41話 白銀と赤の取引
よく晴れたある夏の日。
昼と言うには早く、かといって朝かと言うと少し遅い時間。
今日も今日とてユリウスの街は多くの人々で賑わっている。
新しい装備を仲間に自慢する者、魔物討伐の作戦を話合う者。騒ぎ方は千差万別である。
そんな猥雑な街の一角、小さな噴水が設けられた広場に一人の男の姿があった。
炎の様に赤い髪が特徴的な長身の青年、火妖精のカイン・ハヴゥロは何かに関心を向けるでもなく、静かに佇んで居いる。
そして、そんなカインに近く人物が居た。
「カインー」
駆け寄りながら手を降って名前を読んでくる。
鈴の鳴る様な凛とした、それでいてどこか幼さを残した聞き馴染んだ声は、冒険者仲間の詩音のもの。
姿を見るより先にそれを認識したカインは顔を上げ、
「おう、シオン──」
姿を見て思考を一時停止させた。
詩音の出で立ちは、普段のシャツとズボン+コートでは無く、薄手の白いフェミニンなワンピース姿で、膝丈よりやや長い裾からは色白ですらりとした脚が覗く。
長く美しい白銀の髪には黒の細いヘアピンがアクセントとして添えられていて、唇には淡い桃色の紅がうっすらと塗られていて、服装も相まって、普段の男装した少女のような見た目とは雰囲気が全く異なる。
アリス達妖精族の仲間と活動を共にし、交友関係もそれなりに広い為、正直美人や美少女と呼ばれる類いのものは見慣れていると自負するカインだったが、目の前の詩音の姿には思わず言葉を失ってしまった。
これで男だと言うのだから、余計に驚きだ。
周囲の人々も男女問わずに脚を止め、振り返り、詩音に視線を向けてくる。
「ごめん、待たせちゃった?」
「い、いや、俺も今来た所だ」
なんとか思考を再起動して返答するが、少し吃り気味になってしまった。
「そっか」
少し安心した様な表情でほっと息を吐く詩音。
その仕草にカインの心臓が激しく動悸する。
「さて、それじゃ行くか」
「うん」
これ以上面と向かっていては不味いと判断したカインの逃げの一手の発言に、詩音は笑顔で頷いて隣を歩き始めた。
◆
暫く二人は並んで街を歩く。
道行く人々がすれ違う度に二人──というより詩音──に目線を向けてくる。
詩音は気付いていないのか、それとも気にしていないだけなのか、至って普段通りの様子で歩を進める。
だが、カインの方はそうもいかない。
チラチラと詩音の方を盗み見ながら、どう接するべきかを模索していた。
普段なら割りと普通に話せるのだが、今日に限ってはそうもいかない。
しかし、このままずっと黙っているのも悪いのでカインは思いきって詩音に話し掛けた。
「………しっかし驚いたぞ。まさかそう言う感じの格好でくるとは思ってなかったからよ」
すると詩音は少し不安そうな表情で言った。
「変、かなやっぱり……?」
その反応にカインは慌てて返答する。
「いやいやいや、全然変じゃねぇよ。寧ろすげー似合ってる。その……可愛いいと、思うぞ」
「ふふ、少し複雑だけど、とりあえずありがとうと言っておくよ」
笑顔で礼を言う詩音にカインの心臓は更に鼓動を早める。
それを隠す様にカインは話しを続けた。
「でも、なんでわざわざそこまで洒落込んで来たんだ? 俺はてっきり何時もの格好でくるとばかり」
「あの服装は今回の目的にはそぐわないと思ってね。報酬を貰う以上はこれはれっきとした仕事。だから妥協はしても手を抜くつもりはないんだ」
端から見たら恋人同士のデートにしか見えないかもしれないが、勿論これはそんなものではない。
では一体何が目的なのか。
遡る事、約一日前。
◆
空が赤色に染まり始めた夕暮れ時。
詩音の部屋の扉を誰かが叩いた。
「シオン、ちょっといいか?」
扉越しに聞こえた声はカインのものだった。
何故だか少々焦っている様な声音だ。
「カイン? 待って、直ぐ開けるから」
作業の手を止めて道具類を机に置いてから、詩音は扉の方へと向かった。
普段から在室中は鍵など掛けていないノブを回して扉を開ける。
そこには当然の如く燃える様な赤髪の火妖精が立っていた。
「どうかしたの?」
詩音はそう訪ねると、カインは二言三言言い淀む。
「あぁっと、その………シオンに頼みたい事があってだな………」
「頼みたい事?」
「あぁ」
詩音の反芻に頷くカイン。
「僕にできる事なら引き受けるけど、何をすればいいの?」
