101話 死ねずの君
―――――――温かい…………
身体の芯が凍てついた様な寒さが消えている。
余す所無く壊された身体からも、痛みが全く伝わって来ない。
「………………」
意識が覚醒した事を自覚して詩音はゆっくりと瞼を開けた。
最初に視界に映ったのは知らない天井。
次いで、全身を包み込む柔らかな感触が伝わってくる。
どうやら詩音はベッドか何かに横たわっているようだ。
ご丁寧に衣服の類いは全て脱がされており、素肌に直接寝具の感触が伝わってくる。
尤も、脱がされているのは外見的なものだけで、スキルによる耐性は健在の様だが。
――――――――生きてる……………………
部屋の様子は何処かの病院や宿と言うよりも、地面から生えた生木の内部を刳り貫いた様な、言うなれば巨大な虚の中を部屋として使っている様な感じで詩音の横たわるベッド以外は何も無い。
そして、視線を横に向けると、
「おはよう」
其処には全裸の少女が添い寝する様に横たわっていた。
白と黒。異なる二色の瞳で詩音を見つめながら緩んだ笑顔を向けてくる。
「よく眠れた?」
横になったまま、頬杖を着いた体勢で訪ねてくる。
瞳と同じく白黒二色に別れた髪がさらりと流れ、首筋に一本走った傷跡の様な物が見える。
「……………………夢?」
「現実」
「……………はじめまして?」
「うん、はじめまして」
「じゃあ殴る」
その言葉と共に衝撃が少女の鳩尾を貫いた。
詩音は横になった体勢のまま、超至近距離にあった少女の身体を殴り飛ばしたのだ。
それは毛布を巻き込みながらベッドから転がり落ち、
「痛ッたぁッ………。今のが前に観た《寸勁》ってやつか。内臓が超揺れたぁ」
鳩尾を擦りながらそうぼやいて顔を上げた。
と、
「へ?」
上げた視線の先に鋭い切っ先と黒い銃口が飛び込んで来た。
それが詩音が《STORAGE》から引き出した黒銃 《ヴォルフ・レクス》であると認識した瞬間。
―――――詩音は一切の躊躇無く引き金を絞った。
乾いた銃声。
それと共に放たれた弾頭が少女の眉間を貫く。
五十口径の鉄塊は頭蓋を穿ち、脳漿と髄液と血液を伴って後頭部側から飛び出す。
毛布に包まれた身体が力無く落ちた。
肉片と体液が床とその身体を汚す。
詩音はベッドから降り、スキルで何時もの服を纏いながら、銃声の反響音で今居る場所の把握を試みる。
どうやら此処は何やら縦に長い形状の建物、と言うかまんま巨大な樹木の内部を刳り貫いて住居にしたような構造をしているようだ。
詩音の現在地はその樹木型建造物二階部分の一室。
そして直下、広間か何からしい一階の空間には人らしき反応が合計で七つ。
それ等の反応には覚えがある。
間違いなく妖精達とミユだ。
それを認識した詩音は改めて足元に転がったそれを見下ろし、
「チッ、狸が」
と、底冷えする様な声で呟いた。
そして、その声に答えるかの様に、
「――――――いやぁ」
殺した筈のそれは声を返した。
その声を合図とした様に、床にぶち撒けた血や肉片が蟲の様に一斉に蠢き始めた。
それ等は床を這う様にしてそれの身体へと集約し、次の瞬間には欠損した肉体が完全に復元されていた。
「まさか初対面でいきなり殺されるとは思わなかった。本当、躊躇ないね」
まるで何事も無かったかの様に朗らかに笑みを浮かべて少女はパチンッと小気味よく指を鳴らした。
すると、その裸体を何処からともなく現れた衣服が覆う。
「曲がりなりにも人の形してるなら人の道理に沿いなよ」
「生憎と、私にとって姿型なんて何の意味も持たないからね」
瞳や頭髪と同じ白黒の衣を纏ったそれは、けたけたと笑いながら立ち上がった。
「…………再生、なんて単純な物じゃ無いね、今のは」
「ううん、すっごく単純な仕組みだよ。ただ単に死なないんだ。頭を潰そうが、心臓を抉ろうが、首を刎ねようが私は死ねない。それだけだよ」
心底愉快げに、二色の人型はそう言った。
「死なない」と。
「―――――ふーん…………。じゃあ、今あんたが言った事全部」
「試してみようか」と、言い切る前に詩音は口を閉ざした。
出しかけた言葉を呑み込まざるを得なかった。
視界が歪む。
強烈な目眩に見舞われ、詩音は身体をフラつかせた。
「なん、だ………?」
空いていた左手を頭に掛けながら呟く。
身体が酷く重い。
四肢の末端から、無数の羽虫が這い上がってくるかの様な痺れが伝わってくる。
