110話 途切れる希望
夜が明けた。
悪夢の様な夜が。
取り敢えず宿に戻った妖精達はカインの部屋に集結していた。
当然ながら、まともに眠れた者は居ない。
一部屋に集まったのは今後の方針を話し合う為、と言う事になっているが、実際は皆がただただ不安なのだ。
ミユが何者かに殺され、クレハは聖騎士に連行された。
そしてシオンは、宿に帰って来なかった。
日が登り、外が段々と騒がしくなる。
「これで、資料は全部目を通した事になるな」
羊皮紙の束を真ん中に動かしたテーブルに放る様に置きながら、カインが言った。
「やはり、現時点で真犯人に繋がる手掛かりは無い」
エリックが続く。
テーブルやソファには幾束もの羊皮紙が所狭しと散乱している。
それらは全て、シオンが入手した情報を纏め記した物。
「なら、ここからは脚で情報を探すしかないわね」
シャルロットの言葉に皆頷く。
妖精達の方針は決まっていた。
《真犯人を見つけ出す》
そうすれば、クレハは解放される。
このまま無実の罪でクレハが裁かれるとなると、ミユも浮かばれないだろう。
だから、自身等の遣るべき事は落ち込み、宿で塞ぎ込むのでは無く、一秒でも速く真相に辿り着く事だ。
更に言えば、殺されたミユに関しても、妖精達にはある宛があった。
「それじゃ、私とカイン、シーナは街で調査を」
アリスの号令にカインとシーナは頷き、
「私とエリックの方は何とかしてクリスを探すわ。草の根掻き分けてでも見つけ出してやるから」
続く様にシャルロットがそう言った。
その直後、
「いや、何も掻き分ける必要は無いよ」
真剣な空気に満ちたこの場に似つかわしく無い、陽気とすら言える声。
全員が一斉に、声のした方を振り返った。
部屋の片隅。
綺麗にメイキングされた上質なベッド。
その上に、胡座をかいて座る白黒の魔女が居た。
「「「「「ク、クリスッ!!」」」」」
一斉にその姿を捉えた妖精達は、一斉に声を上げた。
「やぁ諸君、数日振り」
「ど、どうして貴女が此処に?」
シーナの問いにクリスは座ったまま応じた。
「いやね、何時も通り世界の移り変わりを読んでいたら、何やら君達がおもしろ……いや、大変な事になってる様だったから、こうして直接見に来たんだ」
笑みを貼り付け、そう語る。
「えっと、つまり。私達が置かれてる状況を知って此処まで来たって事?」
「うん、そゆ事」
続くシャルロットの問いに首肯するクリス。
そして、それに対してアリスが声を上げた。
「なら話は早いわ。クリス、貴女にお願いしたい事があるの」
「蘇生かい?」
何の説明も受けず、魔女はアリスの言葉、その要点を言い当てた。
「――――――えぇ、ミユちゃんを生き返らせて欲しいの」
白黒の瞳を真っ直ぐに見据えながら、アリスは告げる。
アディスと呼ばれた怪物をシオンが倒した後、突如として現れたこの魔女は、その場でシオンが殺した筈の二人の騎士を蘇生して見せた。
そう、この得体の知れない魔女は、《死者の蘇生》と言う魔法魔術の最奥を行使できるのだ。
「勿論、お礼は私達が出来る限りで、幾らでも、どんな物でも貴女に差し出すわ」
死者の蘇生。
伝説や神話の中でしか目にする事の出来ない最高位魔法。
その中でも殊更に希少で難解なそれを、この魔女は一手段として有している。
ならば、それを以てミユを蘇生させる。
そうすればこの事件は一気に進展する筈だ。
ミユが犯人の顔を見ていれば、それを元に追跡や捜査が可能。
例えミユが犯人の容姿を覚えていかったとしても、少なくともクレハの冤罪を証明する事は可能な筈だ。
