42話 赤の誘い
「……居たな」
街の中央広場に着くと、カインが呟いた。
詩音が視線を追って行くと、煉瓦を円形に組んで作られた花壇の前に一人の女の姿があった。
「あれが件の女?」
詩音の問い掛けにカインは少々面倒くさ気に頷く。
女は詩音より少し上、見掛け上はカインと同じくらいか少し上程度の年齢──実際は人族と妖精族ではそもそもの寿命や成長速度が違うので、かなりの年齢差があるのだろうが──に見える人族だ。
カインとはまた違った、血の様に赤い髪を派手にカールさせており、その下の長い睫毛に縁取られた目は少々鋭く、唇には髪と同じくらい赤い口紅をつけている。
世間一般的に美人、美女と呼べる程度には美しい容姿をしているが、どこか粘着質な印象を受ける女だ。
と詩音がそこまで認識した所で、向こうも此方に気付いたらしく声を掛けてきた。
「カインさん。こんにちは」
カインの背後に隠れる様に立っている詩音には気付いていないらしく、媚びた笑みを浮かべて挨拶をする女性。
「……どうも、イザベルさん」
やはり、若干億劫そうな口調ではあるが、挨拶を返すカインの顔にはちゃんと笑顔が張り付いていた。
「イザベル、って呼んでくれて構いませんっていつも言ってるじゃないですか」
そう言ってイザベルと呼ばれた女は更に一歩歩み寄り、カインのパーソナルスペースを侵食する。
やはり、詩音の存在には気付いていないらしい。恋は盲目、というやつだろうか。
「イザベルさん」
カインは呼び捨ての拒否の意思表示も兼ねて敬称を着けたまま名前を呼びながらそっと、しかし確かな拒絶の意思を持ってイザベルの肩を押して距離を取ると、立ち位置を変えて背後の詩音をイザベルの視界に晒した。
「こいつが昨日言った俺の恋人です」
漸く詩音の存在を認知したらしく、イザベルは自身より一回り背の低い詩音を見下ろした。
そして、一瞬言葉を詰まらせたかと思うと、次いで不愉快そうに表情を歪めた。
だがそれもほんの一瞬。次の瞬間には何処かぎこちない笑みを浮かべて挨拶をした。
「……こんにちは、私はイザベル。宜しくね、お嬢さん」
「初めましてイザベルさん。ユキと言います」
予め考えておいた偽名を名乗り、詩音も笑顔を返す。
「俺はこいつ以外と恋仲になるつもりは無いんだ。つう訳で悪いな、イザベルさん」
カインは二度目となる断りの返事を口にする。
するとイザベルは、今度は先ほどよりも分かりやすく顔を歪めて言った。
「ま、待ってカインさん。その、少し彼女と話をさせてもらえないかしら?」
唐突なイザベルの要望にカインは「は?」と若干いぶかしむような声を上げた。
「いいじゃない。少し女同士でおしゃべりするだけだから」
その言葉に、不満気な表情を浮かべるカインに、
「私は別にいいよ。イザベルさんとお話してみたいし」
詩音は微笑みを向けながらそう言った。
「カインは何処かで時間潰してて」
「シオ……いや、ユキ。でもなぁ」
「大丈夫だから」
尚も渋るカインだったが、詩音が大丈夫と言うと渋々と言った様子で了承して席を外した。
するとイザベルは「少し場所を変えましょう」と言って、詩音を人気の無い広場の一角へと先導した。
「それで、お話と言うのは?」
「単刀直入に言うわ」
詩音と二人になった途端にイザベルは先ほどまで浮かべていた笑みを消し、忌々し気な表情を浮かべた。
「あんた、あの人と別れなさい」
そう言ったイザベルの口調は先ほどよりも高圧的で、酷く不機嫌そうなものだった。
「えっと……どうしてですか?」
「あの人とあんたみたいなお子様とじゃ不吊り合いなのよ。あの人にはあんたなんかよりも私の方が相応しいわ」
さも当然といった様子で意地の悪い笑みを浮かべのがら語られたイザベルの言葉は酷く自己中心的だった。
───うわぁ……何この人………
