31話 射抜く殺意
「───っ!」
驚愕の声が六つ。
それは黒の魔狼から離れた位置から、どうにか詩音を援護する隙を見つけようと身構えていた妖精達の物だった。
驚きの原因は、今しがた目前で起きた出来事。
来るな、と妖精達に指示をしてから、援護の隙すら見つけられない程の戦闘を繰り広げ、遂には黒狼の方腕を斬り飛ばしたシオン。
漸く介入できるだけの間が空いた瞬間に、シーナが《枷弾》を付与した矢で黒狼の動きを阻害すると、シオンはそれに合わせて黒狼へと斬り込んだ。
だが、雪姫の透き通った美しい刃が、黒狼の身体に届こうとした瞬間、詩音の目の前の空間に光の渦が現れ、詩音はその渦の中に姿を消したのだ。
「シ、シオン!」
「今のはっ!」
クレハとシャルロットが声を上げる。
何が起きたかは明白だった。
詩音の刃が届く寸前、魔狼はこの場所に出現した時と同じ『穴』を展開し、攻撃を回避したのだ。
恐らくは《空間転移》と呼ばれる高位魔法に準ずる固有能力だろう。
つまり、詩音はその能力によってこの場とは別の何処かへと転移ばされたという事だ。
全員、咄嗟に辺りを見渡すが、目の届く範囲にシオンの姿は無い。
何処へ転移させられたのか、無事なのか、各々が動揺と共に詩音の安否を考察する中、
「……っ!」
クレハだけは剣を構え、真っ直ぐに黒の魔狼を見据えていた。
唇を噛みながら、耐えるような表情で対峙する
クレハ自身も他の者達と同じく、シオンの安否が心配ではあるが、それを無理矢理に押し殺しているのだ。
それを見て、他の者も意識を魔狼へと向け直した。
この場の誰よりも不安気な表情で剣を構えるその姿を見てしまえば、他の妖精達も内心の動揺を堪えるしかない。
「クレハ、私が守るから、クレハは攻撃に専念して」
クレハの隣に立ち、アリスが細剣を構える。
「なら、私達は攪乱に回るわ。どうせ詩音の事だし、暫くしたら何食わぬ顔で戻ってくるでしょ。それまでにこいつ仕留めてやろうじゃん」
同じく、棍棒を手にしたシャルロットが微笑混じりに言うと、その後ろ手エリックとカイン、そしてシーナが各々の武器を構え直した。
「■■■■■」
前脚の傷が痛むのか。
魔狼は白い呼気を発しながら唸る───と、硝子が砕け散るような音を上げて、その身体につけられた《枷弾》の重石が弾け飛ぶ。
そして、その黒い後脚を曲げて飛び掛かって来た。
一脚を失ったその突進に、先までの俊敏性や勢いは無い。
それでも、大きく顎門を開いて迫る黒い影は容易く妖精達を噛み殺すだろう。
故にクレハ達は迫る黒狼を回避する。
六人が六方向へ散る様にその場から飛び退く。
そして直後、掛け声も目配せも無しに、六人は同時に各々の武器を叩き込む。
完璧なまでの連携。
手首から先の無い片前脚で身体を支えながら繰り出される爪撃をアリスが精密な剣捌きで弾き返し、その隙をついてクレハの魔剣が黒い閃を走らせる。
四撃。放たれた刃が魔狼の胸部を斬り裂く。
しかし、シオンのように傷口を凍結でもさせない限りは、与えたダメージは直ぐに再生してしまう。
そして、再び振るわれた爪をクレハは真正面から受け止める。
全身にとてつもない衝撃が走り、地面が深く沈む。
「せああああ!!」
「ふっ!」
直後、気合いの声と共にシャルロットの棍棒、エリックの斧槍が魔狼の身体を叩き、その巨体を僅かに後退させる。
そのタイミングに合わせてクレハが全身の力で魔狼の爪を押し返すと、カインが後ろ脚を切り付け、態勢の崩れた魔狼に後方からシーナの矢が赤々とした光を纏って飛来する。
黒い巨体に触れた瞬間、矢は盛大に炎を散らす。
だが、やはり表面的爆発では魔狼に有効なダメージを与える事は難しい。
「これじゃあ埒が開かないっ」
後退しながらアリスが口走る。
アリス達の武器では魔狼の身体に有効な一撃を見舞う事はできない。