全員の視線がクリスへと向く。
期待、そして切望の眼差しを一身に受けた魔女は、僅かに間を挟むと、満面の笑みで答えた。
「死者の蘇生、確かに私にはそれが可能だ。種族性別に関わらず、ただの子供の十人や二十人生き返らせるのなんて訳無い」
「だったら………!」
希望を宿したシャルロットの叫び。
それを手を翳して制し、クリスはベッドから降りた。
「けど、蘇生には幾つかの条件がある」
「条、件……?」
「そう。条件だよシーナ。満たすべき物。達成すべき物だ」
「それは、一体……?」
ベッドから離れ、全員の顔が見える位置に立つと魔女は回答を寄越す。
「まず一つ目は、《その者が本当に死んでいる》事。仮死状態だとか植物状態だとかだと、そもそも蘇生では無く別の魔法なり魔術なりを使う必要がある」
そう語りながら、ぱちんと軽く指を鳴らす。
途端に、何も無い空間から上質な革の椅子が現れ、クリスはそれに腰掛けた。
そして、立ち尽くす妖精達に「まぁ、座って」と促し着席させると話を続ける。
「二つ目は、《その対象が本当に生き物である》事。例えば、魔術で作った途轍もなく高性能な自動人形だとかは蘇生の対象外。そもそも生きて無いんだからね。どれ程真性の生物に近く共、生き返らせる事は出来ない」
「そして、」と一拍の間が開く。
「三つ目。これは少しばかり例外的と言うか。ここ最近追加された条件なんだけど、《霧咲詩音の手によって直接殺された者で無い》事」
「シオンが、って………。どう言う事?」
前者二つとは毛色の違う条件に思わずシーナが質問した。
「理由は、彼の《始源属性》にある」
「しげん?」
クリスの告げた単語に妖精達は皆首を撚る。
「それから軽く説明しようか。《始源属性》とは、全ての存在が持つ其の物の根本的な概念の事さ。分かりやすく言えば、全ての物が生れつき持たされる本質かな。万物はこの始源に沿った在り方や方向性を取る様になっている。火の始源を持つ者は熱情的に生き、水の始源を持つ者は柔軟に生きる。ある種の宿命だね」
説明しながら、クリスは再び指を鳴らす。
椅子と同じ様に何処からともなく小さなテーブルと紅茶が満たされたカップが現れる。
同時に、妖精族全員の前にも同じカップが現れ、暖かな湯気が上がる。
「これを詩音君に当て嵌めると、彼の始源属性は《死》だ」
「死……?」
ぽつりと、零すようにカインが復唱する。
「そう、死だ。生命の終局。存在定理の解体。それこそが彼の根源。故に、彼は汎ゆる存在を殺し得る。そして、彼の手で殺された生物の蘇生は如何なる手段を用いても不可能だ。
本来、この死の属性は星の意思によって管理、行使される物。一個人の生命が持ち得る領域から遥かに逸脱した物だ。
彼の齎す死とは、言ってしまえば星其の物が定めた終焉。星の管理下に属する存在である我々が覆す事など不可能な上位権限なんだ」
「待ってくれ。その話が本当なら、以前クリスが生き返らせた騎士達はどうなんだ?」
エリックは告げられた言葉に矛盾を感じ追求する。
「あの二人は当に今言った通りの状態だったよ。蘇生不可。だから蘇生の代わりに別の魔術を使った。彼らの残留思念から記憶や性格、癖なんかを読み取って術式を作って埋め込んだんだ。傍から見れば生きてる様に見えるかもだけど、実際は死体のままさ。有機物の身体を持った自動人形みたいな物だよ」
「……………」
そこまで話すと、クリスはカップを取り紅茶で唇を濡らしてから「そして」と続ける。
「まだ在るの?」
「これが最後だよ、シャルロット。四つ目。これが一番重要な条件。魂の質量だ」