その傍若無人極まりない物言いに内心でドン引きながらもそれを表情に出さず、詩音は僅かに俯き、囁く様に応じる。
「確かに、そうかもしれません。私では到底あの人とは、カインさんとは吊り合わないでしょう」
「あら、思ったよりも分を弁えてるじゃない。なら、早いところ手を引き」
「でも」
嬉々として捲し立てる言葉を遮り、詩音は真っ直ぐにイザベルを見据える。
「彼は、こんな私を選んでくれました。吊り合う吊り合わないに関係なく。
だから、あの人の恋人は私です。例え私には分不相応だとしても、彼が私を嫌いになるまでは、彼の隣は私の居場所です」
幼さの残る声で静かに、だがはっきりと宣言する。
するとイザベルは心底不愉快だと言わんばかりに詩音を睨み付ける。
だが、今にも飛び掛かって来そうな眼光を向けられても、詩音は一切怖じ気づく様子もなく、更に一言添えた。
「それに、あなたの様な人がカインさんに相応しい方だとは、到底思えませんし」
「なっ!──このっ」
その言葉がよほど堪に触ったのか、イザベルは歯を剥き出しにして詩音に迫った。
しかし、それでも詩音は笑みを崩す事なく、その隣をすり抜ける。
そして、振り替える事なく背中越しに、
「それでは失礼しますね。お話出来て良かっです。とても有意義な時間でした」
と、声音は変えず、しかし確かな皮肉の念を込めて最後の言葉を良い放ってから、ゆっくりと歩き出した。
背後から喚き声が二言三言聞こえてきたが、詩音が振り替える事はなかった。
◆
イザベルと別れた詩音は、近くのベンチに座るカインの許へと向かった。
「お待たせ、カイン」
「おう、話は終わったみたいだな。……あの女は?」
ベンチから立ち上がったカインはあの赤髪の女の姿を探してキョロキョロと視線を動かす。
「ああ、もう帰ったよ。急に用事を思い出したんだって」
「そうか。で、何を話したんだ?」
「他愛ない世間話さ。それよりも、約束の方、ちゃんと守ってよ」
さっきまでの淑やかなさはなりを潜め、普段通りの口調で詩音はカインに釘を刺した。
「安心しろ。ちゃんと用意しておく」
「そっか、なら良かった」
嬉しそうにそう言う詩音は、服装も相まって可憐な少女にしか見えず、カインは思わず浮かべて見惚れてしまった。
「そんなに食いたかったのか?」
「そりゃあ、すっごく美味しいって話題だからね」
「頼んだ俺が言うのもなんだが、簡単に釣られ過ぎじゃないか? いつか菓子やケーキに誘われて誘拐されちまうわないか、不安になるな」
などと冗談めかして言うと詩音はムッと唇を尖らせて反論する。
「別に誰にだってこの条件で了承する訳じゃないよ。相手がカインだったから良いかなって思ったんだ」
「俺が、相手だったから……?」
「うん。カインだから特別にね」
「……そうか」
意識せず、笑みが溢れる。
拗ねた様な表情でそんな事を言われては、それも仕方の無いと言う物だ。
本人にその気は無いのだろうが、だからこそ余計に質が悪い。
――――簡単なのは俺の方か……
カインは内心で呟く。
だが、まぁ良いか。
この少年の笑みを拝めるのなら、短絡者の烙印など気にもならない。
そんな事を思っている、シオンが口を開いた。
「さ~てと、取り敢えずこれで依頼は完了だね」
「ん、あぁ、そうだな。助かったよシオン。この後はどうする?」
「ん? そうだなぁ。特に予定も無いし、帰ろうかな」
「なんだ、せっかく出てきたのにもう帰るのか?」
「うん。カインの依頼が目的だったし。それに、あんまり遊ぶ楽しむって言っても、慣れてないから何すればいいか分からないし」
苦笑気味にそんな事を零すシオン。
その表情が、何処か寂しげに見えたのはカインの気の所為なのだろうか。
慣れていない。
その言葉が意味するのは、シオン位の年齢ならば買い物に行ったり、食事をしたり、宛もなく街を練り歩くなどと言った、当たり前の娯楽の経験が無いとゆうことか?
