96話 胎動する災牙
―――――――――――――何も見えない。
―――――――――――――何も聞こえない。
視界は黒く染まり切り、聴覚は耳鳴りがする程の静寂に囚われた。
嗅覚すら機能せず、唯一触覚だけが生きている。
――――――あ………………
唐突に訪れた無感覚は、思考を蝕み、意識を呑み込む。
……………………………ぁ
消える。
暗い、暗い、闇の底へと自分が消える。
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………っ!
薄れる意識を無理矢理叩き起こして、詩音は感覚を失ったまま自身の腰に手をやった。
唯一残った触覚が、何かに触れた事を認知する。
柄。
見えないままにその物を理解する。
腰に差した雪姫の柄を握り、乱暴に鞘から引き抜いて技工も技術も無視して眼前の空間に向けて振り抜いた。
それで、世界が崩壊した。
振り抜いた雪姫の刃が闇に満たされた空間を硝子の様に破砕する。
喪失した感覚が蘇り、視界には光が、嗅覚には空気の匂いが、そして聴覚には背後の命の音が舞い込んでくる。
背後で息を呑む音がする。
それは妖精達が意識を取り戻した合図。
「っ……はぁ……」
いつの間にか呼吸すら止まっており、詩音は無理矢理に酸素を取り込む。
それは妖精達も同じ様で、全員が荒々しく息を切らす。
どうやら彼らの方は詩音以上に影響を受けてしまったようで、かなり疲弊していた。
ただ一人、クレハを除いて。
「み、皆、大丈夫!?」
クレハは慌てながら声を掛ける。
「あ、あれ………?」
「今、何が起こったんだ?」
「っ……何か、頭痛い」
各々、自身に起きた事が把握出来ずにいる。
そんな中、
「今のは、精神干渉………?」
一同の中で最も魔法の知識に長けるアリスだけは事態の内容を察した様だった。
そして、その予想は詩音のそれとも共通する物だった。
恐らくは以前、ギルの森の小屋でシーナと共に受けた物と同類の、しかし遥かに危険な魔法或いは魔術。
対象者の感覚から思考に至るまでを呑み込み、塗り潰す精神の剥奪こそが今の事象の正体。
「うぅ~……」
座り込んだまま、両手で自身の頭を抱えるミユの顔を詩音は膝を折って覗き込む。
「――――ミユ、大丈夫?」
なんとか呼吸を整え、不安がらせない為にも努めて平静なままに尋ねる。
「なんか、あたまの中がぐわぐわする………」
詩音や妖精達でさえ影響を受ける程の精神干渉。
幼いミユに負担が無い訳が無く。
寧ろこうして意識を保っているだけでも大した物だ。
そこは流石は野生の強靭さと言った所か。
そんなミユの頭を優しく撫でながら、詩音は言った。
「無理しちゃ駄目だよ。楽にしてて」
「うん………」
ミユは素直に頷くと詩音は視線を右へと移し、
「クレハ、君は何とも無いの?」
他の者と違い、これと言って消耗の様子が見られないクレハに訪ねた。
「え、あ、うん。急に辺りが真っ暗になって驚いたけど、それ以外は特には………」
「…………………そっか」
全員が未だに覚束ない挙動のまま、自身等の居る空間の様相を窺う。
扉の向こう、迷宮の最奥に位置する部屋は完全な暗闇だった。
詩音等の周囲を浮遊するラデウスの灯りだけが周囲の闇を照らすのみで部屋の全貌は全く解らない。
「……………」
エリックかカイン、どちらかが口を開こうとする気配があった。
だが、声が出る直前、突然入口から僅かに間を開けた石床の一点に、小さな明かりが灯った。
かと思うと、その明かりの隣に更に同じ様な光点が灯り、更にその隣に、と連鎖的に光が現れ出した。
光は弧を描く様な軌道で灯って行き、最終的には円形を成して始まりの光点の丁度向かいで止まる。
そして最後に、その光点達は一斉にその光量を増大させ、暗闇に閉ざされていた空間内を照らし出した。
室内は綺麗な円形をしていた。
扉や外の壁面と同系の黒色の石材で造られたそれはかなり広く、円の直径は三十メートル近いだろうか。
