46話 予期せぬ相棒
「──今んとこ渡せるのはこの辺りかな」
フードの下から淡い赤髪と藍色の瞳を覗かせた小柄な少女、情報屋シアは数枚の紙束を差し出しながら言った。
「……………」
紙束を受け取り、詩音はパラパラとその内容に目を通す。
「うん、ありがとう」
「しっかし、今更になって《黒の魔狼》の情報が欲しいなんてな。もう殆どの奴らが気にしてない事だってのに」
「殆ど、ね。じゃあ一部では未だにあの魔獣の事を探ってる人達も居る訳か」
そう訪ねると、シアは辺りに人気が無いのを確認してから返答した。
「その通りだ。主に高位の冒険者達が黒の魔獣の事を詳しく探ろうとしてる」
「ふーん。やっぱり、納得出来ないよね」
半月程前に詩音達が遭遇・討伐した魔獣、通称《黒の魔狼》は狼型魔獣が自然界で突然変異的に変化した奇形体であると言う結論が組合から発表されたが、一部の者達は詩音と同様に、その発表の真偽に疑いの感情を持っている様だ。
発表とほぼ同時に国が死体を専門的な調査を行うという名目で回収し、その後何の音沙汰もないのも不信感を煽る原因となっているのだろう。
「まあ、あんなあからさまに戦闘に特化した能力持ってるのに、偶然生まれた異常体です、なんて言われて素直に「そうだったのか」とは思えないよね」
「でも、組合から正式発表であったのは事実だ。仮に発表が嘘だったとすれば組合はあの魔獣について何か隠してるのか、」
「あるいは、外部からの圧力によって隠蔽せざるを得なかったか」
シアの言葉を引き継いで詩音は呟いて紙束を丸めてコートの内側にしまうと、入れ替わる様に入った小さな革製の袋を取りだしシアに渡した。
「まあ、調べていけばその内解るさ」
袋の中には今回の分の情報料が入っており、シアは「毎度あり」と言って受け取ったそれを懐にしまい込む。
「それもそうだな。オレも次回はもう少し面白いネタが掴める様にがんばるとするか」
シアはそう意気込む。
だが、
「いや、今まで色々探って貰っておいて勝手だけど、もうこれ以上シアはこの件に関わらない方がいい」
詩音は何処か冷たい口調で止めた。
「他の客と君には悪いけど、これ以上の深入りは危険だ」
「え、ちょっと、どう言う事だよ」
突然の事で、シアは困惑の表情を浮かべて理由を問う。
「言葉の通りだよ。潮時さ」
「いや、だから」
「理由を言え」、そう言おうとシアは詩音のコートの裾を掴む。
しかし、次の言葉は出なかった。
フードの下から覗く蒼い瞳。出会ってから初めて見たその眼が、あまりにも真剣な様子でシアの事を見つめていたからだ。
「理由は単純さ。これ以上踏み込めば、君は死ぬよ」
最後のその一言に、シアは知らず息を呑む。
虚言でも妄言でも無いと、蒼の双眼は告げている。
「───分かったよ。もうこの件に関する情報は扱わない」
「うん。それでいい。無理言ってごめんね」
優しげな声音で謝りながら、詩音はぽんとシアの頭に手を置いて、小さく撫でる。
シアは、もう一度詩音のフードの中に目を向けるが、既に先ほど見えた瞳は隠され、白い肌と口許だけしか見えない。
「さてと。他に何か耳寄りな情報はある?」
そう尋ねる詩音からはすでに先ほどまでの真剣な気配は消え去さっていた。
飄々としていて軽率そうな雰囲気を漂わせながらも、決して腹の底を読み取らせない常連客にシアは溜息を一つ吐いてから答えた。
「最近、この街近隣の村や集落で子供が行方不明になる事件が多発しているのは聞いてるか?」
「ああ、なんか組合から報告があったな。確か人攫いと人身売買を専門的にやってる盗賊団がこの辺りに目を付けたとかなんとか」
