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Tale:Dragon,tears    作者: 黒餡
三章 聖魔闘争都市《クロンヴァレン》〜囚われのフィーム・シュヴァリエ〜
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109話 悪夢の夜

 悪い夢を、見ている様だ。


 眼下に転がる見知った身体。


               死体


 右手を濡らす冷たく赤黒い水。


               血


 身体の側に転がる赤い肉片。


               臓物


 右手と同く赤く濡れた眼下の身体は服の上から腹を切り裂かれ、生々しい肉と臓物を外気に晒す。


 夢。


 悪夢。


 そうだ、これは夢だ。

 不吉で不快極まりない悪夢。

 そう思いたかった。

 けれど、手に伝わる血の温度が。

 鼻を突く鉄と死肉の匂いが。

 視界に入る惨状の鮮明さが。

 嫌でもこれが現実の光景なのだとクレハに知らしめる。


「――――ミ、ユ」


 掠れた声。 

 それは自分では無く、背後から発せられた物。

 状況を呑み込めないままに振り返ると、其処に純白の長衣を纏った少年を先頭に、死体と同じく良く見知った面々が立っていた。


「み、んな―――」


 今度の掠れた声はクレハ自身が発した物。

 惨状を見ている妖精達は皆、蒼白に顔を染めて目を見張っていた。

 誰も彼もがこの光景を信じられないのか、声も上げずに突っ立っている。

 そんな中で、一人だけ。

 シオンだけがゆっくりと、フラつく足取りで歩み出した。


「シ、オン………」


 知らなければ、誰もが年端も行かぬ少女だと思うであろう可憐さと怜悧さを兼ね備えたその美貌は、まるで死人の様な有様だった。

 元より色白な肌は血の気を失い殊更に白く、宝玉の様な青い瞳は欠片の光も宿さぬ程に虚ろく。

 クレハの事など眼中に入らない様子で、真っ直ぐに死体の元へと歩み寄る。

 服が染まるのも気にせずに、血溜まりに崩れる様に膝を着き、血色の肉体に手を伸ばす。

 抱き上げられた小さな身体は、力無く手足を垂らし、溢れ出た血がシオンの白衣を染めた。

 

 違う。

 自分じゃ無い。

 自分がやったんじゃない。

  

 そう言うべきだったのかも知れない。

 クレハはこの現状について、可能な限り説明するべきだった。

 けれど、死体を抱き蹲るシオンの姿が、まるで我が子の亡骸を抱く母親の様で、余りにも痛々しいその様にクレハは声を掛ける事が出来なかった。


 その時だった。


「全員、動くな」


 唐突に、妖精達の更に背後から強い声が飛ぶ。

 それと同時に、強い灯りが路地を照らした。

 惨状に気を取られ、妖精達の誰もが背後に迫った声の主に気付けなかった。

 妖精達の視線が、一斉に声の方を向く。

 視界を確保する為の物か、魔術による物らしき二つの光球が浮かんでいるのが見える。

  

 そこには、三人の騎士が居た。

 

 宝物(ほうもつ)の如き鎧を纏った聖騎士が居た。

 

 白銀に漆黒の入った鎧、濡羽色の髪。

 先日顔を合わしたばかりの聖騎士、ユウカ=ヴァルトニス。

 そして、その左隣に立つ痩躯の騎士デンバット=カーキス。

 唯一、最後の一人にはこの場の誰も面識が無かった。

 淡い赤毛を短く切り揃えた幼気な容姿。

 背丈はユウカよりも低くく、鎧を纏うその体躯も華奢に見える。

 全体的に中性的な雰囲気を纏った聖騎士だ。

 右腕の部分には防具を纏っておらず、代わりに幾本かの鎖が螺旋状に巻き付いている。

 

 

「クレハ=グレイス。貴女を拘束します。やれ、エネル」


 中央に立つユウカが宣言する。

 その直後。

 エネルと呼ばれた騎士の右腕が上がる。

 それが号令だったのか。

 騎士の右腕に巻かれた鎖が自ら解けた。

 それは蛇の様に妖精達の間を縫い駆け、立ち尽くすクレハの身体を束縛した。


「―――――っ!!」

「クレハッ!」


 アリスの声が上がり、血塗れの短剣が地面に落ちる。

 鎖はクレハの細い身体を締め付け、一切の抵抗を抑制する。

 

「ちょ、止めなさい!」


 その様にシャルロットが慌てて鎖を操る騎士を止めようと踏み出した。

 だが、


「――――っ!」


 一歩目を踏み出した時点で、シャルロットは動きを止めた。

 その首筋には、鋭利に磨がれた刃が添えられていた。


「シャルっ!」


 クレハが叫ぶ。

 魔光を受けて鈍く光る、浅く湾曲した曲刀。

 その柄を握るのは、先程までユウカの隣に立っていた騎士デンバット。


―――――速いっ!


