った翼を一対備え、土気色の双眼は詩音へと向けられている。
魔物の全容を視認すると同時に、詩音の脳裏に無機質な声が響く。
『情報を提示。《|想造悪魔》。エネミーランクB。構想種系の魔物と報告。構想種は物理的干渉に対して一定の耐性を備えています。よって魔力による攻撃を推奨します』
初見の魔物に《HL》システムが自動的に情報を提示する。
構想種。それはヒトの心が生み出した虚像。生物として確立されている普通の魔物や動物と異なり、ヒトの妄想や恐怖と言ったイメージが何らかの理由で実体を持って生まれた存在である。
「殺せっ!」
虚像の悪魔は己を呼び出した主の命を受け、魔力を躍動させる。
釘の様な歯が並ぶ口が大きく開き、その口内から赤い焔が溢れる。
それは渦を巻き、火球となって低い咆哮と共に放たれた。一発では無い。続けざまに更に五つ、合計六発の火球が詩音へと迫る。
高速で飛来するそれ等は、一撃で人間など消し炭にするであろう熱量の塊。
直後───
爆音が六つ。断続的に川辺に轟いた。
熱風が吹き抜け、巻き上げられた土煙が視界を閉ざす。
その光景に盗賊達は揃って勝利を確信した様な笑みを浮かべる。
だがその表情も、
「………っ!?」
次の瞬間には驚愕に塗り潰されていた。
朦々と立ち上る粉塵の中で、純白の影は平然と立っていた。
外套に僅かな土を着けているだけで、その身に傷や火傷は一切無い。相も変わらず身の丈以上の黒い長弓を握り、その場に佇んでいる。
しかし、一点だけ爆発前と違う部分があった。さっきまで徒手だった右手に一本の焼け焦げた槍が握られている。
一連の出来事を視認出来た者は果たしてこの場に居ただろうか。
詩音は迫る焔を見据えたまま、爪先で先ほど賊の一人の脇腹を貫いた十字の槍を蹴り上げ、胸の高さまで上がったその柄を握ると同時に、迫る六つの火球を槍と長弓を使っていとも容易く打ち払ったのだ。
「な、なんだよあいつは!?」
張り詰めた声で賊の一人が叫ぶ。
直後に、再び召喚師から想造悪魔に攻撃の命令を下り、その顎が開かれた。
魔力が焔へと変換され、火球が形成され始める。
しかし、その焔が解き放たれる事はなかった。
火球が発射される直前で、空気を切り裂く風鳴りと共に飛来した十字槍が火球ごと悪魔の口腔から後頭部までを貫いた。
「え………?」
呆気に取られた様な声と共に盗賊達の視線が集約する先で、悪魔が崩れ落ちる様に倒れ、次いで灰となって消えて行く。
召喚師が視線を再び前方に戻すと、そこには弓を突きだし、矢を射った直後の姿勢を取る詩音の姿があった。
本人の力量か、はたまた槍を射った弓の性能か、詩音はBランクの構想種をただの一撃で沈めて見せたのだ。
「そんな馬鹿な───」
誰かが呆然自失と言った様子で呟いた。
だが、障害物を取り除いた詩音が更なる攻撃を仕掛けようと空いた右手に氷の矢を出現させたのを見て、先ほど悪魔を召喚した召喚師が慌てて身構え呪文を詠唱し始めた。
しかし、詠唱が完了するよりも、
「──がっ!」
詩音の放った氷矢が召喚師の腹を穿つ方が早かった。
召喚師の身体が倒れ、苦悶の呻きを溢しながら踞る。。
「まだ魔法使いは居る? 面倒だから真っ先に黙らせたいんだけど」
何気無い口調でそう訪ねる詩音。
当然馬鹿正直に答えて貰えるとは思っていない。この質問に少しでも反応した者がいれば次はそいつを討とうと思っての問い掛けだ。
しかしそれらしい反応を示す者は居なかった。
代わりに残る六人全員が武器を掲げて一斉に突撃してきた。
遠距離攻撃や防御支援が可能な魔法使いを失った賊達にとって、弓を持つ詩音に対して距離と言う行為は下策中の下策。有効な攻撃または防御手段が無ければ一方的的に矢を射掛けられてハリネズミにされるのは目に見えている。
故に彼らには突撃と言う選択肢しか残されていない。
半ば自棄になった様に叫びながら六人で一斉に剣や斧を振りかざす。
しかしその直後、男達の眼前から詩音の姿が消失した。
「─────っ!」
全員が揃って息を呑む。
無理もない。
つい先ほどまで、確かに目の前に居た筈の詩音が文字通り消えたのだ。
男達は慌てて全方位に視線を走らせるが、何処にも詩音の姿は見当たらない。
逃げたのか───?
