27話 迷いの森
自身の感知できる範囲に敵対する存在が居なくなるのを確認してから、詩音は構えを解いた。
「もう出てきていいよ」
振り返り言い放つと、木の影に隠れていた少年と少女がおじおじと姿を表して安堵の息をつく。
少年は詩音の方へ歩み寄ると深々と頭を下げた。
「あ、あの、ありがとうございます。助けてくれて。あ、それと、さっきは攻撃してごめんなさい」
「……………」
礼と謝罪の言葉を述べる少年の横で、少女は俯き気味に沈黙する。
「もう、レイナ! ちゃんとお礼言わないと」
少年に言われてレイナと呼ばれた少女は不機嫌そうな表情のまま顔を明後日の方向に背けて、蚊がなくような小さな声で「………ありがとう」と呟いた。
その態度に少年が再び「すみません」と謝罪する。
詩音はそれに対して特に気にする事なく応じると、
「あの、僕はレオルって言います」
「………レイナよ」
遠慮がちに自己紹介をしてきた。
レイナに比べると、レオルの方はしっかりしているなと思いながら詩音も名乗る。
「僕はシオン。色々と聞きたい事はあるけど、取り敢えず森を出ようか。事情は歩きながらで」
そう言って二人を先導しながら森の出口まで歩き始めた。
◆
「それで、二人は何でこの森に? この森での討伐系の依頼はなかった筈だけど」
「………………」
森から出るまでの道中でそう尋ねる。
少女の方は再び沈黙。
代わってレオルが口を開いた。
「あーもう、レイナは! 僕から話すよ」
そう言って、自分達の目的を説明しだした。
その内容は先刻詩音が予想した通り、依頼外評価による即行昇格を狙ってというものだった。
「残念だけど、それは無駄な行動だよ」
「ですよね。僕達にはこの森の魔物を討伐するなんて無理だって言ったんですけど…………」
「いや、それ以前の問題だよ」
「「え?」」
詩音の言葉に二人が声を揃えた。
「仮に君たち二人がこの森の魔物を討伐しても、組合からは何の評価も得られないと思うよ」
「な、何でよ!?」
初めて、レイナが詩音の目を見て叫んだ。
その瞳からは困惑の感情が読み取れる。
詩音は、組合が依頼外で評価を下す条件を二人に説明する。
「そんなぁ………。それじゃただの無駄足じゃ無いか。だから止めようって言ったのに………」
「……………」
肩を落とすレオルとバツが悪そうに俯くレイナ。
そんな二人に向けて、詩音は言葉を付け加えた。
「それに、どの道君たちじゃあこの森の魔物は倒せない。呆気なくやられて喰われるか森の肥料になるのがオチだよ」
こう言う事は変に言葉を飾るより、はっきりと言ってやった方がいい。
そう思っての発言だった。
だが、
「な、何よその言い方! そんなのやってみないと分からないでしょ!」
レイナが顔に憤慨の表情を張り付けて怒鳴るように口走った。
歯を喰い縛り、渾身の怒りを込めているのであろう眼で詩音を睨み付ける。
「言い方が気に入らなかったのなら謝るけど、事実は事実なんだよレイナちゃん。実際、君たちはさっき魔物が直ぐ後ろに居たのに気付けなかっただろう。君たちにはこの森はまだ早い」
返した詩音の言葉は淡々と事実を述べたもの。
正論であるが故に言い返す事が出来ず、レイナは更に癇癪を募らせて声を上げた。
「何よ偉そうに! あんただってさっきの魔動樹倒せなかった癖に!」
「うん。殺す必要はなかったからね」
別に組合から討伐を依頼されているわけでも無し、しつこく襲ってくるのなら兎も角、逃げると言うのなら追いかけてまで殺す必要は無い、と詩音は語る。
「~~~っ!」
それでレイナは言い返す事を止めた。
代わりに、唇を噛み締めて詩音を睨み付けると、突然踵を返して森の奥の方に向かって走り出した。
「レ、レイナ!?」
レオルの驚愕の声にも耳を貸さず、レイナは走り去った。
その姿を見て、詩音は内心でため息を吐いた。
(参ったな……。ストレートに言い過ぎた。他人に配慮しない物言いをするのは僕の悪い癖だ)
「レイナ、待ってよ」
レオルは姉の後を追おうと走り出した。
詩音は今度は実際に大きく溜息を吐いてから、その後を追った。
◆
「何よ、あの女!」
レイナは脚を止めて銀髪の人物に対して悪態を吐く。
「なんで今日会ったばかりの奴に………あれ……?」
ふと、周囲を見渡して、レイナは言葉を納めた。
「ここ……どこ……?」
周りは背の高い木と草に囲われている。
おかしい……。こんなに深く森の奥地に入り込む程走ってはいない筈だ。
不審に思いながら、レイナは再び歩き始めた。
自分と同じくらいの背丈の草を腰から引き抜いた安物のナイフで切り倒しながら、出口を求めて歩を進める。
しかし、進めど進めど森を抜ける気配は無い。寧ろどんどん奥に向かっているかのように草木は深くなり、周囲は薄暗くなる。
一時間ほど歩いただろうか。
未だに森を抜け出す事が出来ない。
おかしい。事前に組合で見た地図ではここまで広い森ではなかった。
例え迷っても、適当に歩いていれば直ぐに抜け出せるような小さく単純な道なりの森だった。
それなのに何故抜け出せない?
