4話 妖精族
妖精達の口から発せられたのは、詩音に向けた五者五様の謝罪だった。
《闇妖精》の少女のおかげで妖精達は剣を収め、話し合いが可能となった。
「気にしなくていいよ。此方も少し大袈裟に抵抗しちゃったし」
無力化を計らうとして、地妖精の男の武器を破壊してしまった事もあって、詩音自身彼女等を責め立てことはしなかった。
「そう言って貰えて助かるわ」
水妖精の少女はそう言って微笑む。
(しかしあれだなぁ。美少女四人にイケメン二人って……妖精ってのは皆美男美女なの?)
『A そのようなデータはありません』
(あっそ。まあ、漸く会えた情報源だし、ここはポイント稼ぎしといて損は無いかな)
「取り合えず、何処か落ち着ける場所を探さない?そっちの子も休んだ方が良さ気だし」
「それだったら、少し遠いけどボク達の野営地点があるから、そこへ行こう」
鍜治妖精の少女の肩を借りた闇妖精の少女が提案した。
「ん? 僕も行っていいのかな?」
「勿論。助けてくれたお礼もしたいし。みんなもいいよね?」
黒妖精が訪ねると、各々から「構わない」という主旨の返事が返る。
「それじゃ、御言葉に甘えさせて貰おうかな。えーと……」
「あ、自己紹介まだだったね。ボクはクレハ。クレハ=グレイス。《黒妖精》だよ」
黒妖精、クレハの自己紹介に続いて他の妖精達も名乗り出す。
「私は《水妖精》のアリス=トゥリーナ。よろしくね」
「あたしはシャルロット=カスパー。《鍜治妖精》よ。皆からはシャルって呼ばれてるわ」
「俺はカイン=ハヴロ。《火妖精》だ。斬り掛かって悪かったな」
「エリック=サトラス。《地妖精》だ。よろしく」
「…………シーナよ。シーナ=ストラトス。《風妖精》」
最後に名乗ったシーナという風妖精の少女は、何故か詩音を睨んでいた。弓を背中に担ぎ、警戒の眼差しを向けるその姿は、まるで狩りを得意とするヤマネコの様だ。
少女の視線を感じながらも、詩音はフードを消して長い髪を外へと流す。
「ぁ…………」
誰かが驚いたように小さく声を上げるのを聞きながら、詩音は己の名を名乗った。
「僕はシオン。霧咲詩音。苗字が先にくるのは珍しいかもしれないけど気にしないでほしい」
●
クレハ達の野営場所に辿り着いた時には、もうすっかり空は紅に染まっていた。
クレハには出発前にアリスが《回復魔法》なるものを掛けて治療を施しており、傷に関しては既に完治している。
正直、詩音が竜の姿になって飛んで行けばすぐに着いたのだが、折角妖精達が此方に害意が無いことを理解しているのに、竜の姿になって再び警戒されては面倒なので、結局歩きで移動した。
「へぇ、皆の武器はシャルが作ってるんだ」
「そうだよ。シャルの武器はどれも業物揃いなんだ」
詩音の隣で、クレハがまるで自分の事のように自慢げに言った。
「鍜治仕事は《鍜治妖精》の十八番だからね。まあ、シオンに軽くぶっ壊されたけどね」
「あー……ごめん……」
「いいっていいって。また新しいの作るから」
野営のテントの前で焚き火を囲みながら、そんな会話を交わす。
彼女等は冒険者という職業をしているらしく、野暮用でこの森に来ていたとの事。
そして、皆と離れて行動していたクレハは運悪く通り掛かった盗賊に鉢合わせしてしまったと言う。
詩音はそこに出会したという訳だ。
「そう言えば、シオンは何故この森に?」
地妖精のエリックがそんな質問をしてきた。しかし、まさか目が冷めたら突然竜になっていてとして洞窟に居たから人里を目指していた等と言える筈も無く。
「僕は旅の途中で道に迷ってね。さ迷ってるうちにあの辺りまで辿り着いたんだ」
適当に嘘を並べて曖昧に答えた。
「旅?それにしては随分と身軽な格好してるな?」
詩音の鞄の一つも持たない格好に、カインがそう訊ねた。
