16話 竜鱗の剣
「夢火の明りを巻け──」
草原に声が響く。
同時に、突きだした右手に体内で生産されている魔力が集束するのを詩音はスキル《魔力感知》によって感じとる。
炎属性下位魔法《炎弾》。
だが、魔力は一瞬小さな火花を散らした後に弾けるように四散した。
「やっぱりダメだ」
ふぅ、と息を吐き出して、詩音は呟く。
「うーん、やっぱりシオン君が一番得意なのは水属性みたいだね」
傍らで様子を見ていたアリスがおとがいに細い指を当てながら言った。
ここはフェルヴェーンの里より東に少し行った草原である。
詩音はこの場所でアリスに魔法の手解きを受けていた。
「そうだね。それ以外の属性はからっきしだ」
魔力の四散した掌を眺めながら詩音が呟く。
魔法は主に火、水、地、風、闇、聖の六つの属性に分けられており、人によって得意不得意な属性があるらしい。
今の火属性魔法で六属性全ての魔法を試した事になるが、水属性が多少使える程度で、他の五属性はイマイチという結果だった。
おまけに、唯一マシな水属性魔法も使い勝手はスキル《氷雪の支配者》よりも悪いと言う有り様だ。
「これは魔法の才能が無いって事かな」
「そんな事無いよ。神代とかには全属性に適正がある魔法使いも居たって聞くけど、現代じゃ魔力適正は一人一つあれば御の字なんだから」
無能とぼやく詩音を、アリスは微笑みながら否定する。
「それに、シオン君の場合は才能がどうのって言うよりは、魔力の制御に慣れて無いって感じかな。詠唱の発音も凄く良いし、後は制御能力を鍛えて魔力の放出量とか拡散率を調節出来るようになれば、高位の魔法も使えるようになると思うよ」
「うーん、制御能力、力加減か…………」
魔法が得意だと言うアリスの話しでは、詩音の保有魔力量は異常に多いらしく、消費魔力が多い高位魔法と呼ばれるものすら連続で発動出来る程らしい。
しかし、恐らくその膨大な魔力は本来詩音のものではなく、この世界で詩音のもう一つの身体となっている白竜の物だ。
元々魔法という物に馴染みの無い世界で生きていた詩音には、魔力の制御などと言われても、いまいちピンとこない。
一応《魔力感知》で大まかな魔力の流れや強さは認識出来るが、それを制御するとなると話は別。
水の流れを目で捉える事は出来ても、それを制御する事は出来ないのと同じだ。
「魔力制御能力ってどうやって上げるの?」
「うーん。基本的には魔法を何回も繰返し発動して地道に鍛えるしかないかな」
「反復練習あるのみ、か」
「うん。そうしているうちに魔力の流れや強弱を正確に把握出来るようになるの。それに、魔唱破棄の訓練にもなって一石二鳥だよ」
「ましょうはき?」
聞き慣れない単語に詩音は首を傾げる。
「あ、まだ説明してなかったね。魔唱破棄って言うのは魔法を発動する時に唱える詠唱を破棄して魔法を行使する高等技術の事だよ。戦闘の時とかは仲間の援護でも無い限り、長々と詠唱を唱えてる隙は無いからね」
下位の魔法ならばその詠唱は一、二節程度だが、中位魔法ならば平均三から四節、高位魔法になれば最低五節、最大十節以上の詠唱が必要らしい。
確かにそんな長い詠唱を戦闘中に行うのは難しい。
「まあ僕の場合、高等技術だなんだよりも、まずは基礎を覚えないとね」
「ふふ、シオン君ならすぐに出来るようになるよ」
「だといいな。それじゃ、もう一回」
そう言って詩音が再び魔法を発動しようとした時、
「おーい!」
遠くから、元気な声が聞こえ二人は振り向いた。
見ると、黒衣に身を包んだ少女が一人、此方に手を振りながら駆け寄って来ていた。
「あ、クレハだ」
「クレハー!」
クレハが合流する事を事前に知っていた二人は手を振り返す。
数秒後、二人の元に辿り着いたクレハは「ふぅ」と息を吐いてから口を開いた。