せいぜい薄皮を裂く程度。
クレハの魔剣ならばその装甲も斬り裂けるが、それすらも瞬く間に再生してしまう。
このままでは力尽きて倒れるのは妖精達の方だ。
かと言って、撤退しようにも魔狼が空間転移を使用可能な以上、逃げ切るのは難しい。
仮に逃げ切れたとしても、その場合魔狼は近場の村や街を襲う可能性がある。
そうさせない為にも、妖精達はこの場で退く訳にはいかない。
「あれを倒すなら、シオンみたいな工夫をするか、一撃で完全に仕留めるしかないわ」
言いながら、シーナが新たな枷弾の魔法を付与した矢を放つ。
「どっちにしても難しいわね」
叩き付けられる魔狼の尾を躱し、後退しながらシャルロットが言い返した時、
「■■■■■!!!!!!!」
魔狼が今一度咆哮を上げ、その頭上に魔力が集約する。
膨大な魔力が光の球となって具現化する。
それは今までで最大の大きさと魔力量を誇る、文字通り必滅の一撃。
瞬間、妖精達は回避しようとして、直後に不可能だと思い至った。
あの光球は辺り一帯、森の一角全てを消し炭にする。
それが可能なだけの魔力を内包している。
「っ!!」
「くっ!!」
咄嗟に、エリックとカインがその身を盾とする為にアリス達の前に立った。
だが、そんな物はあの魔力の塊の前では何の意味も無い。
前に出たエリックとカインも、その後ろの四人も、全て等しく焼却するだろう。
そして、光球が一際強く輝き、発射の前兆を見せた。
その時────
遠く。雷鳴が鳴り響いた。
そして、遥か彼方から何かが大気を貫きながら飛来した。
それが何なのか。認識できた者はこの場には居ない。
圧倒的エネルギーを内包したそれは、今正に光球を解き放とう解き放とうとする魔狼の頭部を正確に貫いた。
瞬間、巨体が衝撃で大きく横に揺れ、魔狼の傷口から氷が迸る。完全な致命傷。
眩い光を放っていた光球が溶ける様に消え、肉片と血を撒き散らしながら魔狼は地響きを立てて地面に倒れる。
「な、なんだ!? 何が起きた!?」
カインが声を上げる。
他の妖精達も呆然とした表情を浮かべ、眼前で起きた出来事に困惑する。
だが、誰も構えを解きはしなかった。
明らかな致命傷を受けた様に見えても、魔狼の回復力であれば蘇生しても不思議は無い。
しかし、魔狼は倒れたままぴくりとも動かない。傷口から氷塊を生やし、完全にその生命活動を停止していた。
他の者が困惑する中、クレハだけは今の一撃を放ったのが誰なのか理解していた。
「シオン……」
その呟きに応じるかの様に、彼方の方から翼をはためかせる音が聞こえて来た。
◆
風景が切り替わる。
眼前に捉えていた魔狼の姿が消え、代わりに広大な森が視界に広がった。
「空間転移っ!?」
口走ると同時に、身体が重力にしたがって落下し始めるのを詩音は感じた。
目下、地面までの距離は凡そ千メートル。
詩音は即座に《部分竜化》を発動し、背中に二対の翼を広げて空中に止まる。
何処に転移ばされたのかと、周囲を見渡す。
視界に映るのは広大な森と小高い山。
眼下に広がる樹木のから別の森と言うわけではないだろう。
「《HL》、現在地をっ!」
《HL》システムを起動して自身の位置の確認を試みるが、帰ってきた答えは、
『空間の転移により座標情報を消失。再度検索を開始。
再検索完了まで約六百秒』
十分。平時であれば長い時間では無いが、現状では遅すぎる。
「っち」
舌打ち、詩音は再び眼下の森に視線を走らせる。
視界から入ってくる全ての情報を瞬時に処理し、捉えるべき敵の姿を探す。
そして、見つけた。現座標より東に約四キロの位置に黒い獣の姿。
その近くには六つの人影。クレハ達だ。
妖精達は見事な連携で魔狼を翻弄している。
だが、魔狼の回復力は単純な攻撃でつけた傷は即座に再生してしまう。今の妖精達では有効なダメージを与えられない。