「それが大変だったんだよ。本当は荷物を乗せた馬が一緒にいたんだけど、少し目を離した隙に走って逃げちゃって。多分何か危険な生き物でも見たんだろうね。それで、馬と荷物を探しているうちに道に迷っちゃったってわけ」
我ながら、息をするように嘘偽りが口を吐くものである。
「それは災難だったわね」
そんな詩音の嘘を一同完全に信じたらしく、アリスを始め、口々に労ってくる。しかし、やはりシーナと名乗った《風妖精》の少女だけは、会話に参加せずにココアもどきを啜っている。
「皆はなんでこの森に?」
ボロが出る前に話を変えようとそう訊ねると、
「「「「「……………」」」」」
途端に全員口を閉じて俯いてしまった。どうやら話題の選択を間違えたらしい。エリックも、自分の質問が不味かったと言うように顔を曇らせる。
「ごめん、聞かない方がよかったかな」
すぐに謝罪すると、隣でクレハが首を振った。
「あ、ううん大丈夫、気にしないで。……ねぇ、皆」
クレハが呼び掛け、妖精達は顔を上げて目を向ける
「シオンに話しても良いかな………。ボク達の里の事」
「ダメよ、外の者に話すなんて危険だわ」
真っ先にそう答えたのは、弓士シーナだった。
他の者達も、互いに目線を配りあってどう答えるべきかを悩んだいる。
どうやら訳ありのようだ。ならばと詩音は妖精達の意見が固まるまで待つ事にした。
「聞かれたくない相談なら席を外すよ。別に無理して話す必要もないし」
「うん。ありがとうシオン」
クレハの言葉に軽く頷いてから、詩音は腰を上げる。そのままテントから離れて、近くを流れる小川へと足を運ぶ。
この距離なら小さな話し声は水の流れる音に紛れ込む。
意識すれば話しの内容を拾う事も出来るが、別にそこまで興味がある訳ではないのでそうしない。
流れて来る声音を無意識の領域に捨てながら、詩音は空を見上げる。
―――――参ったなぁ、見たことある星ばっかりだ。
澄んだ夜空に散らばる光を見据えながら詩音は胸中でぼやいた。
輝く星々の配置、明暗、軌道に至るまで、全てが詩音の知る世界の物と同一。
だからこそ詩音はこの世界が自身の知る世界とは異なると言う確信を得る事になった。
星々が指し示すこの場の座標に本来広がっているべき光景と今詩音の視界に映る光景は余りにも異なっている。
―――――本来なら一面雪景色の筈なんだけど…………。まぁ、取り敢えずこの世界も球形ではあるみたいだし、これ以上は考えるだけ無駄か
思考を切り、今度は何の情報を求めるでも無く、ただただ星々の光を眺め続ける。
十分程経っただろうか。日が沈み、ぽつぽつと姿を現し始めた星を見上げていた詩音を、クレハが呼びに来た。
「話は着いたかい?」
「うん。シオン、少し話しを聞いて欲しい」
そう言うクレハに着いて、再びテントの前へと戻ると、妖精達が真剣な目を詩音に向けた。
「シオン、ボク達がこの森に来た理由を聞いて欲しい」
詩音が小さく頷くと、クレハはゆっくりと自身等の目的を語り始める。
「ボク達は竜を見つけて、その血を手に入れる為にこの森に来たんだ」
その言葉に、詩音は内心僅かに警戒した。
「竜の血液?なんでまたそんな物を?」
心の内を出さずに問い掛けると、クレハは一度他の妖精達に目配りし、最後の承諾を得ると答えた。
「今、ボク達の故郷である 《フェルヴェーン》で、《鋼死病》が蔓延していて、その治療に竜血が必要なんだ」
鋼死病。聞き覚えの無い病名である。詩音はクレハの話を聞きながら、同時に《HAL》システムに解説出来るかを訪ねる。
『A 《鋼死病》。妖精族に稀に発症する病です。発症した場合の症状は、体内の魔力が変質し肉体を金属質な物へと変化させます。初期症状は皮膚が硬化し、その後筋肉、骨、内臓までが変化して、最終的に死に至ります』
(何それ怖っ。しかし、それで何故竜の血を探しているんだ?)
