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Tale:Dragon,tears    作者: 黒餡
二章 篇首拠点市街《ユリウス》〜異彩なる世界〜
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34話 紫煙の君

 彼は詩音という名を得て、霧咲怙暦の助手兼弟子として共に行動する事になった。

 尤も、それは名目上のようなもので、実際は互いに協力し合い、互いに研鑽し合う相棒やライバルのような関係だった。

 

『───所定の位置に付いた』

「了解」


 インカムから聞こえて来た怙暦の声に詩音は短く応えてから、傍らに二脚(バイポッド)を立てて設置してあるライフルに手を伸ばした。

 ボルトアクション式狙撃少銃 《レミントンMSR》。

 アメリカの銃火器メーカー、レミントン・アームズ社が開発したこのスナイパーライフルは、通常の7.62×51㎜NATO弾の他、338ラプア・マグナム弾等、狙撃条件に合わせて銃身と四種類の弾丸を使い分ける事ができ、重量もスコープ込みで六、七㎏程度しか無いという使い勝手の良さを持つ。

 崩れかけたコンクリート製の廃墟の床に寝そべって伏射姿勢になり、ライフルに顔を寄せる。

 詩音はスコープ前後のフリップアップ・カバーを上げると、レンズ越しに月明かりの下、人気の失せたレストラン内の一席で食事をしながら会話を交わす二人の男性の姿が見えた。

 向かって左側に座るのは、見るからに高級そうなスーツを纏った長身細躯の中年男性。左側は姿は見えないが白いスーツを着たかなり恰幅のいい初老の男の筈だ。

 初老の方は詩音の位置からでは、建物の影になっていて狙撃は難しい。

 よって詩音は細身の男の方に狙いをつける。


(距離、九百……風は……南西から南東に三メートルってとこか……)


 自身の感覚器官から得た情報を許に詩音はスコープのダイヤルを調整する。

 そして、スコープ内部の照準線(レティクル)が細身の男の頭部を捉えた時、再びインカムを起動した。


「此方は何時でもいけるよ」


 即座に応答。


『此方もだ。──秒読み、五(ファイブカウント)で撃つ』

「了解」


 返答と同時に、詩音は人差し指をライフルのトリガー本体に添える。

 瞬間、詩音の視界に映る世界の全てが動きを停滞させる。

 

『──五』


 インカム越しにひどく遅い怙暦の秒読み(カウント)が聞こえてくる。


『…………四』


 別々の場所からの二者同時狙撃。

 片方が成功させても、もう片方がしくじれば失敗に終わる。

 しかし、詩音には何の気負いも不安も無かった。


『…………三』


 この条件下での狙撃を外さない自信があり、尚且つもう一人の狙撃手がこの程度で失敗する筈が無い事を理解しているからだ。


『…………二』


 脳裏に成功の瞬間を思い浮かべる。

 一流の弓道家にとって、矢は射る前から的に当たっている物だと言うが、詩音にとってもそれは同じだった。


『…………一』


 成功の瞬間を幻視した時には、弾は既に標的()を射抜いている。

 後は指に軽く力を込めるだけで、幻想に現実が追い付く。


『…………零』


 カウントと同時に詩音はトリガーを引いた。

 銃身先端部に取り付けたサプレッサーによって減音された銃声が聴覚に届くと同時に、詩音の視界に映る世界が正常に動き出す。

 放たれた7.62×51㎜NATO弾は、一息に標的へと猛進し、反動(リコイル・ショック)が身体に伝わってくる。

 照準線の向こうで、男達の頭から赤い飛沫がほぼ同時に吹き出した。

 糸の切れた人形のように、男の身体が力を失ったのを確認した直後、


『──目標、沈黙(ターゲット、クリア)。合流は予定の座標で』

「了解………」


 応えながら、詩音はライフルのボルトハンドルを引いて、空の薬莢を排出した。

 熱せられた空薬莢を回収し、側に転がしていたライフルケースを引き寄せる。

 慣れた手付きでケースの中に銃をしまいながら、詩音は自身が何も感じていない事に小さくため息を吐いた。

 目標を仕留めた事に対する喜びも。人を殺めた事に対する罪悪感も。

 何も無い。

 物心つく前からその手の技術や知識を学ばされていたからか、はたまたこの世に生を受けた時からこう言った精神構造だったのか。

 

「どっちにしろ人でなしか………」


 呟いてから詩音はケースを背負ってから、一度周囲に眼を走らせてからその場を離れた。

 あらかじめ確保しておいた最短ルートを駆け抜けた。


  ◆


 密生した樹木の間を一切の減速なしに走り続ける。

 生い茂る木葉に遮られた林の中は、月明かりか届かない為に暗く視界が悪い。


(全く。怙暦の奴……)


