バイトと瞑想
「尚宏はもともと根性が無い。」
と、よく言われてきた。親にも言われ、友人にもたまに言われることがあったので、「いつか誰よりも根性のある奴になってやろう」と思っていた。3歳でお別れすることになった母親の血を半分ひいてるせいか、根性は無いが「しつこさ」にかけてはひそかな自身があった。両親離別後、父に育てられたのだが、その父がよく言っていた。
「とにかくお前の実母はしつこかったよ。別れても色んなところに現れて追いかけてくるから何度も引越しをしたんだ・・・。」
根性が無くてしつこい。こう言うと、ひどく悪い性格のように聞こえるが、
『あまりとらわれないで、長期的に取り組めるタイプ』
と言えなくもない。年を重ねるにしたがって、自分の長所を素直に認める作業が出来るようになるものだが、若い頃はなかなか
『自分の性格を矯正しようという野望』
もなくならない。ケンカに強く、女性の扱いにも長け、頭脳明晰で、優しさも兼ね備える・・・・。そんなジェームスボンド(古いか?)か、理想の人物像を勝手に妄想しつつ、人生バラ色だと信じ、人は20代を終える。やがて、どうにもならない社会の矛盾や、自己保存のみに生きようとする大多数の大人達の仲で、もまれ、暮らすうちに、周りと同化していくか、アウトロー宜しく出る杭として打たれながらも、世の中に主張していくタイプとに分かれていくのかもしれない・・・。
高校は2年生を2回やって、その夏休み目前、担任に呼び出されて
「残念だが単位が足りない。留年は同学年2回までだから、もう君は明日から学校に来なくてもいい。・・・残念だけど。」
と言われ、当時愛読していた漫画「トーイ」(当時としてはかなりなおしゃれな画風のパンク系音楽漫画。上条敦作。)の主人公にでもなったつもりで
「そうですか。じゃあセンセー、サヨナラ。」
と、風のようにスマートに生きる第一歩だ、なぞと勘違いしつつ校門を背にする自分に少し酔っていた気がする。
当時マクドナルドの深夜アルバイト自給750円につれられて夜中の10時くらいから朝の5時くらいまで『労働』していて、そのおかげで当然学校に行く時間には家で熟睡していることが多く、単位不足の結末を迎えることになった。
バイトも色々した。中学卒業と同時に高校入学式も待たずに、15歳数ヶ月の身分で、ファーストフードの寿司屋に始まり、レンタルレコード店員、スーパーでのレジ打ち、土建屋、コンビニ店員、などなど、19歳の時にはすでに10個以上の仕事を転々としていた。親父は
「ちゃんとしろ、手に職つけろ」
とうるさかったが、どこ吹く風と聞き流していた。そのしわ寄せはその後『若者』と呼ばれなくなる20年も後に切実にのしかかってくるのだが、この頃の若者特有の無謀なほどに暴走できるエネルギー一杯の尚宏にとって、普通にお金を稼いで不満なく生きることが、なんだかとても陳腐に思えてならなかった。
そんなこんなで、高校を中退して、日中の時間が全て自分のためだけに使えるので、バイトも社会人並みににできる、お金をより多く稼げて、遊ぶ金に回せる、ことが嬉しかった。
色々な部品にメッキを塗るときに使う「引っ掛け」という、プラモデルでいう「バリ」のようなものの、でかいのを作る会社で、働いていた。一日中室内で金属の棒に、金具を取り付ける作業をするのだが、すわり仕事も多く、今考えれば一年くらい続いたのも、それ程ひどい労働環境ではなかったせいもあるだろう。いや、案外よかった気がする。
8時間近く働いた後、ヤマハのスクーター 黄色の「ジョグ」で、杉並区の職場から、お隣の板橋区の「時山塾」に向かう。環状七号線を北へ向かい、いくつかの細い路地をぬけると、新しくも古くも無い住宅地の真ん中に時山塾がある。