「シオン、魔法の練習はどう?」
「んー、ダメ寄りの大丈夫かな。まだまだ練習が必要みたいだよ」
「でもシオン君、詠唱の覚えや発音は凄くいいから、直ぐに色んな魔法を使えるようになると思うよ」
「そっか。スゴいなぁ。ボク、詠唱の暗記が一番苦手なんだ」
と、そんな事を言った後でクレハは「あっ」と思い出したように声を上げた。
「そうそう、シオンに伝える事があるんだ」
「ん?」
「シャルが呼んでる」
◆
小川の流れでゆっくりと回る水車の音が満ちる工房で、鍛治妖精シャルロットは無言のまま、手に持ったそれを見つめる。
緩やかな弧を描いた刀身。
その表面は鋒から中子に至るまでがまるで焼け焦げた木炭のように黒く煤けている。
「酷い失敗作」。見た目から得られる評価はそれだろう。
鍛え上げられた鋼の美しさは無く、刃に鋭さも無い。
ただの焼け焦げた鉄の塊にしか見えない。
しかし、それを見つめるシャルロットの眼はひどく真剣だった。
不意に、工房の扉を叩く音が聞こえて我に帰る。
「あ、はーい」
ゆっくりと刀身を作業台に置いて扉へと駆け寄り、来訪者を迎え入れた。
「お邪魔するよ、シャル」
「ただいまー」
「お邪魔するね」
来訪者、詩音、クレハ、アリスの三人が軽く挨拶をしながら工房に足を踏み入れる。
「いらっしゃい。クレハ、使いっ走りにして悪いわね」
「ううん、気にしないで」
シャルロットの謝罪に笑顔で頭をふったクレハは、勝手知ったるという様子で工房内の椅子に腰掛けた。
「シャル、剣が出来たって聞いたんだけど随分早いね。まだ頼んでから三日間しか経ってないのに」
長い白銀髪を耳に掛けながら詩音が口を開いた。
その仕草があまりにもサマになっていて、一瞬見とれてしまう。
これが男とは、世の中不思議な事があるものだ、と思いながらシャルロットは頷く。
「ちょっと裏技使ったの。それにエリックも手伝ってくれてたからね。元の素材が良いからあっという間に殆ど完成まで持ってこれたの」
「ん? 殆ど?」
シャルロットの返答に詩音はコテンと首を傾けた。
(動作がいちいち可愛いわね………)
「完成にはシオン、あなたの協力が必要なのよ」
「僕の?」
頷いてシャルロットは詩音を作業台へと導く。
「これは………」
台に置かれた焼け焦げた鉄の棒を目にした詩音が呟く。
だが、その声に落胆や失望の類いは無い。あるのは、この煤けてナマクラがこの後どう変化するのかという期待のみ。
「ここからあと一つ手を加えれば、これは完成するわ」
「分かった。僕は何をすれば? 一応、鍛治の知識は一通り頭に入ってるけど、経験は殆ど無いよ」
「大丈夫。シオンはこの刀身に魔力を流してくれれば良いだけだから」
「魔力を?」
「ええ、今この刀身は蛹のような状態なの。先にクレハに渡した剣も、クレハが魔力を通す前はこれと同じような状態だったわ。ここにシオンの魔力を流せば、刀身は羽化して完成を迎える。それも間違いなく最上級の一振りとしてね」
詩音は今一度眼下の鉄塊に目を向ける。事前に竜の鱗を使った武器の製造工程は、通常の物と異なると聞いていたが、ここまで違うとは思っていなかった。
作業台の上に寝かされた刀身に指先で触れる。
瞬間、詩音の心臓がドクンと強く脈打った。それは戦慄と歓喜。
まるで得体の知れない怪物を目の当たりにしたかのような。まるで、引き剥がされた自分の一部を取り戻したかのような………。
だが、それはほんの一瞬。認識するのとほぼ同時に消え失せてしまった。
(今のは………)
覚えのある感覚だった。
夢の中、氷に覆われた雪原で出会った白竜。
あれと対峙した時に感じた戦慄によく似ていた。
意識せず、小さく息を呑む。
「シオン………?」
