40話 宴の席
日も沈み、冒険者や商人達が各々の宿へと戻って行く時間帯。
ホームの広間。その真ん中に置かれた大テーブルには、大量の料理が並べられていた。
肉料理に魚料理、酒肴や菓子の類いまでが所狭しと乱列する。
最後に、各々が買い集めた酒の類いを並べて、七人でテーブルを囲む。
「えー、それじゃあ」
乾杯の音頭を任されたアリスがグラスを手に、口を開く。
「それじゃ皆、偶然ではあったけど、噂となっていた《黒の魔狼》の討伐成功おめでとう、皆お疲れ様。───かんぱーい!」
乾杯! と妖精達が唱和し、詩音もそれに合わせてかちんと自分のグラスと妖精達のグラスをぶつける。
その後は、ちょっとしたお祭り騒ぎとなった。
シャルロットとシーナが詩音が使ったライフルについてあれこれ感想や考えを語り合い、アリスとクレハが街で見掛けた新しい服屋の話で盛り上がっている隣で、カインとエリックが酒を飲み交わしている。
そんな妖精達を眺めつつ、日本酒改めホーエン酒の入ったグラスを傾けながら詩音は思考を回していた。
あの魔狼を倒してからと言うもの、暇さえあれば考えてしまう。あの魔物はいったいなんだったのだろう、と。
「自然界で偶発的に誕生した変異個体」と言うのが組合からの発表だったが、それが納得出来ない。
まだ本格的には調べてはいないので、これと言った理由がある訳ではない。ただ、納得出来ないのだ。
理屈や倫理と言った物の外側で、それは嘘だと予感している。
ならばあの魔狼は偶発的に発生した物などではなく────
「お、これ美味いな。シオンが作ったのか? 見たことない料理だが」
不意に名前を呼ばれて詩音は声のした方を見た。
そこには、果実酒の入ったグラス片手に肉料理をつまむカインの姿があった。
「それはポークポットロースト。その手のお酒には良く合う奴」
解説すると、アリスもそれを口にする。
「あ、本当。美味しい」
「ねぇシオン、こっちは?」
アリスの隣でシャルロットが別の皿を指差して問いかける。
「ああ、そっちはアクアパッツァ。魚とトマトとワインを使った煮込み料理だよ」
これは怙暦の好物の一つだった。日本酒と意外に合うからと良く作らされた。
怙暦の好きそうな酒を買ったので、なんとなく作ってみた物だ。
「それには果実酒よりこっちの方が合うと思うよ」
そう言って詩音は、先刻エリックの行き付けの酒屋で入手したホーエン酒を差し出した。
「へぇホーエンのお酒ねぇ。あたし飲んだ事ないのよね。貰っていいの?」
「うん。もともとそこまでお酒は得意じゃないから」
シャルロットに空のグラスを渡して、そこに透明度の高い酒を注ぐ。
「じゃあ遠慮なく。………あ、美味しいこれ」
詩音の料理を肴にホーエン酒を飲んだシャルロットが満足気な笑みを浮かべる。
「よかったら皆も」
そんなシャルロットの様子を隣で見ていたアリスとクレハ、そしてシーナに詩音はグラスを差し出す。
「いいの?」
若干遠慮がちに聞いてくるクレハに「勿論」と言って《氷桜》の酒瓶を差し出す。
シャルロットに続いて、三人も珍しい酒と酒肴に舌鼓を打つ。
そんな様子を見ながら、詩音は《氷桜》と一緒に買った《クールベリー》なる果実酒を開け、酒器に注ぎ一口飲む。
すっきりとした心地よい果実の香りが広がる酒は、度数も対して強く無く、店主の言った通り中々飲みやすい一品なのだろう。
だが、
────やっぱり、分かんないや
そう思い詩音は、水を呷る様な勢いで酒器の中身を飲み干してテーブルに置いた。
旨い酒と美味い料理が揃えば、当然宴とは盛り上がるもの。
楽しげに会話と笑顔を交わし合う妖精達を尻目に、詩音は静かに酒器を傾ける。
詩音は騒がしいのは好まない質だが、不思議な事に今起きている賑わいには何の嫌悪も不満も抱かない。寧ろ好ましく思っている部分の方が大きい。
今までこう言った宴の類いには幾度と無く参加したが、その悉くが情報収集や目標への接近を目的としたもので純粋な宴として楽しむと言うのは初めての経験かも知れない。