組合側も被害にあった村等からの要望もあり、各冒険者に調査や捕縛の依頼を出していたる。
クレハ達もここ最近は空いた時間にちょっとした捜査をしているらしいが、これと言った成果は無いらしい。
「組合に提出しようと思ってそいつらについて探っていたんだが、漸くねぐらの場所と人数に大まかにだけど予想が立った」
「居場所と人数か……」
正直、あまり興味をそそられるネタではないと思った。
だが、直後に組合からの報告にその盗賊団の首にはかなりの額の賞金が掛けられているという情報を思い出して詩音は考え変えた。
「いいね、その話。聞かせてよ」
「毎度あり。これが予想地域を書いた地図なんだが……」
そう言ってシアは一枚の地図を取りだし、詩音にも見せながら説明し始めた。
◆
ユリウス東区、組合ホームにほど近い位置にある茶屋。そのテラス席で、詩音は紅茶片手にシアから買い取った資料を読み返していた。
組合ホームに近いだけあり店内には冒険者らしき恰好をした者の姿も多い。
しかし、酒場の様な喧噪さは皆無だった。皆、周りの迷惑にならない程度の声量で楽しげに雑談している。
店の雰囲気を読んでいるのか、或いは元からそういう気質の者だけがこういった場所に集まるのか。
頭の片隅でそんな事を頭の片隅で重いながら資料を読み進める詩音に不意に誰かが話しかけてきた。
「また会ったな」
詩音が顔を上げるとそこには赤い外套を身に纏った槍士が立っていた。
「ヴィクター」
赤い槍士、ヴィクターは「よう」と手を上げて短く挨拶する。
「相席いいか?」
「構わないよ」
詩音が許可するとヴィクターは背に担いだ群青の槍をテーブルに立て掛けると席に着いた。
「二日ぶりだな」
「そうだね。本当にこの街に留まってるんだ」
「ああ。俺も駆け出しの頃はこの街を拠点にしてたからな。色々と変わって面白いもんだ。だが、」
一度言葉を切り、野生動物を思わせる美丈夫は懐かしそうに店内を覗く。
「ここはなんも変わんねえな」
少し嬉しそうに語るヴィクターに詩音は「そっか」と短く言って資料をテーブルに置いた。
「今日はベネフィリーは一緒じゃないんだ」
「あいつは……ちと具合が悪いみたいでな。今日は宿で寝込んでる」
少し言いにくそうな態度からベネフィリーの体調を察した詩音はそれ以上聞きはせずに、
「……ここ、最近生姜茶始めたらしいから買って帰ってあげたら」
とカウンターの側のショーケースを指差した。
店の中から店員が姿を現すと、ヴィクターはその店員に詩音の紅茶と同じ物を注文した。
数分後、香り高い液体が注がれたかカップが出される。
カップを持って香りを楽しむヴィクターの姿は非常に様になっており、カインやエリックと言った妖精族のイケメン勢に勝るとも劣らない見栄えをしている。
(うーん……金剛級冒険者ってのはなんでこうも美形揃いなんだろう。金剛級に昇格する条件の中に見た目って項目でもあるのかな)
益体も無い思考のままにその様子を眺めていると、ヴィクターの獣じみた瞳が詩音の方を向く。
「なんだ。俺の顔になんか着いてるか?」
「いいや。ただかっこいい顔してるなぁと思って」
「なんだよそれ。まあ確かに、見た目にはそれなりに自信はあるがな」
「自分で言うんだ」
しかし、事実なのだから誰も文句は言えまい。
「お前さんもフードで顔見えねえけど雰囲気的には結構良さ気じゃねえか」
「雰囲気的にって、随分曖昧な判断基準だね」
「しょうがねぇだろう、直接見えねぇんだから。なぁ、さっきから覗き込もうとしても何でか全然見えねぇんだが、何かの魔術か?」
「まさか。ちょっとしたコツがあるんだよ。相手の視線や動きを先読みして、外から見えない様に調整してるんだ」