不意に名前を呼ばれて、ハッと我に返る。
視線を隣に移すと、シャルロットの不安気な表情が目に入った。
「どうしたの?」
「いや……何でもない。えーと、魔力を流せばいいんだね」
「ええ、遠慮しないで一気に流してね」
「分かった」
詩音は頷いて再び視線を刀身に戻す。
先程の感覚の余韻を感じながら、刀身に魔力を流す。
魔法の練習の為に小一時間程アリスから指導を受けていたお陰で、調節なしに流す程度ならば何とか出来る。
刀身に触れた指先から流れ出す魔力の流れが《魔力感知》によって感覚的に分かる。
気体とも液体ともとれる不思議な感覚。
シャルロットに言われた通り、躊躇も遠慮も無く全力で流し込む。
「うわ、すっごい魔力………」
背後から、クレハのそんな呟きが聞こえてきた。
その直後、工房全体が真っ白になる程の閃光が放たれた。
「わっ!」
「眩しっ!」
「んっ!」
その眩しさに、妖精達が瞼を落とし、腕で顔を覆った。
だが、詩音は目を閉ざす事なく、しっかりと刀身の変化を見ていた。
内部から溢れでる光りの圧力で、焼け焦げた刀身表面の被膜が剥がれ落ちる。
その光景は確かに、新たな存在へと羽化する蛹のよう。
放たれる光りは、物理的圧力となって詩音の髪を激しく揺らした。
閃光は数秒間迸り、やがてゆっくりと減衰する。
完全に光が終息すると、そこに在ったのは焼け焦げた鉄の塊では無く、美しい刀身だった。
「わぁ………凄い……」
「綺麗……」
「おぉ…………」
瞼を開き、刀身を目にした三人が三様に声をあげる。
刃渡りは凡そ二尺八寸。反りはやや浅め。
その刀身は素材となった竜鱗の性質を受け継いでいるのか、氷とも金属とも取れる不思議な質感をしており、更に僅かに光を透過する。つまりは透き通っている。
刃はこの世の如何なる穢れも知らないかのような純白で、光さえ斬り裂いてしまいそうな程に鋭い。
優美で、それでいて儚げで。
その在り方は何処か詩音に似ていると、三人は感じた。
「これが………」
「ええ、これがあなたの剣よ」
詩音の呟きに、シャルロットが応える。
「待ってて、今残りの部品出すから」
そう言ってシャルロットは作業台の一番大きな引き出しに手を掛けた。
開かれたそこには、白い革布の包みが二つ。長さ三尺弱の弧を描いた包みと小さな円い包み。
それを台の上に出すと、緩く縛っていた麻紐を解き、布を開く。
晒されたのは事前に製作していたのだろう鍔や柄、鞘といった刀のパーツだった。
「さあ、最後の仕上げよ」
そう言ってシャルロットは台から刀身を持ち上げようとして、
「!!」
その重さに驚愕した。
流麗な外見にそぐわない圧倒的重量。
魔力を流す前の煤けた刀身とは比べ物にならない。
誇張なしに数百倍の重さがあるのではないか。
まるで作業台に、いや、地面その物に釘打ちされているかのような手応え。
「どうしたの?」
その様子を見た詩音が不審気に問う。
「いや、この、刀身、馬鹿みたいに、重く、て」
言葉が途切れ途切れになるほどの力を籠める、全力で持ち上げようとするが白亜の刀身は微動だにしない。
「ん?」
それを聞いた詩音が刀身に手を伸ばす。
すると、シャルロットがどれだけ力を込めても持ち上がらなかった刀身は容易く机を離れた。
「どういう事だろ?」
刀身を持ったまま不思議そうに首をかしげる詩音。
すると、背後のアリスが口を開いた。
「うーん……呪いの武器とかで持つと身体能力が低下するってのは聞いたことありはけど………これはそんな感じじゃ無いみたいだね」
その言葉に続き、クレハも語る。
「高位竜の素材ってすごく希少でまだ分かってない部分も多いらしいから、もしかしたら何かボク達の知らない特性を持っているのかも……」