家賃10万円前後で、一軒屋を借りて、時山塾長とその子ども二人、小学校一年生の女の子と、まだ未就学の男の子と暮らしている。さらに塾長を尊敬し、弟子入り志願の17歳くらいの個性的なやたら明るい女の子が常時、その家に暮らしていた。夕方から夜にかけて、学校やバイト、あるいはその両方を終えて、家に戻る前に皆この時山塾に集まってきて、飯を食ってから、各家々や下宿に戻る。当然家に帰る頃は夜もとっぷりとふけている。ひどい時は日付が変わっていることもしょっちゅうである。17歳の塾に住み込みの女の子は「リエ」と呼ばれていて、女性陣の仲では、一目置かれていた。まぁいわば内弟子のようなもので、深い見識を持つ塾長と長くいることで、ちょっとだけ一目置かれていた。性格も女の子なのに「男っぷり」がいいので、誰にでも好かれていた。
女子高校に通っていた時は、やたら女の子からラブレターが舞い込んできたという話を聞いた時は、なるほどな、と妙に納得させられた。大体塾で出る食事は彼女が中心になって作っていた。入れ替わり立ち代りやってくる塾生はそれでも20人ほどもいただろうか。なかなかの賑わいである。
普通に生活していた尚宏にとって、同世代の年上や年下がいつも一緒に夕ご飯を食べるという、不思議な空間は見たことも無く、非常に新鮮だった。しかも塾長のコンセプトはちょっとアナーキー?反骨?今の教育や社会に対して痛烈な「ダメ出し」を常にのたまう。両親が幼いうちに離婚し、高校も中退していた尚宏にとって、そのお言葉は誰よりも強く優しく自分のことを肯定されているように感じ、・・・事実今まで生きてきた、めっちゃ、つまらない社会よりも、はるかにこの塾内では歓迎されていた・・・『生まれて始めて』と感じられるくらいの喜びに包まれていた。「仲間、『同士』と出会えた!!」と思った。
霊的なことの一般的なお勉強のために宗教教団めぐり?をしていた時の時山塾ではその「技」、習い覚えてきた事を、塾に戻って、みんなが集まったときに実践しあっていた。先ほどの文明教団の時は例の「手かざし」だった。
さらに今、同時進行的に流行っているというのか、塾内ブームなのが、「TM」という、マイケルジャクソンや、世界の著名人もやっているという噂のインド発祥の最新式瞑想法だ。
夕方の6時くらいから、(季節にもよるが)日が暮れ始めるのに合わせて、30分ほど体をほぐす体操から、それは始まる。各自が自分のペースで8畳ほどのさほど広くも無い部屋で、時には隣の人とぶつかり合いながら行い、一連の体操(簡単なヨガ体操とでも言おうか。)を終えてから、部屋の明かりを一番小さい豆球一つにして、やっと人影が見えるくらいの明るさにする。
各自あぐらもしくは半跏趺坐か結跏趺坐で据わる。片手で鼻を押さえて、両鼻孔から交互に息を出し入れする特殊な呼吸法で精神の状態を落ち着けていく。経験年数や、本人の状態、意識レベルや性格により、そこからとりあえず無意識のようなものを目指して瞑想していく。目的は『神様的意識』との一体化だ。
まぁどこの宗教でも大体同じような認識だと思うが、人間の祖先をたどれば神様に行き着いて、一人ひとりの心の奥底というのは、一番始まりの根源の神様の意識と直結していて、己の殻、体、私の意識(いわゆる我、エゴ)さえ無くす、消す、忘れることができれば神様と常に一人ひとりがつながっているという大安心感に包まれて、歓喜の中で生きていけるという。有史以来幾多の賢哲や聖人君子が表現してきた世界・・・。志ある者は皆その境地を目指し、多くはその感覚に至れず、普通の欲に翻弄される人生を送って、人生を終え、また転生して、同じ境地を目指すという。その中から一握りの「神に選ばれし者」なのか、ある一線を明らかに超え、平安の世界へ入り込める達人たちがいた。
