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Tale:Dragon,tears    作者: 黒餡
一章 異界妖精郷村《フェルヴェーン》〜憧憬の六芒星〜
15/120

14話 休養

※後半に少しBL要素が含まれます。

 エイリスの指摘に詩音は苦笑を浮かべて応じる。


「参ったなぁ。こんなに早くバレるなんて……」


 その回答が、肯定であることは明白だった。

 ───剣技を殺した。

 それは言い回しや比喩の類いではない。

 霧咲詩音は殺す者。あらゆる存在を殺し、屍へと変える殺戮者。

 その刃は、実体のない技能でさえも例外なく殺傷する。

 先までの剣戟の間、詩音はただ防戦に徹していた訳ではない。  

 攻防の際に、相手の予想よりも僅かに速く、或いは遅く攻撃に対応する事で、相手のリズムを狂わせ(殺し)、相手に気取られない様に僅かに詰め寄る事で、間合いの見立てをズラし(殺し)、相手の感覚を騙し(殺し)尽くし、最終的に技術その物を死滅させる。

 研ぎ澄まされた技術であればあるほど、僅かなズレで大きくその精度を狂わせる。そうして合理性と効率性を剥奪された技能は、最早なんの意味も持たない死体へと成り果てる。 

 感覚、肉体、合理性。技術を構成するあらゆる要素に歪みを生じさせ、技術その物を殺す技能。

 名付けるならば《戦技殺し(スキル・スレイヤー)》。

 その妙技を前に、エイリスは何処か楽し気に呟いた。


「なるほどねぇ。道理で剣筋がズレる訳だ。初めての経験だよ、技術を殺されるのは」

「でも、完全には殺し切れませんでした。元々対人用の技術ですし、何よりエイリスさんの剣技を殺すには木刀(こんな物)じゃあ足りない」


 エイリスの技術は洗練され過ぎている。

 これを殺すのは、互いに命を取り合う真剣同士の本気の戦いでなければ不可能だ。ギリギリの命のやり取りの中で、その技の最奥を引きずり出さなければ。


「今は一時的に殺しているだけです。時間が経てば、直ぐに僕はまた防戦一方になる。だから───」


 言いながら、詩音は剣を構える。


「あと少し、小細に頼る事にします」


 記憶を翻す。

 これまでエイリスから受けた全ての技能を脳裏に再生する。


───全て覚えている。始まりの一撃から今に至るまで、一挙一動を完全に記録している。


 ならば出来る。今からエイリスの剣技を、複製する。


――――技想理念、観測


 それが如何なる道理、如何なる理想を以て形成されているかを知り。

 

――――構成理論、掌握


 それを形創る為の理論、理屈を読み解き。


――――構成仕様、鑑定


 その結果を紡ぐに至る為の行動とその原理を理解し。


――――技術定理、習得

 

 その技を成す為に必要な全ての術理を修め。



――――蓄積経験、同調


 生まれてから今に至るまで、この技が積み重ねて来たであろう経験に同期する。


――――根底真理、到達。


「───いけるな」


 戦闘の流れが激変する。

 今まで受けに徹していた詩音が攻めに出たのだ。

 しかし、エイリスの方も何時までも呆けては居ない。間合いを詰めて来る詩音に対して即座に迎撃の体勢を取る。

 間合いに入った瞬間に打ち下ろされる小太刀。

 エイリスは迫る自身の剣技を木剣で受けようと頭上に掲げる。だが、詩音の剣はエイリスの剣をすり抜ける様に素通りして、真っ直ぐに頭部を打ちに来た。


(これは……!?)


 エイリスはなりふり構わずに後ろに跳んだ。結果、詩音の一撃はエイリスの服を掠めるに留まった。


「っ!」


 無理やり身体を後ろに投げた為、エイリスは姿勢を崩して倒れそうになったが、何とか堪えながら詩音を見遣る。  

 と、詩音が離れた距離を詰めて刀を薙いだ。

 一気に畳み掛けるつもりか、明らかな大振りの一刀。エイリスはそれを木剣を斜に構えて受け流し、即座に反撃する。

 その一撃は相変わらずの速度と鋭利さを持つ。

 驚愕したとはいえ、流しからの完璧なタイミングで放たれたカウンター。大振りの剣を往なされた詩音にその反撃を防げる道理はなく。

 鋭い一撃は詩音のがら空きの胴を打つ─────はずだった。


「っ!?」


 再度、エイリスは驚愕に襲われる。

 横一閃に放たれた木剣は詩音に届く手前で、止まっていた。

 