つくづく、この世界では元の世界の理屈や法則が通用しないと思いながら、詩音は刀身に視線を向けた。
確かに、華奢な見掛けによらず手に伝わるのは鋼の様にずしりと高密度な手応え。
しかし、その重みは詩音にはむしろ心地良い。
結局、その後どれ程試してもシャルロットは刀身を持ち上げられなかったので、仕上げの組み立ては詩音本人の手で行う事になった。
最初に銀色のハバキが嵌められ、同じく銀色の切羽と鍔がそれに続く。
更に二枚目の切羽が通され、それを挟む様に柄が填められる。
そして、刀身を垂直に傾けて柄頭を軽く叩き、最後に柄と刀身を目釘で固定する。
詩音自身、日本刀の知識もそれなりに持っており、更に隣でシャルロットが丁寧に説明をしながらの作業だった為、全工程がスムーズに執り行われた。
全ての部分が収まり、完成した刀を今一ど机上に置く。
と、シャルロットがやや不服そうな表情で呟いた。
「はぁ、仕上げを自分で出来ないってのは、鍛治師としては屈辱ね……腕力には自信あったんだけどなぁ………」
椅子に腰かけバギポキ、と乙女らしからぬ動作で肩をならす。
「お疲れ様」
アリスやクレハもそれぞれ労いの言葉を掛ける中、詩音は踵を返して、組み上げられた刀に目をやった。
あてがわれたパーツはどれもこれ以上無い程に刀身に似合った物だった。
僅かに透き通った刀身に通されたハバキは、曇り一つ無い銀。
鍔は雪の結晶を思わせる六角形で、緻密な細工が施されている。
その下に続く柄には純白の柄糸が巻かれ、柄尻には白銀の柄頭が嵌められている。
刀身のみでも素晴らしい物だったが、こうして相応しい部品を組み込み完成した刀は空恐ろしい程に美しく幻想的だった。
詩音はゆっくりと右手を剣の柄に伸ばし、持ち上げる。
鍔や柄が付いたことで、重量は少しばかり増している。
ここ数日、氷の短剣や木刀ばかりを握っていた詩音の腕に、ずしりとした濃密な手応えが伝わる。
その重みは酷く心地いい。
詩音は数歩その場から退き、両手で柄を握る。一度、小さく息を吐き、正眼に据えた刀を無造作に振るった。
僅かに透けた刀身が差し込む日光を複雑に反射することで、刀は仄かに氷雪を纏ったかの様に煌めき、宙空に澄んだ水色の軌跡を描いた。
クレハ、アリス、シャルロットがその光景を固唾を飲んで見守る中、詩音は無言で刀身を見つめ───やがて口元に小さく笑みを浮かべた。
「うん──いい刀だよ。僕には勿体ないくらいに」
これ以外に相応しい言葉は無い。
そう思いながら、詩音は刀の感想を述べた。
「ええ、今まで造った中でその刀はあたしの最高傑作よ」
シャルロットは、胸を張って満面の笑みでそう言ってから椅子から立ち上がり、再び作業台に歩み寄ると残ったもう一つの細長い布包みの紐を解く。
現れたのは一本の鞘。
その表面は新雪を思わせる白。
表面は漆塗りが施されたような艶があり、刀の刀身と同じ深さの弧を描いている。
シャルロットからその鞘を受け取った詩音は、ゆっくりと刀身を納めた。
それを見たシャルロットは口を開く。
「シオン、その刀の銘は貴方が決めてね」
「え、銘って必要かな?」
「当たり前じゃない。あたしの最高傑作なんだからかっこいい名前付けてよね」
「う~ん………」
鞘に収まった竜刀を見ながら詩音は唸る。
今まで詩音は自身の武器や道具に固有の名前を着けた事が殆ど無い。
故にかっこいい名前などと言われても、直ぐには浮かばない。
「…………どうしても着けなきゃ駄目かな?」
「ダーメ!」
「うーん………」
頭を掻きながら再び唸るが、やはり浮かばない。
そこで詩音は、ちらりとクレハに視線を向けた。
刀に横文字の銘は似合わない事くらいは詩音にもわかる。
「どうしたものかなぁ……」
(《HL》さん何か無い?)