「魂の質量?」
「あぁ。魂には優劣がある。格の高い魂程にその質量が大きくなり、様々な能力もそれに応じて高くなる。魂の才能と言ってもいい。平均的な質量の魂なら、詩音君の手が入っていない限り私は何十、何百と蘇らせる事が出来る。しかし、対象の魂の格がそれ以上となれば話は別だ。高位の魂で在れば在る程に、それの蘇生は困難になる」
「ま、待って……まさか、それって…………」
クリスの言わんとしている事を察したか、アリスは顔を蒼くする。
「………ミユの魂の質量は平均的な人間のそれの凡そ十倍。端的に言って、蘇生は不可能だ」
「そ………んな…………」
詰まる様な声がアリスの口から溢れる。
妖精達に残された唯一の希望。
一欠の可能性。
それを、当の本人から一切取り繕う事無く否定された。
「そ、そんなの、やってみないと分からないじゃない。もしかしたら、蘇生出来るかもでしょ?」
シャルロットが声を上げる。
無理だと言われて、素直には引き下がれない。
「希望を捨て無いのは良い事だ。人類の持つ大いなる美点だよ。けれどね、無理な物は無理なんだよ。もしそれが可能ならば、君達よりも早く詩音君が私を見つけ出して無理矢理にでも蘇生させているさ。彼には私を探し出せる権能も備わっているしね」
「……っ」
シャルロットが押し黙る。
確かにその通りだ。
自分達が気付いたのなら、シオンはもっと早くクリスの力に目を付け、見つけ出している。
それが成されていないという事は、クリスの言葉が事実である事の証左だ。
「残念だけど、あの子の魂は大き過ぎる。いや、もっと言えば、君達の中に蘇生出来る程度の魂の持ち主は詩音君含めて一人も居ないんだ。君達の命は、都合良くどうこう出来る程軽く無い」
明確に、冷徹に、死したミユがもう二度と戻ってくる事は無いと魔女は告げる。
「………だったら」
重々しい沈黙の中、アリスが呟いた。
「だったらせめて、ミユちゃんを殺した犯人を一緒に探して欲しい」
唇を噛み締め、必死に絶望を耐えるかの様な形相で頼み込む。
「………………良いね。良い眼だ」
「ッ!」
その言葉と共に、クリスはいつの間にかアリスへと肉薄していた。
音も無く。予兆も見せず。
全員がその挙動を捉える事すら出来ずに、クリスは気付ば妖精達が囲むテーブルの上に両膝を付いて乗っていた。
そして、細い指でアリスの顔を優しく包む様に掴むと、その淡く青い双眸をニ色の瞳で覗き見る。
「な、に……」
アリスの声を気にも留めず、魔女は瞳を見据え込む。
「母性と慈愛、決して作り物では無い情愛を掲げながらも、その根底にはどす黒くて重たい《復讐》の念が蠢いている」
「ッ!?」
次の瞬間、閃光が室内を過ぎった。
それと同時に、クリスはバネ仕掛けの人形の様に後方に飛び退いた。
閃光の正体は、アリスの手に握られた細剣。
囁かれた瞬間に、アリスは腰の鞘から透き通る様な淡銀色に磨かれた刀身を抜き放ち、クリスの身体へと突き出したのだった。
「お、おい、アリス!」
カインが驚きの声を零す。
他の者も同様に、椅子から飛び上がる様に立ち上がる。
「酷いなぁ、アリスー」
驚愕する一同。
対して、当のクリス本は何とも無さげにケラケラと笑う。
その身体に傷は無く。
クリスはアリスの刺突が肉体を穿つ直前に身を捩り鋭利な鋒を回避し、そのまま後方に飛び退いたのだ。
「服に穴開いちゃったじゃないか」
その言葉の通り、左右非対称な配色の服。
その左横腹当たりに、刃が掠って出来たであろう穴が開いていた。
「まぁ、いっか。そろそろこのデザインにも飽きて来てたし」