そんな事を考えながら、半分ほど空になった酒器を両手で弄んでいると、
「混ざらないのか?」
近くの席でカインと一緒に呑んでいたエリックが訪ねてきた。
「ん?」
「いや、会話に入らないのかと思ってな。………こう言った酒盛りは苦手だったか?」
「ああ、いやそんな事無いよ。確かに不慣れではあるけどね。そう言うエリック達は? さっきからずっと二人で呑んでるけど」
そう問い返すと、エリックは苦笑気味に笑みを浮かべながらクレハ達の方を見る。
「女同士で盛り上がってるみたいだからな。男が割り込むのは躊躇われる」
その回答に視線をアリス達に向ける。
確かに、女子四人は全員顔を見合わせて楽しげに笑みと雑談を交わし合っていた。
「なら、同じ男の僕に『混ざらないのか?』って聞くのはどうかと思うけど」
詩音の返答に「シオンなら問題ないさ」と小さく笑ってから、エリックは視線を前に向けた。
「普段は飲み会や宴会であそこまで活気づく奴らじゃあないんだがなぁ」
「ふぅん。あれ、ところでカインは?」
「ああ、あいつならついさっき潰れたよ。面倒だから放置してる」
エリックはそう言いつつ親指で後ろの方を指す。
詩音が指を追って視線を流すと、顔を髪と同じく真っ赤にしてテーブルに付したカインの姿があった。
「え、ちょっと早くない? どんな速さで飲んだの」
「いや、量はそれほどでもないんだが、どうも街で仕入れた新しい酒が合わなかったらしくてな」
「ああ、それでちょっと酔い方がおかしい訳か」
時折唸り声の様なものを上げるカインを見ながら納得気に言ったその時、
「シオーン」
やけに高揚した声音でクレハが詩音を呼びつけた。
「お呼びの様だな」
どうしたのだろうと思いながら、テーブルを挟んで反対側にいるクレハ達の許へと向かう。
すると、
「わっ!」
途端にシャルロットとシーナが挟み込む様に前後から詩音に抱き付いた。
「っと危ないっ」
衝撃で酒器から酒が零れそうになるのを何とか阻止する。
「何? どうしたのシャル、シーナ?」
詩音が戸惑いながら二人を交互に見ると、その顔は双方ともに酔い潰れたカインと同じく朱に染まっていた。
何事かと訪ね様と口を開く詩音だが、言葉が声となって出るより先にシャルロットの両手が詩音の胸を服の上からまさぐり始めた。
「ひゃっ!」
いきなりの事で詩音は思わずおかしな声を上げてしまう。
「ちょっ、シャルさん!? ほ、本当にどう、んっ」
動揺しまくりで口走る詩音だが、言葉が最後まで出切る前に今度はシーナが詩音の腰回りを両手で撫で回しながら声を上げた。
「シオン、あなた本当に腰細いわねぇー」
普段のクールな雰囲気のシーナからはまず聞けないであろう猫なで声。
「シーナまで! ちょっ、くすぐった、やめてってばぁ」
撫で回されるこそばゆさに耐えながら抗議する。
しかし、聞く耳持たないと言う様にシーナは詩音の顔を楽し気な表情で見据える。
「えーなんで? ひょっとしてお腹痛い?」
「いや、そうじゃなくて」
「まあ確かに、シオン重そうだもんねぇー。毎月大変よねー」
「そんなんじゃないから! あーもう、会話にならない!」
あまりにも的外れなやり取りを繰り広げていると、今度はシャルロットが詩音の胸を揉みしだきながら口を開いた。
「シオン。あなたホントに胸小さいわねぇー」
「へ?」
「揉んでたら大きくなるかなぁー?」
「駄目だ。完全に酔っていらっしゃる!」
堂々と逆セクハラしてくるシャルロットの目は何処か夢現で口調も何時もより幼い。両者は完全に泥酔している。
「二人共酒癖悪過ぎでしょっ!」と声を零す詩音。
その直後だった。
「ん?」
「およ?」
シャルロットとシーナが詩音から離れる。
アリスが酔いどれ二人を力づくで引き剥がしたのだ。
「あ、ありがとうアリス」
解放された詩音は心底からの感謝の言葉をアリスに送る。
しかし、安心したのも束の間、アリスの手が詩音の襟首に伸びる。
「え?」
と、間の抜けた声を零した直後、詩音はアリスに半ば伸し掛かる様にして押し倒された。
「え、え、えぇ?」
