13話 白銀と妖精妃の武踏
(どーしてこんな事になったかなぁ………)
詩音は柵に囲まれた場所につっ立っていた。両の手には木製の剣を握っている。対峙しているのは、同じく木製の片手剣を携えたアルト族長の妻エイリス。
苦い表情の詩音とは対照的に、『ワクワク』と言う擬音が聞こえてきそうな表情を浮かべている。
里の外側には五十人以上の妖精達が興味深そうな視線を二人に向けている。その集団の中には族長アルトと娘クレハ、そして何時の間に合流したのか、アリスの姿も在った。
騒ぎの理由は、ほんの数分前────
◆
一頻り喜んだ後で、シャルロットは早速剣の制作に取り掛かると言って建物の奥の工房へと籠った。
今のところ手伝える事は無いらしく、作業の邪魔をしてはいけないと、詩音とクレハは武具屋を後にした。
歩きながら再びクレハは里の様々な名所を詩音に紹介してくる。
楽し気にころころと表情を変えるその様子はとても愛らしく、詩音も自然と笑みを浮かべながら彼女の言葉に耳を貸す。
そんなガイドに導かれるまま里の中心近くまで戻った時だった。
「あら、二人ともどうしたの?」
声が掛けられた。
詩音が視線を声のした方に向ける。
そこには丸太で出来た柵で四角く区切られたスペースがあり、その中心にはエイリスが立っていた。
動き易そうな服を身に付け、右手には木剣を握っている。その姿は、娘のクレハに似通った雰囲気を醸し出している。
「シオンさん。身体の方はもう大丈夫なの?」
「はい。もうすっかり」
答えると、途端にエイリスの表情が変わり。
「それは良かったわ。それなら、少し私と手合わせしてくれない?」
「はい?」
にっこりと屈託の無い笑みを浮かべて、唐突極まりない事を口にした。
「ここは共同の鍛練場の一つなの。ここで私の相手をお願い出来ないかしら」
「相手、ですか?」
「ええ」
「………何故?」
「クレハが言ってたのよ。シオンさん、一人でアリスちゃん達五人を相手取ったそうじゃない。それを聞いた時からシオンさんとは是非にと思ってたのよ」
バトルジャンキー。そんな言葉が詩音の脳裏を過った。目の前の女性は生粋の戦士なのだろう。
乞うてくるエイリスの瞳に思慮策略の類いは見られない。ただ純粋に、純朴に、詩音への期待に目を輝かせている。
その姿が何処か子供っぽく、無下にする事が憚られてしまい、
「分かりました」
詩音は溜め息を呑み込み、作り笑いの笑顔を張り付けて受諾した。
「ありがとう」
エイリスは笑みを浮かべる。その表情は先までの落ち着いた雰囲気とは違い無邪気げで、やはりどことなく子供っぽさを含んでいる。
───似た者親子、か
内心でそう呟いた時、
「すまないな、シオン君」
そう背後から謝罪の声が掛けられた。
振り返った先には、アルト族長の姿があった。
先のやり取りを見ていた様だった。
「どうも、族長。お気になさらず。僕もずっと寝てて身体が鈍ってましたし丁度いいです」
それに、スキルや竜の力に頼らない純粋な詩音自身の実力が、この世界でどの程度通用するかは知っておきたかった。
詩音が、気にしなくていいと伝えると、
「そう言って貰えるとありがたい」
アルトは苦笑気味にそう言って視線を離れた位置で鼻歌混じりにウォーミングアップをするエイリスへと向けた。
詩音もそれに続いて視線を移しながら、
───なーんか、おかしな事になったなぁ………
と心の内で呟いた。
◆
詩音とエイリスを残して、クレハはアルトと共に鍛練場の外に出る。
鍛練場の周囲にはぞろぞろと里の者達が集まって来ていた。無理もない。ここは普段から兵士の訓練や腕試しで多くの者が利用する。
「エイリス様と竜の女の子が手合わせするってよ!」
観戦に来た者の一人が叫ぶと、更に見物者が押し寄せ鍛練場の周りにはあっという間に五十を超える人だかりが出来た。
「クレハ」
若干興奮気味の観戦者達の中から馴染みの声で名前を呼ばれたクレハは視線を鍛練場から背後に向けた。
見ると、人混みを掻き分けて青い長髪の少女が此方に歩み寄って来ていた。
「あ、アリスだ」
