39話 裏路地の酒屋
ユリウスの街は、何時も通り数多くの冒険者や商人達で賑わっている。
鎧やローブ等、多様な出で立ちをした人々が雑談と足音を巻き立てて行き交うその様は、猥雑と言って差し支えない。
そんな人込みの中に大荷物を抱えて歩を進める二人の人物がいた。
一人は背が高く、細身だがよく鍛えられた体付きをした土妖精のエリック。両手に子供がすっぽり収まりそうな大きさの袋を四つ抱えている。
「シオン、大丈夫か?」
チラリと視線を隣に向けて、人物よりも頭二つ分ほど背の低い人物に問いかける。
「うん。平気だよ」
純白のコートを羽織り、フードを深々と被った詩音は平然とした声音で答える。
詩音もまた、エリックの持つ物と同じサイズの食料が詰まった袋を両手で抱えていた。しかし、数は二つだけ。
それでも、エリックより高さも幅も遥かに劣る詩音の身体からすれば相当な荷物だろう。
「ごめんよ、ほとんど持たせちゃって」
「気にするな。仕方ない事だ」
謝罪する詩音にエリックは微笑みながら応える。
筋力的にはまだ余裕がある詩音だが、体格故に大荷物を運ぶのは難しく、必然的にエリックの手持ちの量が増えてしまうのだ。
二人が大量の食料品を買い込んでいる理由だが、先日偶然にも遭遇、討伐した《黒の魔狼》の事が組合から国に報告され、その報酬として多額の報償金が出たので、それらを均等に七人で山分けし、余った分で打ち上げをしようと言う事になったのだ。
「えーと……これで頼まれていた物は全部揃ったね」
買った品々を脳内のメモと照らし合わせてから詩音が呟く。
「みたいだな。っと、そうだ。シオン、悪いが少し寄り道してもいいか?」
「うん。勿論いいよ。何処行くの?」
「俺の行き付けの店だ」
短く答えてから、「こっちだ」と言って目的地に向かうエリックに着いて歩く事十数分。
辿り着いたのは一家の小さな店舗だった。
大通りから僅かにそれた場所にぽつんと建つその建物には《Poisson volant》とフランス語で綴られた看板が掛かっている。
と言っても、スキルの翻訳機能によって詩音がフランス語として認識しているだけで、実際はこの世界独自の文字で綴られている。
建物の外見は普通の民家とさして変わらないが、入口の側には大きなワイン樽が二つ置かれている。
「──酒屋か」
「ああ、俺の行き着けだ」
「こんな所にあるなんて知らなかった」
「だろうな。隠れた名店ってやつだ」
そう言って入店するエリックに続いて詩音も扉を潜る。
中は外見から予想されるより随分と狭く感じられた。というのも、店内は壁一面に天井すれすれまで棚が設けられており、その上にずらりと酒瓶が置かれていたのだ。
競り出した棚が店内の空間を侵食し、数多の瓶に囲まれているという圧迫感も合わさり、外見の三分の二程度のスペースしか無い様に思える。
上の方の商品に目をやろうと、詩音が視界を狭めているフードを取って長い銀髪を晒した時、店の奥から落ち着いた声が聞こえてきた。
「いらっしゃい、エリック君」
声のした方に詩音が視線を移すと、そこには細身な老人男性が一人、カウンターらしきテーブルを挟んで佇んでいた。
老人は灰色の短い髪を落ち着いたスタイルで纏め、丸縁の眼鏡を掛けている。それなりに高齢に見えるが、腰は一切曲がっておらず背筋をしっかりと伸ばしてきびきびとした動きでカウンターから出てくる。
「どうも店主」
「今日はカイン君は一緒じゃないんだね。おや?」
この酒屋の店主らしき老人は、荷物をカウンターに置いたエリックと挨拶を交わし終えると同時に詩音の存在に気付いたらしく、視線を向けて来た。
詩音は小さく頭を下げてお辞儀する。
「おやおや、いらっしゃい。これはまた随分と可愛らしいお嬢さんだ。もしかしてエリック君の恋人さんかな?」
そう言う店主にエリックは少し困った様な笑みを浮かべて応える。
「店主、シオンは男ですよ、一応」
「え?」
「一応ってひどいなぁ。はじめまして、詩音と言います。男です」
詩音が挨拶すると、店主は目を丸くして困惑した様な表情を浮かべた後で、慌てて口を開いた。
「あ、いや、それは失礼。申し訳ない。てっきり女の子かと……」
「よく間違われるので、お気になさらず」
詩音がそう言うと、店主は再び「申し訳ない」と謝罪してから自己紹介をした。
「私はこの店の店主クワイエットです。以後お見知りおきを」
「店主。今日は頼んでいた物を取りに来たんだが」
「ああ、今持って来るよ。」
エリックの言葉に、店主クワイエットはそそくさとカウンターの方へと歩みよると、棚に陳列された酒瓶の中から一本のボトルを手に取った。
「はい。君が予約していた酒だ」
「ありがとうございます」
差し出された酒瓶を受け取ってエリックは礼を言う。
その酒瓶には《エリック様》と書かれた札が着いている。見た目からするに、葡萄酒の類いだろうか。
詩音の視線に気付いたのか、エリックが酒瓶を詩音に見易い位置に差し出す。
「こいつは中々手に入らない希少な酒でな。店主のツテでなんとか手に入れてもらったんだ」
「へぇ」
説明を聞きながら、酒瓶を眺める。