「うそぉ……」


 目の前の光景にエイリスは思わず苦笑混じりの声を溢した。

 木剣は詩音によって止められていた。

 高速で振り放たれた一刀を、詩音は肘と膝の二点を使って挟み込む様にして止めていたのだ。

 その所行にエイリスは目を見張った。それはどれ程の神業か。エイリス程の剣士の一撃を素手で受け止める等、最早人間技ではない。

 詩音が発揮した対応速度。それは先程までとは比にならない程に速い。

 一体どう言うカラクリか。驚きと好奇心を抱きながらも、エイリスは一度詩音の木刀を大きく弾き、更なる追撃を見舞う。

 一息に幾閃も放たれるエイリスの剣。詩音はそれを躱し、弾き、受け流す。やはりその動作は今までとは段違いに速く、エイリスの剣技の悉くを封殺する。

 やがて、一際高い衝突音が鳴り響き、両者が動きを止める。

 互いに剣を重ね合わせ、鍔競る最中、


「───間合いの誤認、ですね」

  

 エイリスのみに聞こえる声量で詩音が呟く。


「足捌きと剣の振りに僅かな緩急をつける事で剣の間合いを誤認させ、防御を欺く。受ける側からすれば、自分の剣をすり抜けた様に見える。───どうです、当たってますか?」

 

 その言葉にエイリスは短く息を呑む。

 

「──うん。正解」


 頷き、エイリスは木剣を振り払い詩音を押し退けた。

 詩音の方も下手に逆らわず、自ら後退して体勢が崩れるのを回避すると同時にエイリスから間合いを取った。


「《幻閃(げんせん)》って言う技だよ。まあ、技と言っても我流だけどね」 

「我流でもなんでも、素晴らしい技術には変わりありません」

「ふふ。ありがとう。じゃあ、次はボクの回答の番だね。───シオンさん。君はボクの剣技を殺しただけじゃあない。殺すと同時に、()()()()()()()()()んだね?」

 

 確信を持ってエイリスは言った。

 その答えに詩音は、小さく苦笑を浮かべて応じる。


「不躾な真似をしてすみません。でも、僕と貴女では剣の力量差があり過ぎます。僕の剣技ではどうやってもエイリスさんには届かないし、剣技を殺しただけじゃあ不十分。だから、少しだけズルをさせて貰いました」

「いやぁ、まさかこんなに簡単に殺されて真似られるとは思わなかったよ」

「まあ、所詮は複製品、偽物です。外装だけを真似たハリボテに過ぎません」

「それでもさ。人真似もそこまで行けば大した物だよ」


 言いながら詩音と対峙するエイリスの表情はとても楽しげだった。

 

「でも、それだけじゃないよね」

「………」

「君の眼は今を見てないね。未来視、いや少し違う。限りなく未来視に近い予測ってところかな」


 まるで気の会う遊び相手を見つけた子供の様な笑みを浮かべながらそう言うエイリスに、詩音は観念したとばかりに返答する。


「本当……人の取って置きを簡単に看破してくれますね……」


 それはエイリスの予測を肯定する発言。

 詩音は確かにこの戦闘の間に限り「今」ではなく「少し先の未来」を視ている。しかしそれは、この世界特有の魔法や固有(エクストラ)スキル等に頼ったものではなく、霧咲詩音が持つ純然たる技能の効果である。