「すみません。ごめんなさい」と妖精達の間を縫って、漸くクレハとアルトの元にたどり着いた所でアリスは一息吐いてから問い掛けた。
「こんにちは族長、クレハ。二人の姿が見えたから来たんだけど、これってなんの騒ぎ?」
ライトブルーの大きな瞳に困惑と僅かな興味を浮かべて訊ねられ、クレハは柵の中を指差して答えた。
「あれだよ。母さんとシオンが手合わせするんだ」
「え? なんで急にそんなことに?」
「それが……ボクが母さんにシオンがアリス達と闘った時の事話しちゃって」
そこまでで事の成り行きを理解したらしく、アリスは「なるほどね………」と声を溢し、視線を鍛練場に向けた。
◆
そんな流れで、現在に至る。
予想以上に注目の眼差しに晒されていることに詩音は重い溜め息を漏らす。
「シオンさん。剣はどんなのが良い?」
「そうですね……短剣みたいな、短めで小回りの利く物って有りますか?」
「短めの短剣ね。なら此方よ」
エイリスの案内で鍛練場の一角にある小屋に向かう。
中に入ると、そこには木刀や木剣の他に革張りの円盾等が大量に置かれていた。
「好きなのを選んで」
そう言われて詩音はざっと室内を見渡す。
木剣や木刀は刀身の長さが多少違う以外形はほぼ同じだった。
その中から詩音が手にしたのは二本の刃渡り四十センチ程の木刀。
感触を確かめる為にそれぞれ片手で軽く素振りをしてから、「これにします」とエイリスに伝える。
「そう。それじゃあ、戻りましょ」
二人して再び鍛練場に戻ると、もうすぐ開始の雰囲気を感じ取ったのかギャラリーの歓声がドッと湧いた。
その人目の多さに詩音はもう一度溜め息を吐いて、エイリスと共に先程までの立ち位置に戻る。
「えーと、勝敗ってどうやって決めます?」
「そうね。普通に一本取るか、降参するかでいいかしら?」
「分かりました」
エイリスの提示したルールに首肯で応じる。
これで準備は整った。
エイリスは腰を落として左足を前に半身に構え、右手に握った片手剣型の木剣を後ろに引き、間合いを測るように左手を突き出す。その姿は、とても自然体だった。
詩音も両手に握った一対の木刀を構える。同時に、周囲の声や視線を意識から排除し、エイリスの全身の様子に集中した。
エイリスの闘いを実際に目にした事は無いが、普段の仕草や姿勢、呼吸等から手を抜いて勝てる相手ではないと言う事を詩音は見抜いていた。
恐らくはアリス達よりも遥かに格上。本来なら真正面からの闘いは避けたい相手だ。
間合いは六メートル程。
開始の合図は要らない。自身と相手の準備が整う瞬間を把握する事など二人には容易い。
感覚を、意識を、鋭い刃物のように研ぎ澄ます。
そして────
(あ―――)
直後、刀身が詩音の首筋へと迫っていた。
「っ!!」
その一撃を瞬時に低く、地面へと伏せて回避した。
木剣が髪先を掠る振動を頭の片隅で感知しながら、詩音は即座に反撃する。
地面際に迄身を落とした体勢のまま円を描く様に左足でエイリスの軸足を刈り取りに行く。
だがエイリスは、その足払いに即座に反応し跳躍して回避した。
一蹴を空振った詩音はその勢いのままに身を半転させながら軸足を入れ替え、追撃の蹴りを放つ。
繰り出した蹴りをエイリスは木剣を盾にして防ぎ、蹴り飛ばされた衝撃に乗って詩音から距離をとって着地した。
「とっ!」
エイリスは驚いたように目を見開き、バックステップで詩音の反撃を回避した。
再び両者の間に距離が出来る。
「びっくりした。取ったと思ったのに、まさか反撃されるなんて」
嬉しそうにエイリスは口を開く。
「驚いたのはお互い様ですよ」
言い返しながら、詩音は先程のエイリスの動きを思い返す。
エイリスは何も変わった事はしていない。
地面を蹴り、間合いを詰めて木剣を振るった。
それだけだ。
ただ、その速さが尋常では無かった。
ごく自然な構えから生み出された圧倒的瞬発力。
確かに、あの速度、あのタイミングならば勝利を確信するのも当然だ。
対応出来たのは詩音の卓越した体技と反応速度ってこそ。
詩音は剣を構え直し、一度深く息を吐く。