『A 竜種の血液には状態異常への耐性があり治療薬の材料として使用した場合、摂取者の状態異常を打ち消す効果を発揮します』
(病気は状態異常なのか。それにしても、魔法耐性、物理耐性に加えた状態異常耐性って。竜種固すぎ)
「で、君らは竜を倒して、血を抜き取る為にこんな森の奥まで赴いたってわけ?」
詩音がそう問い掛けると、クレハは「まさか」と苦笑を浮かべる。
「《鋼死病》を治せるレベルの状態異常耐性となると、下位の飛竜や土竜じゃ無くて、中位以上の竜種になる。そんなの、国規模で挑んで勝てるかどうか。ボク達だけでなんて絶対不可能だよ」
「じゃあ、どうするつもりなんだい?」
訪ねるとクレハは目線を詩音から目線を外して、遥か南の方角を見た。その方向には、詩音が目を覚ました洞窟がある山脈が連なっている。
「ここからずっと南にあるギルズ山脈には、三千年以上前に強力な力を持った竜が封じられているって言われてるんだ。その封印の場所まで行って、そこで竜血を手に入れる」
ギルズ山脈に封印された竜。まさか自分の事じゃ無いだろうなと思いながら、詩音は一切表情を変えずに更に問い掛ける。
「へぇ、そんな話があるんだ。でも、それって本当なのかい? ただの言い伝えって可能性は?」
「うん、私達も最初はそう思ってた」
詩音の指摘にアリアは首肯と共に応えた後で「でも、」と付け加えてクレハの方を見た。
そして、その視線に応じる様にクレハが言った。
「ボク、見た事があるんだ。ギルズ山脈の竜を」
その答えに詩音は「えっ」と思わず声を零した。
「小さい頃に父さんに連れられて一度だけギルズ山脈にある洞窟に行ったんだ。その洞窟の中で確かに白い大きな竜が氷に閉じ込められているのを見たんだ」
ギルズ山脈、洞窟、氷、白い大きな竜。
心当たりのある用語が連続だった。
そんな詩音の内心など知る筈も無い妖精達は、そのまま話しを続ける。
「って訳で、クレハの記憶を頼りにその竜の居たって言う洞窟を探しに行こうって事になった訳よ」
シャルロットがカップを揺らして中の液体をかき混ぜながら言う。
「えっと………クレハの話って、随分前の事だよね。言っちゃ悪いけど、信用していいの?」
「確かに、本当に小さい頃で記憶も曖昧だけど、その竜の姿を見た時の事は鮮明に覚えてるんだ。とっても大きくて、綺麗で………。きっとこっから先何百年経っても、あの瞬間の光景だけは忘れないと思う」
詩音の不躾な指摘に欠片も憤慨する様子無く、クレハは過去に思いを馳せるかの様に語る。
と、アリスがそんなクレハに優しげな微笑みを向けながら口を開いた。
「クレハはこの手の話に関しては本当に記憶力がいいからね」
「それに、俺達だけで中位の竜を倒して鱗を手に入れるってのに比べたら、よっぽど現実的で可能性のある話しだ」
アリスに続く様にカインは笑みを浮かばて付け加えた。
「そっか…………それで、わざわざその話をした理由は?」
訪ねると、クレハは蜂蜜のように優しい金色の瞳が、真っ直ぐに詩音へと向けて口を開く。
「シオン。君の力を貸して欲しい」
「……それは竜の血液の入手を手伝って欲しいって事かな?」
「ギルズ山脈には強力な魔物が多く生息しているらしいんだ」
「で、少しでも戦力が欲しい?」
クレハは頷く。確かに詩音が居た洞窟には多くの化物がいた。それらを指して魔物と言うのだろう。
「……他の皆は?」
詩音の同行に不満は無いのか。今まで静かに詩音とクレハの会話を聞いていた妖精達に訪ねると、
「俺はシオンが来てくれるなら心強い。シオンの強さなら、戦力としては申し分ない」
そう答えたカインを筆頭にアリス、シャルロット、エリックも、詩音の同行を望んだ。
そして、一瞬、悩む仕草をみせたシーナも、最終的には反対しなかった。
シーナは詩音を快く思っていない。
それは態度を見れば明らかだ。
だが、それでも自身の故郷を救える可能性を少しでも高めたい故に頷いたのだろう。
「シオン。お願いできないかな。勿論報酬は出来る範囲でなんでも差し出す。だから、どうか力を貸して欲しい」
頭を下げるクレハ。アリス達も、各々の言葉で祈願する。
