98話 墜ちる翼
右手に雪姫を握り、周囲に六本の氷剣を展開してアディスへと猛進する。
大地が震える。
怪物は木々を雑草の様に薙ぎ倒しながら、矮小極まりない敵を迎え撃つ。
顎を開き、内部に膨大な魔力を現出する。
焔が灯る。
一撃で詩音を死の縁に立たせたあの黒炎弾だ。
「させるか、よっ!」
何時に無く凶暴な声で号令を下し、詩音は自身の周りに浮かべた氷剣を一斉に射出した。
青銀の尾を引いて撃ち放たれた氷剣は怪物の頭部に突き立ち、閃光を伴って炸裂する。
「⬜⬛□⬛⬜⬛□□■□□――――――!!!!!!」
絶哮が轟き、アディスは口内の魔力を霧散させながら、激しく頭を振り散らす。
しかし、目に見える損傷は無い。
一撃で家の一つや二つ吹き飛ばす氷剣の直撃を連続で受けて尚、怪物にダメージは無い。
そして、仕返しとばかりにアディスは咆える。
背鰭が白熱化したかの様に白く染まり、そこから幾条もの細い光の帯が放たれた。
針山の様に放たれた光帯は各々が途中で屈折して軌道を変え、詩音へと迫る。
「チッ―――――!」
憎々し気な舌打ちと共に詩音は空を駆けた。
迫る光帯の速度は尋常では無く。
弾丸を上回る速力のそれを縦横無く飛び回って回避を試みる。
だが、光帯は躱す度に屈折し、軌道を修正し詩音を追う。
魔力の密度からして、その威力は黒炎よりは劣るだろうが、それでも竜の耐性を貫通し得る致死の光だ。
回避を許さず、槍の様に命を穿ちに来る光帯を詩音は雪姫の刀身で切り払う。
だが、数が多い。
払い切れなかった二条の光槍が詩音の肩と横腹を穿く。
「ぐっ――ふっ…………!」
逆流した血液が口から吹き出る。
寒気が走る。
先程から血を流し過ぎた。
全身が氷に閉ざされた様に冷たく、唯一破断された腕の付近だけが灼熱を放っている。
両極端の感覚が気持ち悪い。
だが、そんな事を相手が考慮する筈も無く。
身体を貫いた光帯は屈折を繰り返して再び詩音を貫かんと迫る。
「っ――――!!」
無言の気合いで朦朧とする意識を叩き起こし、迫る二条を二閃を以て切り弾いた。
その直後、視界の端に炎が映る。
光帯を払い切った詩音に向けて、怪物の口から黒炎が放たれた。
「――――っ!」
翼で前身を覆い、盾にする。
だが、そんな物が意味を為すか。
黒炎が直撃し、圧倒的な熱量に全身が焼かれる。
それで肉が焼ける事はなくとも、灼熱の温度が精神を焼き焦がす。
衝撃が肉を裂き、骨を砕く。
盾とした四枚の白翼は、その一撃に耐え切れず千切れ飛び、飛行手段を無くした詩音の身体が落下する。
襤褸切れの様な有様で地面に墜ちる。
「―――――――――ぁ」
何かが切れた様な感覚がした。
意識がはっきりしない。
外の景色はっきり見えている。しかし、今自分が起きているのかどうか確信が持てない。
無い………
既に身体の痛みは消えた。音も寒さも熱さも、息苦しささえ感じない。
何も、無い………
残ったのは視覚だけ。
黒い怪物が迫るのが見える。
立たないと
此方への興味が失せれば、あれは妖精達の方へ行くかも知れない。
気持ち悪い
痛みも苦しさも感じないのに、只々気分が悪い。
吐き気を堪える気力など無い。けれど吐き出す物も無かった。
雪姫を支えにして身体を起こす。
脚の感覚が無い。否、全身の感覚を見失った。
自分が立っている事を自覚出来ないままに立ち上がり、アディスの方に視線を向ける。
怪物には何の外傷も無い。
対して詩音は既に――――。
動けない詩音に向かって、怪物が地面を鳴らして巨体を進める。
三度、顎を開き、その内に漆黒の焔を灯す。