『A ありません』
(はっきり言うなぁ………)
しかし、このままではシャルロットが納得しないだろう。
詩音は鞘から刀身を僅かに抜き放ち、純白の刃を眺めながら良さげな単語を何個か頭に思い浮かべる。
見た目から連想されるのは氷雪か。
雰囲気はどこか儚げで気品のようなものがある。
と、詩音が銘を模索していると、
───ん?
何か、声のような物が聞こえた気がした。
それはどこからの物か、男の物か女の物かすら分かるない、いや、本当に聞こえたのかすら微妙な曖昧な音。
ただ分かったのは、その声がこう言っていたという事。
「雪……姫………?」
我知らず、詩音は呟く。
「雪姫………。うん、いいじゃない」
その言葉に反応したのはシャルロットだった。
「え? あ、今のは……」
咄嗟に訂正しようとするが、
「いい名前だね」
「その刀にぴったりだと思うよ」
アリスとクレハも、その銘に悪くない評価を下す。
それを見て詩音も、別のを考えるのも面倒なので、そのまま通す事にした。
「さて、それじゃ次はクレハね」
「え?」
唐突に名前を出されクレハは疑問符を浮かべる。
そんなクレハに意味深な笑みを向けるてからシャルロットは踵を返して足早に裏手へと引っ込み、一分と経たずに戻ってきた。
その両腕には先ほどまでの雪姫と同じ様な焼け焦げた鉄塊が握られていた。
雪姫の物よりも幅が広く真っ直ぐな形状のそれをクレハへと差し出しながらシャルロットは言った。
「はい、これ。シオンからの贈り物」
「え、ボクに?」
目を見張り、クレハは詩音へと視線を移す。
詩音は少しばかり気恥ずかし気に苦笑を浮かべ口を開く。
「クレハ、この前の闘いで今まで使ってた剣無くしたって聞いてさ。余計なお世話かも知れないけど、新しいのあった方が良いんじゃないかなって思って」
告げるとクレハは一瞬ひどく感動した様な表情を浮かべたが、直ぐにはっとして表情を改めた。
「い、いやいやいや、こんなの受け取れないよ」
差し出された鉄剣を押し返しながら首を振る。
「………迷惑、だったかな?」
ばつが悪そうな表情を浮かべる詩音。
それを見てクレハは慌てて弁明を口にする。
「ち、違うよ。迷惑って言うか………こんな凄い物貰う訳にはいかないよ」
「まあ、そりゃそうよねぇ」
クレハの言い分にシャルロットが腕の中の剣を眺めながら同意する。
今度は詩音が疑問符を浮かべる番だった。クレハの言葉の意味が分からない。詩音はただ手元にある物で彼女の役に立ちそうな物を贈ろうと思っただけで、それほど遠慮される物を差し出したつもりはない。
困惑する詩音の内心を察したのか、アリスがやり取りに参加する。
「シオン君、聞いて。竜の鱗って言うのはそれ一つがちょっとした財産なの。下位の飛竜とかの物でも一枚で家が建つ位の価値があるんだよ」
「勿論、竜の階位が高ければ高いほど価値は上がっていくわよ」
アリスの解説にシャルロットが補足を加えて詩音へと諭す。
「正直、これだけ上質な竜鱗となるとあたしも正確に鑑定する自身無いんだけど、どんなに安く見積もっても、シオンのそれは一枚で王都の一等地にバカでっかい城を建ててもお釣がくる位の値がつくと思うわよ」
「は、はぁ……なるほど……」
理解の言葉を紡ぎながらも、内心詩音は自身から剥ぎ取った鱗片にそれほどの価値があるという実感は沸かなかった。
