113話 聖騎士
「調査の結果、死体はクレハ=フォングレイスの物で間違い無いようだ」
白銀の鎧を纏った騎士、エゼルクスは淡々とした口調で報告する。
「…………結果に誤りはないのだな?」
「あぁ」
キースクリフトの問に、間を開けること無く頷く。
「容姿、体型等の身体的特徴は勿論、魔力の残滓も本人のそれと合致する。死体を切り開いてまで調べた結果だ。これが造り物だと言うなら、製作者は人外の化け物だろう」
「……………そうか」
目を伏し、僅かに溜息を漏らすキースクリフト。
暫くの沈黙の後に瞳が開かれる。
「よもや、事がこの段階に至って邪魔が入るとはな。あの白衣の少女、シオンと言ったか。意図的では無いとは言え、この様な形で障害となるとは」
「で、どうする?」
「計画の変更は已む無し。だが目的は変わらない。予備を実行する」
「戦争、か……………」
「エルナンディスの様子はどうだ?」
「かなり荒れている。あの魔女め、既に部下を三人殺している。暫くは八つ当たりしか出来まいよ」
エゼルクスがそう告げると、キースクリフトは再び短く息をついた。
「分かった、私が鎮めよう。奴でなければ、転移術基盤は扱えないからな」
「………やはり、攻め込むしかないのか? あの娘の様に外部から操作して誘き出すというのは」
「不可能だ。あの術はクレハ=フォン=グレイス達のいる建物その物を巨大な術具とした上で、連日の捜査により心身共に疲弊させて漸くごく短時間、簡単な操作が可能という代物だ。妖精族の里で同じ事をするなどできるはずが無い」
「…………そうか」
銀騎士は短くそう答えると、それ以降口を噤む。
「最高法務機関《天賢廊》を通して待機させている全兵に通達しろ。準備が整い次第――――――妖精族の里に侵攻する」
「……了解した」
短く、そう答え、エゼルクスは踵を返して礼堂を後にした。
そして、銀騎士が去った直後、続けてキースクリフトは口を開く。
「聖騎士ユウカよ」
名を呼ぶ。
と、壁際の柱の影から黒銀の軽鎧を纏った騎士が姿を現した。
「話は聞いていたな」
「………はい。《十三の円盾》はいかが致しますか?」
「彼らには、侵攻の間手薄になる王都周辺の守護を任せる」
「王都外に出ている聖騎士達も呼び戻しますか?」
「いや、彼らには現在の任務を続けて貰う」
「承知しました。現在王都に滞在中の聖騎士各員に通達します。では」
「待て」
エゼルクスに続き、礼堂を後にしようとするユウカをキースクリフトが呼び止めた。
「貴卿には此れより別の任務を与える」
「………………」
無言のまま、ユウカはキースクリフトに対峙する。
「意図的か否かに関わらず、あの少女は我々の計画の障害となった。一度でも我々の前に立ち塞がった以上、もはやあの少女は排除すべき対象だ。聖騎士ユウカ=ヴァルトニスに命ずる――――――――キリサキ=シオンを始末しろ」
「…………御意、我らが長」
■
城内の回廊を一人遡るユウカの眼は酷く冷めきっていた。
誰かの始末を命じられたユウカは何時もこうだ。
金属の様な冷たさを雰囲気として纏い、普段以上に他者を寄せ付けない。
大抵の者がこの状態のユウカからは距離を取り、目を合わせようともしない。
だと言うのに、
「よう」
その声は、何の躊躇も無くユウカに向けて放たれた。
声の主はユウカのほんの四メル程前方、回廊の壁際に背を預けて立っていた。
覇気の感じられない、見るからに無気力気な青年だ。
外見年齢はユウカとそう変わら無い。
騎士としては細身で、猫背故に実際の身長よりも小さな印象を受ける。
眼には全身の雰囲気以上に気力や覇気の類が感じられず、陳腐な表現だが死んだ魚の様だ。
灰色の髪を雑に切り揃えた中々には整った容姿をしているが、その眼が他の美点を潰している様に感じられる。
似た艶のない灰銀の軽鎧を纏ったその青年をユウカはよく知っていた。
「ギルバート卿」
脚を止め、青年の名を呼ぶ。
ギルバート=エイトゥナティス。
