25話 海に潜む者
「エリック!」
掛け声と共に、カインはボールをネット際に上げる。
「ふっ!」
長身を生かし、跳躍による高い位置からの力強いアタックがクレハ達のコートに叩き込まれた。
が、鋭い一撃は、ボールの軌道に素早く入り込んだアリスのレシーブによって拾われ、クレハの反撃に繋がる。
小さい身体を補って余りある跳躍により、エリックと同等のアタックをカイン達の陣地に叩き込んだ。
高い身体能力と運動センスによって打ち出されたボールはエリックとカインの反応速度を凌駕していた。
二人の間を打ち抜いたボールがコートへとめり込む───。
その直前で、
「よっと」
高速のアタックに超速の反射神経を以て対応した詩音が、ボールを弾き上げた。
「カイン、上げて」
ボールを拾ってから最短で体勢を建て直し、カインに指示を送る。
「おっし!」
カインの対応は迅速だった。
ボールの落下地点に素早く入り、詩音の動きに合わせてボールをネット際に上げる。
詩音もまた、クレハ以上の身体能力を存分に発揮し、高い位置からボールを叩いた。
「あっ!」
ボールはクレハ、アリス、シャルロットの陣形の隙間を正確に居抜き、砂を巻き上げて地面を穿った。
「終了ー。二十一対十九でシオン、エリック、カイン組の勝利」
審判が試合の終了を宣言する。
詩音達が行っていたのは、浜辺遊びの定番、《ビーチバレー》。
無論、この世界には無い遊びなので、詩音が皆にルールを教えて遊んでいる。
とは言え、そこまで緻密なルールを設けても白けるので内容は極基本的な物で留めている。
初めに詩音を男性チームと女性チームの何方に入れるかで多少悶着があったが人数を平等にする為という理由で、詩音を男性チームに加えた三対三でゲームを行う事になった。
結果はこの通り。
中々の接戦の末、詩音チームの勝利で終わった。
◆
「ふう………」
視界を埋め尽くす青い空を見上げながら、小さく息を吐いた。
海に背中を浸し、顔だけ出した体勢で詩音はプカプカと沖合いに浮かんでいた。
空と海の間を漂いながら、視線を更に沖へと向けるとそこには揺蕩うボートが一隻。
ボート上にはカイン、その縁に捕まる形でアリスとクレハが水の中に浸かっている。
次に砂浜の方を見れば、詩音の自作したビーチパラソルの下にエリックとシャルロットが並んで座っている。心なしか、二人の距離は他の者達が居るときよりも近いように見える。
(なるほどね………)
そんな光景から再び視線を空に戻そうとした時、海水を揺らす者の気配があった。
「シーナ……」
ワンピースタイプの水着を纏ったシーナだった。
「疲れた?」
クリアブルーの浮き輪を身に付けて、ゆっくりと詩音に近づいてくる。
その浮き輪は防水性の高いミミズ型魔物の皮を加工した物らしいが、材料を知らなければ見た目はビニールと大差ない。
「少しね。誰かとこんな風に遊ぶのなんて今まで無かったから」
応えながら、今度こそ眩しくも青い空に視線を戻す。
そして、視線をそのままにふとシーナに訊ねる。
「浮き輪してるけど、シーナって泳げないの?」
「全く泳げないって訳じゃないけど苦手ね。浮き輪が無いとこんな沖にまで来ないわ」
「ふーん……まあ溺れないようにね」
そう注意を促した時だった。
悲鳴。次いで水飛沫の音。
知覚すると同時に詩音は音源の方を見た。
現在地より百メートル近く離れた沖合い、カイン達のボートがあった場所。
そこには巨大な怪物がいた。
蠢く複数の触手。丸い頭部。ブニブニとした質感の表皮。
それは蛸と言って差し支えない姿形をしている。
だが、尋常なサイズでは無い。頭部の直径はおよそ十メートル。触手を合わせた全長は優に二十メートルを越えるだろう。
詩音は記憶の中から瞬時にその魔物の情報を引き出した。
《大海魔蛸》
《海域の支配者》の異名を持つ大型の魔物だ。
組合の定めたエネミーランクはB+。単純な戦闘能力や危険度では《水魔装甲大鰐》を上回る魔物だ。
「クレハ! アリス!」
怪物に押し退けられたらしいボートの上でカインが叫ぶ。
その視線の先には、
「っ。まずい」