 先手を取る。

 それは戦闘における基本的な技術。  

 相手の動きの先を取れば、相手の技を防ぐ事も、封じる事も出来る。

 詩音の《未来視》はその基本を究極にまで突き詰めた極地の体技。

 相手が自身よりも優れた技術や能力を有している場合、必然あらゆる行動の先手は相手が取る事になる。

 速度で劣っていれば、当然相手の方が先に動くし、技量で劣っていればそもそも先手を取る隙を見つける事すら困難となり後手に回らされる。

 より優れた技の持ち主から、《動の先手》を取るのはほぼ不可能。

 ならば───ならば、もう劣った者に出来る事は一つ。

 《動の先手》が取れないのならば《思考の先手》を取るしかない。

 仕草、声音、呼吸。

 人が見せる挙動には多くの情報が含まれている。

 仕草からは癖や行動パターンが、声音からは思考や趣向が、そして呼吸からはその人の理念や思想、行動原理が読み取れる。

 それらを逆算し、解読し、同期すれば、その者が至るであろう答え、選ぶであろう未来(選択)を予測する事が可能。


「そして、そこまで出来れば技量で劣っている僕でも先手を取る事ができる」


 僅かな情報から相手の選択肢を読み取り、そこから至り得る未来を観測し、そして遂には相手の思考パターンすら読み暴く。

 《思考の先手》を取り、起こり得る未来(結果)を視る魔眼の恩恵。


 故にその名は《観識・先視の魔眼アブソリュート・ヴィジョン》。 


 詩音が辿り着いた、人が至り得る到達点の一つである。

 その未来視にも近い予測があるからはこそ、詩音はエイリスの技のタイミングを正確に見極め、狂わせる事ができた。

 迫り来る高速の一刀を受け止める事ができた。

 そして、それと同じ事を今まで相手が見せた剣技に対して行えば、その技術技能の全てを盗み視る事も容易い。 

 型から存在しえる技の可能性を観測し、そこから繋がり得る組み合わせを検証し、最終的には剣技その物の根底から頂点までもを看破する。

 そこまでできれば、後は暴いたその技術を実際に使うだけでいい。


「……なるほどね。凄いや、シオンさん。並大抵の事で至れる物じゃない。魔法魔術の領域にまで達し得る魔眼。その術技、その研鑽、その苦難。敬意を表するよ」


 純粋な讚美の声。

 相手の根底を暴き、その未来をすら観測する。

 その魔眼の如き観察力と機械の如き解析能力こそが、嘗ての世界で霧咲詩音を支え続けた最強の武器。

 その極地に至った眼前の戦士にエイリスは心底から尊敬と敬愛の念を抱いた。

 惜し気もない褒賞を詩音は微笑みながら受け取ると、再び二刀構えた。

 幾年月の中で研ぎ澄まされた技を携えし妖精の剣士は、同じ剣技を紛い物の主として宿した詩音を真っ直ぐに迎え打つ。

 ────再び始まった剣戟は今までの物とはまるで違うものだった。

 エイリスの剣は紙一重で詩音の身体を捉え損ね、逆に詩音の剣は一歩ずつ着実にエイリスへと肉薄する。 

 この一時に限りエイリスの剣技は確かに殺され、詩音の技量を補正している。    

 だが、そこまでやって互角。技能の殺害と強奪。手にした反則的特権を以てしても、詩音はエイリスを超える事は出来ない。  

 所詮、詩音の技術は借り物の幻想。数多の研鑽の上に築き上げられたエイリスの剣技をこの短時間で上回れる訳がない。

 せいぜいが同等。だが、それで十分だった。

 交錯する一本の剣と一対の剣。その闘いに見物していた全ての者が見惚れた。

 二つの剣は噛み合い始め、交わり、重なり。

 いつの間にか、飛び交っていた声援や野次は消え去り、全員が静かに繰り広げられる剣の舞いに心を奪われていた。 

 その動きを、剣技を、闘いの内容を目で追えた者は殆ど居なかったにも関わらず。

 それほどまでに二人の闘いは美しいものだった。

 木剣同士のぶつかる音は、さながら高等な音楽。

 剣技の押収は流麗な舞踏。

 もはやそれは、ひとつの芸術とさえ思えるものだった。

 

―――――ハハ、楽しそうだなぁ………


 剣技を重ね合いながら、詩音は内心で苦笑する。

 対峙するアイリスは、笑っていた。

 それは、まるでじゃれ合う子供のように純朴で、しかし牙を剥く獣のように獰猛な笑顔。

 エイリスは心底から、この闘いを楽しんいた。

 

