94話 紛い物
クレハの声が闇に呑まれ、それと入れ替わる様に闇の中から全容を表したのは二つの人影。
片方は真っ白な長衣に身を包んだ、白銀長髪の少女、否、少年。
そしてもう一方は、相方とは逆の漆黒に染まった長衣を纏い、アメジストの様に深く美しい黒紫の髪を揺らす少女。
「ボク達………だね」
再びクレハが声を零す。
その言葉の示す通り、二人の眼前に現れたのは他でもないクレハと詩音、自分達自身だった。
「うん、見た感じ」
良く言えば普段通りの、悪く言えば緊張感の欠ける口調で応じる詩音。
「偽物、だよね? 幻覚かな、あれ」
「うーん、どうだろう。急に現れたし、それも有り得るけど。案外、今君の隣にいる方が偽物で、あっちの白いのが本物かもよ?」
「あ、その言い方は本物のシオンだ」
そんな、どうにも気の抜けたやり取りを交わした直後だった。
眼前の紛い物達がばね仕掛けの人形の様な唐突な動きで、詩音達へと飛び掛かって来た。
余りにも唐突。おおよそ人の動きでは無い強襲。
それに、詩音とクレハは危なげ無く対応して見せた。
詩音が白柄の長刀を二丁の銃剣で受け止め、クレハは黒剣に己の黒剣を合せて阻む。
衝撃音が広間に響き、四者の動きがその場で留まる。
「…………固まってるとややこしいし、一端離れよっか」
長刀を抑えながらの詩音の提案にクレハは「了解」と応じると、エリュクシードを大きく薙ぎ払い自身の紛い物を弾き飛ばした。
―――――相変わらず凄い膂力だなぁ
クレハの筋力値の高さに感心しながら、詩音は受け止めていた刀身を流して眼前の紛い物の腹を蹴り付ける。
一時的に距離が空く。
―――――ふぅん。やっぱり、似せてるのは見た目だけか。《HAL》、何か解る?
『対象表面に魔力の循環を確認。生命反応無し。外観偽装を施した自律稼働端末と推察されます』
脳内の推測に詩音自身も概ね同意する。
あの紛い物が真似ているのは外見のみだ。
動きは速く、しかし単純。武器に関しても本物の雪姫には到底及ばない。
そうでなければ今頃詩音の持つ二丁の銃は銃剣ごと真っ二つに叩き切られていた事だろう。
再び、紛い物の自分が張りぼての雪姫の切っ先を向けて突っ込んで来る。
速くはあるが単調な刺突。
それを詩音は右手の銃剣で逸すと同時に回るように身を捩って流した。
そして振り向き様に、勢い余って身を崩した紛い物の胸に左の銃剣を深々と突き立てた。
異様に黒い腐った血液が、傷口から流れ出る。
―――――やっぱ死体か。屍人の類いと言うよりは、死体に魔術を被せた人形って所か。
恐らくは魔物の類いでは無く、この部屋に仕掛けられた魔術によって作り出された対人様の罠。
自身に瓜二つの姿を取らせる事で、此方の動揺と混乱を狙った物だろう。
――――――で、元が死体なら
長刀が上がる。
詩音の首を切り飛ばさんと、贋作の神刀を振り上げて切り掛かる。
そうだ。
元より死んでいるのならば、心臓を突いた程度で止まる道理は無い。
迫る刃を、詩音は突き立てたままに拳銃を手放して回避する。
そして、空いた右手で空振った紛い物の腕を掴み、背中側に回して肘と肩の関節を極めると、
「よっと」
少々軽い気合いの声と共にその右腕を折り壊した。
骨が折れ、関節が千切れる音と共に紛い物の腕肉が裂けて腐った血が迸る。
だが、死体は止まらない。
心臓を潰しても止まらないのだ。腕の一本もいだ程度で怯む筈も無く。
『頭部に稼働中枢と思われる魔力源を探知。確実に機能停止させるのであれば頭部の破壊を推奨』
《HAL》の進言に「了解」と声に出さずに返答する。
紛い物は残る左手を翳し、詩音へと掴み掛かるが、手が身に掛かるよりも速く、詩音は銃剣でその掌を貫き動きを封じると、そのまま引き金を絞った。
反響する乾いた炸裂音と共に零距離から放たれた五十口径の弾頭が紛い物の左手を跡形も無く吹き飛ばす。
そして、両手を失った紛い物の胸元から片割れの拳銃を引き抜くと、その銃口を額へと向け躊躇無く引き金を引いた。
二度、火薬が炸裂して巨大な鉄塊が紛い物の額を穿つと、その身体が力無く崩れ落ちて床に転がった。
更に詩音は、仰向けに倒れた紛い物の顔に念の為と更に三発撃ち込み、何の反応も示さない事を確認すると踵を返した。
―――――自分と同じ見た目の奴を撃つってのは、遣りやすくて良いな
そんな事を胸の内で呟きながら、クレハの方へと視線を向ける。
黒衣を纏った両者の戦いは一方的とまでは言わないが、それでも詩音からすれば安心して見ていられる物だった。
紛い物が振るう贋作の黒剣を、クレハはよく見て確実に躱している。
やはり、紛い物の動きは素早くはあるが剣術と呼べる物では無く、ただ速いだけの棒振り。
そんな物にクレハが遅れを取る筈も無く。
甲高い金属音が響く。
クレハの黒剣、《エリュクシード》が贋作の剣を真っ二つにヘシ折った。
そして、そのまま返す剣で紛い物の身体を袈裟切りに捉える。
深々と身体を切り裂き、腐血が流れ出るその様は見るからに致命傷。
紛い物の膝が折れ、石畳の床に崩れる。
その様に決着を確信したか、クレハは剣を下ろした。
が、
「っ!」
膝を着いた紛い物が、最初の時と同様に唐突な動きで飛び起きて折れた剣をクレハへと振り翳した。
先とは違った完全に不意を突いた奇襲。
反射的に己の剣で受けの姿勢を取ろうとするクレハだったが、それよりも速く詩音は引き金を引いた。
銃声が響き、放たれた弾頭は正確に紛い物の米噛みを撃ち抜く。
そして、ニ発、三発と立て続けに頭部に弾頭を撃ち込むと、紛い物は血と肉片を撒き散らしながら床に伏して今度こそ動かなくなった。
「油断大敵だよ、クレハ」
そう言いながら倒れた紛い物に歩み寄り、心臓にもニ発程撃ち込む。
「よ、容赦無いね…………」
その徹底振りに思わずと言った様子でクレハが零した。
「する理由も無いからね」
淡々と詩音が返した直後、紛い物の体表が蝋の様に溶け出しそれまでクレハの姿を模っていたそれは瞬く間に腐敗し欠損した死体へと変わった。
先程まで詩音が相手にして物も同様に。
室内に再び静寂が戻る。
「……………さてと。また同じ様なのに沸かれても面倒だし、早いとこ先に進もうか」
銃の弾倉を換えながら詩音は通路の方に目をやった。
「あ、うん」
頷くと、詩音は銃を手にしたまま歩き始めた。
その後に続こうとしたクレハは、もう一度壁に描かれた怪物の姿を仰ぎ見る。
蛇の様な姿のそれは、壁に彫られただけの物だと言うのに訳も無く不安が湧き上がる不気味さを醸し出す。
「クレハ?」
歩みを止めた詩音に名を呼ばれ、クレハはハッとして我に帰った。
「ごめん、直ぐに行く」
内心に感じる不安を呑み込み、クレハは詩音の後を辿る様に通路へと歩み始めた。