物質文明が著しく進み、『神様』という表現を多くの人が忘れ去った現代でも、いや、そういうモノがあふれて心が見えない時代だからこそ、そういった心の奥深く入っていく方法やワークショップ、ツールがもてはやされるのだと思う。
おおむね薄暗くしてから、20分~30分くらいで瞑想を終える。
一人でやるよりも数人で行う方がより深い意識状態に入りやすいということから、時山塾でも、朝と夕方に来れる者が集まって瞑想をするようになった。
普通の状態だと静かな照明のなかで、寝ぼけたような状態で、20分は過ぎていくのだが、調子がいいと、あっという間に20分が経過していて、その間の意識が全く無かったりする。眠っていたのとは明らかに違う、瞑想に入った時と、終ったときが一瞬でつながっていて、その間の意識が全く無い。でも時間は明らかに経過している。
尚宏の場合調子が良くても悪くても瞑想とか、独りで静かにしていると耳鳴りのような音が常に聞こえてくることが常にあった。子供の頃からずうっとあることなので、気にもしていないが、ひょっとすると目に見えない地球~宇宙のエネルギー・・・『精妙な周波数の音』を感じているような気がする。たまに同じ音を感じている人と出会ったりもするし、いい感じの精神時様態でないと、聞こえないので、悪いものではないだろう、いいものだろうと思うようになった。
「瞑想って面白いですねー。」
瞑想からさめて、まだいくぶんぼんやりとしたリラクゼーションの心地よいけだるい状態で尚宏が話しかける。
「面白いでしょう。年数を長くやればやるほど深い状態に入りやすくなって面白い体験ができるようになるみたいですよ。」と、時山氏。
「宇宙意識と出会ったとか、光に包まれたとか、人によって色んな話を聞くから。・・でも共通しているのが神様的な意識というのは、優しい、暖かい、圧倒的な光であるということ。インドの瞑想も色々な流派があるけど、気をつけないといけないのはエゴをもったまま、瞑想で高い意識になろうとか、人よりえらくなろうとか思ってると、ヨコシマなエネルギーと感応してくるという事。日本で言えば、邪霊に憑依される、という表現があるけど。とにかく自分を捨てる、手放す作業を繰り返すことによっていい方向に行くみたいなんだ。あとは日常生活の中での、明るさとか、純粋に楽しむ感覚を大事にする事も必要らしいね。つらい苦しいを自ら進んでやるな、という教えが、結構よく言われている。昔のインド界隈の自分を傷つける苦行とかはエゴも同時に大きくなっていって結局何にもならない、普通に生活している人の方が安定した心をもっている、何てこともよくあるみたいだね。
日本の神道では神様から発生した苦労はありがたく受け取って、対処していくのが本当の修行になるそうで、苦行フェチとでも言おうか、自分から苦行ばかりを求めるな、と、注意されているね。」
「へー・・・。難しいもんなんですね。ただやればいいってもんじゃないんですね。」
「そうそう。まー難しい話はこのくらいにして晩御飯食べていって下さい。」
「有り難う御座います。大勢でご飯食べるのって楽しいですよね。」
「昔は当たり前のことだったんだけど、共同体というか、家族というカタチがどんどん壊されていって、今の文明国の有様だから、僕達はそういう『古くて大切にしないといけないモノ』も再確認して取り戻していきたいよね。」
「リエさーん、今日の夕食はなんでしょー?」
親しげに時山氏が台所で、食事の用意をするリエに尋ねる。
「自然食屋のルーを使った野菜シチュウでーっす。」
「おおー。嬉しいねー。」
スプーンと食器の奏でる「カチャカチャ」の音と、湯気と明るい照明と狭い部屋に大人数の楽しい夜ご飯タイムはつつがなく進んでゆく。