海面から伸びる太く長い十六本の触手。そのうちの二本にクレハとアリスが捕らわれていた。
詩音は直ぐに《部分竜化》を発動し、背中に二対の純白の翼を生やして飛び立つ。
「シーナ、急いで砂浜に」
「いや、私も!」
「丸腰じゃ戦えないでしょ。早く戻るんだ。いいね」
そう言って詩音はクレハ達の元へ向かう。
爆発的加速で一息に空を駆け抜け、スキルの効果を発動する。
二本の短剣が両の手に現れると同時に、クレハとアリスを捕らえる触手目掛けて投擲した。
回転し、弧を描きながら飛翔した二刀が蠢く二本の触手を斬り落とす。
「わっ!」
「きゃっ!」
拘束から解放され、落下する二人の口から悲鳴が零れる。
海に落下するまでの時間はおよそ二秒。
いくらあの二人でも、海中、それも丸腰であの化け物と闘り合うのは無理がある。
詩音は、海面に落ちる前に二人をキャッチする。
「シ、シオン!?」
突然の詩音の登場に驚きの声を溢したのはクレハ。
だが、それに応えている暇は無い。
背後には複数の触手が迫っているからだ。
詩音は白翼をはためかせて再加速し、触手を躱す。そして、一直線にカインの乗るボートへと向かった。
「カイン、あれは僕が引き受けるから二人を頼む!」
ボートに二人を下ろし、そう言い放つと、
「待って! ボク達も!」
そうクレハが返した。
「ダメだ。君らは空を飛べないだろ。水の中で手に負える相手でも無いし。そもそも皆丸腰じゃないか。早いところ陸に戻って魔法で援護してよ」
早口に述べる。
それで一応納得したのか、クレハは押し黙って頷いた。
それを確認しながら、詩音は再びスキル《氷雪の支配者》を発動する。
その効果は、氷を作るだけに留まらず、《水》という概念に当てはまる物全てを支配し、使役する。
海水が流動する。意図的に作り出された海流が三人の乗るボートを最短距離で浜辺へと運び始めると、詩音は振り返った。
魔物の姿を視界に収めたまま、《STORAGE》から白い鞘に収まった神器《雪姫》を引き抜く。
巨大蛸は停滞している。詩音に切断された触手をうねらせて、巨大な目で観察するように詩音を見ている。
不意に、切断された触手の傷口が僅かに痙攣したのが見て取れた。
そして、
「!?」
次の瞬間、二本の触手の断面から新たな触手が生えた。
斬り落とした触手は何事も無かったかのように元通りの形を取り、残る十四本の触手と共に海面から柱のように屹立する。
「……触手は斬っても無駄、って事か」
消耗やダメージは見られない。つまり触手への攻撃は無意味という事だろう。
ならば、狙うは胴体。
そう詩音が判断した時だった。
《大海魔蛸》の巨体がゆらりと海の中へ沈んでいく。
途端に、気配が消えた。
逃げたのではない。隠れた訳でもない。消えたのだ。
移動する事なく、存在を感知できなくなった。
(どう言う事だ?)
《HAL》システムがその疑問に答えた。
『A 《大海魔蛸》の保有する固有スキル、《海底同化》の効果です。海中で一時的に『自分の存在』を海水と同化すら事で、あらゆる感覚、魔力、事象的索敵を無効にします』
つまり、海中でそのスキルが発動されている間は、どんな手段を用いてもあの魔物を認識出来ないという事だ。
なるほど、と詩音は内心で納得する。
百メートル以上の距離があったとはいえ、あれだけ巨大な物が接近していれば、気づかない筈がない。
にも関わらずなんの前触れも察知できなかったのは、その固有スキルによる反則じみた隠蔽能力の効果が原因だったのだ。
(──確かに、居場所が掴めないな)
雪姫を両手で構えたまま詩音は前方位に意識を広げる。
が、気配や影は勿論、波紋や波すら見られない。
文字通り、現時点で彼の魔物の存在そのものが消失しているようだ。
本来なら、今すぐ海面から離れて遥か上空に退避するべきなのだが、今それをすれば、魔物の関心は詩音から妖精達に移る可能性がある。
故に詩音は、その身に魔物の注目を集めておかなくてはならない。
神経を張り詰めたままいずれ来るであろう奇襲に備える。
そして───それが訪れた。
詩音の背後の海面から巨大な触手が飛び出した。
軟体動物特有の強靭な筋肉の塊。それが生み出す瞬発的な速力は凄まじいものである。
