105話 十三の円盾
《ERROR》………《ERROR》………《ERROR》…………
王都クロンヴァレン。
自身に割り当てられた部屋の中で詩音はホロキーボードを叩く。
だが、キーと同じく非実体のホロウィンドウに映るのは《ERROR》のメッセージのみ。
暫くキーを叩き続け、様々な操作を試すが結果は変わらず。
詩音はボードから指を離して一つ溜息を零す。
「やっぱり駄目か………」
何の返答も返さなくなった補助機構を眺めながら小さく呟く。
あの時。
シグリウスの能力を継承する時に、詩音に流れ込んで来た膨大極まりない情報。
その処理負担の一部を肩代わりした《HAL》システムは、それ以降ずっと沈黙を保ったままとなっている。
膨大過ぎる白竜の情報はシステムの処理能力の限界値を上回る負荷を《HAL》に与え、結果としてその中枢を司る術式回路を焼き切ったのだ。
現状、音声系と検索系を始めとした《HAL》による自動的なサポート機能は全滅。
手動による術式の解析や編集、詩音自身の処理を挟んでの《構想投影式》などの《HAL》を介さなくても使用可能な機能のみが生きている。
それすらもサポートが無い分目に見えて処理速度が落ちている。
この結果。
おそらく《HAL》自身も解っていた事なのだろう。
しかし、あくまで機械的性質に添った判断を下していた《HAL》が自身が壊れる事を解っていながら自ら処理を引き受けるとは。
―――全く、機械らしくない事を…………
内心でそうぼやく。
直すのはかなりの手間だろうが、だからとは言えこのまま放置と言う訳にはいかない。
一番手っ取り早いのは《HAL》を作った張本人、クリスに相談する事だが、出来ればあの魔女には触れて欲しくない。
――――しょうがない。時間は掛かるだろうが、コツコツ遣っていくか
そう内心で決めたた直後、背後でぱたんという物音がして、詩音は視線を向けた。
背後、備え付けのベッドの上では濃紫の魔衣を纏ったミユが先程から本を読んでいた。
のだが、飽きてしまったそれを閉じたミユはベッドから降りて詩音の方へと歩み寄って来た。
椅子の上でホロキーボードとウィンドウを広げた詩音の膝に軽やかに飛び乗って腰を降ろすと額を詩音の胸へと擦り着けてくる。
撫でてくれ、という合図だ。
「あの本は飽きたかい?」
お望み通り、三角耳の生えた頭を優しく撫でながら尋ねる。
「ううん。でも、ちょっと休憩する」
そう言ってミユは瞼を閉ざして詩音へと身を預けた。
ミユが読んでいたのは植物図鑑だ。
ミユは非常に物覚えが良く、つい先日まで字が殆ど読めなかったと言うのに、今ではちょっとした読み物程度なら問題無い程に読み書きをマスターしている。
その上、子供向けの絵本よりも魔物や植物の図鑑等を好む傾向があるのだ。
「じゃあ、皆が帰って来たらおやつにしよっか」
「うん」
「多分、もうすぐ帰って来ると思う、と」
言いながら窓の外に向けた詩音の視線の先に妖精達の姿が映った。
大通りから宿の方へと歩いて来る。
「噂をすれば、だ。お出迎えに行こっか」
「うん、いく」
■
外出用の装いに着替えたミユを抱えて、詩音はエントランスでクレハ達を出迎えた。
「おかえり、皆」
「ただいま、シオン」
そう言ってクレハは両腕を広げた。
と、詩音の腕に抱かれたミユが軽やかにその胸へと飛び込んだ。
「おかえり」
「ただいまぁ、ミユ〜」
しっかりと受け止め、抱き締めながらクレハは表情を綻ばせる。
そんな様を横目に収めながら詩音はカインへと訊ねた。
「遺跡調査の報告は無事に済んだ?」
「あぁ。遺跡が全壊した上に森も結構荒らしちまったってんで少し面倒だったが、何とか全部終わったよ」
「そっか。ごめんね、半ば僕が荒らした様な物なのに殆ど皆に任せちゃって」
申し訳無く思い謝罪すると、
「なに謝ってんのよ」
そう言いながらシーナが指先で詩音の額を小突いた。
「シオンのせいじゃないんだから謝る必要なんてないでしょ。ただでさえ、私達は何も出来ずに助けられた側だってのに、その上謝られたりなんかしたら立つ瀬が無さ過ぎるわ」
小突かれた額を軽く押さえながら、詩音は苦笑混じりに微笑む。
「………そっか」
「分かったらもう無駄に謝るんじゃないわよ」
「はいはい。全く、シーナには敵わないや」
その返答に満足気に笑みを浮かべるシーナの隣からクレハが訊ねて来た。
「所でシオン。ミユ、着替えてるけど何処か出掛けるの?」
そう言うクレハの表情は笑顔ではあったが、目は笑っていない。
―――安静にしてろと言ったのに、また何かやんちゃしに行くんじゃないだろうね?