だんだんレイナは疲労困憊してきてしまい、目に着いた苔の生えた石の上に腰を下ろした。
このまま、一生森から出られないのではないか。一人この森で野垂れ死ぬのではないか。
そんな不安がレイナの中に芽生えた。
次いで、弟の事が頭を過る。
レオルは無事に森を出られただろうか。自分のように迷ってはいないだろうか。そんな心配をしたが、直ぐに弟はあの女と一緒である事を思い出した。
シオンと名乗った女に着いて森を歩いている間は確実に出口に向かっていた。周囲が明るくなって、木々の密度も下がっていっていたので間違いない。
あの女といれば少なくともレオルはちゃんと森を出れる筈だ。
そう思って僅かに安心した後、レイナの心に再び自分一人だと言う実感と共に不安が沸き上がったその時。
「っ!?」
不意に背後の茂みが揺れ、レイナは振り返った。
現れたのは、巨大な「花」だった。数は五匹、いや、五輪と数えるべきか。
全高は二メイル程。濃緑色の茎は人の腕より二周り程太く、根元からは赤土色の根っことおぼしき物が数本生えており脚のように地面をしっかりと踏みしめている。
茎のてっぺんには紫色の花弁が五枚開いており、その中心には鮫の歯のように鋭い牙が生えた環状の口があり、緑色の粘液を垂らしている。
茎と花の境目には子供の頭程の大きさの赤い果実が一つ菜っていて、その両脇から二本の蔦が蛇のようににょろにょろと伸びている。その先端には先ほどの魔動樹と同じような硬質な葉を思わせる形の短剣がついている。
五輪の花型魔物はレイナに向かって一歩歩み寄り、反対にレイナは一歩後ずさる。
すると、真ん中の花が蔦を振り回して飛び掛かってきた。
「きゃあああ!!!」
レイナは踵を返して一目散に逃げ出した。
しかし、五歩と走らぬ内に何かに脚を掬われて転倒した。
振り返ってみると、右足に花の蔦がぐるぐると巻き付いてレイナをがっしりと捕らえていた。
そして、レイナの体を自身らの方へと引っ張る。
必死に踏ん張り、抵抗するが花の力は意外な程に強くどんどん引き寄せられていく。
「っっ───!!」
声にならない悲鳴を上げながら、レイナは手に持っていた短剣で脚に絡みついた蔦を切断した。
同時に、全力で地面を蹴って逃亡を図る。
が、別の花が蔦を伸ばしてレイナの進路を塞いだ。
「っ!」
急いで方向転換して再度走り出そうとしたレイナだが、既に三輪の花型魔物はレイナを囲むように包囲していた。
視線を周囲に走らせて逃げ道を探すが────無い。
完全に囲まれていた。
再び、花達が蔦を振り上げる。
先端に刃を付けたそれはレイナの命を刈り取るのに十分過ぎる威力を内包している。
「や、やあああ!!!」
先ほど以上の悲鳴がレイナの口から迸る。
とうとう我慢出来ずに両目から涙を流しながらその場にしゃがみこむ。
死ぬ。
その予感は十三歳の少女にはあまりにも酷なもの。
「誰か……助けて………」
口から溢れた弱々しい言葉。
だが、誰も助けてくれる筈が無い。
こんな森の奥深くに人が居て、偶然助けてくれる事などそうそうありはしない。
そのくらいは分かった。
故に────
「────!」
それはレイナにとって奇跡とも言える出来事だった。
突然、複数の鋭い風切り音と共に青銀の光が飛来した。
光はレイナを囲む五輪の花型魔物の蔦を打ち抜き、同時に花達が持つ赤い果実を正確に穿っていた。
ぐらりと五つの巨体が傾き、地面に倒れる。
ここで漸く、レイナは光の正体を知る。
おそらく一息に放たれたであろうそれは、美しい氷の矢だった。
そして───
「無事かい?」
そんな言葉と共に矢の主は姿を現した。
純白のロングコートを纏った白銀の髪を持った小柄な人物。
左手に自身の身長程もある巨大な漆黒の長弓を持ったその人──詩音は倒れた花型魔物を見てからレイナへと視線を動かす。
「な──なんで……」
呟くと同時に、新たな声がレイナの鼓膜を叩いた。
「レイナ!!」
名前を呼びながら円盾と剣を装備した弟レオルが現れた。
レオルは剣を放り投げてレイナを抱き締めた。
「良かった。本当に良かった」
抱きついたまま、震え気味の声で安堵の言葉を口にするレオルの背後で、詩音は暫くの間無言で立ち尽くしていた。
◆
「はい、これ」
レオルが離れると、詩音は赤い液体の入った小瓶をレイナに手渡した。
傷の回復に使われる《肉体回復薬》だ。
促されるまま瓶の中身を飲み干すと、途端に魔物の蔦で締め付けられた脚から痛みが引いていき、鬱血も完治する。
