第八話 キティーの魔法
「──昨日はありがとうございました」
「いえいえ」
頭を下げるマリーさんにそう返した俺は、門の近くにあるロコの石像を見上げた。
何度見てもよくできており、先祖がどれほど彼女に感謝していたかよくわかる。
マリーさんとの食事会の翌日。
この村で留まる理由はなかったので、俺は彼女に教えてもらった町に行くため、村の前まで来ていた。
見送りにはマリーさんがいて、こうして別れの挨拶を交わしている。
昨日の時点で、レックスに関しては冒険者ギルドに報告しに向かっているらしい。そういった事態を想定していただろうとはいえ、その迅速な対応は驚きだ。
「今朝もレックスを拘束し直しましたが、大丈夫でしたか?」
「はい。あそこまでしっかりと縛られているのなら、脱走する事はできないと思います」
そう告げたマリーさんは、なにか言いたげにこちらを見つめた。
しかし、それを言葉にするのは止めたのか、首を振って微笑む。
……大まかには、見当がついている。
昨日キティーが言っていた内容が正しいのならば、マリーさんにはロコの血が流れているのだろう。
なにがどうなってロコの血を手に入れたのかは知らないが、事実としてそうなっている。
なぜ、俺がその話を素直に信じられたのか、といった疑問も当初は浮かんだ。だが、それも俺とロコとの関係を考えれば自ずと納得ができるだろう。
俺とロコが繋がっていて、マリーさんとロコも微弱ながら繋がっている。
つまり、俺とマリーさんも、間接的には繋がっているのだ。
本当に微小なほどなので、気づかれない可能性もあるにはあったが……彼女の様子だと、それはなさそうである。
とはいえ、マリーさんが尋ねなかったように、理性面がロコと俺の繋がりを戸惑っている。
偉大なる竜神様が、どことも知れない旅人の従者であるはずがない、と。
結果として、彼女は真実を明らかにするのを拒んだ。
竜神様を強く信奉しているからこそ、その偶像が壊れるのを恐れて。
大半は俺の推測だが、概ね間違っていないだろう。
「ふぁぁ……」
「ようやく起きたか。おはよう」
「ふぁよう。起き抜けに一杯、蜜を持ってきなさいー」
「無理だ。俺達はこれから、町に向かうんだから」
「えー!? あたしの優雅な朝食はどうなるのよ!」
「起こしたのに寝てたお前が悪いんだろ!」
嫌だ嫌だと駄々をこね始めたキティーを見て、キョトンと目を点にしたマリーさん。
しかし直ぐに口元に手を添えて微笑み、どこか穏やかな雰囲気を漂わせる。
どうやら、図らずもキティーの行動のおかげで、マリーさんの心が少し晴れたらしい。
これがキティーなりの気遣いなら、素直に感謝できるのだが……彼女に限って、そんな繊細な真似ができるわけないだろう。
いまだ数日程度の付き合いだが、そう思えるだけの性格は見てきている。
「ふふっ。お二人は仲がよろしいですね」
「ふふん、まあね。こいつはあたしがいないとなんもできないから。まあ言わば、あたしの子分みたいな感じ?」
「勝手に子分にするな」
「細かいことは気にしない! 雄ならもっと懐を広く持ちなさい」
「はぁ……それでいいよ。だから、大人しくしててくれ。じゃあ、自分はもう行きますので」
「あ、はい。お気をつけて」
頭を下げてきたマリーさんに手を振った俺は、目が覚めたのか元気なキティーと話しながら、村を後にするのだった。
♦♦♦
「──それにしても、いい天気よねぇ」
「そうだな」
キティーに頷いて見上げると、抜けるような青空が視界に広がった。
それなりに雲があるため快晴とは言えないが、頬を撫でる暖かな風を思えば、非常に過ごしやすい気温となっている。
現在、マリーさんと別れた俺達は、街道沿いに歩いていた。
両脇には草原が敷き詰められ、遠くの方では森が生い茂っている。
とりあえず、このまま進んでいれば、お昼前辺りで町にたどり着くはずだ。
そこは言わば一種の交易都市のようで、かなり栄えているらしい。
目覚めてから初めての町のため、実は密かに楽しみしている。
《──》
「ん、おはよう。調子はどうだ?」
《──》
「なるほど。悪いな、ロコ。お前のところに行けなくて」
「なに、ドラゴンと話してんの?」
「そうそう。マリーさんから渡されたこれを早く見せなきゃいけないしな」
マリーさんから貰った肩掛けの革鞄を軽く叩き、肩をすくめた。
鞄の中にはハンドタオル等の日用品がいくつかと、彼女から受け取った手紙が入っている。
村から町へと早馬を出してはいたが、その報告書が届く保証はない。
途中で事故に合う、盗賊に殺される、魔物の餌食になる……それこそ、候補を上げていけば、枚挙に暇がない。
町に行く途中で人間の死体を見つけてしまう、なんて事態が起こる可能性だってあるのだ。