それが青年の名であり、ユウカと同じ《|十三の円盾》に属する聖騎士だ。
「顔を見るのは一月振りか。卿は先日の会議にも顔を出さなかったな」
無愛想な声音でユウカは語り掛けた。
「会議は別に強制じゃ無かっただろ。俺みたいな日影者があんな聖騎士が集まる高貴な場に混ざれるかっての」
騎士ギルバートは見た目と同じ様に気のない声でそう言った。
「卿もその聖騎士だろうに」
「紛れで名を連ねた最下位騎士だがな」
卑屈に返しながら、ギルバートは壁から背を離し、ユウカと対峙した。
「…………それで、卿は此処で何をしている?」
「別に何も。偶々お前の姿が見えたから声を掛けただけだ。お前の方こそ、足取りが重いようだがどうかしたか?」
「そう見えたなら卿の見間違いだ」
「そうか…………」
数拍、両者の間に沈黙が満ちる。
「特に用が無いなら失礼する。此方も新たな任務の準備があるのでな」
そう告げて、ユウカはギルバートの隣を抜けて歩を進める。
冷淡な態度を突き通すユウカ。
「…………ユウ」
対してギルバートは覇気の無い表情を変える事無く、しかし何処か憂う様な声音で、去ろうとする騎士の、自身だけが使う愛称を呼んだ。
「………………」
ユウカは脚を止め、背を向けたまま無言を返す。
「感情を押さえ続ければ、いづれ心が死ぬぞ」
「………………」
「感情を押さえて、心を殺して、一体何をしようとしているんだ。お前は………お前達は」
「ギルバート卿」
ギルバートの言葉を遮り、ユウカは僅かに振り返る。
「後々重要な報告がある。現在王都に居る聖騎士全員を招集する予定だ。これは前回の会議と異なり強制故、貴卿も遅れる事の無いように」
「……………」
「それと、無闇な詮索は慎む事を推奨する。さもなくば、いずれ己の身を滅ぼす事になるぞ」
黒曜石の様な瞳を僅かに向けて、淡々とした声音でそう告げと、話は終わりと言う様にユウカは再び回廊を歩み始めた。
その背中は、呼び止める事を許さないと語っていた。
「拒絶に警告、か。相変わらず素直さの無い奴だな」
一人残されたギルバートは、届く筈の無い言葉を零してから踵を返してその場を後にした。
■
シオンが姿を眩ませてから一週間が経過した。
王都で起きた一連殺人事件は、犯人の死亡と言う形で一応終息し、残された妖精達は一度ユリウスの拠点へと帰還した。
クレハの立場が立場だけに、一連の情報は一般に公開される事は無く。
ただ親にして妖精族の長たるアルトとその妻エイリスにのみ国から報告が済された。
後日、妖精族とオルネクライブ王国で話し合いの席が設けられるだろう。
しかし、残された者達はそんな事に関心を示す余裕は無い。
王都から帰還して四日が経った。
「…………」
広間の椅子に無気力に腰掛けるカイン。
無言で見下すその右手には小さな花の意匠が施された銀の指輪と細い蒼染のリボンがあった。
小さく息を零す。
その直後に廊下に繋がる扉が開き、エリックが入って来た。
「…………シャル達の様子はどうだ?」
顔を上げ、何時に無く重い表情のエリックに尋ねる。
その声が酷く憔悴していた事に自分自身で驚いた。
「少しは落ち着いてきている。だが、皆あまり眠れていないようだ。アリスとシーナは姿すら見せてくらない」
返るエリックの声音も似たような物だった。
「そうか………」
無気力に短く返し、カインは視線を掌上に戻した。
「………それは?」
カインの持つそれらに気付いたエリックが訪ねて来る。
僅かに、間を開けてからカインは答えた。
「前に、シオンに遣ったんだ。俺の部屋の机に置いてあったのに、さっき気付いた」
「そう、か…………」
「何処、行っちまったんだろうな、シオンの奴」
「………………」
所在など、考えた所で意味は無い。
痕跡が無い為、特定する事は出来ないと言うのもあるが、居場所が分かった所で彼はもう帰っては来れない。
自分達が拒絶したのだ。
そして恐らく、彼はその拒絶を受け入れた。
