32話 心の痛み
巨大な銃を片手に、詩音は妖精達の側に降り立った。
と、同時に目眩と痛みが襲い掛かり、身体が傾く。
「うおっと。大丈夫かシオン?」
咄嗟にその身体を支えながらカインが狼狽えた様子で訪ねる。
「あーありがと。大丈夫」
そう言って脚に力を入れて身体を起こす。
《竜帝憑依》による能力行使によって発生する負担は、通常の負傷とは異なる苦痛を詩音に与える。
上昇率を大幅低下させていたお陰で精神干渉の影響は見られない事だけが救いか。
AS50を杖代わりに体重を預けて身体を支える。
ふぅ、と一息ついたタイミングでアリスが口を開いた。
「シオン君、左腕見せて。直ぐに治療しないと」
詩音が負傷した場面を見ていたらしく、アリスは急いで魔法を発動しようとする。
しかし詩音は、
「ん、ああ平気平気。必要無いよ」
と、何でも無いように治療を断った。
「平気って、お前さっき大火傷してただろうが」
カインは叱咤する様に言いながら、詩音の左腕を取った。
しかし、直ぐに「ん?」と不思議そうに眉を潜めた。
石片に貫かれた筈の詩音の左腕には、所々小さな刺し傷が残っているだけだった。
その軽度の刺傷でさえ目に見える速度で範囲を狭め、元の白くきめ細かい肌へと戻りつつあった。
「ね。大抵の怪我なら直ぐに治るから問題無いよ」
そう言ってまだ若干の痺れが残る左手をひらひらと見せ、心配無用を主張する。と、突然クレハが その左手を両手で掴んで自身の胸に引き寄せた。
「え、ちょ、クレハ?」
足元で支えを失ったAS50が重々しい音を立てて倒れるのを感じながら、詩音は一瞬目眩も忘れて目を白黒させた。
「ど、どうしたの急に、何処か怪我したの?」
「………治れば良いって物じゃ無いよ」
絞り出す様な声で呟かれる。
見ればクレハは蜂蜜色の瞳を潤ませ、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。
「何であんな無茶したのさっ。ボクの盾になって、あんな大怪我して!」
「な、何でって言われても……………」
理由を問われても、クレハが危なかったから以外の返答が思いつかない。それ以外に理由がないのだから当然だ。
あのままではクレハは死んでいた。ならば己の身を盾にするのは、詩音に取って至極当然かつ自然な選択である。
「守ってくれたのは分かってる………。でも……でも、それでシオンが死んじゃったらどうするのさっ!? 怪我したままあれに向かって行ったり、ボク達に離れろって言って一人で戦ったり…………。もっと自分を大切にしてよ……」
どうすれば良いのか分からず、詩音は戸惑いがちにクレハの頭を軽く撫でる。
同時に、あの状況下で他人の心配をしたと言うクレハに少しばかり驚く。
「ごめんね。心配かけたね……」
こう言った時に何と言えば良いのか思い浮かばず、ただあやす様に簡単な言葉を並べる。
するとクレハはこてんと額を詩音の肩口に預けた。僅かに嗚咽が聞こえてくる。
───あー………なんか、やっちゃったのかな………
昔、同じ様な事を言われた事がある。
詩音は小さな頃から、自分という存在を守護対象に含める事が苦手だった。
どうも、自身の生命を優先するという思考が欠落している様なのだ。
クレハの「もっと自分を大切にしろ」という言葉に対しても、意味は分かるが納得が出来ない。
もし、次に同じ様な状態に陥った場合、間違い無く詩音は同じ行動に出る。一瞬の躊躇いも無く、一片の後悔も無く。
これは予感でも予測でもなく確信である。
この身は無価値な物であると、根本的な部分で定義してしまっている詩音には、クレハの願いが、そのお想いが解らない。
故に詩音は、
「………ごめんね」
短く、謝る事しか出来ないのだった。
■
「シオン、それは?」
暫くすると、ふと遠慮がちにシーナが訪ねた。
「ん、ああ。銃だよ。見慣れない形かも知れないけどね」
「へえ」
逃げるようにそっとクレハを離して答えるとシーナは興味深げな目で長大なライフルを眺める。
「じゃあ、あれはシオンの仕業って訳ね。時々あたしの工房に素材の加工を頼みに来たり、自分で加工しに来てたのはそれ作るためだった訳ね」
納得したように言うシャルロットに「まあね」と答えながら《STORAGE》にAS50を収納する。
と、エリックが「それで」、と言って視線を例の物に向ける。
「あれはどうするんだ」