背中を走る悪寒とは裏腹に、体内からは異常の熱が込み上げてくる。
「あ~あ、無茶するからだよ」
熱病に侵された様にぼやける意識の中で、そんな声が上がるのを認識する。
その直後に、腕を掴まれる感覚があった。
何とか下ろさずにいた銃を握る右手の手首を眼前のそれが掴み取ったのだ。
ほぼ同時に、額に当てていた左手も同じ様に掴まれ、力の入らないそれを少女は容易く引き剥がした。
遮る物を取り除いたそれは己の顔と詩音の顔を正対させ、
―――――――流れる様な自然さで詩音の唇に自身の唇を重ねた。
「ん―――」
塞がれた唇の隙間から詩音のくぐもった声が零れる。
と、それにより僅かに空いた隙間からそれが舌を滑り込まして来た。
まるで味わうかの様に詩音の舌を絡め取る。
と、同時にそれは体重を預ける様にして詩音の身体を再びベッドの上へと押し倒した。
仰向けに倒れた詩音に覆い被さる様になりながら、それは更に深く口づける。
「ぁ………はっ………ん………」
それが唇の角度を変えるのに合わせて詩音は短く息継ぎをする。
濡れた音が頭の芯に響く。
「ん………ぁ………」
唇を、舌を吸われる度に心地良い痺れが身体に流れ、それとは対称的に末端から這い上がって来る様な気味の悪い感覚は薄れて行き、ぼやけた意識も徐々にはっきりとしてくる。
一頻り舌を交えた後、互いの唇が離れた。
「…………ぁ」
詩音の口から小さく声が漏れる。
最早どちらの物かも解らなくなった唾液が糸を引く。
「流石にされ慣れてるね」
身を起こし、ペロッと唇の端に残る唾液を舐めとりながら白黒の怪異は恍惚の表情を向けて来る。
「今の感覚は………?」
「心配は無いよ。まだ魂が馴染み切って無いだけだから」
そう言ながら身体を退ける。
それに続いて詩音も起き上がる。先程まで感じていた不快な痺れは既に殆ど消えていた。
「どう言う事?」
再び問い掛ける。
「――――――先日の、えっと今はアディスの方が通りがいいんだっけ? あれとの戦いで君はシグリウスと対話し、その最奥を受け継いだ。………否、より正確に言うなら、君の魂は内なる竜と融合し、新たな理と階位を得るに至った。覚えがあるだろう?」
言われ、詩音はシグリウスへ投げ掛けた言葉を思い返す。
対価を払う。
詩音の持つ全てを明け渡す。その代わりに力を寄こせ。
詩音から投げ掛けた契約。
しかし、事が終わった今も詩音は詩音として存在している。
「仲間を庇って負傷なんてしなければ、そうまでしなくても十分に勝ち目は在っただろうに」
それは呆れの文言を口にするが、その表情は寧ろ心底愉快そうだった。
「まぁ、過ぎた事を言ってもアレだし、結果的には良い方に転がった訳だけど、実はね、それは本来なら起こり得ない事なんだよ」
続く言葉に詩音は伏せていた顔を上げ、白黒の双眼に蒼い瞳を向けた。
「起こ得ないって、現にそうなっているんじゃないの?」
「うん。君は例外的な存在だからね」
そう言いながら、それは再びパチンと指を鳴らす。
衣服の時と同様に何処からとも無く部屋の中心に二つのソファが向かい合う様に現れた。
「まぁ座ってよ」
薦めながらその内の一つに腰掛ける。
詩音も僅かに間を開けてから腰を降ろすと、途切れた話が再開される。
「本来竜と人間の魂には話にならない程の格差があるんだ。魂との比重、とでも言い換えようかな」
話しながらそれは両の掌を上向きに開く。
と、右手には人を、左手には竜を模った簡素な木人形が何処からともなく出現した
「だから、もしこの二つが接触しようものなら、矮小な人間の魂なんて一瞬で押し潰されてしまう」
そう続けながら、右手の人形の上に竜の人形を重ねる。
と、まるで人形は生きているかの様に竜人形を両の手で支える様な仕草をして、直後呆気なく下敷きになって動かなくなった。
「一匹の蟻の上に鯨を落とす様な物。潰れて当然さ。――――――――だと言うのに、君はその重みに耐え切り、剰えシグリウスの魂を取り込んで一つの魂として成立した」
掌で重なっていた木人形がまるで蝋の様に溶け、混ざり合い、一つの球体となる。
「これは異常な事だ。奇跡の様なと言っても良い」
ぱんッと手を合わせると、その中の球体は跡形も無く消え失せていた。