 妖精達は一様に驚愕した。

 シャルロットが動いてから、間合いを詰め、剣を抜く一連の動作。

 その速さは並では無かった。

 多くの金剛級冒険者と比べても尚、頭一つ飛び抜けた速度。


「動くなつったよな? そっちの嬢ちゃんだけじゃ無く、お前らも纏めて俺等の邪魔したって事でしょっ引いてやろうか?」


 鋭い三白眼が五人を睨む。

 

「くっ―――」


 シャルロットは苦々しく声を零しながら、踏み出した脚を戻す。


「そうだ。大人しくしてろ」


 そう吐き捨て、デンバットは曲刀を鞘に収めた。


「クレハ=グレイス。貴女にはここ数日の連続殺人の容疑も掛かっています」

「えっ!」


 ユウカのその発言にクレハの口から驚愕の声が漏れる。

 他の妖精達からも同様に。 


「大人しくご同行願います」


 そう黒銀の騎士は令を下す。

 その直後だった。


「………………っ!」


 それまで、死体を抱き、蹲っていた詩音がバネ仕掛けの人形の様な俊敏さで身を翻した。


 騎士を含めたその場の全員が驚愕する中、詩音は地面に転がる短剣を掴み取り、そのまま鎖に縛られたクレハへと飛び掛かった。


 掲げた短剣をクレハへと切り着ける。


「シオン、よせ―――!」

「やめて!」


 悲鳴じみた声はカインとアリスの物。

 他の妖精達も同じ様な反応を示す。

 だが、鈍色の刃はクレハに届く事は無かった。

 短剣を握る詩音の右腕。

 それを、黒鉄色の鎖が縛り上げて制止した。

 それはクレハを縛るのと同じ騎士エネルの操る物。

 黒光りする鎖に捕らわれたまま、詩音は強引にクレハへと迫ろうとする。

 だが、腕を取った鎖はビクともせず、詩音はただクレハへと顔を寄せる事しか出来なかった。


 直後。


 鎖が縛り上げた詩音諸共に大きく引かれ、白衣を纏ったその体を対岸の壁へと強かに叩きつけた。


「「シオン!」」


 カインとシーナが声を上げ、共に壁沿いに摺り落ちる様に地面に崩れる詩音へと駆け寄る。

 詩音は動かない。

 叩きつけられた衝撃で気を失ったのか。


「くそっ、何しやがる!」


 カインの怒声が飛ぶ。

 対してエネルは冷たい口調で淡々と応じた。


「任務の邪魔をする者を排除したまでだ。命を取らぬだけ有難く思え」

「何だと!」

「これ以上邪魔をすると言うのならば、貴様も同じ目に合わせてやろうか」


 そう言って、新たにもう一本の鎖が蛇の様に鎌首を擡げる。

 しかし、


「よせ、エネル」


 それをユウカが鋭く制止する。

 

「我々の目的は彼女の捕縛だ。余計な者は捨て置け」

「………何故、お前が命令する?」

「命令では無い。任務こそを優先するべきだと言っている」


 その返しに、エネルは数秒ユウカと視線を交わした後に鎖を納めた。

 それを見て、ユウカは妖精達に視線を向け直す。


「聞いての通りだ。これ以上の妨害行為は止して貰おう。彼女の立場を危うくするだけだ」

「――――っ」


 その言葉に妖精達は皆一様に苦々しく歯噛みする。


「では、お連れしろ」


 そう言って踵を返すユウカ。

 それに続きデンバット、エネルも歩き始め、鎖を引かれたクレハもその後に続く。 


「クレハ」

「ま、待って!」


 エリックとアリスが声を零す。

 だが、それに対してクレハは歩みを止めて振り返り、


「ボクは平気だよ。疑いなんて直ぐに晴れるから。皆は帰って待ってて」


 そう告げた。

 躊躇うアリス達に気丈な笑みを向けてから、再び騎士達に着いて歩き出す。

 黒衣の少女の姿は瞬きの間に暗い闇の中へと消え入り、見えなくなった。

 

 ■


「くそっ!」


 暗闇と静謐を取り戻した路地で、カインは悔しさを込めて壁を殴りつけた。

 

「落ち着け、カイン」


 気を荒げるカインの肩に手を置き、諌めるエリック。


「クレハも言っていただろう。疑いなんて直ぐに晴れる」

「―――だがよぉ!」


 尚も猛るカインにエリックは耳打ちする。


「シオンの身にもなれ」


 その言葉にはっと我に返る。

 そうだ。

 ミユが死んだ。

 殺されたのだ。

 日頃、シオンがどれ程ミユを可愛がっていたか、この場の全員が知っている。

 ならば、そのミユを失った今のシオンの心境は想像に難くなく。

 感情的になり、クレハに刃を向けてしまう程に深く傷付いている。

 ならば、今自分が遣るべきは八つ当たりする事でも嘆く事でも無い。

 

 そう理解しカインは顔を上げた。

 だが、


「あれ、シオンが、居ない………」


 シャルロットが、不意にそう言った。

 その言葉の通り、先程まで壁に凭れて気絶していた筈の詩音の姿がどこにも無かった。

 それだけで無く、地面に転がっていた死体も姿を消している。

 唯一、この場に残されたのは赤黒い血溜まりだけだった。 

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