それを受けてエイリスも木剣を中段に構え直す。
「!!」
今度はエイリスが詩音の動きに驚愕する番だった。
開いた間合いを瞬時に詰め、二刀を振り翳す詩音の速さは、先のエイリスとほぼ同等。
横一文字に薙ぎ払われた右手の小太刀をエイリスは己の木剣で弾く。
が、一撃目が防がれるとほぼ同時に左手の小太刀がエイリスの腹部を狙って突き出される。
二刀を扱う故の手数の有利を使った時間差攻撃。
しかし左の一撃は虚しく宙を貫く。
エイリスは時間差で放たれた二撃目を再びのバックステップで回避したのだ。
ダークパープルの髪を靡かせながら宙を舞い、靴底が地面に接すると同時に地を蹴り、開いた間合いを再び詰めて来る。
「っ!!」
無言の気合いと共にエイリスは剣を振り下す。
声に似合わず、その一刀は閃光のごとき鋭さを持つ。
詩音は左の小太刀でその攻撃を防ごうとするが、直前でエイリスの剣の軌道が変わった。
詩音の木刀を躱すように弧を描き、詩音の右肩を目掛けて薙ぎ払われた。
その変則攻撃を右の木刀で防ぎ、一度距離を取る。
しかし、逃がしはしないと言う様にエイリスは前に出て、開いた間合いを詰めて剣を振るう。
速く、鋭く、重い剣撃。
それでいて隙が無い。
怒涛にして流麗な剣戟を詩音は二本の小太刀でなんとか受け流す。
しかし、攻撃を防ぐ度に徐々に詩音の脚が後退する。
以前にも言った通り、真正面からの戦闘は詩音の本職とするものでは無い。
いかに身体的能力や反応が同等でも、詩音の剣とエイリスの剣の間には、明確な差が存在している。
少なくとも剣技の範疇に於て、エイリスは詩音の数段上を行く剣士なのだ。
故に防戦を強いられるのは必然だった。
だと言うのに、
───何か、変だ?
エイリスは不可解気に内心首を傾げた。
打ち込み、ギリギリの所で防がれるエイリスの剣。
そこから返って来る感触にエイリスは不信感を抱いた。
予想していたより、感じる反動が微妙に軽い。
そうかと思ったら今度は何処か鈍い。
それは殆ど感じない様なとても小さな違和感。
普通ならば気のせいだと切り捨ててもいい程度の疑念。
「―――っ」
詩音の口から苦悶の声が漏れる。
その華奢な見た目に似合わずエイリスから放たれた剣は強烈の一言に尽きる。良く鍛えられた単純な筋力に加え、重心の移動、加速……あらゆる要素を完璧に把握し、剣に乗せる事で放たれる激烈な剣技。
後ろへ後ろへ、詩音は押し込められて行く。
(ダメだこりゃ。剣技じゃあ逆立ちしても敵わない。誇張抜きにアリス達五人を相手にする方が幾らか楽だな)
打ち下ろしを二本の剣でなんとか流しながら、詩音は内心でぼやく。
剣技を操る者は、詩音の知る世界に果たして何人いるだろうか。
今は守りに徹する事で、負けないようにしているだけで、勝てる要素が現時点の詩音には無い。
そして、エイリス程の剣士なら、それすら何時までも許してはもらえないだろう。
再び、エイリスが打ち下ろしの初動を見せた。
詩音は右の木刀を攻撃を受け流すべく構える。
瞬間、
────あ、
詩音は木剣に脳天を打たれる自分の姿を幻視した。
その直後、不可思議な光景が目に入る。
受け流す為に斜に構えた木刀。その刀身をエイリスの木剣がすり抜けて来たのだ。
───ヤバい
刹那、内心で口走りながら、詩音は二本目の木刀を振るう。
硬い音が響く。
振り降ろされたエイリスの木剣を左の木刀が弾き、同時に詩音は地面を蹴ってエイリスから距離を取った。
「今のも入らないんだ。これじゃあクレハ達が敵わないのも無理無いや」
納得した様にエイリスが口走る。
それに対して詩音は何も答えない。
仁王立ちの体勢のまま俯いていた。
動く気配がない。
その有り様にエイリスは違和感を覚えた。
が、直後にゆっくりと詩音は顔を上げ、その宝玉の如き蒼い瞳をエイリスへと向けた
「───っ!?」
瞬間、全身を針で貫かれた様な感覚がエイリスの全身を駆け抜けた。
詩音は何もしていない。ただ真剣な表情でエイリスの姿を凝視しているだけだ。
そして、その行為こそが今の感覚の原因。
───見透かされてる?