 殺意ではなく、敵意ではなく、然りとて訓練でも無く。


 ただ楽しむ為の戦い、遊びとしての闘争。

 そんな物が果たして在って良いのだろうか。


 否、そんな事、考えるだけ野暮と言うものか。


 ぶつかり合う二つの剣技に、一切の悪意はない。

 ただただ無邪気に遊び(競い)合うのみ。

 そんな胸の内が在々と伝わって来る程に、エイリスは楽し気だった。

 世界にはそんな(ヒト)も居る。

  ならば、今はこの一時を堪能して貰うのが、詩音の取るべき最善の選択なのだろう。


 そして───絶え間なく続いていた剣戟は、破裂音にも似た木材の折れ砕ける音で途切れた。


「あ……」

「あ……」


 それはこの闘いの終わりを告げる音でもあった。

 強烈な剣技のぶつけ合いにエイリスの木剣と詩音の木双剣が同時に砕け散ったのだ。


「…………」

「…………」


 詩音もエイリスも、暫し無言で互いの砕けた得物を見合ってから呟く。


「……しょっぱい幕切れだなぁ」

「これは引き分けかな?」

「ですね」


 言いながら、二人してその場に尻餅をつく。

 見物していた妖精達も、そんな二人の様子に吊られてか、所々で「なんだよ、その終わり方」「木剣が砕けるって、普通あるかぁ?」等の声が上がる。


「あー………疲れたぁ」

「詩音くん凄過ぎだよ。アルトより強いんじゃない?」

「ハハ、ありがとうございます」


 まるで幼い子供のような純真な笑みを浮かべるエイリスに詩音は微笑みながら返す。

 

―――――あれだけ条件揃えてやっと渡り合える程度、か。怖いなぁ………

―――――技殺しに疑似未来視、か。しかもまだ全力って訳じゃないみたい。勝負なら互角、でももし殺し合いだったなら………ふふっ、恐ろしい子だなぁ………


 その笑みの裏で、お互いがお互いに戦慄の言葉を浮かべていた。


  ◆


「母さんもシオンも凄かったよ!」

  

 鍛練場を出た二人をクレハの言葉が出迎える。

 アルトも、いつの間にか見物人に混ざっていたアリスも、二人の闘いを誉め称える。

 

「ありがとう、クレハ。、族長にアリスも」

「ありがとうね、皆」


 エイリスと共に賞賛に応じて、詩音は軽く髪を掻き上げる。

 少し汗で濡れた髪には剣戟の際に巻き上げられた砂埃がこびり着いている。

 我慢できない程では無いが、少し気持ち悪い。

 そんな詩音の仕草を見たクレハが口を開いた。


「シオン、髪汚れちゃった?」

「ああ、ちょっとね」

「じゃあ温泉に案内しよっか?」

「え、温泉?」


 温泉と言う単語に反応を返す。


「冒険者や旅人の間でも有名なんだよ。天然温泉」

「それは是非行ってみたいな」


 断る理由も無く、即座に賛成する。


「ねぇ、私も一緒にいいかな? エイリスさんシオン君の手合わせの話しも聞きたいし」


 同行を望むアリスの申し出を別に断る理由もないので詩音とクレハは快く了承する。


「じゃあ、早いとこ準備して行こっか。この時間ならそんなに混んで無いだろうし」


 確かに、まだ日は高い。

 利用者が少ないなら、のんびりと羽を伸ばせるだろう。

 

  ◆

 

 そうして詩音は一度家に戻って着替えやタオル等の準備を整えたとクレハとアリスの案内でフェルヴェーンの人気スポットだと言う《クラテア温泉》を訪れた。

 因みにアルトとエイリスは来ていない。書類仕事があるのだとか。

 建物の見た目は一言で言えば、小さな洋風の城だ。

 小さいと言っても、他の建物の三倍程はある。

 白色のレンガの様な素材で組まれたファンシーな雰囲気をしている。


 フェルヴェーンの里には此処以外にも十カ所ほどの温泉関連の施設があるらしい。 

 

「温泉なんて何年振りだろ。楽しみだよ」

「ふふ、フェルヴェーンの温泉は美肌や疲労回復の効能が凄いんだよ」

「へぇ」


 そんな事を話しながら建物に入る。

 洋風な外装の割りに、中は板張りの廊下や襖のようなスライドドア等、何処か和風的な雰囲気を醸し出している。

 予想した通り、時間帯的に利用者は余り見当たらない。

 そんな施設内を詩音は、アリスとクレハに着いて進み、フロントで短く手続きを済ませてから温泉へと向かった。

 やがて、三人の目の前に二つの入口が姿を表した。右の入口には赤い暖簾(のれん)が、左の入口には青い暖簾が掛けられている。

 此処の温泉は、一つの源泉から引いた物を男湯と女湯に分けたシンプルな物らしく、赤の暖簾が女湯、青の暖簾が男湯を表しているとのこと。

  