完全に存在を消した状態での死角からの高速奇襲。
「ふっ!」
その奇襲を詩音は瞬時に身を翻して迎撃する。
《雪姫》の刃が、巨大な触手を横一文字に斬り裂いた。
それは半ば反射による行動だった。
そして、
(まだだ)
内心での詩音の呟き。
それに答えるように、更なる攻撃が海面から飛び出す。
追撃は八方から。残る触手全てが迫る。
逃げ場はない。ならば迎撃あるのみ。
全方位から同時に迫る十五の触手を、詩音は超速の反射と剣技を以て迎え打つ。
銀閃が走る。
振るわれた《雪姫》の刃が十五の触手を残らず斬り落とした。
だが、
「っ!」
次の瞬間に起きた出来事に詩音は驚愕した。
斬り落とした十五の触手。その全ての断面から新たな触手が生え出たのだ。
先ほど見せた以上の再生速度。
一瞬で元通りとなった触手は、再び詩音に向かって伸びる。
迎撃に剣を振るうが───
(───間に合わない)
十本を斬り飛ばした所で、雪姫を握る詩音の右腕に触手が巻きついた。
「く………」
咄嗟に空いた左手に氷の短剣を作り出そうとするが、それより早く新たな触手がその腕も絡め取る。
それだけでは無い。
左脚、右脚、そして胴回りにも触手が絡み付く。
細かな吸盤の並んだそれは、詩音の身体を万力のような力で締めつけへし折ろうとする。
だが、その攻撃が詩音にダメージを与える事はない。
スキル《竜凱》の物理攻撃耐性が、ダメージを無効にしているのだ。
これならば脅威にはならない。
そう判断した時、
「ひゃっ!?」
詩音の口から悲鳴が溢れた。
魔蛸は、全貌を現すと同時に、手足を拘束していた触手を詩音の水着の中へと侵入させ始めたのだ。
「ちょ、どこ、触っひゃう!」
ぬめりを纏った触手が肌を擦る度、くすぐったさと不快感が全身を駆け巡る。
「やめっ」
触手から逃れようとするが、筋力の差は歴然。振り解く事など不可能。
次いで起こった現象に詩音は再び驚愕する。
なんと、《大海魔蛸》の触手から分泌された粘液が詩音の水着を溶かし始めたのだ。
「な、なっ!?」
どうやらこの粘液には強力な酸性があるようだ。
締め殺す事が出来ないのなら、酸で溶かし殺そうと考えたのだろう。
『肉体への損傷無し。スキルにりダメージは完全に無効化されています』
《HL》システムが損傷状態の報告をする。この程度の溶解液では竜の魔力によって守られた詩音の身体を傷つける事はできない様だ。
だが、傷つかないのは、あくまでも詩音の身体のみ。魔力的処置の施されていない普通の素材で出来ている水着は、徐々に溶けていく。
「っ、あ。ちょ、待っ………やぁ……」
着々と身体を覆う水着を溶かしながらも、触手は攻撃が有効な箇所を探る様に詩音の矮躯を撫で回し、その度に詩音はくすぐったさに身を捩る。
「あ……ん、こ、このっ──!」
詩音の左手がごきん、こきんと音を発する。そして、すり抜けるように触手の拘束から脱した。
詩音は左手の関節を外す事で、絡み付く蛸の触手から脱したのだ。
再び、先と同じ音を鳴らしながら外した関節を戻し、右腕に巻き付いた触手を握り込んだ。
「いい加減にしろ!」
そして、《拍幅魔導》を発動する。
高周波振動を帯びた魔力を大量に叩き込まれた触手が、青い衝撃波と共に爆散する。
刀を握る手が自由になるや否や、詩音は両脚と身体を拘束する触手も斬り飛ばし完全に大海魔蛸の束縛から逃れた。
直後、遥か陸の方向から魔蛸に飛来する光があった。
風を纏った矢が蛸の眼球を貫き。
続き、畳み掛けるように炎の槍と水の砲弾が蛸の頭部に直撃する。
砂浜に辿り着いた妖精達からの援護だと、詩音は視線を向ける事なく理解する。
連続で命中した遠距離攻撃に魔蛸が怯んだ隙に、詩音は殆ど溶かされ、布切れに成り果てた水着の代わりに《竜凱》の効果を使い何時もの服とコートを纏う。
そして、左手を空に掲げ、もう一つのスキル《氷雪の支配者》を発動する。
空気中の水分と海水が収束する。
作り出されたのは三本の巨大な氷剣。
「行け」
声と共に腕を振り下ろす。
二メートルを超える全長を持ったそれは、詩音の号令を受けて、大海魔蛸に降り注ぎ、胴体に深々と突き立った。