そんな考えが全員の脳内に浮かび上がった。直後───
「え───?」
短い悲鳴と共に、賊の一人が身体を大きく傾ける。
その両脚から赤い血飛沫が噴水の様に迸る。力無く倒れるその男の顔に浮かんでいたのは痛みや苦しさに対する苦悶の類いではなく、「何が起きたのか分からない」と言いたげな疑問に満ちた表情だった。
幾度目ともなる驚愕が男達に降りかかる。
何が起きたのかが理解出来ない。
相も変わらず盗賊達の視界に詩音の姿は映らない。何の前触れも無く、味方の一人が血を噴いて倒れたのだ。
「な、なんだよ今のはっ!」
曲刀を握り締めた男が半ばパニックに陥った様子で叫ぶ。
「幻術かなんかか?」
直後、その曲刀使いの両手が飛ぶ。
肘の当たりから切断されたそれが曲刀を握りしめたまま朱色をまき散らしながら宙を舞う。
「ぎゃあああああ!!」
絶叫が走る。
どぼどぼと滝のように血を垂らす傷口を押える事も出来ずに曲刀使いは激痛と出血のショックで地面に伏す。
あまりにも不可解な出来事。あまりにも不条理な現象。
しかし、魔法・魔術の類いにあらず。
詩音は姿を隠しても、この場から逃げだしてもいない。変わらず盗賊達の前に立っている。
ただ賊達が眼前の詩音の存在を認識できていないだけだ。
人間の意識には波長がある。
それは意識と無意識の波。
本人は常に意識を一定に保っているつもりでも、その実人間の脳は意識の覚醒状態と非覚醒状態を交互に繰り返しているのだ。
そして、視覚や聴覚などの感覚器官から送られて来た情報は脳がそれを処理する際に必要な情報は意識へ、不要な情報は無意識へと振り分けられる。
これは、人間の脳が常に覚醒状態を維持したり、入って来る情報の全てを許容するだけの容量を持ち合わせていないが故に起こる現象。
詩音は、その現象を利用する事で、眼前の盗賊達の認識から逃れているのだ。
《真理の魔眼》によって相手の意識の波長を看破し、非覚醒状態の時に視覚の焦点から数歩身を躱す事で自身の存在を相手の無意識の領域に落とし込む。
そうなれば、もう詩音を認識する事は出来ない。
相手の認識上、情報上の自分を消す事で、自身の存在を相手の無意識の領域へと滑り込ます技。
詩音が編み出した独自の殺害術。
それ等を総じて、《死法 》。
これは、その一つ。
即ち、第壱死法・《阿頼耶識》。
「どうなってるってんだ!!」
悲痛とも言える叫びを上げ、盗賊達は一斉に数歩後ずさる。
姿が見えない。いつ斬られるかもわからない。
その理不尽な現状に賊達の戦意は瞬く間に消えていく。だが詩音は、そんな事は知った事ではないと言った様に無慈悲に、無遠慮に無意識の領域から純白の刃を振るう。
なんとかその姿を見切ろうと必死に詩音を探す盗賊達だが、その行為が逆に全ての感覚器官の効果範囲を狭め、無意識の領域を広げて行く。
そして無意識の拡大は、即ち詩音の活動領域の拡大を意味し、その姿を見つける事が困難になっていく。
認識できない斬撃を回避することなどできるは筈も無く、一刀一振りごとに盗賊達は四肢を穿たれ、腱を断たれ、運動能力を剥奪されて地面に転がる。
時間にして一分足らず。十人の賊物たちは、詩音に触れる事も出来ず、その挙動を捉える事も出来ずに血と呻きをまき散らすだけの無力な肉塊へと成り果てた。
そして、そのまま此方を認識できていないリーダーの大男も切り捨てようとした詩音たが、唐突に動きを止め、同時に《阿頼耶識》を解除した。
それで、戦斧使いの男は漸く詩音の存在を認知できた様で、驚きの表情で額に汗を滲ませる。
「おかしな術使いやがって!」
怖じける心情を鼓舞する様に吠え、男は巨大な斧頭を詩音目掛けて振り下ろす。
その一撃を前に詩音は素早く膝を折り、身体を沈める。
横一文字に薙ぎ払われた戦斧のぶ厚い刃は詩音の髪一本切れずに虚しく空を切り裂いた。
大振りの奇襲を躱された大男の上体がその勢いに引かれて大きく流れる。
決定的な隙。
詩音ならば一息の間に男の四肢を落とし、首を跳ねる事すらできる。
しかし、そうはせずに、詩音は軽く身体を右に逸らした。
――――――――直後、すれ違う様に背後から群青の一閃が飛来した。
先の斧撃よりも遥かに速く鋭い一撃が一直線に大男の戦斧の斧頭を突き、その巨体を数歩後退させる。
「――――ちょっと、僕ごと刺す勢いだったよね?」
振り返り、詩音は苦言を吐く。
「悪いな。あのままじゃ俺の狩る分が無くなりそうだったからよ」
その視線の先で、紅の槍士が不敵な笑みを浮かべて槍を構えていた。
霧咲詩音の特殊スキル
《阿頼耶識》
詩音が持つ独自の殺人術、《死法》の一つ。
独自の呼吸と歩法を用いる事で、相手の無意識の領域へと入り込む暗殺歩方。
どれ程警戒していても、その警戒の対象を生物としている限り、詩音を認識する事はできない。
その気になれば数十という非常に大勢の人間に対して同時に使用できる。
尚、名前が和風なのは、詩音本人ではなく霧咲枯暦が命名した為。
報告 24話の挿し絵を変更しました。