 低い姿勢のまま風のような速度で駆けながら、此方の悪辣ルートを押し付けた相棒に向けて軽く毒づく。

 対象(ターゲット)である二人の男は、どちらも表社会・裏社会双方に強い影響力を持つ資産家で、今回の半ば密会のような会食にも幾人かのガードを付けていた。

 狙撃位置的に追手が来る可能性は低いが、それでも詩音に油断する気は無かった。

 十数分後、漸く無明の世界の出口が見えた。

 林が途切れた先にあったのは、舗装や整備が一切されていない細道。

 そこまで到達して初めて、詩音は脚を止めた。

 一度、小さく息を吐いてから、肩に掛かった月光を反射して煌めく銀髪を背中に流しながら辺りを見渡す。

 五十メートル程離れた位置に一台の(ジープ)が停車していた。

 旧式の車体のフロントガラス越しに、運転席に座る女の姿が眼に入る。

 詩音が歩み寄ると女、怙暦は直ぐに気付いたらしく顔を上げた。

 後部座席にライフルケースを積み込んでから助手席に乗り込むと、怙暦が口開く。


「思ったより早かったな。後十分二十分は森の中と思ったが」

「そう思ってたならあんな悪路を逃走経路に指定しないでよ。走り難いったら無い」


 シートに凭れて、瞼を閉じたまま言い返す。


「それは悪かったな。若者なら安直な道よりも森の中を走り回る方が楽しいだろうと、私なりに気を聞かせたのだがな」


 意地の悪い笑みを浮かべそう言って怙暦はエンジンを掛けて車を発車した。


「若者って……。あんたもまだそこまでの歳じゃ無いだろう」

「何言ってる。私も来年で三十だぞ? もう若者を名乗れる歳じゃあ無い」

「……そっか………。もう随分経つね。怙暦と出会って………」


 あの日、興味本意で動向を共にすると言ってから、早くも数年の歳月が経過していた。

 「月日が経つのって、意外と早いんだな」と思いながら、詩音は瞼を上げて横目で怙暦を見る。

 この数年で怙暦について分かった事は幾つかあるが、中でも詩音の印象に残ったのは「桐崎怙暦という殺し屋が殺し屋らしくない」という事だ。

 怙暦は、あちこちの裏組織、マフィア、時には一個人からも依頼を受けてターゲットを殺す完全なフリーランス。

 だが自由である分、殺す相手を選り好みするきらいがある。

 殺すのは女子供の誘拐・人身売買を資金源とする外道の類いや戦争、紛争で私腹を肥やす政治家共。

 その在り方は殺し屋と言うよりはまるで「正義の味方」の様だった。

 一度、その感想を本人に告げた事がある。

 その時怙暦は声を上げて笑ってから言った。


『《正義の味方》なんて私から最も遠い物さね。人を殺して金を稼いでる以上、私もターゲットにしてる奴らと変わらない悪党外道の類いだよ。現に私は自分勝手な判断でお前の故郷をそこにいた人間もろとも吹き飛ばすつもりだったろう。大人も子供も関係なく』

 

 最早トレードマークの様な物に見えてきた咥え煙草から紫煙を立ち登らせながら、「でもね、詩音」と怙暦は続ける。


 『この世界にはどんなに正義だ善だを振りかざしても消し去れない悪って物が確かに存在する。そんな真っ黒な連中を消そうと思うなら、純粋な白ではいられない。手段は選んで要られない。

 悪事に手を染めてでも悪を打ち消す。人はそれを矛盾と呼び、間違いと断じる。でも世の中には、そんな矛盾と間違いの塊みたいな灰色が必要なのさ。

 ───まあ、それは建前みたいな物で、本心はどうせ殺すなら自分の気に入らない奴を殺した方が気が楽ってだけなんだけどね』

 

 まったく、我なががら馬鹿な事を聞いた物だ。

 怙暦も詩音も他人の命を食い物にする外道。とんだ悪人だ、とんだ罪人だ。

 《正義の味方》? とんでもない。この女は《悪の敵》なだけ。

 怙暦はそれを自覚しており、その業を背負う覚悟もある。

 だがやはり詩音には、怙暦が《人の幸福を壊す者》を選んで殺しているように見えた。まるで《人の幸福》というものを守ろうとしているように視えてしまう。

 もしそうなら、霧咲怙暦は酷く甘い人種だ。人殺しであるべきではない人間だ。

 何時の日か、その甘さが彼女の脚を掬うのではないか。そんな一抹の不安、懸念を詩音は抱いていた。


「───なんだ? 私の顔に何かついてるのか?」


 詩音の視線に気付いたらしく、怙暦が前を向いたまま言った。

 

「ううん………。ただ、何年経っても怙暦は見た目変わらないな、と思って」  

「ハ、そんなの今の内だけで四十を越えれば一気に老けるさ。そう言うお前は年々美少女度が上がっていくな」


 そう言いながら怙暦は片手で上着の内ポケットを探って煙草の箱を取り出した。


「ん? しまった空だ。詩音、後部座席に新しいのがあるから取ってくれ」

「うん」

 

 詩音はシートベルトを外して後部座席を覗き込む。

 直ぐに1カートン分の煙草の箱が目に入り、一箱手に取る。


「はい」

「ああ、悪いな。お前も吸うか?」

「子供に煙草を進めないでよ」

「ハハ、冗談だ。まあ、成長しても吸わないに越した事は無いがな、こんな物」


 そう言って怙暦は紙パッケージを開けて一本鍬えてライターで火を着ける。


「ああ、そう言えば。お前に伝えておかないといけない事があった」

「ん?」

「お前が居た組織の残党だが、とうとう全滅したらしい。あの時のデータ流したら意外と呆気なかったな。よほど色々な所から恨みを買ってたと見える」

「そっか──」


 詩音は短く応えた。

 あまり興味の無さげな返答であったが、怙暦はそれ以上この件については話さずに車を走らせた。

 ふぅ、と怙暦の色の薄い唇から紫煙が吐き出された。

 芳香が鼻をつく。

 決して良い香りとは思わないが、詩音は怙暦自身を連想させるこの煙草の芳香の事が嫌いではなかった。

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