1話 それは始まりの物語
空気が肌を撫でた。
覚醒したばかりの曖昧な思考の中で、そんなことを意識した。
次に感じたのは匂い。空気に含まれる水と石の匂い。
それが判れば次は音。ぽちゃんと落ちる水滴の音色が聴覚を刺激する。
ゆっくりと、僕は両目を開けた。
…………どこだ……ここ。
心の中でそう呟いた。
まず目に入ったのは、石の地面。淡い青色の光に照らされた岩石の床。
壁や天井も同じように岩で出来ている。
どうやらここは洞窟、それもかなり巨大な空間だ。そんな場所に、僕はうつ伏せに寝転んでいるらしい。しかし、洞窟であるなら、この淡い光はなんだろう。ゆっくりと視線を右にやるとその答えが見つかった。人の手が加わった痕跡が一切見られない天然の岩肌全体から、巨大な水晶が突き出し、青い光を放ち洞窟を照らしていた。
見たことのない鉱石だった。
クリスタルの一種だろうが、このような光を放つ物は記憶に無い。
他に気配は感じない。
周りに自分以外の存在は無いらしい。
そこまで認識して、僕は漸く身体を起こす。両手を床に着き、上半身を持ち上げた。
あれ?やけに視線が高い気がする。
身体にも、何か違和感を感じる。
具体的には背中、肩甲骨の辺りと腰部に感じたことの無い重量がある。
ここで初めて、自分の腕を見た。
─────!?
そして、強い衝撃に襲われた。
視界に入った自分の腕は、やけに太く屈強で、鋭く長い爪を持ち、更に表面は白い鱗で覆われている。
その鱗は、ごくごく僅かに透き通っており、氷のようにも金属のようにも見える。
ナニコレ………
自分の腕にそんな感想を抱いたのは初めてだった。
慌てて周囲を見渡して、何か自分の姿を確認出来る物は無いかと探すと、丁度いいところに泉を見つけた。
かなり大きい。洞窟の中で水が湧き出ているらしい。
急いで泉に駆け寄る。と、ズドン、ズドンと異常に大きな足音が洞窟に鳴り響く。
どうなってんの、と思いながら泉の縁まで走り、覗き込み。
─────!!
先程腕を見た時以上に驚いた。
水面に映った自分の顔は…………一言で言えば、竜だった。
大きな顋門には鋭く巨大な牙が並び、蒼い双眼は蜥蜴や蛇と言った爬虫類のよう。顔全体が腕と同じ僅かに透けた鱗で覆われ、両側頭部からは二本の角が後ろに向かって伸びている。そして、頭頂部から首の骨に沿って白銀の鬣が生えている。
ゆっくりと長い首を捻り、自分の背中を見ると、人間で言う肩甲骨の辺りから二対の巨体な純白の羽毛に包まれた翼が生えていて、更に後ろに視線を流せば長い尾が見えた。
怖いやかっこいい、というよりは、美しい。
白竜。氷のような鱗と白銀の鬣を持った美しい白竜だった。
待って。二秒、いや一秒でいいから待って。
なんだこれは?これは竜だ。いやそうじゃない。なんで僕竜になってんの?夢?あ、これは夢か。いや、それにしては感覚や意識が明確過ぎる。VRゲーム?いや、背中の翼や尻尾にも感覚がある。そんなリアルなVR、現代科学じゃ不可能だ。ならば幻覚?それも夢と同じで意識等がはっきりし過ぎている。そもそもここは何処だ?僕はホテルの部屋に居た筈。それがなんで洞窟に………。
意識を失う最後の記憶は?確か、相手仕留めた後に掃除屋と一緒に逃げようとして…………そうだオーロラだ。起こる筈の無いオーロラを見て、その後に意識を失って…………。それで気がづいたら竜だった、か。───よし、取り合えず訳が分からない、って事が分かったな。
ピッタリ一秒で考える事を諦めた。何せ今は状況を掴むには情報が不足し過ぎている。兎に角今は現状の確認。それをしなくては始まらない。
と、泉から離れた瞬間だった。
『意識覚醒を確認』
――――っ!