その一撃は詩音の存在を、一片の欠片も残さず消し去るだろう。
だが、致死の黒炎が撃ち出される直前、
魔力が躍動した。
集約した魔力は膨大な量の水へと変わり、次いでそれは巨大な鯨の形を取ってアディスへと突撃する。
水属性高位攻撃魔法《暴虐の海王獣》
現存する水属性攻撃魔法の中でも最大級の破壊力持つ高位魔法。
「⬜⬛⬛□⬛□■□□――――っ!!」
水鯨はアディスの四分の一程度の体躯で必死にその首元へと噛み付き、黒炎の発射を妨害した。
それは詩音に取って予定外の援護だった。
―――――なん…………で………
駆け寄ってくる幾つかの人影。
先程逃げろと言って聞かせた妖精達が、揃って詩音の前に割り入った。
―――――何………やってんの………
そう言おうとしたが、声は出なかった。
「クレハ、シオンを連れて逃げろ!」
エリックが声を張る。
―――――逃げろ………? 違う……逃げるのは君達の方だ………君達が逃げなきゃ、意味が………………
必死の訴えは、やはり言葉になる事は無かった。
唯一機能する視界に、詩音を守る様に怪物と対峙する妖精達の姿が映る。
詩音はそれを、眺める事しか出来なかった。
■
立っているのがやっと、否、傍から見れば何故立っていられるのかと言う有様の詩音の身体を、クレハは腕で支える。
「シオン、しっかりして。ミユ、転移出来るだけの魔力が回復したら、直ぐにシオンを連れて跳んで」
クレハの指示にミユは即座に頷く。
その直後だった。
「⬛⬜□□■―――っ!!」
アディスの顎が、水鯨を捉えた。
巨大な牙の並んだ顎に噛み潰され、魔力で造られた水鯨が弾ける様に霧散する。
「くそっ、アリスの奥の手が碌な足止めにもならねぇ! クレハ、早く行け!」
「分かった。シオン、走るよ」
カインに促され、詩音の右腕を取り、肩を貸す様にして担ぐ。
そして、地面を蹴ろうとした時、クレハは気付いた。
―――――心臓が………止まってるっ
身を寄せた詩音からは、拍動が全く感じられなかった。
身体は氷の様に冷たく、蒼い双眼には僅かな光も宿っていない。
死―――――――
「そんな―――――――」
そう、クレハの口から悲鳴が零れ出たその時だった。
咆哮が轟き、視線を返す。
怪物が顎を開き、その内部に膨大な魔力を圧縮した黒い炎弾を生成する。
「まずいっ!!」
シャルロットが声を上げる。
離脱は間に合わない。
既にアディスの黒炎は発射体勢に入っている。
「っく!」
苦しい声を零しながら、アリスは早口に詠唱を口走った。
魔力が迸り、一同の周囲を半透明の水の防壁が覆う。
それだけでは無い。
シーナが風属性魔法を発動し、水壁の周囲を更に圧縮した空気の防壁が包み、エリックとシャルロットは同時に土属性魔法を使い、二重防壁に更に一時的な耐魔力と耐物理効果を付与する。
その間にカインは黒炎の相殺を試みようと炎属性の高位攻撃魔法を発動させる。
ミユの空間湾曲すらもその上に被せ、現状作り得る最大級の城壁を瞬く間に作り上げた。
だが、足りない。
本来なら高位攻撃魔法の直撃すらも容易く耐えるであろう多重防護。
それを以てしても、あの一撃は防げない。
全滅必至。
全霊の防衛策を講じながら、全員がそれを確信した。
その時だった、
「――――――」
クレハに担がれた詩音の左腕がゆらりと上がる。
「ぇ―――――」
小さく、クレハは声を零した。
依然、詩音から拍動は感じられなず、眼に光は無い。
呼吸を止め、心臓を停めながらも尚、詩音はその身を酷使していた。
そして、怪物が破壊を解き放った。
カインの放った高位魔法と黒炎の塊がぶつかる。