そして、妖精達が連携の為に後退した時、魔狼が魔力を解き放ち、眩い光球を作り出した。
「っ!」
その光球が今まで以上の破壊力を持つのは明白。
辺り一帯を焼き尽くす、必滅の光。
現在地から魔狼までの距離は直線距離にして約二キロ。
長弓ならばこの距離からでも狙撃が可能だが、氷の矢ではあの魔狼に有効なダメージを与える事は出来ない。
かと言って《崩壊魔槍》の様な広範囲爆撃では妖精達ごと吹き飛ばしてしまう。
「───」
詩音は瞬時に自身の取れる最善の策を導き出し、《STORAGE》を開いた。
即座に超常の蔵は、主の望む物を引き出す。
無機質な灰銀色のフレーム、長大なバレル、大型のスコープ。
現れたそれは、一丁の詩音の身長に迫る程巨大な銃だった。
全長約千三百六十ミリ、重量十四.一キロ。
半自動対物狙撃銃──《アキュラシーインターナショナル AS50》。
対物──すなわち車両や建造物を貫く事を目的に作られた大口径スナイパーライフルである。
この世界にも銃は存在する。
だがそれは決してメジャーな武器としては扱われない。
その理由は、この世界の銃という物が、鉄筒に火薬と鉛を押し込めたような単純構造の武器であり、精密性や連射性において魔法や魔術を付与した弓矢に大きく劣るからである。
そこで詩音は、自身の持つ知識と記憶を頼りに元の世界に存在した高精度・高性能な銃を再現した。
それがこの巨銃である。
アメリカの特殊部隊の為に開発された《アキュラシーインターナショナル AS50》は元の世界でも新しい部類に入る物であり、五十口径─即ち直径十二.七ミリの巨大な弾丸を用いて数キロ先の標的を正確に撃ち抜く狙撃銃。
詩音は《STORAGE》から五発の弾丸が収まった弾倉を取り出して、本体に差し込み、身体に染み付いた無駄の無い動作で長大なライフルを構えてスコープを覗き込み、内部の照準線を遠く遠方の魔狼の額に合わせる。
瞬間、世界が遅滞する。
視界に映るあらゆる物がゆっくりと動きを鈍らせる。
それは集中による意識の加速化。
人間ならば誰もが備えた能力。
通常、死の危険が迫っている等の極限状態で発揮される力である。
詩音はそれを任意で発動し、魔狼が光球を放つまでの短い時間を自身の意識の中で引き伸ているのだ。
四キロもの長距離狙撃。
だが、詩音の中には不安も、緊張も、恐怖も無かった。
心は氷のように冷えきっている。
四千もの距離。未調整の銃。短い時間。
その程度の要因は詩音にとって、何の問題にもなり得ない些細な物である。
『外界データ獲得。弾道計算を開始しま』
「いらない」
システムの声を遮って、詩音はトリガーを引いた。
咆哮が大気を震わせる。
迸る爆炎が銃身の先端に取り付けられた制退器によって
反動の一部を相殺され、機関部の廃莢口から役目を終えた薬莢が排出される。
放たれた五十口径の弾丸は、ただの合金の塊ではない。
《竜化》した詩音の身体から取れた鱗を加工した竜鱗の弾丸である。
竜の魔力耐性と特性を宿したその弾丸は、あらゆる魔法、魔術による守りを貫き、内包する圧倒的なエネルギーを直接対象に叩きつける魔弾。
爆裂した火薬の圧力と銃身に施された風属性魔術によって魔弾は音速を遥かに超える速度で飛翔する。
スコープの向こうで発射炎に気付いたのか、魔狼が僅かに顔を上げようとするのが見えた瞬間。
魔狼の頭部を真横から竜鱗が穿ち、風穴を開けた。衝撃によって血潮が舞い、直後に空気中の水分諸ともにそれが凍りつく。
同時に魔狼自身も、漆黒の巨体を僅かに揺らし、次いでゆっくりと倒れた。
それを見送ると、世界が正常に動き出す。
そして、スコープの端で黒衣の少女が此方を振り替えるのが見え、詩音は銃を降ろした。
声が聞こえた訳では無いが、詩音は自分の名前を呼ばれたような気がして、翼をはためかせて戻るべき場所へと向かった。