問い掛けるが、肝心の頼み事の内容について、カインは直ぐには口にせず、躊躇うように益体の無い言葉を零す。
「その、少し頼み難い事なんだが……」
「?」
普段の彼らしからぬはっきりしない物言いに小首を傾げながらも、詩音はカインが言葉を紡ぐのを待つ。
そして、漸く意を決した様に小さく息を吐くと何処か気不味げに視線を逸しながらカインは告げた。
「俺の……恋人になってくれねぇか?」
あまりにも唐突な言葉に詩音は一瞬沈黙した後で、
「さようなら」
と静かに扉を閉めて、鍵を掛けた。
「ちょっ! 待ってくれシオン! 開けてくれ!」
扉を叩きながら叫ぶカインに、詩音は扉越しでも聞こえる様に応じる。
「人の趣向を否定する気はないけど、その選択は流石に趣味が悪いと思う。後悔する前に考え直す事をおすすめするよ」
蹴破られない様に扉を押さえながら口走る。
押さえ切れなさそうなら扉ごと氷漬けにするか、などと考えていると、
「ちょっ、待て! 言葉が足りなかった! 恋人のフリをしてほしいんだ」
「恋人の、フリ?」
「詳しく説明するから入れてくれ」
必死に訂正と懇願をしてくるカインに詩音は扉を押さえたまま一瞬考え込む。
その隙にカインは更に慌てた声音で一気に捲し立てて来た。
「頼む、話、話だけでも聞いてくれ! ほら、この前シオンが美味いって言ってた店のアップルパイ買って来たからよ」
「え?」
「アップルパイ」。
その単語を聞いた瞬間に詩音の脳裏に浮かんだのは、先日シーナの紹介で訪れた店で買った爽やかな林檎と心地よいシナモンの香りが漂う甘味物。
それは砂糖が控えめで、それでいて林檎本来の甘みが良く活かされた中々の逸品だった。
「……………まあ、判断は話を聞いてからでも遅くないし」
詩音は扉を開けてカインにそう告げた。
「それで、恋人の振りってのは?」
椅子に座ってフォークで小さく切ったアップルパイを口に運びながら詩音は招き入れたカインに訪ねる。
するとカインはなんと言ったものかと悩み込むように二言三言唸ってから語り始めた。
「実は今日、って言うかついさっきなんだが、とある知り合いの女に言い寄られててな。知り合いって言っても、何ヵ月か前に顔合わせて、それからちょくちょく話する程度の仲なんだが」
「へぇ……。良かったじゃん」
カインは容姿も非常に整っており、金剛級冒険者故に稼ぎも腕っぷしも良く、更には性格も面倒見が良く茶目っ気もあるという非常にハイスペックな男性である。
この手の話は決して珍しい事をではないだろう。
「で、返事は?」
「断った」
「ありゃ、なんで?」
「なんで、って……。そりゃ俺にとってはあくまで知り合いの一人ってだけだしよ」
「それでも、物は試しって言うじゃん? 一緒に過ごしているうちに認識も変わるかも知れないよ?」
「うーん……かも知れねぇが………」
「あれ、もしかして過去に女性関係でトラウマ有り?」
「え、あ、いや違……くも無く無いか………。まぁ、とにかく、今はその手の話は受け付けてねぇんだよ」
「ふぅん。硬派だねぇ」
引く手数多、呼ぶ声数多のカインならば、女性関係の黒歴史があっても仕方ないのかもしれない。
男女の関係に於いて、カインの異性への人気は面倒の火種になるには十分すぎる。
「それで、そこからなんで僕に恋人の振りをしてほしいなんて話になるの?」
詩音が聞くとカインは「いや、それがなぁ……」とため息混じりに話し始めた。
──── 一応申し出に関しては断りはしたんだが、ちょいとばかり粘り強い相手と言うか……はっきり言ってしつこい奴なんだ。
自分の何処が駄目なのか、とか。何か理由があるのか、とかを執拗に聞いてくるんだ。それでつい、『俺には恋人がいるから』って言っちまったんだよ。
勿論今はそんな相手居ねぇけど、そうでも言わねぇと引き下がってくれなさ気な勢いだったからよ。
でも、そいつは、『ならその恋人に合わせて欲しい。もし、実際に目にして自分よりも貴方に相応しい女性だと感じたなら素直に引き下がるから』って言って来てな。
相手にも都合があるからって言って断ろうとしたんだが、相手の都合のつく時でいいからって食い下がろうとしねぇんだ。
カインはうんざりとした様子でもう一度大きなため息を吐くと、「そう言う訳で」と詩音の方を見る。
「シオン、俺の恋人の振りをしてその女に会って欲しいんだ」
話を聞いて詩音は、果実水の入ったコップに手を伸ばし、
――――やっぱり面倒事か…………