が、高位魔法の直撃を受けて、僅かな減衰も見せず、カインの炎を弾き飛ばして黒炎が迫る。
「―――――権能………解放…………」
そう、微かな詠唱が唱えられた。
同時に、クレハ達の眼前に巨大な氷の盾が出現した。
そして、氷盾が黒炎を真正面から受け止め―――――――
―――――瞬間、全ての音が掻き消された。
「――――――」
身体が宙を舞う感覚。
クレハは一瞬で平衡感覚を見失った。
烈風が全身を焼く。
黒炎は氷盾をいとも簡単に破壊し、漆黒の余波が妖精達の気付いた防壁を吹き飛ばした。
浮遊はその実、ほんの数秒の間だったのだろう。
しかし、クレハは酷く長い時間地面から切り離された様に感じた。
そして、全身を殴打する感触に息が詰まった。
地面に落ち、勢いそのままに転がる。
それで漸く天地を再認識した。
「―――――っ、あ――――っ―――」
全身に走る鈍痛にクレハは喘いだ。
息を吸う度に激痛が走る。
肋骨に罅が入ったようだ。
先の衝撃のせいか聴覚が上手く機能しない。
痛みに奥歯を噛み締めながら身を起こす。
そして、クレハは眼前の惨状を視認した。
黒炎の余波によって、周囲一帯は焦土となっていた。
草木も地面も黒く焼け焦げ、吹き飛ばされたあらゆる破片が雑多に転がっている。
そして、それ等に次いで視界に写った光景にクレハは息を呑んだ。
自身の左側、五メル程の距離を隔てた場所に転がる身体。
「シオ―――!」
叫ぶが最後まで言い切る前に息が詰まった。
だが、そんな事を気にしてはいられなかった。
全身の鈍痛も、肋骨から発せられる激痛さえも意に介す余裕すら無く、クレハは地面に横たわる詩音へと這い寄った。
酷い有様だ。
詩音の身体からは信じられない量の血液が流れ出ており、繋げていた左腕は再び千切れて、少し離れた地面に転がっている。
白銀の髪は自身の血と泥で汚れ、胸元からは折れた肋骨の尖端が肉を突き抜けて飛び出ている。
繋がっている腕や脚も、肉が裂け、抉れ、目も当てられない状態だった。
「ア、ァ、アリス――――」
悲鳴じみた、情けない声でクレハはアリスの名前を呼んだ。
アリスの治癒魔法でどうにかなるレベルを超えているが、それでもクレハは呼びながら姿を探す。
アリスは生きていた。
アリスだけで無く、シャルロット、エリック、カイン、シーナ、ミユ。
全員、生きていた。
クレハと同様に吹き飛ばされ、散乱する様に地面に転がっている。
だが、誰一人死んではいない。
全員がそれなりの負傷をしてはいるが、既に緩慢な動作で身を起こし周囲の状況を認識しようとさえしている。
それは、詩音の敷いた盾が黒炎の威力を大幅に減衰させた結果だろう。
だが、安堵する暇は刹那も無い。
早く治療を施さなければと、クレハの頭の中はそれでいっぱいだった。
「シオン―――シオンが―――――」
死ぬ。
詩音が死んでしまう。
そんな少女の悲痛な叫びを嘲笑うかの様に、大地が揺れる。
地響きと共に晴れた土煙の向こうから、怪物が此方を見ていた。
凶暴な八つの眼を向け、羽虫を見下す様にクレハ達を見ていた。
そして、再び地響きを鳴らして歩を進める。
真っ直ぐ、クレハ達の方に。
「―――――――ッ」
そして、再びあの黒い炎が燃え上がる。
今度こそ、この場にいる全員を肉の一片も残さず焼き払うつもりだ。
もう防ぐ手段も逃げる手段も無い。
クレハは半ば無意識に横たわった詩音の身体を護る様に身を呈する。
そして膨大な魔力が収束し、
―――――――――――――全てを燃やし尽くす地獄の業火が放たれた…………