それを確認してから、詩音は
「さて、今度こそ森を出るよ」
と言ってレイナに背中を向けてしゃがんだ。
行動の意図が分からず、レイナが「え?」と声をもらす。
「回復薬を飲んだとはいえ、無理して悪化しないとも限らないだろう」
どうも背負って送って行くつもりらしい詩音にレイナは一瞬断ろうとしたが、既に体は疲労困憊で歩くのも億劫だったので、素直にその背に身を預けた。
詩音は身軽な動作で立ち上がり、歩き始めた。
◆
いとも容易く森を出た事にレイナは心底驚いた。
そして、自分が詩音達と別れてから実は数十分程度しか経過していないという事実にも驚愕した。
レイナが遭遇した花型の魔物、正式名称《食肉魔花》。
組合がエネミーランクD-と定めているその魔物は眩惑作用のある花粉を散布する特性があり、その花粉を吸うと幻覚や時間感覚に異常をきたすらしい。
レイナは詩音達から離れて直ぐにその魔物の縄張りに入り込んでしまい花粉によって森の奥深くに迷い込んだと勘違いしたのだ。
「あの魔物の花粉は効果こそ厄介だけど、簡単な処置をすれば直ぐに効果を打ち消せるんだ。花粉は水に溶けやすく、溶けると効果を無くす。僅かな水を口にすれば直ぐに眩惑作用はなくなるんだよ。この森では、「異変を感じたらまず水を飲め」って言われてるらしいよ」
詩音の説明にレイナは脱力した。
迷ったと思ったのも、長時間森の中をさ迷ったと感じたのも、全ては魔物による眩惑。
その眩惑もとても簡単な方法で解除できるものだったとは。
おまけにあれだけ反論しておきながら、D-という最弱クラスの魔物にも対象出来なかった。
レイナは恥ずかしさと悔しさから詩音の背中に顔を埋めて言った。
「………あんたの言うとおりだった………。私、自惚れてた……。自分はもっと強いんだって、思ってたのに……」
「レイナ………」
レオルはそんな事を語る姉の名を不安気に呼ぶ。
すると詩音は小さく笑みを浮かべて返した。
「それが分かったのなら御の字だよ。
まずは自覚する、それが大事なんだ」
穏やかな口調。
「中にはどんなに痛い目にあってもそれを自覚出来ない馬鹿な奴ってのも居る。けど君はそうじゃない。ちゃんと自分の弱さを認めれる。そう言うのを強くなれる人間って言うんだ」
「……じゃあ、私強くなれる?」
「さあ、どうだろうね。ここから先は万事が君次第だ。君自身が強くなろうとすれば、強くなることも不可能じゃあないだろうね」
「私次第………」
詩音の言葉を噛み締めるようにレイナは繰り返す。
「ただ、一つ忠告しておくよ。
君はもう少し、自分の事を想ってくれている人の事を考えるべきだ」
詩音はそう言って、隣を歩くレオルに目線を遣った
レイナもそれに倣うと、レオルと目が合った。
「レイナ、君が傷ついたり死んだりすれば、レオルや君の家族は大いに傷つき悲しむ。
だから、君がレオルや家族の事を大切に思うのなら、これからはもう少し考えて行動する事をおすすめするよ」
レイナは再び詩音の背中に顔を埋め、囁くように言った。
「……うん……レオル、ごめんね……」
「ううん。でも、これからは気をつけてね。レイナが魔物に囲まれているのを見た時、僕本当に怖かったんだから」
「勇敢だったよ。レイナを見た時のレオルは。躊躇無くレイナを助けようとしたんだから。止めてなかったらあのまま食肉魔花の群れに飛び込んでたよ」
詩音の称賛にレオルは照れくさそうに笑った。
レイナも小さく笑みを浮かべてから、再び口を開く。
「………シオン姉ちゃんも、ごめんなさい。あんな事言って」
「ん? ああ、大丈夫。気にしてないよ。でも、姉ちゃんは止めて欲しいかな。僕、男だし。呼び捨てでいいよ」
「「え?」」
◆
ユリウスの街に着くと、レイナは詩音の背から降りた。
「家まで送らなくて大丈夫?」
「平気よ。元々怪我は治ってたんだし」
「そっか。それじゃ気をつけて帰るんだよ」
姉弟は揃って頷くと、
「あの、今日は本当にありがとう」
レイナは深く頭を下げた。
詩音は、そんなレイナの頭をそっと撫でて言った。
「もういいよ。これからは危険な冒険はしちゃダメだよ。自分自身の為にも、家族や友達の為にも」
「うん」
レイナは頭を上げてレオルと一緒にもう一度礼をしてから、家に向かって歩き始めた。
その後ろ姿を少しの間見送ってから、詩音も依頼の達成を報告する為に、組合へと向かった。
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