「それじゃ、また後でね」


 そう言って、躊躇無く青い暖簾を潜る詩音の背後で、


――――――あ、男湯(そっち)に入るんだ…………


 と、全く同じ事を内心で呟くアリスとクレハ。


「……やっぱり信じられないよねぇ」

「うん。シオン君大丈夫かな」


 と言うクレハ達の呟きに詩音は気づかないまま奥へと突き進んで行った。

 

 暖簾を潜ると、そこは脱衣室だった。

 それなりに広い部屋の壁際には脱いだ衣服を入れる為の(かご)と、その篭を仕舞う為の木製のロッカーが並んでいて、その奥には硝子張りのスライドドアがある。

 あのドアの向こうが温泉になっているのだろう。硝子越しに、漂う湯気の形が僅かに見える。

 利用者の姿は見られない。しかし、ズラリと並べられた篭の一つには衣服が一式、放り込まれている。

 どうやら、先客がいるらしい。


「残念。貸し切り期待したんだけどなぁ」


 呟いて詩音は服を脱いだ。

 脱ぐと言っても、詩音が身に纏っている物はシャツもズボンもコートも、全てがスキル《(アーマー・オ)(ブ・ドラグーン)》によって魔力から生み出された物であるため、そのスキルを解除して消すだけだ。 

 全ての衣服を消滅させ、代わりに《(アーマー・オ)(ブ・ドラグーン)》で身体を隠す用のタオルを造り準備は完了。

 詩音は静かにドアをスライドさせた。

 

────想像以上に立派だな


 中の光景を見て、そんな感想を抱く。

 竹のような植物を組んで作られた壁に囲まれた広々とした空間。タイル張りの床を少し行けば、大理石で囲まれた温泉が目に入る。

 その様は昔一度だけ行った日本の温泉と良く似ていた。

 一辺五メートル程の正方形の大きな湯船には、乳白色のにごり湯がたっぷりと溜まっていて、ほんのりと甘く優しい香りが漂ってくる。


 と、そこまで認識した所で、


「うおっ!?」


 酷く驚いたような声が詩音の耳に入った。


 音源の壁際に視線を動かすと長台と椅子が十数個並べられており、それぞれの椅子の前には蛇口とシャワーベッドが備えられている。

 そして、並べられた椅子の一つに、見知った赤い髪の美丈夫が腰掛けていた。


「カイン。奇遇だね」


 挨拶をして、カインの方へと歩み寄る。


「え、あ、ああ。そうだな、奇遇だな」

「隣、お邪魔するね」


 一言断ってから、詩音はカインの隣の椅子に腰掛けた。


「何時もこの時間に温泉に来てるの?」


 そう訊きながらシャワーの蛇口を捻り、温かいお湯を土埃に汚れた髪に掛ける。


「あ、いや、き、今日はたまたま遣ることがなくてな。せっかく帰って来たから温泉入っとこうと思って」

「そっか」


 カインの返答に応じながら、詩音は備え付けられている洗髪と掛かれた箱に入っている石鹸を手に取る。


「えっと、髪はこれで洗えばいいのかな?」

「ん、ああ。それであってる」

「ありがとう。カインが居てよかったよ。勝手が分からなかったらどうしようかと思ってたから」


 礼を言いながら石鹸を泡立て、目を瞑って湯で濡れた髪を洗い始める。

 ごく当たり前の様に振る舞う詩音だが、その隣に座るカインは内心穏やかでは居られなかった。


(いや、いやいやいやいや!! お、落ち着けカイン=ハヴロ! 詩音は男だ。そう言ってたじゃねぇか! ここ(男湯)に居ても何もおかしくない!)