唐突に声が聞こえた。
驚愕しながらも詩音は即座に視線を周囲に走らせる。竜の巨体が周囲の岩や水晶にぶつかるが、気にせずに全方位を警戒する。
だが、声の主の姿は見当たらない。いや、姿どころか気配すら感じられない。そもそも先の声。周囲から掛けられた物とは少し違う。
まるで、僕の頭の中から響いてきたかの様な―――――
思考を巡らせながら、意識を索敵に集中していると。
『能力値の確認、完了。各能力値、正常』
再び声がした。
今度は確かに認識できた。やはりこの声は外界からではなく僕自身の脳内、あるいは意識内から発せられている。
警戒しながらも、僕は自身の内側に潜む何かに語りかける。
――――誰?
返答は即座に返ってきた。
『自己診断型検索返答システム、コードネーム《HAL》』
機械音声ににた無機質な声だった。
――――どこに居るの?
尋ねながら聴覚の精度を上げる。
声は自身の内からだが、もし近くに遠隔で話している者が居れば、居場所を探れるかもしれない。
だが、聞こえたのはやはり脳内に響く機械音声だけだった。
『《HAL》システムは現在、個体名霧咲詩音の魂と同位体として第三物質界に存在しています』
「…………」
解答の意味が理解できない。
魂と同位体? 第三物質界? 馴染みのなさすぎる単語だ。
暫くの沈黙を挟んでから、
―――――……はあ
僕は溜息と共に警戒を解いた。
考えてもよく解らないし、相手が何者で、どこに居るのかすら把握できない。なら、警戒しても意味がない。疲れるだけだ。
相手が敵か味方かは分からないが、仮に敵だったとしてもその時はその時だ。
そう考えて、僕は機械音の主に話しかけた。
―――それでHALさん、だっけ? 自己診断型検索解答システムって言ってたけど具体的に何するの?
『基本機能は、周囲の魔力検索、保有情報の提示および解説です』
魔力検索の意味はよく解らないが、要は《HAL》システム、名称的に何かのプログラムの様な物だと思う、はシステムが保持している、或いは索敵によって獲得した情報を此方に提示してくれるサポートAIの様な物なのだろう。
ならばと、HALに質問を投げかける。
――――ここは何処?
『現在地はオルネクライブ王国から南東に位置する中立地域《ファーブランの森》のギルズ山脈の洞窟です』
本当に応えてくれた。
しかしオルネクライブ王国やファーブランの森等という国名や森は聞いたことがない。
――――緯度と経度は?
『該当データ無し。解答不能』
どうやらそこまでは分からないらしい。解答システムとは言っても、万能ではないらしい。
ならばと別の質問を投げる。
―――なんか僕、竜になってるんだけど、なんで?
『A 世界転移の際に能力値が想定値を超過しており、この世界での身体の製作に失敗。急遽、此方側の世界の生物の身体に魂を定着させた結果です』
…………………………………………………………。
なんと反応すればいいのか。
これが夢か現実かはまだ分からないが、取り合えずここは異世界という扱いになっていて、僕はそこに竜として転移したらしい。
――――こう言うの、荒唐無稽って言うのかな?
だが、聞き慣れない地名もそれで納得が行く。
外に出て周囲の様子を見て見たいが、こんな見た目じゃあ下手に出られない。
山脈と言っても人の目が一切無いとは言い切れないし。
質問、僕はこれから一生竜の姿で居なければならないの?
『A いいえ。スキル《人化》によって前世界の姿に戻る事が可能です。スキル《人化》を使用しますか?』
質問に答えるだけじゃなくて、こうした提案もしてくれるのか。しかし、スキル《人化》か………得体がしれないが、元の姿に戻れると言うし、試してみるか。
そう決心した直後、自分の身体が変化するのを感じた。
全身を覆っていた鱗が、まるで風に舞う花弁のように剥がれ、身体が小さく縮小し、翼や尾が消えていく。
剥がれた氷の鱗は、溶けるように空中で消滅し、その全てが消え去った時、人化は完了していた。
視界に見慣れた色白な肌と細い指が映る。
右手で頭を触ると、これまた見慣れた白銀の髪が一房、するりと視界に入り込む。
「上手くいったのかな?」
口から零れたのは竜の唸り声では無く、聞き慣れたソプラノ声。どうやら、人の言葉を喋れるようになったらしい。
再び泉の縁へと歩み寄り、水面を覗き込む。
そこに映っていたのは、長い白銀の髪と何処か猫っぽい眼、蒼い瞳をした子供の姿。
中性的、というよりは少しばかり少女寄りの見た目。
長い髪と相まって、よく女に間違われる勝手知ったる霧咲詩音の顔だ。
それを確認してから、今度は身体の方に視線を走らせる。
そして、重大な問題に気が付いた。
人化を終えた僕は現在、衣服を一切身につけていない。全裸だ。
まあ、竜の時に何も着ていなかったのだからそれも当然と言えば当然か。
見たところ身体に以前との相違は無く、完全に霧咲詩音の姿形をしている。
しかし、服が無いのでは人に戻れたとしても外には出れない。
どうしたものか。
『スキル《竜凱》の使用を提案します』
開いたままにしていたHLシステムのウィンドウに、そんな文字が提示がされる。
竜鎧?何それ? って言うかさっきから言ってる《スキル》ってなに?