ならばもう、此処は彼の居場所では無い。
自分達は彼の居場所にはなれ無い。
あの日妖精達は、ミユに続いてクレハとシオン。
二人の友を同時に失ったのだ。
■
妖精達は友を失い、果てしない喪失感に押し潰されていく。
だが、そんな彼ら彼女らの内心などは関係無く時間は過ぎていく。
ユリウスの街は何事も変わり無く、更に二日が経過した。
アリスとシーナが姿を消した。
余りにも気配がしない事を不審に思ったカインが部屋に入ると、彼女らの姿は無かった。
アリスは何の形跡も残さず。
対してシーナは書き置きを残していた。
『少し、一人で考えたい事があります。
心配は無用です。
探さないで下さい。
シーナ』
短い置き手紙。
その内容からして、アリスとシーナは別々に行動したのだろう。
書き置きがあるだけまだマシだ。
問題は何も言わずに消えたアリスの方。
当然エリックとカインは直ぐにユリウス街内とその周辺を探したが結局その所在を掴む事は出来なかった。
■
某日。
王都の西に位置する小さな村。
其処に三人の聖騎士が訪れた。
十三の円盾第三席次デンバット=カーキスに第五席次ラギエル=ブラフォード、そして、第六席次エネル=プラクス。
各々が専用の鎧と獲物を身に着けて、村の入口に立ち並ぶ。
「へぇ、ここが報告にあった村か」
デンバットを先頭に三人は村へと脚を踏み入れた。
「思ったよりも荒れて無いな」
デンバットと同様に村の様子を見渡しながらエネルが呟く。
そして、何の前置きも無しに右腕に巻き付けた鎖を解くと、腕を振り払った。
手甲に繋がった鎖は腕の動きに導かれて鞭の様に奔り、眼前の木で出来た民家を薙ぎ払った。
細い鎖の一薙ぎで家は巨大な刃物で刈り取られた様に両断されて倒壊する。
土煙が舞い、破片が飛び散る。
と、煙霧の中から何かが姿を表した。
人影の様に見えたそれは、見えた通りに人だった。
だが、五指を備えた四肢を持ち、胴と頭を持つそれが正常な人間で無いのは、一目見て解る。
皮膚は剥がれ、頭髪は抜け落ち、肉は腐敗し。
其処に立つのは人の骸だった。
確かに、幾らか前は人間だったのだろうが、今は腐臭を撒き散らす命無き肉塊。
それが自立し、騎士達に対峙する光景は、この村が既に正常では無い事をはっきりと知らしめて来る。
そして、最初の一体が姿を見せ、それが引き金だったかの様に、周辺の建物の中から、井戸の底から、果には地面の下からも、骸が次々と這い出て来た。
骸は骸達と成り果て、三人の聖騎士を囲む。
「おーおー、これはまた盛大な出迎えだな」
周りを囲む死体を見渡しながら、デンバットが言い放つ。
「この数………。村人全員、だけでは無いな。旅人か冒険者か、何れにしろ部外の者までも巻き込んでいるようだ。一体この村に何が?」
ラギエルも同様に視線を走らせ、疑問を口にする。
と、
「原因なんてどうでもいい。全ての者がこの有様だと言うのなら、一匹残らず破壊するだけだ。」
その疑問を切り捨てて、エネルは告げた。
幼気で中性的な容姿に似合わない獰猛さを宿した台詞の直後、エネルの右腕に繋がった鎖が風切り音を立てて奔る。
一直線に前方へと突出した鎖はそのまま正面の死人の胴を勢い良く貫いた。
腐敗した体を抉り、肉片と腐血が飛び散る。
それでだけに留まる事無く、鎖は死人に貫いたまま、勢い衰える事無くその軌道を曲げ、次の死人の頭を穿ち抜いた。
その様はまるで鋼の大蛇の様。
一度走り出した鋼鉄の蛇鎖は縦横無尽にその身を荒振らせ、瞬く間に周囲を囲む死人共全てを貫き、抉り、削ぎ飛ばし、本来あるべき物言わぬ肉塊へと変えた。
「おいおい、独り占めかよ。俺の分も残しとけよなぁ」
死人を単独で一掃したエネルに、デンバットはそう苦言を零し歩み寄る。
手をエネルの顔に伸ばし、その頬に着いた一滴の血を指先で優しく拭う。
「………………」
何を返すでも無く、それを受け取りエネルは自身の頬を雑に拭う。
三人の視界の内に、動く物は最早存在しなかった。