そして、その中心には巨大な球体が一つ、まるで祀られているかの様に鎮座していた。
直径は凡そ五メートル。
周囲の明かりを反射して光沢を発すそれは、水晶に類する物質と思われる物を素材としている。
そして、それ以外には何も無かった。
巨大な水晶玉の他には、柱も装飾も壁画も、何も存在しない。
まるで、この球体の為だけに造られた、そう思わせる様な部屋だ。
「………何だか、凄く嫌な感じがする」
シーナがぽつりと呟く。
詩音を含めた全員が同じ感想を抱いていた。
ただ広い部屋に水晶球が転がっているだけのこの空間が、どうしようも無く不気味に感じる。
だが、その原因を突き止めるよりも先に、その場の全員がある物を視界に捉えて目を見張った。
部屋の中止、鎮座する球体の側に二つの人影があった。
無駄に飾られた鎧を身に着けたそれは、紛れも無くカドニエルとウルタース両騎士。
いつの間にか一同の輪から抜け、球体の傍らに突っ立っていた。
「あいつ等いつの間に」
「一体何を?」
カインとシーナが疑問の声を漏らした直後だった。
二人の騎士は同時に己の腰から剣を引き抜くと大きく振り上げた。
眼前の球体を叩き切るつもりなのだと、クレハ達が察した、その直後。
乾いた銃声が立て続けに四回鳴り響いた。
同時に弾頭がカドニエルとウルタースの頭部へと疾る。
それを放ったのは言うまでもなく詩音だった。
二人が何をしようとしているのかを察した瞬間、詩音はあらゆる理屈や理論をすっ飛ばして第六感で感じ取ったのだ。
恐ろしい事になると。あの二人を殺してでも止めないと恐ろしい事になると。
直感してからの行動は速かった。
刹那の躊躇も無く両手で一対の銃、ヴォルフ・レクスを引き抜き引き金を絞った。
迅速に、正確に、両騎士の命を奪い取った。
――――――――筈だった。
「―――――っ」
頭部を穿つ五十口径の弾頭。それは間違い無く致死の損傷。
にも関わらず、二人は止まらなかった。
頭部に風穴を開けたまま、両手で掲げた剣が全力で水晶へと振り下ろされる。
硝子に亀裂が入る様な音と共に、二本の刀身が球体に突き立つ。
それが、厄災の始まりだった。
一瞬、まるで心臓が脈打つかの様に球体が拍動する。
次いで、一同のいる部屋、否、遺跡全体が激しく揺れ始めた。
「な、なに?」
「地震か!?」
誰かが声を上げる。
揺れは瞬く間に増大して行き、石造りの天井から巨大な石材が崩れ落ち始めた。
「くそっ。崩落するぞ」
カインの言葉の通り、このままでは直ぐにこの部屋は崩れ落ち、中に居る者は見な生き埋めになるだろう。
「ミユ、此処から外に全員を転移ばせるかい?」
詩音が問うとミユは即座に頷いた。
「う、うん。やってみる」
「よし、全員一箇所に固まって」
詩音の指示が飛び、全員が寄り固まるとミユは直ぐに空間転移を行おうとする。
だが、転移が発動する直前、
「待って!」
不意にクレハが声を上げ、視線を部屋の中央へと向けた。
それに習い全員が目線を動かす。
移した視界に異様な光景が入って来た。
亀裂が全体に走った水晶球。
その亀裂から黒い、触手の様な物が伸びていた。
それはまるで意思を持つかの様に蠢いており、そしてその先端は直ぐ側で糸の切れた人形の様に倒れているウルタースとカドニエルの身体に繋がっていた。
黒い蔦が二人を引き寄せ、その身体が水晶の表面に触れる。
と、触れた部分からまるで粘りのある油の中に沈むかの様に二人の身体は水晶の中へと取り込まれ始めた。
「駄目っ!」
叫び、クレハは駆け出した。
「ク、クレハ!」
アリスが咄嗟に呼び止めるがクレハは風の様に二人の元へと走って行く。
「っ―――――」
必死の形相で呑み込まれて行く二人に手を伸ばすクレハ。
だが、間に合わない。
クレハが到達する前に、二人の身体は完全に水晶へと呑み込まれてしまった。
そして、人間二人を呑み込みながら、まだ足りないとばかりに黒い触手はクレハにその矛先を向けた。