「…………少し、質問してもいいかな?」
「え?あ………うん」
「何故僕みたいな素性の知れない奴にその話をして、協力まで頼もうと思ったんだい? 僕は君たちにとっては降って沸いた部外者だ。君たちの信用を得られる存在じゃ無いと思うけど?」
投げ掛けた質問。
それに対するクレハの答えは簡潔な物だった。
「シオンは、ボクを助けてくれた」
他の妖精達も言葉は違えど「仲間を助けてくれたから、少なくとも悪い奴じゃない」という意味合いの言葉を返した。
(それは他人を信用する理由としては下の下だよ………)
正直言って詩音は呆れた。
その程度の事で、自分達の故郷の危機を暴露し、それを解決する為の旅への同行を依頼するなど、警戒心が無さすぎる。そう思った。
だが折角出会った情報源を手放すのは躊躇われる。
かと言ってここで素直に承諾してまた山に引き返すのも面倒くさい。
数秒間考えた後、詩音は口を開いた。
「もう一つ聞くけど、竜の血液はどのくらい必要なんだい?」
それに答えたのは、鍛冶妖精シャルロットだった。
「そうね………。中位竜となると耐性も高いし………そこまで馬鹿みたいな量は要らないと思う。」
「そっか」
短く答えて、シオンは再び席を立ち、そのまま十メートル程全員と距離を取った。
「シオン?」
詩音の行動が何を示すのか分からずクレハが不安げな声を上げた。
それを背中越しに聞き流しながら、詩音は左腕の袖を肘の上程まで捲り、次いで右手に氷の短剣を造りだした。
そして、次の瞬間。
「!?」
詩音は何の躊躇も無く、氷刃で自身の左手首を深々と切り裂いた。
妖精達が口々に驚きの声を上げて立ち上がる。
裂いた傷口からは鮮血が湧き出る様に流れ出し細く白い腕を伝い落ちる。
「シオン!」
再び、クレハが悲鳴にも似た声で名を叫びながら駆け寄ろうとする。
その姿を一瞥し、詩音はスキルを解放した。
「!?」
夜営地である開けた平野に冷気が旋風となって吹き抜け、氷雪が視界を覆ったのだ。強く燃えていた焚き火の炎は、雪と氷を内包した風により吹き消され、周囲を照らす明かりが失われる。
ほんの数秒。それで冷風は治まった。視界を潰した氷雪は消え去り、再び森の風景が姿を現した。そして─────。
「─────」
全員が息を呑んだ。炎による人工の光が無くなり、月明かりにのみ照らされた森の平野。そこに巨大な竜が居た。全身を薄く透き通った純白の鱗で覆い、白銀の鬣を冷風の名残に靡かせた白竜。背中の大小二対の美しく巨大な翼を広げて佇むその体は、月光を反射して優しく幻想的な輝きを放っている。
誰も、動けなかった。突然の竜の出現に思考が着いて行かない訳ではない。確かに突然の事で動揺はしているが。
「綺麗………」
皆が抱いた感想を、クレハが呟いた。
何よりも皆見惚れていた。そのあまりの美しさに。
数分か数秒かの停滞が平野に訪れる。純白の竜と妖精達。その光景はまるでお伽噺の一節のよう。
「シオン………?」
白竜の姿に溜飲を溢しながら、覚束ない言葉でクレハが問うと
竜は静かに長くしなやかな首を振って頷くと、ゆっくりと腕を掲げる。
そして、クレハの前に差し出されたその腕から、紅い血液が垂れ落ちる。
その青と白銀の身体と対を為すかの様な赤黒いそれはクレハの目線の高さまで来るとまるで其処に透明な容れ物があるかの様に停滞し、空中で貯まっていく。
数拍の間に竜血は八面体の形を取り、次いでその表面を薄い氷の膜が覆い、真紅と青銀の結晶が創り上げられた。
暫く中空に留まっていた結晶がゆっくりとクレハの方へと移動する。
両手で抱えられる程度の大きさのそれを受け取ると、クレハは再び対峙する白竜に視線を向ける。
「シオン……君は………」
漸く再起動できたのか、そっとアリスが小さく呟き、その後で再び平野に冷風が舞い込む。
白竜の身体の鱗が舞い散る桜のように剥がれて風に流れ、その全てが消え落ちた時、その場には月下に白銀の髪を靡かせたシオンが立っていた。
「僕はシオン。人間であり、同時に白竜でもあるらしい存在だ」
もう一度、今度は己の在り方も含めて、詩音は名を名乗った。