エイリスは見られていた。
身体を。
挙動を。
己を構成する全てを。
「あ、これ不味いや」
無意識の内に呟いた。
何が不味いのかは正直分かっていない。
ただ、このままではいけないと言う予感がエイリスにはあった。
木剣を構えて地面を蹴る。
詩音が一足で離した距離を、エイリスも一足を以て零にする。
そして、無言を貫く詩音に向けて木剣を振るった。
今までよりも威力を優勢した重撃。
詩音はその一撃を木刀で受け、同時に後方へと飛んで衝撃を逃がす。
が、着地で膝を着いた詩音に、エイリスは逃がすまいと追撃する。
先の踏み込みの勢いを一切殺さず、二足目の加速を上乗せし、一瞬で距離を詰めた。
踏み込みからの鋭い振り下ろしが詩音の頭部へと走る
それに対して、詩音は右の木刀を振り上げて対応する。
が、また、先と同じ事が起こった。
横の線として振るわれたエイリスの剣を阻む詩音の縦の線。
しかし、エイリスの木剣は詩音の木刀を透過して、その頭へと向かう。
その一刀は、詩音の頭蓋を強く打ち、この試合を終わらせる。
そうエイリスは確信した。
だが、刹那の後に襲い来る敗北を前に、
────あろう事か詩音はそっと両の眼を閉じた。
「っ!?」
直後、エイリスが感じたのは硬く重い手応え。
詩音の頭を打つはずだったエイリスの一刀は、何故か詩音の手前の地面を叩いた。
「やっとか………」
ぼそりと、空振った木剣の向こうで詩音は呟き、顔を上げた。
向けられた穏やかなその顔を見た瞬間、エイリスは得体の知れない悪寒が背中を這うのを感じて、咄嗟に大きく後ろに飛んで距離を取った。
「………流石に、手間取ったな」
息をつき、ゆっくりと身を起こす詩音。
その様を見ながら、エイリスは一度自分の木剣に目線をやる。
何故外した? エイリスの一撃は確かに詩音の木刀を透過して、この戦いを終わらせるはずだった。
詩音はあの瞬間、一切の回避行動を取っていなかったし、エイリス程の剣士が間合いを読み違える事などある筈がない。
しかし、事実振り下ろした剣は詩音の眼前を掠め、無意味に地面を叩いた。
起こり得ない事実にエイリスは思考を馳せらせながら、前に出る。
最早幾度目ともなる攻防戦。
しかし、その内容は明らかに今までの物とは違っていた。
「っ!」
エイリスの足が後退する。
今まではエイリスが一方的に攻め込んでいた戦いの流れが、ここに来て崩れ始めた。
振り抜かれるエイリスの剣は虚しく空を薙ぎ、逆に詩音の二刀がエイリスを押し留め出した。
「………っ。なるほど、そういう事か……」
三本の剣を間に挟みながら、エイリスは何処か納得した様に呟く。
「シオンさん、ボクの剣技を殺したね」
確信を持って放たれた言葉に、白衣の死神は小さく笑みを溢した。