 そう自分に言い聞かせながら、カインも詩音と同じように髪を洗い始める。

 しかし………


「………ん」


 ついつい、視界の端で詩音の姿を盗み見てしい、同時に「シオンは男である」という認識が揺らぐ。

 白銀髪の癖の無い長い髪は細く滑らかで、長い睫毛に縁取られた瞼が蒼色の瞳を覆っている。

 形の良い小振りな鼻と鮮やかな紅い唇がその下に続く。

 肌はまるで新雪のように白く、クレハ達と比べても負けず劣らずの容姿だ。

 だが、それ以上にカインを混乱させた原因は、詩音のその身体つきにあった。

 詩音はタオルを身体の前面に垂らす様に掛け、慣れた手つきで長い髪を洗っている。 

 その手足は少し乱暴に触れば簡単に折れてしまいそうに細く、同じく折れてしまいそうな程に細い腰から描かれる曲線はとても男の物とは思えない。

 湯煙のせいか動揺のせいか、或いは固定観念による物か、胸の方もささやかだが膨らんでいる様にも見える。

 ともあれ、その姿はどう見ても自分より一回り程年下の少女としか思えないものだった。

 しかし、もし詩音が女なのであればこうして男湯で、男の隣で、こんなにも堂々と或いは無防備に振る舞いはしないだろう。


「ん?」


 不意に、髪を洗っていた詩音が片目を開けた。


「どうした?」


 盗み見ていた事がバレたらしく、詩音は片目でカインの方を見る。


「え、あ、いや……な、何でもない」


 目に見えて狼狽するカインに、詩音は首を傾げるが「そう」と言うと再び目を瞑り洗髪を再開する。


(ヤベェ。見すぎた)

 

 そう思いながら、詩音から目を逸らすように心掛ける。

 だが、すぐ隣で見た目完全に美少女な少年(自称)がタオル一枚を巻いて座っている。その事実を認識してしまうと、どうしても視線がチラチラと詩音の姿を捉えようとしてしまう。


 その姿に否が応にもカインの心臓は鼓動を早め、身体には熱が溜まる。

 

 カイン自身、そこまで不節操な訳ではない。

 しかし、隣に座る少年?は、そんな事とは関係なく男の目を惹き付ける。

 純粋そうで、それでいて無条件に本能を刺激してくる艶姿。

 ついつい、触ってみたくなる────


(って、ダメだダメだ!)


 そんな考えを振り払うように頭を左右に振り、カインは強く目を瞑り、頭から冷水を被る。


 それで少しは頭が冷えた。

 そして、この後の方針を固める。

 

(よし、この後速攻で湯に浸かって、落ち着くと同時に上がろう。出来るだけ急いで、出来るだけ早く)

 

 そして、忘れよう。

 ここで見た事、ここで考えた事。

 その一切合切を忘却の彼方へと全力投球で投げ捨てよう。

 これは一時の夢想、夢の中の出来事だったと思えるように。


 カインはそう決意を固めて椅子から立ち上がった。

 身体の泡をシャワーで流している詩音を極力見ないようにして、早足に温泉へと向かう。


 半ば飛び込みぎみに乳白色の湯に身体をつけると、兎に角心と身体を落ち着かせる為にカインは目を閉じた。

 本当はこんな時は水風呂に浸かるのが一番手っ取り早いのだが、生憎ここは温泉一本に絞った施設の為、そんな物はない。


 息を深く吸って、頭の中を空っぽにする。

 何も考えず、何も思い描かず。

 次第に高まっていた鼓動は収まり始め───

 不意に、ちゃぷんという水音がカインの耳に入る。


「ん?」


 カインが瞼を上げるのと、さっきまで身体を流していた詩音がカインから少し離れた場所に腰を下ろすのはほぼ同時だった。


「ん……ふぅ……」


 長い白銀髪を湯に浸からないように頭の上で纏めた詩音が笑みを浮かべて話し掛ける。

 

「良いね、此処。名物だって言ってたのも納得だよ」

「あ、ああ。そうだな」


 落ち着き掛けていた心臓は、その姿を見るや否や再び壊れたように鼓動を荒げ、体温を上昇させる。


(ま、不味い。このままだと非常に不味い。早いところ上がろう)


 温泉の熱と身体から発せられる熱で逆上(のぼ)せ始めた頭で、カインはそう判断して立ち上がる。


「あれ、もう上がるの? さっき浸かったばかりじゃないの?」

「あ、ああ。少し逆上せちまったみたいでな」


 そう言って湯から上がると、


「うおっ」


 逆上せた身体は踏ん張りが効かず、カインはよろけた。


「危ない」


 倒れそうになったカインを詩音は咄嗟に受け止め、その身体を支えた。


「なっ!」

 

 当然、カインと詩音の肌が触れる。

 男のものとは思えない程に柔らかで触り心地の良い詩音の生肌に触れ、カインの身体は更に熱を帯びる。


「うわっ、本当だ。身体、凄く熱い。肩貸すから、早く上がった方がいいよ」


 そう言って、自身が原因である事など知りもしない詩音は更にカインに引っ付いて肩に担いだ。

 