「頭蓋から脳を潰して、そのまま血液や周辺の器官を凍結した。完全に死んでる。もう暴れはしないだろうから放っておいても大丈夫だよ」
「いや、そう言う訳にはいかねぇだろう。これは組合に報告しないといけない出来事だろ」
「ああ、そっか………。だったら悪いけど報告やらなんやらはカイン達がしてくれないかな。僕は一切関わっていないって事にして」
「え? なんで?」
詩音の言葉にアリスは不思議そうに首を傾げる。
他の妖精達も同じようにどういう意図なのか計りかねた表情で詩音を見る。
「だって、一介の水晶級冒険者が今噂の《黒の魔狼》の討伐に参加したなんて知られたら、絶対目立つじゃん」
ただでさえ有名人であるクレハ達と行動を共にしている詩音は、他の冒険者達からよく視線を向けられる。
その上こんな事が知れ渡れば、確実に今以上の注目を集めてしまう。
それは避けたかった。
「でも、ほとんどシオンが倒したようなものだろう?」
カインが腕組みをしてぼやくように言った。
「いやいや、そんな事無いよ。僕はあくまで援護してただけだよ。だからお願い」
両の掌を合わせて頼み込む。
身長差的に、カインから見れば所謂“上目遣い„という状態になる。
詩音は全くの無意識なのだが、カインは思わず顔を赤らめた。
その後、十分以上の時間を要して、妖精達が折れる形で詩音の要望は認められた。
◆
「じゃあ僕はこの辺で」
ユリウスに帰り、顔見知りの獣人レンレンを通して組合の役員に話しを通して貰った段階で、詩音はそう切り出した。
「魔狼の死体は組合の裏庭に出しといたから」
伝えて、カウンターを離れ、出入口の方へ向かう。
「シオン君、本当にいいの?」
「うん。後の事は頼むよ。皆が魔狼と戦っていた時、僕はホームで留守番してたってことで。よろしくねー」
そう最後に言って聞かし、詩音は組合を後にした。
◆
「《黒の魔狼》が討伐されたと報告が入った」
薄暗い祭壇の前で書物を開く男にそう報告する声があった。
少しくぐもった男とも女ともつかない声。報告者は精緻なくすみ一つない銀色の鎧を纏ったした人物。
顔は、鎧と同じ銀色の兜に覆われていて、その表情はおろか容姿すら伺う事は出来ない。
報告を受けて、男は本を閉じる。
「そうか………。討伐者はどこの者だ?」
「ユリウスを中心に活動している例の金剛級冒険達だ」
「あの妖精族か」
「ああ」
壁に凭れかかり、腕を組んだ体勢のまま声の主は肯定の意を示す。
「あれならば、金剛級が複数居ても相討ち程度には持ち込めると思っていたが、存外に妖精族とは手強いようだな」
祭壇をゆっくりと見上げながら語る男に、鎧姿の報告者は「それが」と追伸する。
「その事だが、妖精族の一団の中に奇妙な人物が混ざっていたと監視者が言っていた」
「なに?」
「純白の外套を纏った小柄な人物だそうだ」
「新たな妖精族か?」
「不明だ。何らかの対魔力処置を施している様で遠隔魔法では正確に容姿を捉えられないそうだ。人の類いか魔性の類いか、現時点では判断しかねる」
追加の情報に男は「そうか」と短く言葉を返す。
そして、再び書物を開くとそれに目を落とす。
「どうする?」
「暫くは様子見のみにしておけ。所詮は魔狼も試作品。重要なのは戦力では無くアレの持つ力の方だ。倒す者がいたとて、そう慌てる事でもあるまい。
情報操作の方は此方で手配しておく」
「了解した。―――――――所で、陛下のご様態の方はどうだ?」
「以前変わりなく」
「―――――そうか」
報告者は静かに男の言葉に応じると、音もなく踵を返し、礼拝堂から姿を消した。
◆
クレハ達から預かった鍵でホームに入る。
当選ながら中に人の気配はなく、静寂が詩音を出迎える。
そう言えば、このホームで一人になるのは何気に初めての事であると気づく。
いつもは詩音以外に必ず妖精達の内の誰かが居て、扉を開けると「お帰り」と声を投げ掛けてくる。
その度に詩音は、ぎこちなく「ただいま」と返すのだが、今日に限ってはそのやり取りは起こらない。
扉を閉めて、武器や素材、詩音特製の回復薬の並ぶ商売スペースを通り抜けながら、詩音はスキルを使って服装を外出用のコート姿から、楽な部屋着に改める。
そして、全員の共同スペースとなっているリビングに置かれたソファーに腰掛けて、身体を伸ばした。
「……はあ」
短く息を吐くとスキルの反動で僅かに鈍い痛みを主張する身体が少しだけ楽になる。
暫くして何をするでもなくソファーに凭れかかっていると、詩音の意識は徐々に薄れて行った。