「……………」
「ははは。そんなに睨まないでよアリス。美人が台無しだよ」
射抜かんばかりの視線を飛ばすアリスとは対象的に、クリスはあくまでも愉快そうな態度を崩さない。
「アリス、落ち着いて」
シーナがそう言って細剣の柄を握るアリスの手にそっと自身の手を被せた。
「……………」
それでアリスは剣を鞘へと納めた。
が、双眸は未だに笑む魔女を睨みつける。
「すまない、クリス。だが、そちらも少し悪巫山戯が過ぎるぞ」
エリックがそう諭すと、
「はは、ごめんごめん。確かに、ちょっとお巫山戯が過ぎたね」
誠意など欠片も感じられない謝罪を口にしながら、クリスは指を鳴らした。
出てくる時と同様に、唐突にクリスの出した椅子やテーブル、カップなどが消え失せた。
「それでえっと、犯人探しの手伝いだっけ? 悪いけど、手は貸さないよ」
「な、何故だ? あんたなら人探しくらい訳無いだろう?」
協力を惜しむクリスに思わずカインは声を上げた。
それに対する返答は、
「だって、協力しない方が面白そうなんだもん」
「な、にっ?」
「さっきも言ったけど、私はあくまで君達の事を見に来ただけだ。私が傍から見てる物語に手を出すのは、そうした方がより面白くなりそうな時だけ。それ以外の時は読み手に徹するのが私の流儀さ」
魔女は悪びれる気配も無しにそう語る。
「そ、それじゃ何? ただこの状況を見て楽しむ為だけに私達の前に現れたって事?」
「そうだね。大方シーナの言う通りだ」
躊躇いもなく肯定するその様に、アリスは拳を強く握る。
再び抜剣しそな自分を無理矢理に抑え込んでいるのだろう。
そして他の者も皆、多かれ少なかれアリスと同じ気持ちだった。
この魔女は、余りにも悪巫山戯が過ぎる。
態々姿を現した理由が、この現状を直に見て愉しむ為などと。
正気の沙汰じゃ無い。
全員が苛立ちと怒りを抑え込む中、不意にばんっと大きな音が鳴り響いた。
音源はカイン。
カインは目の前の机を叩く様に両手を着いていた。
「……………クリス」
視線を伏したまま、声だけを向ける。
「…………協力して貰えないって言うなら、悪いが今日は帰ってくれないか? 俺達も今は駄弁って無駄に出来る程時間に余裕がある訳じゃねぇんだ」
カイン自身、皆と同じ気持ちだった。
この魔女には言いたい事が幾つもある。
だが、今自身で言った通り、現状時間的猶予が多くある訳では無い。
一刻も早く、犯人を見つけ出してクレハを開放しなければならない。
故に、カインは感情を呑み込み、クリスに退去するよう告げたのだ。
「……………そっか」
クリスは暫し黙した後にそう呟いた。
「本当は皆に着いて行って近くで事を見ていたかったけど、仕方が無い。今にも切り掛かられそうな雰囲気だし、今日の所は退散するよ」
肩をひょいと竦めてそう言うと、何度目ともなる指を鳴らす音が響き、クリスの左右の手それぞれに身の丈程もある杖と重厚な魔導書が現れる。
「もし詩音君にあったら宜しく言っといてね。それじゃ、バイバーイ」
魔導書を開き、そう言い残した直後、魔女は跡形も無くその場から消え失せていた。
「「「「「……………………」」」」」
クリスが転移した後、室内は沈黙に満たされた。
外は既に本格的に人々の営みが始まっており、徐々に喧騒さを増していく。
「………………調査に行くか、皆」
重々しく開かれたカインの口から出た言葉に、全員が頷き、そのまま誰一人何かを話す事なく部屋を出た。
誰も居なくなった室内でクリスの残した四つのカップは弱々しく湯気を上げていた。