「えっと、ごめん。その辺にはてんで疎くて。でも、本当に大した事じゃ無いし。それに、クレハには家に泊めて貰ったり里を案内して貰ったり、色々お世話になってるから、そのお礼も兼ねてさ」
「で、でも、シオンには色々と助けて貰ってばかりだし。その上こんな物まで貰うのは……」
遠慮はいらないと告げても、クレハは未だに受けとる事を渋る。
個人的な理由で他人に物を贈る事など今までほとんど無かっただけに詩音自身も勝手が解らず上手く事が運ばない。
──仕方ない。少し意地の悪い手だけど……
「分かった。お礼はまた別で用意するとして、シャルには悪いけどあの剣は溶かして処分して貰う事にするよ」
視線を僅かにシャルロットの方に向けて言い放つ。
シャルロットも詩音の思惑を察したのか、その言葉に反論はしなかった。
「そ、それはそれで勿体ないような………。うぅぅ………」
廃棄宣告にクレハはちらりとシャルロットの抱える鉄剣へと視線を向けて唸る。
そして、たっぷり数十秒ほど悩んだ末に、
「………分かった。シオン、それ貰って良い?」
「最初から君に受け取って欲しくてシャルに頼んだんだって」
「……ありがとう」
礼を言って、クレハはシャルロットから焼けた鉄剣を受け取る。
行うべき工程は雪姫と同じだ。
刀匠が鍛え上げた剣の種を、クレハの魔力によって開花させる。
「ふぅ……」
一度、小さく息を吐き、クレハは鉄塊に魔力を流す。
───鋼が光る。
眩い閃光を放ちながら、鉄塊は本来の姿へと進化する。
光りが収まった時、クレハの前には黒い剣が横たわっていた。
刀身は詩音の雪姫と対を為すかのこどき漆黒。しかし雪姫同様に僅かに透き通っている。
濃密でありながらも確かな透明感を持った黒曜石を思わせる美しい刀身の左右からは非対称かつ一体構造の鍔が伸びており、刃の鋭さも詩音の物と遜色ない。
「わぁ……」
黒剣を持ち上げながら小さく、クレハは呟く。
その呟きはこの上無く純粋な歓喜の吐露。
「良い剣ね」
アリスが微笑みながら語り掛ける。
その言葉にクレハは「うん!」と勢い良く頷いた。
「シオンの奴と負けず劣らずって感じね。それじゃあクレハ、それも仕上げちゃうから机に置いて」
「うん」
シャルロットに言われて、クレハは漆黒の剣をそっと作業机へと戻す。
詩音の時と同じ様にシャルロットは柄や各部品を剣の隣に並べ、刀身に触れ───
「あれ?」
少々間の抜けた声を溢した。
その理由は、詩音の雪姫の時とは違いクレハの剣は意図も容易く動かせたからだ。
雪姫が詩音以外が持ち上げる際はまるで巨大な岩にくくりつけているかの様な手応えを示していたのに対して、クレハの黒剣は平均的な物に比べればかなり重い部類にはいるが、それでもまだ剣として持ち上げられる範疇と言える。
「何の違いだろう?」
詩音が呟く。
全員が数秒ほど悩み込むがこれと言って納得の行く結論が出ない。
「まあ、仕上げる側としては好都合だからいいでしょ」
そう言ってシャルロットは手際良く刀身と各部品を組み上げて行く。
物の一分足らずで完成した剣は柄から切っ先までの全てが純黒というまるでクレハという少女その物を象徴しているかの様な風貌だった。
夜空の様な漆黒の刀身を同じく黒革仕上げの鞘に納め、シャルロットは黒剣をクレハへと明け渡す。
「さぁ、クレハ。後は名付けだけよ」