そう、発せられてもいない言葉が聞こえて来る様な気がした。
「あ、あぁ、うん。皆が帰って来たのが見えたからさ。時間も丁度良いし、全員でお茶でもどうかと思って」
今回は何か企んでいる訳でも無いだけに、詩音は素直に答えた。
「お、良いな、それ」
出した提案にエリックの乗り気な声が返る。
そこからはすぐさま、話題は午後のティータイムへとシフトした。
「あ、それならオススメの喫茶店があるよ」
「それってこの前見つけたって言うケーキの美味しい所?」
「そうそう」
シーナの質問に頷くアリス。
と、それを聞いたクレハがミユを抱えたまま混ざって来る。
「アリスのオススメなら間違いないね。行こう行こう」
カインとエリックも異論は無く、満場一致でティータイムの予定が組み上がった。
その直後だった。
「―――ん?」
不意に気配を感じ、シオンは視線を宿の入り口へと向けた。
それに僅かに遅れ、クレハ達も振り向く。
装飾の施された扉が開き、その向こうから三つの人影が現れる。
そこには騎士がいた。
施された繊細な装飾。曇り一つない銀地の軽鎧。
上等な質感のマント。
それらはただの騎士の物では無く。
「聖騎士………」
ぽつりと、クレハが呟く。
《聖騎士》。
王都中に居る数多の騎士達を束ねる上位戦士達。
右の人物は血の様に赤黒い鎧の上からでも分かる、良く鍛えられた屈曲な体躯の男性。
掻き揚げられた灰色の髪の下から覗く琥珀色の瞳は、鋭く周囲を監視している。
左の男は、背こそ隣の騎士と変わらない長身だが、やや痩せ型で血の気の薄い肌と青銀の鎧のせいで何処と無く不気味な印象を抱かされる。
だが、その口元には笑みが浮かび、青い三白眼で周りの様子を眺めるその様は何処と無く高圧的な雰囲気を纏っている。
そして、そんな二人に挟まれた中央の人物は、濡羽色の黒髪に黒い瞳をした中性的だが整った容姿の若い男性。
長く伸ばした後ろ髪を髪留めで一本に束ねたその人物は、少年と言っても差し支えず、外見から予想される年齢は十七〜十八歳程。
その身体は少々華奢で、背も左右の二人に比べて一段低く、纏う銀生地に黒い装飾を施した鎧も他よりも防御面積の狭い軽鎧だ。
眩くも気品が感じられる鎧を纏った騎士達は一度エントランス全体を見渡し、直ぐに詩音達の存在に気が付いた。
「失礼」
中央の黒髪の騎士が真っ直ぐに此方へと歩み寄りながら声を掛けて来た。
左右の二人もそれに続き詩音達の前へと並ぶ。
「金剛級冒険者、クレハ=グレイス殿。並びにそのお仲間とお見受けする」
少年としては少々高く、しかし芯の通った声。
「あ、はい。そうですが」
クレハが頷くと、左の痩せた男が一歩前に出た。
「へぇーあんたがねぇ。噂通りの別嬪じゃねぇか」
黒髪の男とは対象的な粗雑な言葉と共に数段クレハの顔を覗き込む様に眺める。
「他のも、揃いも揃っての良い女ばかりだな、おい」
一度、アリス達の方に視線をやってから再びクレハを視界に捉える。
「え、あの……」
戸惑うクレハの事など気にも留めない様子で無遠慮な視線を向けて来る。
そして、男の手がクレハに触れようと僅かに動いた。
それを見取った詩音は音も無くクレハと男の間に割って入った。
「あ? なんだお前」
詩音はフードの下から無言を返す。
その様が気に触ったか、男の表情が曇る。
が、直後に左の騎士が男の肩に手を掛けた。
「やめろ、デンバット卿」
重みのある容姿に良く似合う声で制する。
それに続き黒髪の騎士も口を開く。
「無礼が過ぎるぞ。場と立場を弁えろ」
二人からの制止にデンバットと呼ばれた男は今一度詩音を睨みつけると、軈て小さく鼻を鳴らした。
「はいはい、分かりましたよ」
そう言って引き下がるデンバットに代わる形で黒髪の騎士がクレハに対峙する。
「同僚が失礼しました。彼に代わり謝罪を」
「あ、いえ。それで……」
「申し遅れた。私は王立特務機関《|十三の円盾》第二席次、ユウカ・ヴァルトニスと申します。そして」
騎士、ユウカは右隣りに立つ赤黒の鎧の騎士に言葉を譲る。
「同じく《十三の円盾》第五席次、ラギエル・ブラフォードと申します」
その名乗りに左の男も続く。
「んで、俺は第三席次のデンバット・カーキスだ。よろしく」
前者二人に比べて随分と砕けた態度だが、普段からこうな様で騎士ユウカも騎士ラギエルも呆れた息を吐く。
そんな、何処か胡散臭い雰囲気を漂わせる騎士達の自己紹介にクレハが代表として応じた。
「ご丁寧に、どうも。ではこ此方も自己紹介を、と思ったけど不要な様ですね」
「はい、皆様の活躍は冒険者の間では有名ですので。冒険者に留まらず、数々の武勇は我々も聞き及んでおります」
「それは光栄です。それで、本日はどういったご用件で」
「はい、皆様に少々聞いて頂きたいお話が」
「話、ですか」
「はい。ですが、ここではなんですので場所を変えたいのですが、よろしいですか? それと、出来ればそちらの御二人も御一緒に」
黒曜石の瞳が詩音とミユを射抜く。
騎士の言葉にクレハは背後の妖精達と視線を交わす。
しかし、
―――――ユウカ・ヴァルトニス、ね………
詩音だけはフードの下から静か、眼前に立つ黒銀の騎士を見据えていた。
―――――ティータイムはお預けかな