「まあ、流石にそんな事にはならんと思うけど」
「なんか言った?」
「いや、なんでも。とにかく、レックスの処遇を早く決めるために、この手紙を届けなければな」
「あの人間って、町でも顔が利くのね。ただの村人……って言うには、竜巫女という職業が仰々しいけど」
「まあ、ロコを信仰している村だからなあ。あとは、あの山を管理している村が町にとっても重要なんだろ」
現在ではわからないが、あそこには貴重な素材が沢山あった。
霊薬の元や珍しい植物等々……色々と、俺も重宝していた。まあ、俺がそういった素材を採取しても、知り合いに売るぐらいしか使い道がなかったが。
「ふーん。管理とか面倒そうねぇ……あら?」
「どうした?」
「ねえ、あそこ。人間が襲われてない?」
キティーが指さした先を見据えると、遠くの方で土煙が立ち昇っていた。
ロコの竜眼に切り替えて目を細め、詳しい様子を窺う。
「本当だな。馬車が魔物に襲われてる。俺が見た事のない種類だが」
種別は狼型で、大きさは人間の胸ほど。遠目からなので憶測だが、そう大きく間違ってはいないはずだ。
身体の色は黒で瞳が赤く、その魔物が複数で馬車を攻撃している。
似たようなタイプでウルフ系のモンスターを知っているが、それ等とは身体の毛並みや顔の形が違う。
俺が封印されている間に、元のモンスターから派生して進化した種族、といったところか。
応戦しているのは、鎧に身を包んだ男達。
堅実で型に嵌った動きをしている事から、彼等を騎士かそれに近しい存在だと仮定。
それにプラスして、騎士ならあるはずの所属を示す紋章がないため、恐らく商人か貴族辺りの護衛団といったところだろう。
「あーあ。黒影狼に狙われるなんて運がなかったわねえ」
「キティーはあいつらの事を知っているのか?」
「まあ、割かし有名じゃない? そこに見える森があるでしょ。あそこは“世界樹の森”って言われているんだけど、そこにしか生息していない魔物ね」
「となると、あの森から出てきて、人間を襲っているわけか」
「そんなところでしょうね。でも、変ね。黒影狼は森の中から出ないのだけど」
小首を傾げているキティーをよそに、俺は彼等を助けるか決めあぐねていた。
別に助けたくない、というわけではない。
見ず知らずの他人だからと言って、冷酷に切り捨てるほど薄情ではないつもりだ。
しかし、なにも考えず手助けに向かうほど、人間ができているわけでもない。
そもそも、既に手遅れなような気もしているが、下手に目立つ真似を取るのは早急であろう。
……まあ、長々と考えたのだが、結局のところ、俺が魔物に肩入れしているだけなのだが。
魔物を遠くから見ていると、彼等の攻撃に必死さが含まれている気がするのだ。
ただ単に人間を襲いたいのではなく、なにかしら理由があっての事。
この世は弱肉強食なため、それで殺られるのは仕方ないと思う。
だけど、魔物達の事情を全く考えないで、直ぐに敵対するのも間違っている。
となると、俺がするべき行動は──
「キティー。あの魔物達をこっちにおびき寄せられるか?」
「まあ、できなくはないけど。それをあたしがしてあげなきゃいけない理由は?」
「……町でお金を得たら、お前の好きな物を買ってやる。それで手を打ってくれ」
そう告げると、キティーはにんまりと口角を上げる。
「交渉成立ね。まあ、あたしにかかれば楽勝よ。任せなさい!」
くるりと空中で一回転した彼女は、左手を掲げて空中に魔法陣を描く。
三つの紋様が現れ、それ等が複雑に絡まっていき、やがて立体的な球体に変化。
淡く光る魔法陣を手中に納めると、キティーはそれに魔力を込める。
変化は、劇的であった。
あれだけ執拗に馬車を襲っていた魔物──黒影狼達は、耳を鋭く立てて動きを止める。
しばらく辺りを見回していたが、なにかに気がついた様子で、一斉にこちらの方に顔を向けた。
「……まさか、この距離でか。なんの重紋を描いた?」
「『望遠』『隠密』『誘惑』の三つね。これで、あの人間に悟られないで、あの魔物だけがこっちに来るわ」
呼吸をするように三重紋魔法を使ったキティーを見て、俺は流石だと感嘆の思いを深めた。
重紋魔法は組み合わせによって、魔法を発動するのが加速度的に難しくなる。
特に、射程を変える距離関係と、相手の精神状態を弄れるタイプの紋様は、使える人間はかなり限られていた。
そんな常人では難しい重紋を使うとは、やはりキティーは侮れない。
「ありがとうな」
「ふふん。ま、頼まれたことは成功させるのがあたしのモットーだし?」
「はいはい。それじゃ、事情聴取といきますか」
ドヤ顔で胸を張るキティーに苦笑いしつつ、俺は街道を外れてこちらに近づく魔物を待ち受けるのだった。