『《スキル》とは、身体的、魔力的、種族的能力の総称です。主に特定の条件を満たした場合に獲得できる《固有スキル》と、鍛練により会得可能な《通常スキル》の二つに部類されます』
つまりは技術や、えっと、特殊能力? みたいな物かな。多分。ファンタジー分野はどうも苦手だ。
――――えーと、それで……。そのスキルの中の竜鎧? ってのは?
『A スキル《竜鎧》は高位竜種の固有スキルです。自身の身体を魔力で覆う事で防御力を上昇させるスキルですが、そこにイメージを投影する事で、纏う魔力を衣服の形にする事が出来ます』
えーと……魔力とか高位竜種とか、気になる単語が幾つか出てきたけど、取り合えず服を作れるって認識で合ってる?
『はい』
それなら試してみるか。そのスキルの使い方は?
『A スキルの発動を脳内で決定し、次いで衣服の形状をイメージしてください』
脳内でスキルの発動を決定…………か。
いまいちピンとこないが、取り合えず《竜鎧》とか言うスキルの発動を念じてみる。
すると、身体の表面を不可視の膜のような物が覆っていくのが分かった。
これでいいの?
『はい。スキルの発動が確認されました』
つまり、この体表面を覆っている膜が魔力って事か。
全身くまなく覆われているが、違和感や窮屈さ、動きにくさは感じない。
えーと、それで後はイメージするんだったっけ?
取り合えず、意識を失う前に着ていた服を思い描く。
すると、身体を覆う魔力の被膜が形を変え始める。
身体の輪郭に沿って展開されていた魔力がイメージした形状に変化し、透明から徐々に色を持ち始め、直ぐに衣服へと姿を変えた。
黒のジーンズに無地のノースリーブシャツ、無骨なブーツ。そして、装飾の類いの無いロングコート。
確りとイメージした形を再現していた。
しかし、一つだけ違うところがあった。
ん?なんでコート白なんだ?黒をイメージしたんだけど?
『A 竜形態時の種族が《白竜》の為、その性質が反映されました』
あぁ……そうですか。納得していいのか分からないが…………。
何はともあれ、これで行動できる。
―――――しっかし、便利だけど得体が知れないな。他にスキルってのはあるの?
『所持スキルの一覧が可能です。閲覧しますか?』
―――そんなのあるの。是非見せて
と言う、目の前に突然四角い何かが現れた。
唐突に表れた長方形のそれは、ゲームやSF映画などで時折見られるメニューウィンドウに酷似していた。
先ほど斬り捨てたが、もしかすると本当にここはVRゲームの中か何かなのかも知れない。
そう思いながら表示されたウィンドウを覗き込む。
縦四十センチ、横二十センチ程の淡く発光するそれには二つの項目の様な物が表示されていた。
一つは《STORAGE》、もう一つは《SKILL》と名振られている。
何となく使い方には察しが付いたので、表示された項目の《SKILL》の方を指でタップする。すると、更に二つの項目が表示された。〈固有スキル〉そして〈通常スキル〉の文字。
最早警戒もせずに〈固有スキル〉の項目をタップする。
すると、
〈固有スキル〉
《竜王憑依》《超再生》《氷雪の支配者》《人化》《竜化》《部分竜化》《竜語発音》《人語発音》《竜凱》《竜の加護》《破魔の竜体》《魔力感知》
と、スキルの名前であろう文字が出現する。
《竜王憑依》に《超再生》、《氷雪の支配者》…………。イマイチ内容が掴めない。スキルの解説とかはないの?