「Keeaaaaa!!!!!!!」
まるで金属が擦れるような咆哮を鳴り響かせ、魔物は触手を闇雲に振り回す。
しかし、その動きも次第に止まる。
突き立った剣からは、蛸の身体を覆う様に氷が広がり、徐々にその行動を阻害していく。。
氷に阻まれ、身動きが出来なくなる蛸の姿を視界に捉えたまま、詩音は翼をはためかせて距離を取る。
そして、《STORAGE》から新たな武器を引き抜いた。
蒼い粒子が収束して形作ったのは詩音の身長にも迫る巨大な弓。全体を漆黒に染めた飾り気の無いその長弓は、先日討伐したAランクのエネミーランクを持った魔物の骨を本体に、詩音の髪から作り出された《|竜線》を弦に用いてシャルロットが作り上げた魔弓。
武器の性能の高さを表す《武具階級》はBランクに相当する。
そして、それに当てがうのはただの矢では無かった。
詩音は右手に氷の直剣を握ると、その刃を自らの左手首に当てた。
氷の刃が肉を軽く裂き、鮮血が滲む。
そして、鮮明に赤いそれは剣に絡む様に纏わりつくと、次いで短剣その物が捻じれる様に形を変えた。
二重螺旋構造のそれは、矢というよりは短槍に近い。
その全身を形成するのは、高純度の魔氷と詩音自身の血液である。
漆黒の弓に氷の矢を番え、弦を引き絞る。
狙うは当然、動きを封じられた魔蛸。
「Eis nimm das feneran───」
詠唱を紡ぐ。
弓と矢、そして詩音から放たれる魔力が物理的圧力となって風を巻き起こす。
そして、
「───崩壊魔槍」
魔術を発動させる最後の一節を述べ、矢から手を離した。
それまで吹いていた魔力の風を吹き飛ばす程の衝撃波と共に、氷血の矢は大気を捻貫きながら飛翔する。
その様は、まるで標的に向けて直進する竜巻の様。
空気の壁を穿ちながら、刹那より遥かに短い時間で矢は魔物の身体に到達し、その肉体を抉り貫いた。
───瞬間。
爆音が聴覚を支配する。
離れていても肌を焦がす程の熱が、爆風に乗って広がった。
衝撃は海水と大気を退け、熱は空気を燃やし尽くす。
詩音の放った矢は、標的の肉に突き立つと同時に爆発したのだ。
それが、あの矢に組み込まれた魔術。
スキルを用いて精製した矢に、詩音が刻み込んだのは魔力の炸裂を引き起こす魔術式。
詠唱によって発動したそれは、矢に込められた詩音の血、恐らく常人の十数倍に相当する量の魔力の塊を、余さず爆薬に変換して起爆させたのだ。
爆心地となったその場所に魔物の姿は無い。
魔蛸は、氷の矢の圧倒的威力で以てその痕跡も残さぬ程に吹き飛ばされたのだ。
《敵生体の魔力反応、完全に消滅。沈黙を確認》
「───」
爆発の余波に荒れる海を見下ろしながら、詩音は弓を下ろした。
◆
「最初に依頼の内容を聞いた時から、おかしいと思ったんだ」
ユリウスの街に向かう帰りの馬車の中で、詩音は語る。
『クリエルス海岸に水魔装甲大鰐が出没しているので討伐してほしい』
その内容を聞いて、詩音が最初に感じたのは違和感だった。
水魔装甲大鰐という魔物は、縄張り意識が非常に強く、一度自分の縄張りと決めた場所から離れる事はまず無い。
縄張りの外に出る理由があるとすれば、縄張りとしている場所の環境が悪化し、生きる事が出来なくなったか、自身より強い魔物に追われて投げ出したか。
今回は後者だ。
大海魔蛸は装甲大鰐とは違い、決まったテリトリーを持たず自由に海域をさ迷っている。
その危険度は装甲大鰐の上を行き、時には餌として補食する事もあると言う。
先刻討伐した大鰐も、餌として追い回された末にあの海岸に辿り着いたのだろう。
そして、それを追ってあの魔物も海岸を訪れたのだ。
「つまり、今回の依頼の発端はあの蛸だったって事か」
詩音の説明に隣の席に座るクレハが納得の声を上げる。
今思えば、あの装甲大鰐も運の無い。
住み処を追われ、命からがら逃げ延びたと言うのに、辿り着いた地で討伐されたのだから。
詩音は一瞬、《STORAGE》の中で眠る大鰐を哀れんでから、馬車の窓へと目を向けた。
遠く離れて行く海は、沈みかけた太陽の光を受けて黄昏色に染まっていた。