「なっ、ちょっ、ま!」


 突然の密着と、何よりその感触に驚いたカインは、反射的に詩音から離れようとする。

 しかし、際限無く上がる体温によって蒸しダコ状態になった脳では、思った通りに身体を動かす事が出来ず、再び、先程よりも大きくよろけた。

 濡れたタイルの床では踏ん張りなど効く筈も無く、カインは盛大に転倒した。


「わっ!」


 そして、カインの身体を支えていた詩音もカインに押される形で倒れる。


 バタン、という音が空間内に響く。


「痛っ………はっ! し、シオン、済まな」

 

 押し倒すような形になりながら、カインは慌てて謝罪の言葉を口にしようとして、何か柔らかい物が右手に触っているのを感じて言葉に詰まった。


 視線をやると、自身のしたで仰向けに倒れた詩音の左胸を右手が鷲掴みにしていた。

 頭を巡る血と熱で視界が霞み、視覚が不明瞭な分触覚が敏感にその感触を伝えてくる。

 無意識の内に、その感触を確かめるように右手に二度三度と力がこもる。

 厚みの無い。しかし、キメ細やかで適度な弾力と張りを持った吸い付くような触り心地は、まるで女性のそれその物

 何度も思う。これが男の物であるとは、どうしても信じがたい。

 

「ん…ぁ……」


 そんな詩音の(くすぐ)ったそうな声でカインは我に返った。

 と同時に、バネ仕掛けの人形のような速さと勢いで状態を起こし、


「す、済まない!!」


 と、大声で謝りながら、全速力で駆け出した。


 先程までよろけていたのが嘘のような速さで脱衣室に通じるスライドドアまで走り寄り、勢いよく扉を開けて飛び出してから、壊しそうな程の強さでドアを閉ざした。


「あれ? 思ったより平気そう?」


 一人残された詩音はそんな事を呟いた。


  ◆


「うぅ………」


 風呂場を飛び出し、大急ぎで身体を拭いて服を着たカインは、フロント近くの椅子に腰かけて俯いていた。

 まだ右手には、あの時の感触が残っている。


(なんなんだよ。俺はどうしちまったんだ………)


 いくら見た目が少女のようだからって、男相手にあのような反応をしてしまった自分に困惑する。

 先程固めた全てを忘れると言う決意は完全に砕け散り、今も頭の片隅ではあの場所で見た光景が浮かび上がっている。

 しなやかな四肢、細い腰、小さな身体、手に触れる感触───

 全てが鮮明に思い出せてしまう。


「はぁ………」


 盛大に溜め息を吐いた。

 その時、頬に冷たい何かが触れた。


「冷っ」


 驚いてカインが顔を上げると、


「カイン、大丈夫?」


 と、安否を気遣う声が鼓膜を打った。

 視線の先には牛乳の入ったビンを二本持った詩音の姿があった。

 風呂上がりで暑いからかコートは羽織っておらず袖無しのシャツ姿で立っている。

 一連の事件の原因である詩音が再び目の前に表れて、カインが数秒硬直している間に、詩音はカインの隣の席に腰掛けた。


「はい、これ」


 そう言って差し出されたビンの一本を、半ば条件反射的に受けとる。

 この施設で無料で提供されている牛乳だ。

 火照った掌に心地いい冷気が掌から伝わってくる。


「ふらふらだったのに急に走り出したから驚いたよ」


 そう言うと詩音はビンの蓋を開けて中身を仰る。


「あ、ああ。悪い、心配かけた。それと……さっき、その………」


 言葉にし辛い。謝ろうとしても先程の光景が蘇り、どうしても挙動不審になる。


「ああ、大丈夫大丈夫。受け身取れたから」

「あ、いや、それもなんだが、その……」

「ん?」

「い、いや、なんでもない。兎に角、済まなかった」


 言葉にするのを諦めて一息に謝り、カインは牛乳ビンを開封して一気に仰ぐ。

 よく冷えた牛乳が体内から熱を冷ます。

 それで少し落ち着いて、再び息を吐く。


「それにしても、火の妖精なのに逆上せやすいんだね、カインは」

「あ、いや………き、今日はたまたま身体に熱が籠りやすかっただけで、普段は別に………」

「そうなんだ。ここに来るまでに激しい運動でもしてたの?」

「ああ……まあ、そんなところだ」

「ま、何はともあれ、今後は気を付けた方がいいよ」

「ああ、そうする」


 今後は温泉で詩音と出会さないように注意するよ、と心の中で教訓として刻みながらカインは頷く。

 

 しかし、悲しいかな男の性でカインの視線は剥き出しの詩音の首筋や高揚した頬に引き寄せられてしまう。

 湯気で視界の曇る風呂場とは違い、僅かに赤みを持った詩音の白い手足がよく見える。

 熱を逃がす為のチョイスであろう衣服は、見えそうで見えない絶妙な丈の長さで、全裸とはまた違った扇情的雰囲気が漂ってくる。

 

(ああ、クソッ! だから、相手は男だっての!)


