45話 槍の兄妹
普段から喧騒に溢れる組合のホームだが、最近は近日に大きめの祭りが行われる事もあって、一層に騒がしい。
「おい、そこのあんた」
そんな組合ホームで一人の男が詩音を呼び止めた。
「ん? 自分ですか?」
「ああ、あんただ。シオンってのはあんたで間違いないか?」
頷いたのは赤い外套に身を包んだ青年だった。
飾り気の無い、しかし一目で一級品だと分かる青藍の槍を携えた長身の青年は獣じみた鋭い眼差しで詩音を見下ろしてくる。
「ええ、シオンは僕ですけど。なんですか?」
「呼び止めて悪いな。ちょいと話がしたくてな」
「話、ですか。あの、あなたは?」
フードを目深に被ったまま、詩音が尋ねると青年はうっかりしていたという様子で名乗った。
「俺はヴィクター。一応金剛級って事でちったぁ名も売れてるつもりだっただかな」
ヴィクターと名乗った青年は、そう言って苦笑ぎみに笑う。
「ああ、それは僕が世間知らずなだけかも。何せこの街に来て日の浅い田舎者なもんで」
そう言って詩音は返す様に苦笑する。
「それでお話というのは?」
「いやなに、以前妹が世話になったと聞いてな」
「妹?」
ヴィクターの発言に詩音は首を傾げる。
その時、
「あ、此処に居た!」
聞いた事のある声がホームの入り口の方から聞こえて来て、詩音は視線をそちらに向けた。
そこには、見た事のある人影があった。
薄手の繋ぎと軽凱を身に付け、背中に十字槍を背負った少女。
「ベネフィリー………」
思い出した様に名を呟くと、ベネフィリーは詩音の存在に気付いたらしく目に見えて動揺する。
しかし、数秒で気を取り直して二人に近付いて来る。
「ひ、久しぶりね、シオン」
「うん、暫く。あ、もしかして───」
詩音がベネフィリーからヴィクターの方に目線を移すと、赤い槍兵は頷いて応える。
「ああ、こいつの兄だ。依頼の時に助けて貰ったって聞いて、一つ礼をと思ってな」
「はあ、それはわざわざ」
随分似てない兄妹だな、と内心で思いながら詩音が言うと、
「まあ、立ちっぱなしもなんだ。一杯奢るからよ、腰据えて話そうぜ」
と、ヴィクターは酒場スペースの椅子を指差した。
詩音は少し悩みはしたが、なんだか断るのも悪い雰囲気だったので二つ返事で誘いに乗る事にした。
◆
「へぇ。ベネフィリーはヴィクターに憧れて冒険者になったんだ」
「べ、別に憧れてるとか、そんなんじゃないわよ」
顔を赤らめて気不味そうにベネフィリーは反論する。
最初は面倒くさいと思っていたが、他人の過去話と言うのは聞いてみるとなかなかどうして面白い。
「こいつ、筋は良いんだが昔からそそっかしくてな。おまけに自信過剰な嫌いもある。正直、冒険者させるのには不安があったんだ」
「確かに、それは言えてるかも」
真昼間から酒の入ったゴブレット片手に語るヴェクターの言葉に小鬼退治の時の事を思い出しながら詩音が頷とベネフィリーは少し拗ねたように呟く。
「……前ので懲りたわよ。今は反省してるし」
そんなベネフィリーの頭にポンと手を置いてヴェクターは野生味のある整った顔に何処か愛嬌を感じる笑みを浮かべる。
「つう訳で、ほんとに世話になったな、シオン」
「まあ、半ば成り行きみたいなものだから、そんなに気にしなくても良いよ」
ヴィクター持ちの果実水を一口煽り、詩音は応答してから話を切り替える様にベネフィリーに尋ねた。
「そういえばあの二人、ケイとイルラは?」
「ケイは別の街で金剛級の冒険者に弟子入りして頑張ってこき使われてるらしいわ。イルラは気持ちの整理が必要だからって一度故郷の村に帰ったけど、あの子ならきっと近いうちにまた出てくると思うわ」
「ふうん、そっか」
「ケイの奴、シオンに弟子入り断られたのが結構効いたらしくて、最初は落ち込んでたわ」