ボトルに貼られたラベルには、柳眉な金文字で銘柄が記されている。
「いやぁ、苦労したよ。何せ出回ってもすぐに貴族や王族のお偉いさんが買い占めてしまうからね」
「本当にありがとうございます」
「いやなに。エリック君はお得意様だからね。さてと、他に何か入り用な物はあるかい? 荷物を見た所、お祝いか何かの様だけど」
チラリとエリックの置いた荷物と詩音の抱えた荷物に目線を向けてからクワイエットが問いかける。
その辺が目敏いのは、流石は商人と言ったところか。
「そうですね。他にも何種か買わせて貰います」
エリックはそう言って店内を物色し始める。
詩音もそれに習って、壁一面の酒に目を走らせる。乱雑に置かれている様に見えて、酒は年代、アルコール度数、生産地等、様々な部類で細かく分けられており、探し易い順序で並べられている。
「君も飲むのかい?」
上から順に酒瓶を閲覧していると、不意にクワイエットが訊ねてきた。
「あ、はい。あんまり得意ではないてすが」
視線を向けながら詩音は応える。
この世界では飲酒や喫煙に関する年齢制限はない。各々自己責任で自由に飲んだり吸ったりできるのだ。
「ふむ、ではそんなお客さんにぴったりの物があるよ」
そう言ってクワイエットは詩音の眺めていた棚の三つ隣から一本のボトルを手に取る。
「《クールベリー》と言う物でね。度数も低めで後味もスッキリしたお酒だよ。女性やあまり酒に強くないお客に人気の品だ」
解説と共に差し出されたそれは、一見すると葡萄酒の様にも見える物だった。
黄色み掛かった液体が内部に満たされており、エチケットにはこの酒のプロフィールが記されている。
(人気の品、か)
正直詩音には、酒の良し悪しと言うものが今一分からない。美味と感じる事も、不味いと感じる事もあるのだが、それ以上の魅力が理解出来ないのだ。
ならば、無理に自身で選ばずに薦められた物を素直に購入した方がいいだろう。
「では、これを頂きます」
「お買い上げありがとう。そうだ、さっき女の子と間違えてしまった失礼のお詫びにもう一本お好きな物をおまけしよう」
「え、いやでも」
悪いので断ろうとした詩音に「いいからいいから」と言ってどれがいいかを訊ねる店主。
詩音は尚も断ろうとしたが、好意を無下にするのも失礼かと思い至り素直に酒を選び始める。
余り高い物を選ぶのも申し訳ないので、極力手頃な値段の物を探す。
そして、棚の一角に並べられた酒群が目に入った。
他の酒がフランス語や英語に翻訳される中、その一角の酒達だけは日本語に訳されている。
透明な瓶の中には水のような透明度を持つ酒が満たされており、各々の瓶のラベルには《鬼灯丸》や《夢月》等の銘柄が記されている。
その見た目は、日本酒と言うカテゴリーの酒に酷似している。
「あの……あそこのお酒は?」
「ん、ああ《ホーエン酒》か」
「ホーエン酒?」
「極東にある《ホーエン》と言う島国独自の酒だよ。此方の国のように果実を材料にするのではなく穀物を主原料としている物でね」
説明を聞きながら、詩音は日本酒によく似たホーエン酒なる酒達を眺める。
(そう言えば、怙暦が良く飲んでたっけ。『日本の酒が一番舌に合う』とか言って……)
一度、興味本意で怙暦から酒を分けて貰った事があった。
止めない辺り怙暦らしいと思いながら飲んだそれは、苦く、アルコールが喉を焼く感触が不快で、あまり良い物とは思えなかった。
少しだけ、昔の事を思い出してから詩音はクワイエットに向かって言った。
「すみません、あの中で一番飲み易いのってどれですか?」
「ん? あの中でかい?」
「はい」
詩音が小さく頷くとクワイエットは少し意外そうな表情を浮かべてから、再び小さく微笑んでホーエン酒の並ぶ棚に向かった。
「ホーエン酒を選ぶとは、君は中々に御目が高い。この種の酒はその国独自の製法で造られているから、その国の在り方や文化が味に出る。飲んでいて非常に楽しい物だ」
言いながらクワイエットが差し出したのは、純米酒に似た酒だった。
ラベルには《氷桜》と銘が記されている。
「これは少し強いがホーエン酒の中でも飲み易いと思うよ」
「それじゃあ、そのお酒にします」
「では、先ほどのと合わせて包装しよう」
「お願いします」
詩音がクワイエットと酒を選んでいる間にエリックの方も選び終えていた様で、各々自身の酒の代金を支払って、包装されたボトルを受け取った。
「お買い上げありがとう。今後も良ければご贔屓に」
店の外まで見送ってくれた店主に礼を言ってから、二人は店を後にした。
「いいお店だったね」
「だろう。この街に来た時からの付き合いなんだ」
「そうなんだ」
そんなやり取りをしながら、人混みの中を大荷物を抱えて二人は進む。
「さてと、寄り道した分少し忙しいとな。傷み易い物は買っていないが、鮮度がいいに越した事はない」
「そうだね」
エリックの言葉に同意して移動の脚を速めようとした時、詩音はある事に気付いた。
「あ」
「ん、どうしたシオン?」
「そう言えば、《STORAGE》にしまっちゃえば楽に運べるんだった」
「……あ」
二人して忘れていた。