数秒、辺りを経過してから、ラギエルが口を開く。
「行くぞ、二人共。事の原因を調べなければ。生存者も居るやもしれん」
「あいよ」
デンバットは短く応え、エネルから離れた。
「………………」
その直後だった。
「「「!!」」」
三者は同時に異変を察知した。
周囲に散らばる死人の残骸。
無数に散乱するそれらが僅か蠢き出したかと思うと、一斉に移動を開始した。
「なんだぁ?」
デンバットが疑問を零す中、残骸は三塊に分かれて集約する。
曾て村人だった腐肉と骨は軈て人とは全く異なる形を形成する。
それは、骨肉を寄せ集めた身体を持つ巨大な竜。
死者を取り込み、文字通り己の血肉へと返る屍の魔物。
「《怨恨の屍疑竜》………」
エネルが、その魔物の名を呟いた。
腐臭のする息を吐き、何も嵌っていない暗い洞穴の様な眼孔を三騎士に向ける三体の魔竜。
「ほぉ~、こいつ等がこの有様の元凶って訳か」
「村人は皆、こいつ等に喰われたと言う事か」
三体の屍竜が咆哮を上げる。
音圧が風を呼び、周囲の瓦礫を吹き飛ばす。
「おうおう、俺達まで取り込む気満々だな」
デンバットがそうぼやいた直後、屍竜の一体が地面を蹴った。
死人の骨肉で造られた顎が三騎士へと迫る。
だが、鋭い骨牙が騎士の身体を捉える事は無く。
刹那、一息の間に幾閃もの斬撃が屍竜の腐体を切り裂いた。
「□■■◇◆◆◆――――!」
苦痛の咆哮が上がる。
一瞬の内に屍竜の身体に刻まれた複数の斬痕。
それを放ったのは、いつの間にか鞘から抜き放った長剣をゆらりと握り垂らす第三席次。
「相変わらずの剣速だな。抜き身すら見えなかった」
ラギエルの静かな称賛に続き、エネルも声を零す。
「《最速の騎士》の二つ名は伊達じゃ無い、か」
最も、二人の評価の言葉はデンバットには届かない。
彼の意識はただ、眼前の外敵にのみ向けられていた。
「右の個体は請け負った」
短くそう言って、ラギエルはデンバットの隣に並び、背より長大な突撃槍を引き抜いた。
「別に、全て俺一人で片付けても構わないが」
「だから独り占めすんなって。お前は左のヤツの相手しろよ、流れ的に」
「…………分かった」
デンバットにそう言われ、エネルは渋々の様子で左側の屍竜に対峙する。
相対する六つの魔力。
並のものならば気絶しかねない濃密な力の本流が渦巻き、そして――――――――――――――
決着は一瞬だった。
瞬きの間に放たれた幾重もの斬撃が屍竜の身体を切り刻み、鈍色の鎖が死肉の身体を締め潰し、重厚な突撃槍が巨体を一撃の元に穿ち抜いた。
「「「討伐、完了」」」
宣言し、各々の武器を納める。
攻防など無く、拮抗など許さず。
屍を掻き集めた魔竜は、為す術も無く屍へと戻ったのだった。
《怨恨の屍疑竜》
エネミーランク:A
死亡した様々な動物、魔物の念(主に生への執着)が重なり寄り集まって生まれる呪怨魔獣。
野生で自然発生する事が殆どだが高い技術を持つ魔術師や魔法使いならば手間は掛かるが人工的に造る事も出来る。
竜と名が付き、実際竜の姿をしているが発生経緯の通り竜種とは関係の無い念の集合体。
背には皮膜状の翼もあるが飛行能力は無い。
全身が死肉と骨で構成された動く死体。
竜の形をしている正確な理由は不明。
一説では、世界で最も生命力と頑強さに優れた存在であるために、集約した念達がその姿を真似ているのではと言われている。
発生の原因となるのが生への強い執着の為に、この魔物は認知した周囲の生物を片っ端から取り込もうとする。
捕食や自己防衛では無く、ただただ生ある物を求め、それだけが行動理由となっている。
取り込まれた生物は殆どの場合即座に死亡し、その身体を構成する死体の一部となる。
全身を分解し取り込んだ生物の形をした幾つもの死体として活動する事も出来る。
この時、死体を破壊されても肉片が寄り集まって再生する事ができるが、灰になるまで燃やされる等原型を留めない程に損傷した死体は再度取り込む事は出来ない。