『A スキルの詳細が表示可能です。表示しますか?』
その提案を僕は迷わずに実行させる。
〈固有スキル〉
《竜王憑依》
任意発動型スキル。スキル《人化》使用時、スキル《竜化》時の身体能力を上乗せする事が出来る。
《超再生》
常時発動型スキル。魔力を消費してダメージを回復する。
《氷雪の支配者》
常時発動型スキル。《氷雪ダメージ無効》《炎熱ダメージ無効》の複合スキル。及び空間中の水の隷属を可能とする。
《人化》
任意発動型スキル。人間の姿に変化する。
《竜化》
任意発動型スキル。白竜の姿に変化する。
《部分竜化》
任意発動型スキル。スキル《人化》使用時、身体の一部に対してスキル《竜化》を発動する。
《竜凱》
任意発動型スキル。体表面を魔力で覆う事により、物理、魔力に対する防御力を上昇させる。魔力の形状・配色は、使用者のイメージ及び属性・種族の影響により変化する。
《竜種の加護》
常時発動型スキル。竜種特有の対魔属性。全属性の魔法に対しての耐性を持つ。スキル《人化》使用時効力80%低下。
《魔力感知》
常時発動型スキル。魔力の流れを感知可能。
どうやら、竜という種族の有する力を今の霧咲詩音は所持しているらしい。魔法への耐性や魔力は、魔法というもの自体を知らないので置いておくとして、他のスキルについては、少し実験してみた方がよさそうだ。
因みに、〈通常スキル〉の項については、展開してみると、
〈通常スキル〉
《気配遮断》《気配察知》《忍び足》《精神干渉耐性》《苦痛耐性》《誘惑》《解毒》《洗脳》《拷問》《人体医療》《変声》《破錠》………
と、四桁に達する数のスキルがならんでおり、そのどれもが殺し屋として身に付けた能力だった。
その為、通常スキルも魔法関係のスキル同様に一端保留として、固有と種族、二種のスキルについて実験する事にした。
まずは固有スキルの《竜化》と《人化》。《人化》は一度使ったが、《竜化》の方は未使用だ。
脳内で《竜化》の発動を念じる。すると、すぐさま僕の周囲を雪と氷の大気が包み込み、その中で身体が変化する。
小柄な体躯は大きさと形を変え、身体の各部から人には存在しない翼や尾が生えて、瞬く間に先程の白竜へと変身した。
次いで発動させたのはスキル《氷雪の支配者》。
詳細文によれば水を操れるらしいが、勝手が分からない。《HAL》システムの説明に従って、泉の水を意識して脳内で浮遊や形状の変化をイメージする。すると、泉の水は思い描いた通りに浮遊し、形を変え、更には凍結させ氷に変化させたり、水に戻したりも出来た。これは便利だ。しかし、凍結は念じるだけで済むが、浮遊と形状変化は少しコツと集中がいる。少し練習する必要がありそうだ。
まずは《部分竜化》だが、これはかなりい勝手がいい。腕や脚をスキルの効果で竜の物に変化させれば、打撃力と防御力の大幅な上昇が見込める。
どうやら想像以上に素晴らしい身体を手に入れたようだ。
そして、固有スキルの最後は《超再生》。
魔力とやらを消費して回復するらしいが、取り合えず《部分竜化》で爪を竜の物へと変化させて、腕に小さな引っ掻き傷をつける。すると、傷口から一瞬血が滲み、次の瞬間には傷は跡形も無く消え去った。役に立つスキルだが、どこまでの損傷なら回復出来るかが不明の為、過信するのは危険だ。
これで今把握出来るスキルは全て使った。魔力だの魔法だの関連のスキルは後々機会があれば試すとして、次に移るとしよ。
《SKILL》欄を閉じ、その下の《STORAGE》欄をタップする。
同時に《HAL》システムへの解説を依頼する。
『A 《STORAGE》システムは、物体を収納可能な格納庫です。収納条件は対象が非生物であること。対象の大きさ、形に制限はありません』
つまりはゲームで言うアイテムストレージのようなものか。
スキル同様に脳内選択で収納と取り出しが可能のようだ。試しに壁から生えている巨大な光る水晶を格納してみると、水晶は青い光の粒子へと変わり霧散する。
その現象こそが《STORAGE》への物質の格納なのだと直感的に理解できた。
明かりの代わりになるかもしれないので、そのまま補完する事にする。
と、取り合えずこれで大間かな実験は終了。
そろそろ外に通じる出口を捜すとしよう。