「うーん………男女の問題に第三者が関与するのはなぁ………」
葡萄系の香りがする液体で唇を濡らしてから答えた。
「て言うか、そんなの無視しちゃえば? その相手、妙に上から目線な感じがするし、別に馬鹿正直に向こうの要求に答える義理もないでしょ。今後顔を合わせなきゃいいだけの話じゃん」
「いや、それが……。相手さん組合ホームの周囲を張ってるらしくて、顔を合わせないってのは冒険者してる限りは無理っぽいんだよなぁ」
「何それ怖っ」
今度は詩音がため息を溢す番だった。
カップを置いて、再びアップルパイを口に運ぶ。
「まあ、事情は分かったけど、なんで僕な訳? それこそクレハとかアリスとかシーナの方がいいんじゃない? シャルは………エリックが居るから流石に不味いと思うけど。普段一緒にいる分説得力あるだろうし、皆頼めば助けてくれるんじゃない?」
「いや、それはちょっと………。あいつらは皆冒険者達の間で結構な人気があるからよ、恋人だなんて言ったら後々怖い。それにいくらダチでも女にそう言う事を頼むのは気が引けんだよなぁ」
「なるほど」
納得と言えば納得だ。
男の嫉妬心とは女のそれとは別の意味で怖い部分がある。
もし、クレハ達に今回の件を頼み込んだとして、相手の女性が嫉妬や憎悪の様な負の感情を抱いた場合、その矛先は高確率でクレハ達に向くだろう。
───だとすれば、僕がその役に収まるのが一番都合がいいってのもその通りだな
そう考え至る詩音。
別段、この話を受けるにあたって詩音に不都合は無い。
が、これはクレハ達他にも言えることだが、このユリウスに置いてカインは知らぬ者の居ない町の顔的存在。
そして前に述べた通り女性からの引く手数多のハイスペック冒険者だ。
その隣に突然ぽっと出の冒険者が現れて『恋人です』などと名乗ったとして、カイン自身の評判に一体どの様な影響を及ぼすだろうか。
――――――これがクレハ達みたいな見た目も中身もいい娘な完璧女子ならともかく、僕じゃなぁ…………。悪趣味冒険者のレッテル貼られかねないんだよなぁ………
頼み事を聞いてあげたいと言う考えと、万が一のカインの評判に傷がつく可能性との間で詩音が悩んでいると、
「そう言えばシオン。お前のケーキ、食べてみたいんじゃないのか?」
ぽつりと、カインが言った。
《ラ・クランジュ》とは、ユリウスの街に店を構えるケーキ専門店である。
この店のケーキは、開店しても直ぐに売り切れてしまう上に、予約は一年先までいっぱいと、非常に人気が高いのでそうそう手に入らない代物なのだ。
「え? なんで……」
「この前あの店の宣伝ちらしをずっと眺めてただろう」
確かに、数日前詩音は《ラ・グランジェ》の広告を見ながら「一度でいいから食べて見たいなぁ」等と思っていた。
その時は、店の人気的に手に入れるのは無理だろうと諦めていたのだが、まさかそれをカインに見られていたとは。
そんな子供っぽい所を見られたのが恥ずかしくて、顔を赤らめて目を逸らす詩音にカインは続けて言う。
「実はな、俺の知り合いに《ラ・クランジュ》で働いてる奴が居てな。今回の頼みを聞いてくれたら、その礼に知り合いのツテで手に入れてやろかなー、なんて思っているんだが。どうだ?」
「…………」
カインのその提案に対して、詩音は何も言わずに顔を僅かに背ける。
そのまま十数秒間、沈黙が続く。
──やっぱりダメか。まあ、物で釣るのも気が引けるし、無理強いできる話でも無いしな……。
そう、詩音の反応を拒絶と受け取り、カインが諦めて様とした時、
「…………ト」
小さな、蚊の鳴く様な小さな声で詩音が呟く。
「ん?」
「だから、《ラ・グランジュ》のタルト。手に入れてくれるなら、いいよ……。その、恋人のフリ、してあげても………」
そう言う詩音は恥ずかしそうに仄かに顔を赤らめて、チラチラとカインの様子を伺う。その反応にカインは思わず、
──可愛い……
と、口にしそうになったが、なんとか内心で呟くに留めた。
「本当にいいのか? 物で釣ろうとしといてなんだが、無理はしなくてもいいぞ?」
「いや別に……物に釣られた訳じゃ無いし。他ならないカインの頼みだから。それに、僕に出来る事ならって、さっき言っちゃったし」
ぶつぶつと言い訳がましく呟く詩音の姿はとても愛らしかった。
「ふふ。そうか。ありがとなシオン。それじゃ、よろしく頼むぜ」
「…………うん」