ここ最近姿を見ないと思ったら、この街から既に退去していた様だ。
どうやらあの二人も各々である程度気持ちに整理を着けているらしい。
「シオンの方は? 聞いた話だと、あの金剛級揃いの妖精族達とよく一緒に居るらしいじゃない」
「ああ、ちょっと縁があってね。色々面倒見て貰っているんだ」
最近、冒険者ランクが上がってもこのまま一緒に住まないか、と言う案を投げ掛けられた。
世話になりっぱなしは悪いとも思いつつ、詩音も正直出来ればそうしたいと思っている。
「ほう、あの妖精達とか。なら、ベネ達がお前さんの事やけに戦い慣れてると感じたのも頷ける」
「知ってるの? お兄ちゃん」
「勿論だ。何度か顔を合わせた事もある。妖精族ってのは恐ろしいよな。全員べらぼうに強いでやんの」
ヴィクターのその言い分に詩音も同意する。
「本当にねぇ。この間なんてB+ランクの《装甲大蜘蛛》の群れを軽く殲滅してたし」
「それって、Bランク冒険者が十人がかりでやっと一匹討伐できるかどうかって奴じゃない。ちょっと前に噂になってた《黒の魔狼》もやっつけたって聞いたし、やっぱり凄いんだ、あの妖精達って。お兄ちゃんとは大違いね」
ベネフィリーが感心した様な、あるいは憧れる様な口調で呟く。
「おいおい、俺だってあいつらと同じ金剛級冒険者で、それなりに凄え魔物討伐してるぞ。もう少し敬えよ。兄として、冒険者として」
「いや、だってお兄ちゃんはねぇ………。私生活が色々とだらしないし、敬えって言われてもねぇ」
「おいコラ。それが教えを乞う奴の言葉か。わざわざ組合に俺の事探させて見つけるや否や鍛えて欲しいって泣き着いて来た癖に」
文面だけを見れば口喧嘩の様に思えるが、言い合う二人の表情に悪意は欠片もなく、ただじゃれ合っているだけに見える。
喧嘩する程仲がいいと言うが、この兄妹に限ってはそもそも喧嘩が喧嘩として成立しないらしい。
「二人共仲いいねぇ」
「そこまで良く無いわよ」
詩音の言葉にベネフィリーが素早く応じる。その反論に小さく笑いながら、詩音は言った。
「でも多分、ベネフィリーが想像してる程、あの妖精達は特別じゃないと思うよ」
「え、どう言う事?」
詩音の発言の意味が分からないと、ベネフィリーは小首を傾げる。
「確かに、あの妖精達は強い。端から見れば、他の人達とは違う特別な存在に見えるかもしれない。
でも実際は、皆まだまだ見た目相応に遊びたい盛り、学びたい盛りで他の冒険者と何も変わらない。君達と同じなんだよ」
確かに、才能や種族特有の利点などはあるだろう。
しかしそれらは、他の冒険者達も違う形で持ち合わせている物だ。
それを活かすも殺すも本人達次第。
妖精達はただ、自分の持つ利点を探し当て、それをたゆまぬ研鑽と工夫の末に磨き上げたに過ぎない。
そんな妖精達を特別と言う言葉で片付けるのは少し違う様に思える。
それは特別な事でもなんでも無く、ただの必然だ。
己を見つけ、己を磨き、己を高める。
誰もがやらない、やろうとしないだけで、誰もが出来る事をした。ただそれだけの事。
才能や種族特有の利点などは些細な事でしか無い。
積み重ねて来た研鑽と、乗り越えた苦悩、そして考え抜いた結果の工夫。それらの努力の結果があの妖精達だ。
それを才能や特別などと言う、矮小で安っぽい言葉の枠組みに納めるのは、彼等彼女等への侮辱にも等しい事だ。
「私達と、同じ……か。うん………そうかもね」
ベネフィリーはそう言って頷くと、自分の分のグラスから果実水を一口飲む。
そして、
「ところでシオン」
「ん?」
「妖精達と縁があるって、もしかしてあの中の誰かと恋仲だったりするの」
「へ?」
唐突に、そんな質問を投げ掛けて来た。。
「お、そいつは俺も聞きてぇな」
ヴィクターもいい酒の肴を見つけたと言う様にベネフィリーの問いに便乗する。