倒れた場所が丁度ソファの上だったので双方共に痛みは殆ど無い。
「え、何? どしたのアリス?」
戸惑い問い掛ける詩音。
すると、
「シオンくんさぁ………」
やけにドスの効いた声が返る。
「え、あ、あの、アリス………さん?」
恐る恐る、もう一度声を掛ける。
が、何時もの凛とした包容力に溢れた声は返って来なかった。
「他とばっかイチャイチャして無いで、私の相手もちゃんとしなさいよぉ」
鋭い眼光で目下の詩音を射止める様に睨みつけながらそう言うアリス。
――――――うわぁ、素面に見えてしっかり酔ってるよこの人
非常に面倒くさい酔い方だ。
覆い被さる様に陣取ったアリスは、あろう事か詩音のシャツの中にするすると手を忍ばせて来る。
「綺麗な肌してるよねぇ………ハハッ。妬けちゃうなぁ」
「ちょ、あっ、やめ、くすぐったい………っ」
詩音の抗議も無視して素肌の感触を堪能する様に身体を撫で回してくるアリス。
「フフ、唇も軟らかそう………」
最早普段とは似ても似つかない有様で、アリスはゆっくりと詩音の顔に自分の顔を近付けて来る。
これは流石にまずいと思い、少し手荒にでも逃げ様と決意する詩音。
が、その決意を行動にするよりも先に、がくんと糸の切れた人形の様にアリスは力無く詩音の身体の上に崩れ伏した。
そして、すぅ、すぅ……と規則的な寝息を立て始めた。
唐突に動いたかと思うと、同じく唐突に力尽きたアリス。
助かったぁ、と内心でぼやいて、詩音はアリスの下から這い出して立ち上がった。
安堵の息を吐く詩音。
だが、それも束の間。
今度はクレハがフラフラと覚束ない足取りで歩み寄って来て詩音と対峙した。
「ク、クレハ…………」
これまでの流れから、酷く嫌な予感を感じながら身じろぐ詩音。
そんな詩音をクレハは無言のまま何処か虚ろな眼で見詰める。
より正確には詩音の胸元を。
「………あの、何か?」
そう、絞り出す様に訪ねた、直後だった。
クレハは両手で詩音の胸を鷲掴みにした。
「わっ、ちょっ、クレハさんっ!!」
向こうの人達と同類か!、と声を上げる詩音だが、シャルロットやアリス達とは違いクレハは直ぐに手を離した。
そして、今度その離した両手を自分の胸元に持って行き、暫く無言になった後、
「────ッチ」
「え、舌打ち!? あのクレハが!? え?」
詩音のそんな言葉は耳に入っていないらしく、そのままクレハは無言でソファーの方に歩み寄ると、その上で丸まってふて寝を始めた。
───なんだったんだ一体。………クレハ、一番訳の分からない娘だ……
クレハのまさかの行動に詩音が頭の中で?マークを浮かべていると、再びシーナとシャルロットが飛び付いて来た。
「あーもーしつこいな、この人達!」
酒のせいで普段なら表に出て来ないような部分が飛び出してしまったのだろうか。
まさかシャルロット達の酒癖がここまで悪いとは。
こうなれば後は頼れるのはエリックとカインの男性陣のみ。
「カイン! 助けて!」
酒瓶片手にテーブルに伏すカインに協力を頼む。
しかし、金魚の様に頭の先から指先まで赤に染まった火妖精に動きはなく、
「んー………俺ぁシオンくらい細身なのが好みだぞぉ………」
と言う寝言だか譫言だか分からない返答があるだけだった。
「あ、駄目だ、使い物にならない。ならエリック。手伝って」
そうそうにカインは役立たずと切り捨ててエリックに助けを求める。
しかし、エリックの方は口元に手を当てて身体を小刻みに震わせていた。その震えの理由が込み上げて来る笑いを必死に抑え込んでいるからだとは直ぐに分かった。
「ちょっとエリック! 面白がってるでしょ!」
おかしいと思ったのだ。
普段なら誰かが騒ぎを起こせば直ぐに仲介役として駆け付けると言うのに、今回は全然関わって来なかったのだから。
「くっ……ふっ………わ、悪い………ふふっ……」
「笑ってないで助けてよ! これちょっとした事案だよ? 下手したら訴えられるよ、僕が」
「安心しろ。端から見たら女同士でじゃれ合っているようにしか見えないから」
──何を安心すればいいの!?