「とは言え、本来は人の器には余り過ぎる質量を取り込んだんだ。それ相応の反動は当然ある。さっきのが正にそれさ。肉体とそこに内包された新しい魂。格差の激し過ぎる物同士はまだ馴染み切って無くて不調を来たす」
それの人差し指が詩音の顔に伸びる。
細い指先を詩音の唇に軽く触れると、今度はそれを自身の唇に当てた。
「それを私が外部から干渉して魔力を介して調整する事で反動を和らげたって訳」
「解った?」とそれは小首を傾げる。
「……………正直、要所要所に知らない単語が出て来てて良く解らない」
素直にそう告げると、「まぁ、そりゃそうだよね」と声が返る。
だが詩音は「でも」と更に言葉を続けた。
「シグリウスの名前を知っている以上、今言ってた事が全くの出鱈目って訳じゃない事は解る」
「そっかぁー。まぁ、今はそれだけ解って貰えればいいや。反動の方も、一度馴染めば後は肉体の階位が徐々に魂の物に近付いて軈ては相応の物へと進化するから心配する必要も無いし」
それは朗らかに笑う。
その笑みは何処か異質だった。
詩音に関する事で笑みを零して置きながら、その眼は詩音を見ていない。
まるで、絵に描かれたその姿に思いを馳せているかの様に遠く、隔絶された視点から視る様な眼差し。
とは言え、浮かべる表情には、一切の混じり気が無い。
それは口にする言葉一つ一つが、一切の虚偽を含まない事実だと言う事の証左であり、同時に眼前の人の形をしたモノの純粋さの現れなのだろう。
だが、それだけだ。
それの言葉はただ嘘を含んでいないだけで、全てでは無い。
意図して伏せている言葉が、恐らく今しがた口にした言葉以上に存在するのだろう。
「もう一つ、聞きたい事があるんだけど」
「ん、何だい?」
言葉に嘘は無く。
しかし、決して正直では無い。
そんな無視出来ない怪しさに満ち満ちたそれを詩音は蒼の双眼で真っ直ぐに睨みつけながら、
「あんた、誰? って言うか、何?」
そう、余りにも初歩的な質問を口にした。
「そう言う質問は頭吹っ飛ばす前にする物だと思うんだけどなぁ。まぁ、いっか」
苦笑を浮かべながらそれは軽やかな動作で立ち上がると、改まるように詩音の眼前に居直る。
「私の名は 《クリストス・キスキルリラ》。クリスとでも読んで貰おうかな。その他には原初の魔女。始まりの魔法使い。魔法則第一始祖…………長く生きている分私を表す呼び名は数多く存在している。この意味、解るかな?」
「原初の魔女……始まり………………………………………………………。まさか………《提唱者》?」
「大正解。この世界で広く出回っている魔法や魔術といった法則を創り出し、確立したのは他でもない、この私さ」
唄う様に、微笑みながらクリストス………クリスはとんでもない事を言ってのけた。
魔法と魔術。魔力を媒介に世界に働き掛け、この世の理に干渉する第二法則。
それを、この少女の形をしたモノが創り出したのだと。
それは、手放しに信じるには余りにも飛躍した発言だが、「自分が創り出した」と言ったクリスの表情や仕草からはやはりと言うか、虚偽欺瞞の類いは全く見られなかった。
そして何より、疑う理性とは別に詩音の中の直感、本能とでも言うべき部分がその言葉が事実だと告げている。
「…………要するに化物って事か」
「うわっ、あながち間違っても無いけど酷い」
見るからに傷付いたと言う表情を貼り付けながらクリスは声を上げる。
「って言うか、思いの他すんなり納得したね。もっと疑られる物だとばかり思ってた」
「いや、まぁ、正直信じたくないよ。だけど嘘を吐いてる様には視えない。それに、今の言葉が嘘だと断定する材料が無い。なら疑った所で答えは出ないから意味は無いでしょ」
詩音の回答が気にいったのか、クリスは嬉しそうに顔を綻ばせる。
「さっすが切り替え早いね。普通は意味が無いからってだけで、納得出来る事じゃ無いよ」
「そもそも、現状が普通じゃ無いじゃん」
「ははは、なるほど、確かにね。あ、じゃあさ、じゃあさ」
笑みを貼り付けたまま、クリスは詩音の元へと歩み寄ると、椅子の背凭れに両の手を付いて自身の身体で詩音に覆い被さる様な体勢を取りながら言った。
「これなら少しは動揺するんじゃない?」
「何?」
問い返すと、クリスは自身の顔を詩音の顔へと近付ける。
再び口づけでもするのかと思われる程に近付いたかと思うと、するりと軌道を逸し己の唇を詩音の耳元へと運ぶ。
そして、
「君をこの世界に呼んだのは、他でもない私なんだ」