だとしたら。
だとしたら、それはきっと、とても寂しい事だ。
「なぁ、シオン」
だからつい、カインは声を掛けてしまった。
「さっき、今日は予定無いって言ったよな」
「え? うん」
「だったらよ、二人で少し、街を回らないか? お前の好きそうな店が多い西区の方でも」
傍から見たら逢引の誘いにも見えるかも知れない。
だが、相手は知り合いで、それもカインと同じ男だ。
つまりは、ただ遊びに誘っているだけ。
「え、今から?」
「ああ。もちろん無理にとは言わねぇが」
自身の声が何処と無く不安気になっていると感じた。
どれだけ頭でシオンは男で知り合いだと分かっていても、その容姿に心の底では緊張させられているという事なのだろう。
だが、詩音は特に声音に触れることは無く、
「……………そう、だね。せっかくのお誘いだし。偶にはそう言うのも良いかもね」
「よし、そんじゃ早速行くか」
そう促すと、詩音は制止を掛けた。
「あ、待って。なら服着替えてくるから」
「え、着替えるのか?」
「そりゃあ、当然。もう目的は達成したし」
確かに、今のシオンの服装はカインの頼み事に合わせた物。
その依頼を達した今、この格好で居続ける必要は無い。
だが、必要が無いだけで、需要が無い訳では無い。
今のシオンの格好はカインからすればはっきり言って目の保養だ。
ならば、その可愛らしい格好を少しでも長く見ていたいというのが男心という物だろう。
「ちょっとその辺で着替えて来るから、適当に待ってて」
「いや、着替えなくてもいいんじゃないか?」
だから、引き留めてしまうのは仕方の無い事なのだと主張したい。
「え?」
「いや、なんて言うか………。良く似合ってるんだし、直ぐに着替えちまうのは、勿体ないだろう?」
「勿体ないって……。そんな見て楽しい物でも無くない?」
「いやいや、楽しいぞ。何時もと違う詩音もなんだか新鮮だし。俺はもう少し見ていたい」
「それって……面白いからもう少し笑い物にさせろって事?」
再び拗ねた様な表情で訊ねてくる詩音に「違う違う」と即座に否定しながらカインは首を左右に振る。
すると、詩音は諦めた様にため息を吐いてから言った。
「まあ、カインがそう言うなら別にいいけど。元々依頼の期間は『今日一日』だったし」
それを聞いてカインは内心で歓喜しながら、それを表に出さずに「なら、決まりだな」と返す。
しかし詩音は何処と無く不安そうな顔で「ただ」と呟いた。
「ん?」
「さっきも言ったけど、僕あんまり誰かと出掛けるって言うのに慣れて無いから、迷惑掛けたらごめんね」
そう言う詩音の表情は何処と無く胸の内で不安、或いは恐怖に類する何かを押さえ込んでいる様にも見えた。
出会ってからそれなりの時間を共に過ごしたが、それでも詩音は自分達に対して何処か一歩引いた立ち位置で接して来る。
それは遠慮というよりは躊躇いの類いから来る行動に思える。
恐らくだがこの少年は、他者と深く関わった経験があまり無いのだろう。
それが環境による強制的な孤独か、自主的に望んだ孤立かは分からないが、それでも時折見せる反応や表情から、今まで詩音が歩んで来た過去が決して順風満帆な物では無かった事くらいは分かる。
カインの中に、先ほどまでとはまた別の欲求が生まれた。
それは、この寂し気な少年に、心から笑って欲しいというあまりにも幼稚で独り善がりな願望。
「…………大丈夫だ。そんな事気にすんな。って言うか、誘ったのは俺の方だ。迷惑なんて思う訳がねぇよ」
と、笑みを浮かべて答えながら、カインは詩音に手を差し出した。
詩音は一瞬、少し驚いた様な表情を浮かべたが、チラリとカインの方に視線を向けてから遠慮がちにその手を取った。
「よし、それじゃあ行くか。シオン」
「……うん」
少し遅れた返事を受けてから、カインは詩音の手を引いて歩き始めた。