「おふざけはいらないから早く助けてよ!」とエリックに言おうとした詩音だが、シャルロットとシーナに言葉を押し留められた。
アリスとクレハはこの喧騒の中夢の世界に潜り込み、カインも酒瓶を抱えていびきをかき始め、シーナとシャルロットは詩音を逃がすまいと全力で抱きつき、それを端から見ているエリックはもう我慢出来ないと言う様に笑い声をこぼす。
宴会はいつの間にか狂宴へと変わりはて、広間には混沌とした状況が展開されたまま夜は更けて行った。
◆
「はぁー……ひどい目にあった………」
漸く酔っ払った妖精達をなだめ、各々の自室で眠りに着かせた詩音はぐったりとした様子で広間に降りた。
一騒ぎあったせいで広間はかなり散らかってしまっている。
恐らくクレハ達は明日、二日酔いに襲われて片付けどころではないだろう。
「よし、やるか」
呟き、詩音は直ぐに食器や空になった瓶等を片付け始めた。
食器を一纏めにして運ぼうとしたが、寸前で横から手が伸びて来た。
「エリック」
視線を向けると、シャルロットを部屋に送り届け終えたらしいエリックが居た。
小さく笑みを浮かべながらてきぱきと食器を纏めて行く。
散らかっていると言っても、料理や酒がひっくり返っているという事はない。
二人掛かりで挑めば、そこまで時間も掛からずに広間はいつも通りの状態に戻った。
詩音が食器を洗っている間に、エリックがテーブルやその周辺の掃除に取り掛かる。
そして、食器の洗浄を終えると、詩音はキッチンスペースから出て広間へと向かった。
詩音とほぼ同時に掃除を終えた気配がしたその部屋を除き込むと、そこではエリックが一息吐く様に椅子に腰掛けていた。
詩音の存在に気付いていないらしく、エリックは唯一テーブルの上に残っていた未開封の酒瓶を手に取り、その中身を眼前のグラスに注いだ。
「──エリック」
名前を呼ぶと、焦げ茶色の髪をした土妖精の青年はゆっくりと視線を向けて来た。
「あぁ、シオン。悪い、少し息を吐くたくてな」
「気にしないで。まだ呑むの?」
「さっきは少し呑み足りなかったからな」
そう言ってグラスを持つ手と逆の手で一本のボトルを持ち上げて詩音に見せた。
それは、昼間に詩音がエリックに着いて訪れた酒屋で入手したレア物だと言う酒だった。
「───さっきは悪かったな。流石におふざけが過ぎた」
酒の入ったグラスを片手に謝罪してくる。
「あいつら、普段はあんなに酒癖が悪いわけじゃあないんだがな。カインと同じで初めて飲んだ酒が合わなかったんだろう」
確かに、クレハ達はホーエン酒なる酒を飲むのは初めてだと言っていた。
だとすれば、彼女らを頭ごなしに責める訳にもいかないし、責める気もない。
酒を進めたのは詩音自身なのだから。
「気にしてないよ」
短くそう言うと、「そうか」と同じく短い返答。
「お巫山戯の詫びに一杯どうだ………あぁ、いや、酒は苦手だったな」
誘いの直後にエリックは思い出した様にそう零す。
それに対して詩音は少しの間沈黙すると、ゆっくりとエリックの側へと歩み寄り、隣の椅子に腰掛けた。
「いや、折角だから戴くよ」
そう言って氷でグラスを作ってカウンターに置いた。
するとエリックは少し意外そうな表情を浮かべた。
「大丈夫なのか? 苦手なら無理しない方が良いぞ」
「ふふ、確かに苦手だけど、弱いって訳じゃあないんだ。むしろその逆で、どんなに飲んでもほとんど酔えないんだ。だから、あんまり楽しめなくて」
説明すると、エリックは「そうか」と言って詩音のグラスに酒を注いだ。
澄んだ色の液体が満たされたグラスを傾けて詩音は一口含む。
本来酒を飲めるのかすら不安になるほど華奢な体躯でありながら、その様からはそれなりに酒に慣れているのであろう事が伺える。
「……うん。いいね」
やはり酔えそうにはない。しかし、舌触りや香りは中々に心地よい逸品だ。
エリックがわざわざ手間と費用を掛けてでも手に入れたのも理解出来る。
「そいつはよかった。ほら」
エリックはそう言って酒瓶を突き出して酌をする。
「いいの? 中々手に入らないんしょう?」
「ああ。実は言うとな。こいつはシオンに飲んで貰おうと思っていたものなんだ」
「え?」
「覚えているか? フェルベーンの里で『次に会ったら酒を奢る』って言っだろ」
そう言えば、フェルベーンの里で詩音が鬼の別動隊を潰しに行く直前にそんな感じの事を言っていた。
「丁度いい機会だから、前々から目をつけていたのを振る舞おうと思っていたんだ。酒が苦手と聞いた時はどうしたものかと思ったが」
「そっか。なら、もう少し頂こうかな。当然エリックも付き合ってくれるよね?」
そう言って今度は詩音が酒瓶を手に取り、エリックのグラスに注ぐ。
エリックは微笑みを浮かべてそのグラスを取ると、
「勿論だ」
と言ったグラスを詩音の方に向けた。
「じゃあ、皆には内緒で二次会って事で」
「ああ」
詩音もグラスを手に取り、コツンとエリックのグラスに当てた。
作者は何がしたいんだ………?