 内心で叫び、自身に言い聞かせるが、視線はやはり自然とそちらに向いてしまう。

 

(ちくしょう! そもそも、こいつが無防備過ぎるんだよ! こいつならいっその事女湯に入った方がまだ自然だろうが!)


 そんな責任転嫁でしか無い事を考えつつ、カインがこの場を去ろうと立ち上がろうとした時、


「あ、クレハとアリスも出てきた」

 

 詩音のその言葉に温泉に繋がる通路に目を向けた。

 そこには、動きやすい服を身に付けた馴染みの二人が居た。

 二人は詩音を見つけ、続いて隣のカインの存在に気付いたらしく、ギロリと睨みつけてきた。


 その目付きにヤバイと思い、急いで立ち去ろうとするが、それよりも早く二人が歩み寄ってきた。


「シオンくん。温泉どうだった?」


 にっこりと笑みを浮かべながらアリスが詩音に問う。


「うん。凄く良かったよ。カイン以外に他に誰も居なかったから広々と使えたし」

「ふぅん。カイン以外に誰も、ねぇ」

 

 クレハとアリスが同時にカインを見る。


(ヒッ!)


 その目の恐ろしい事。まるで蛇に睨まれた蛙のようにカインの身体が強張った。


「ねぇシオン。悪いんだけど、ボクとアリスはカインと大事な話しがあるから、先にボクの家に帰っててくれる?」

「え、うん。わかった」


 クレハの言葉に頷いて詩音は席を立つ。

 何かの魔法か、はたまたスキルを使ったのか、どこからともなく純白のコートが現れ、詩音の身体を覆う。


「じゃあ、クレハの家で待ってるね」

「ちょ、シオン待っ、んぐ」


 出口に向かう詩音を呼び止めようとしたカインの口をアリスが塞いだ。

 そのまま詩音は、立ち止まる事なく施設を出た。

 そこまで確認して、


「カイン、シオンに変な事してないでよね?」


 クレハが、口を開いた。

 無表情に、冷たい視線を送ってくる。


「と、当然だ! 俺は何もして」


 無い、と言おうとした時、温泉の中での出来事を思いだし、思わず言葉が途切れた。


「ちょっとカイン。何、その反応?」


 その事を見逃さなかったアリスも、クレハと同じように問い詰める。


「いや、あの、その………」

「ちょっと他の迷惑にならない所行こっか」

「い、いや 俺は」

「「返事は?」」


 最早二人からは殺気すら感じられる。

 そんな二人に「嫌だ」などと言える筈もなく。


「は、はい……………ごめんなさい」


 肩を震わせてカインは頷いた。


 その後、カインがどんな目にあったかは、当事者三人以外誰も知らない。


























霧咲詩音の特殊スキル

《真理の魔眼:A++》

 幼少期から数多くの多種多様な人間を目にし、多くの命を刈り取って来た詩音が得た全てを看破する究極の観察眼。

 例え相手がどれだけ秘匿しようとしても、挙動を読み取り、欺瞞を透かし、呼吸を見切り、あらゆる真実を暴き出す。


観識:先視の魔眼アブソリュート・ヴィジョン:─》

 スキル《真理の魔眼》によって暴き出した情報を基に、呼吸から相手の行動原理を、筋肉の付き方から挙動の癖を、言葉から思考と傾向を、そして行使する技術からその者が持ち得る全ての手段と策略を逆算し、それら全てを統合、定理化する事で相手の思考を先読みし、擬似的な未来視を可能にする。


技能殺し(スキル・スレイヤー):A》

 《観識・未来擬視》により、相手のリズムやタイミングを予測し、力の強弱、間合いの遠近等を相手に気取られない様に僅かにずらす事で相手の感覚を狂わせ、技の精度を鈍らせ、最終的には破綻させる事で技術技能を殺す。  

 相手の技の完成度が高ければ高い程、感覚のズレによる影響は顕著に現れる。

 発動まで時間を有するのが欠点。

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