二振り目となる竜鱗の剣を造り上げた鍛治妖精は、最後の工程として名付けという剣に魂を吹き込む儀式の完了を黒妖精に要求する。
僅かに考える様に押し黙ってから、クレハは口を開く。
「………うん、やっぱりこれがいい」
呟き、差し出された漆黒の鱗剣を左手で掴み取りながら、クレハは言葉を紡ぐ。
「この剣の名前は、《エリュクシード》」
「エリュクシード……」
覚えの無い、しかしどこか耳障りのいい単語を詩音だけが反芻する。
「ボクが初めて読んだ英雄譚に出てくる 《デュオスフリード》って言う騎士が持ってた魔剣の名前。この剣には英雄の重みが相応しい」
そう語るクレハにアリスとシャルロットは微笑みを浮かべて返答する。
「クレハらしいね」
「まあ、伝説の魔剣の名前なら申し分無いわね」
両者とも、その銘に異論はなく。新たな魔剣の誕生を祝う。
「シオン、ありがとう」
振り向き、淡い金の瞳を真っ直ぐ向けて、クレハは礼と共に満面の笑み浮かべる。
その純真な笑顔が酷く愛らしく見え、詩音は思わず僅かに顔を背けてしまった。
「……喜んでくれたなら良かった。まあ僕は素材を渡しただけでほとんどシャルに丸投げしたんだけどね」
抱いた感情を悟られぬ様にそう混ぜっ返し、詩音は視線を己の手中の雪姫へと向ける。
「さてと、出来れば試し斬りをしてみたい所だけど………」
握り締めた純白の刀を眺めながら呟くとシャルロットがその声に応じた。
「それだったら工房の裏に型稽古用のカカシがあるわよ」
「よし、なら早速行こう」
◆
カカシは工房の勝手口から十数秒歩いた場所に無造作に突き立てられていた。
丸太を二本交差させただけの簡素な物だ。
「硬岩樫で出来たカカシだから強度はその辺の岩や鉄塊と変わらないわ。遠慮無くぶっ叩いて」
「う、うん」
その説明に詩音は苦笑を浮かべて頷いた。
名前からして樫の木の一種のようだが、もしシャルロットの説明が本当なら、そんな物を斬りつけて刀は大丈夫なのかという不安が頭を過る。
詩音がカカシの前に立つと、シャルロットはいそいそとその場を離れ、アリス、クレハと共に詩音の後方で待機する。
三人が完全に間合いから退いたのを確認した詩音は、鞘に納めた《雪姫》を左手で保持し、すっと右足を前に出して半身になって腰を落とす。
すると不思議な事に、つい先程まで感じていた刀が破損するのではという不安が一瞬で消え去った。
呼吸を整え、柄へと手を翳す。
一度、緩やかな風が吹き抜け白銀の髪が靡いた時、詩音は《雪姫》を抜きざまに振るった。
抵抗も無く鞘を走る。
クリアブルーの刀身は端から見ていた三人には不可視の速度で振るわれ、カカシの太い胴を透過するように斬り裂いた。
少し遅れて、空気が斬り裂かれる細い音が鳴り、更に遅れて、僅かに傾斜を着けて斬り裂かれたカカシの上半身が滑り落ちた。
「これは………」
詩音はそんな呟きを溢した直後。
「す……凄っい切れ味」
テンションの上がった様子のクレハの声と共に三人が歩み寄って来た。
「お見事。シオン君」
「まさか一刀両断とはね。恐れいったわ」
三人の賞賛に応じながら、詩音は刀身を見やる。
殆ど抵抗を感じさせずに直径三十センチ近い丸太を両断した刃には刃こぼれどころか、ほんの僅かな傷すら無い。
(これはとんでもない化け物だな………)
その斬れ味に僅かな恐怖を感じながら、詩音はそっと刀を鞘に納めた。