ぽそりと、愉悦への期待が滲む声でそう囁いた。
「……………」
「……………」
「……………………」
「……………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………………?」
「いや、何か言ってよっ!」
大仰な動作で離れながら、クリスは声を荒らげた。
対して詩音はこれと言った動揺も狼狽も見せる言葉無く。
「いや、何、急に」
「何、じゃ無いよ! あれ、もしかして聞こえて無かったのかな?」
「いや、聞こえてるけど」
「じゃあ何でそんな無反応な訳っ!? 私、結構トンデモナイ事言ったよね? もっとこう、驚愕するとか憤慨するとか絶望するとか、色々あるでしょ!」
再び詰め寄って来るクリスに、詩音は至って平静な態度で応じた。
「いや、それはもう知ってるし」
「なんでぇ〜? なんで知ってるの?」
「なんでって………君は現状に関して知りすぎている。僕の置かれた状態に、シグリウスの存在。そしてあの化け物の事。加えてさっきの口振り的にシグリウスの能力についてもそれなり以上に把握してるんでしょ、ってか顔近い」
クリスの顔を乱暴に押し返し、詩音は続ける。
「今の今まで姿を見せずに監視に徹していたとしても不自然に詳し過ぎる。その不自然も、君がそもそも僕が今この世界に居る原因に関わってる存在だとすれば納得がいく。それに加えてさっき原初の魔女を名乗ったのが決定打だよ。ただでさえ高度な空間系列の魔法或いは魔術。それを物理的距離に限らない世界間同士を隔てて成功させられる事ができるのなんて、それこそ化け物地味た存在だけだよ。だから、正に化け物地味た存在である君は関わってる所か僕をこの世界をに呼んだ張本人って事」
「やだ、この子察しが良過ぎる!」
落胆した様子でクリスは項垂れた。
その余りにも分かり易く、尚且つ模範的な落ち込み方に詩音は冷めた視線を向けながら続ける。
「だから、僕が知りたいのはその先だ」
「ん?」
「誰が僕を呼んだのかは、正直どうでもいい。重要なのは誰が呼んだかじゃ無くて、何故呼んだかだ。答えて貰うよクリストス・キスキルリラ」
真っ直ぐに。
逃さないと言う意思を込め、詩音は眼前のそれを見つめる。
「そっか。うん、そうだね」
クリスはぽつりと呟くと、再び詩音と対面する椅子へと腰掛けた。
「確かに、君にとって重要なのはそっちの方だね」
僅かに視線を下げ、クリスはそう零す。
「それじゃあ答えよう。私が君をこの世界へと招いた理由を」
下げていた瞳が上がる。
白黒の瞳で真っ直ぐに深蒼の瞳を見つめ返しながら、クリスは真剣な面持ちを浮かべる。
「私が君を呼んだ理由。それは」
ほんの一瞬。
有るか無いかの間を挟み、それは。
「――――――――君の顔が好みだったから」
屈託の無い笑みを浮かべてそう言った。
瞬間、詩音は再びヴォルフ・レクスの銃口をクリスの額に向けて引き金を絞った。
先と同じ様に、銃声が轟くと共に弾頭がクリスの頭を吹き飛ばした。
更には、床に倒れ込んだ身体に向けて更に発砲する。
血肉が飛び散り、外套越しに胸元に幾つもの銃創が刻まれた。
だが、その後は先程と同じ光景の再現だった。
鉄塊を撃ち込んだ身体も、風穴を空けた頭部も、動画の逆再生の様に巻戻り、再生する。
「あぁ、びっくりした」
何事も無かったかの様にクリスは身を起こす。
「…………やっぱ死なないんだ」
「だからそう言ったじゃん。って言うか、さっきから唐突に殺しに来すぎだよ」
「そっちが馬鹿げた返答寄越すからでしょ」
「馬鹿とは何さ! 私は本心から言ってるのに!」
「だから余計に腹が立つんだよ」
尚も銃口を突き付けたまま、詩音は冷めきった視線を送る。
対するクリスも、眼前の銃口など気にもしない様子で切り替えしてくる。
「だって、銀髪碧眼傷心系人格破綻男の娘とか最高じゃん! 最高以外の何モノでも無いじゃん! これを選ばないで他に何を選べって言うのさ! 157cmの44kgって何! ちっちゃいじゃん!華奢じゃん!めっちゃ可愛いじゃん! てか骨格とか身体付きとかが既に男のそれじゃ無いじゃん! 完全に女の子のそれじゃん! なのに男ってどう言う事よ! もうおっぱい揉ませろ! それか鼠径部舐めさせろっ!」
「…………………」
今一度、室内に銃声が鳴り響いた。