「何じゃそりゃ。んな事出来んのかよ」
「まぁ、実際出来てるから君からは僕の顔が見えない訳だし」
悪戯っぽく笑みを浮かべながら詩音がそう言うと、ヴィクターも納得いかないようだが理解はした様な表情を浮かべながら、椅子に深く座り直した。
「つうか、なんで顔隠してんだ? 冒険者ってのは顔売ってなんぼな部分もあるだろうに」
確かに、顔が知れ渡れば善きにせよ悪しきにせよ、周囲から評価される機会が増え、結界的に昇格に繋がる事もあるだろう。
しかし、事役職だ階級だに関しては、詩音はいっそ無気力と言える程に向上心を持たない。食うに困らない程度の金が稼げるならばそれでいいと言う質なのだ。
おまけに目立つのが嫌いな性格でもある。
故に、詩音はこの街では少々目立ち過ぎると言う白銀の髪を晒し、周囲に注目されてまで冒険者としてのランクを上げようとは思わないのだ。
「顔は、あんまり見られたくないんだ」
両手でカップを弄びながら呟く。
その様が何か訳ありに見えたのか、ヴィクターが少し気まずそうに表情を曇らせたので、詩音は直ぐに言い訳する。
「ああ、別に変に事情がある訳じゃないんだ。ただ、肌が弱くてね。それに売る程の顔でも無いし」
「なんでぇ、そんな理由かい。まあ、それならしょうがねぇか」
そう言って詮索して来ない槍使いに詩音は内心ありがたく思いながらカップを口許に運ぶ。。
「そう言えば、さっき読んでたそいつはなんだ?」
別の話題を求めてか、ヴィクターは唐突にテーブルの端に追いやられた紙の束を指し示した。
「ああ、これ?」
正直に答えようか一瞬迷ったが、どうせ明日にはシアから組合にわたる情報の為、隠すことも無いかと判断して詩音は答える。
「最近この辺りで横行している子供を狙った人攫い、その犯人と思われる盗賊団の情報だよ」
「ほう。見ても良いか?」
「どうぞ。どうせ明日には組合から知らされるだろうし」
詩音が資料を差し出すとヴィクターは少し真剣な表情で読み進める。
やがて、最後まで読み終えた紙束を詩音に返してから呟く。
「どれもまだ予想の域の様だが信じてもよさそうだ。良い情報屋を抱えてるみたいだな」
「まあね」
「で、どうするつもりだ?」
「買い取った以上は有効に使うつもりだよ」
そう言って詩音は再び資料を手に取る。
「仕掛けるつもりか。なら、俺にも手伝わせろよ」
「え?」
そんなヴィクターの発言に詩音は困った様に眉をひそめた。
確かに明日にでも資料に記されたポイントに出向くつもりではいたが、あくまでも今回の件は単独でかたずけるつもりだったのだが。
「なんだよその反応。見た感じ相手の数もそれなりの物みたいじゃねえか。人手があって損は無いだろう」
ヴィクターの言い分に詩音は短く考え込む。
確かに、相手はかなりの数だと予想される。詩音なら一人でも殲滅できるだろうが、一人より二人の方が楽なのも事実。
ヴィクターは金剛級冒険者らしいし戦力としては十分過ぎる。
しかし、二人で討伐を行えば必然得られる賞金は配分、または山分けになる。
一度、ヴェクターの方に視線を向ける。手間と利益を天秤にかける詩音の前で紅の槍士は着いていく気満々と言った様子で獣じみた美豹に不敵な笑みを浮かべている。
「………ベネフィリーはどうするつもり?」
「俺がずっと引っ付いてる方があいつは嫌がるだろ。別に怪我だ病気って訳でもねえし」
「………金剛級なら依頼とかで忙しいんじゃないの?」
「生憎と、暫くは急ぎの仕事が無ぇからこの街に来てるんだ」
「……………………はぁ。……報酬は活躍に応じて配分だからね」
諦めたように告げると、ヴィクターは満足気にニヤリと笑った。