「っ!」
クレハに向かって、幾本もの触手が伸びる。
捕まれば間違い無く二人の様に水晶に呑まれるだろう。
だが、うねりながら襲い掛かって来た触手達とクレハの間に唐突に詩音が身を踊らせた。
迫る触手の全てを雪姫の刃が切り刻む。
「シ、シオン」
驚き、名を呼び零すクレハ。
しかし詩音はそれに何か答える時間も惜しいと言うように無言で雪姫を鞘に収めて振り返ると、有無を言う間も与えずにクレハを横抱きに抱え上げた。
「え、ちょ、ちょっと!」
声を無視して詩音はクレハを抱えたまま皆の元に走り出した。
「ま、待って! まだあの人達が!」
呑まれた騎士二人を助けようとするクレハに、漸く詩音は、
「もう死んでる」
と、走りながら淡々と告げた。
その直後。
詩音は唐突に脚を止めた。
次いで、詩音とクレハの眼前の床に巨大な亀裂が走り、石畳が崩れて巨大な穴が空いた。
「シオン! クレハ!」
対岸からカインの声が聴こえてくる。
崩落は刻一刻と悪化して行き、最早一刻の猶予も無い。
しかし穴は部屋の端から端まで広がっており、対岸までの距離もかなりある。
クレハを抱えたまま飛び越えられる保証は無く、かと言って降ろして個別に跳ぶだけの猶予も無い。
そう判断した詩音は、
「カイン!」
強く、名前を呼んだ。
次いで、クレハの襟元を掴むと、
「え、ちょっ!」
声を上げる彼女を無視してその身体を対岸のカイン目掛けて背負投げる様にして投擲した。
「うぉっ!」
カインの方からも驚愕の声が上がるが、それでも両腕を広げてクレハの身体をしっかりと受け止めた。
そして、
「ミユ、転移んで!」
詩音が再び声を張る。
有無を言わせぬ声音に、ミユは半ば反射的にその身に宿した世界への干渉権限を発動した。
膨大な魔力が風となって迸り、空間が組み変わる。
ミユの認識を基点として、世界の一部が組代わり、 妖精達全員が空間を跳躍した。
直後、迷宮の最奥たる部屋は限界を迎え、崩落する石材と土砂によって埋め尽くされた。
■
視界が切り替わる。
クレハ達が転移したのは、遺跡の手前。
森が途切れ、木々が開けた平地だった。
転移前の位置関係をそのままに、クレハ達は無事地上へと脱出していた。
しかし、そこに詩音の姿は無く。
「シオン!」
その事を認識したクレハは声を張り詰めて名前を呼び、揺れる地面を蹴って遺跡へと駆け戻ろうとした。
だが、数歩と走らぬ内に遺跡の地上部分が轟音を立てながら盛大に崩壊した。
地響きと共に土煙が舞い上がる。
恐らくは最下層から地上部分まで遺跡全体が無惨に崩落したのだろう。
「シオン!」
揺れが収まり、土煙がもうもうと立ち込める中、クレハは再び詩音の名を呼ぶ。
他の妖精達も急いで瓦礫の山へと駆け寄ろうとする。
だが、再び地面が揺れ始めた事で脚を止めた。
「こ、今度は何!?」
アリスが声を零す。
震源は眼前の遺跡跡から。
だが、先程の物とは揺れ方が異なる。
遺跡全体が揺れ崩れるのでは無く、何かが地下から上がってくる。
積もり積もった瓦礫を無理矢理に押し退けて白い影飛び出した。
竜の白翼を広げて飛翔したその影は紛う事なき詩音だった。
その姿を捉え、全員が安堵の余りに声を零す。
しかし、直ぐに妙な事に気付いた。
揺れが、収まらない。
瓦礫の山を突き抜けて脱出した詩音とは別の何かが地下から迫ってくる。
再び、瓦礫の山が崩れて行く。
完全な球形、亀裂の走った表面。
姿を現したのは、迷宮の最下層に鎮座していた件の水晶球に他ならない。
水晶球は石片を退け、その全容を晒しても尚止まらずに上昇する。
空中高くまで上昇し、停止したその様はまるで巨大な卵の様だ。
だとすれば、この後起こる事は――――――――――
「か、孵る……………?」
その姿にクレハが思わずそう零した時だった。
巨大な球体が心臓の様に拍動したかと思うと、次いで強烈な閃光を迸らせた。