──なんだこの人ら。急に踏み込んで来るな。
「恋仲って。随分唐突だね。なんでまたそんな事を?」
「べ、別に深い意味がある訳じゃ無いわよ。ただの興味本意。それ以上でもそれ以下でもないからね! で、どうなの?」
「うーん………どう、と聞かれてもなぁ。別に惚れた腫れたの理由で一緒に居る訳じゃなよ。本当に、ちょっとした縁があって一緒に居させて貰ってるだけだから」
詩音の答えにベネフィリーは、
「え、そうなの? 私はてっきり………」
と、驚愕した様な表情を浮かべた。
「そりゃあ、全員魅力的な人達だけどね。今のところそんな関係の相手はいないし、関係を築くつもりもないよ」
その返答に「へぇ……そうなんだ」と言って詩音から顔を背けた。
そして、心無しか少しだけ嬉しそうに小さく笑みを浮かべて、グラスを傾ける。
(なら、私にもまだ───)
チラリと横目で詩音を盗み見ながら、内心で呟いた。
「本当に誰狙いでもねぇのかよ?」
そんな妹の内心など知る筈もないヴィクターは、疑う様に詩音を問い詰める。
「うん。それに、仮にその類いの感情があったとしても、それを伝えるなんてとてもとても。あの娘達は所謂高嶺の花ってやつだよ」
「ほーん。勿体ねぇなぁ。俺だったら毎日でも口説くのによぉ」
「へぇ。ヴィクターは彼女達の中に口説きたい相手がいるんだ。じゃあ、そっちこそ誰狙いなの?」
お返しとばかりに今度は詩音が問い掛けるが、ヴィクターは「いやいや」と手を左右に振って応える。
「誰狙いとかじゃねぇよ。あんな別嬪と一緒に居る機会があったら取り敢えず全員口説いてみたくなるのが男の性って物だろうが」
その返答に詩音は「そう言う物なのかなぁ」と呟きながら果実水の入ったグラスをゆらゆらと揺らす。
「でも、あの娘達を口説くとなると、それ相応の覚悟がいると思うよ」
「覚悟?」
「だってあの娘達には優秀な保護者が二人も着いてるんだもん。何時も一緒に居る火妖精と土妖精だよ。軽い気持ちで彼女達に手を出したら、痛い目見るだけじゃ済まないと思うよ」
詩音の言葉で、二人の姿が脳裏に浮かんだのか、ヴィクターは苦い表情が浮かべて押し黙る。
「いくら同じ金剛級って言っても、クレハ達関連のあの二人を相手取るのは厳しいと思うよ」
「……だな。うん」
実際、この街の中で於いて、彼等彼女等の人気は別格だ。
ファンとすら呼べる崇拝者達に見上げられる妖精達は、冒険者という枠組を越えた、所謂アイドルなどと呼べる存在。
だが、手を出そうとする者は皆無だ。その理由は、カインとエリックの二大保護者がそう言った不埒な輩を確りと牽制していたからである。
あの二人が居る限り、半端な連中がクレハ達に近寄る事はまず無いだろう。
「でも、だとしたらシオンってかなり信用されてるのね」
「うーん、そうなのかなぁ」
ベネフィリーの言葉にもしそうなら嬉しいんだけどな、と内心で呟きながら詩音はグラスを煽った。
◆
それから暫く、詩音と槍兵兄妹は雑談を交わしていたが、各々用事があると言う事で別れる事になった。
「それじゃあね、シオン。今日は話せて良かったわ」
「こちらこそだよ」
「それじゃあな、シオン。俺も暫くこの街を拠点にする事にしたから、何かあったら声掛けてくれ。こいつの借りもあるし、助力は惜しまないからよ」
「うん。必要になったら頼りにさせて貰うよ」
二人はそれぞれ詩音に挨拶して、組合ホームから立ち去って行った。
「───縁は異なもの、味なもの、って事かな」
助力を惜しまないと言ったヴィクターの言葉を思い返しながら詩音は一人ごちた。
クレハ達以外の金剛級冒険者とパイプを繋げる事がでたのは僥倖と言えよう。
少々時間を取られはしたが、損を上回る益を得たならばまあ良いだろう。
そんな事を思いながら、詩音は家に向かった。