死んでも貴女と一緒にいたい
いつも通り学校の廊下の端っこを歩いていた。影も存在感も薄い僕はすれ違う同級生に存在さえを認識されていないんじゃないか、とか思ってしまう。
「達巳くん」
よもや自分が女子に呼ばれたとは思いもよらず、無反応で廊下を進み続ける。
「達巳くん、だよね?」
腕を引かれた勢いで思わず振り向くと、クリクリの瞳で僕を見上げる女の子がいた。
「あ、あの、誰かと…間違え…」中指でメガネのブリッジをあげたり視線をウロウロさせたり、キョドり感が半端じゃなかった。だって女子に名前を呼ばれるなんて、そんなことあるわけない。人違いだろう。
「えっ!?達巳くんじゃなかった?ごめんなさい」
「いや、達巳なんですけど、あの」タツミ違いでは?と言う言葉はモゴモゴと消えてしまった。
「………」「………」お互い、無言。
女の子は僅かに首を傾げて、確認するように丁寧に名前を発音した。
「達巳安岐君?」「はい」
「なぁんだ、やっぱり゛達巳君゛じゃん。良かった!はいこれ」
ニコニコと差し出されたのは、昨日、僕が休んだ時に配られたというプリントだった。ご丁寧に、可愛い付箋が貼ってあって「達巳安岐くんへ」と書いてある。
机の中に突っ込んでおけばいいのに、日直だからというだけできちんと預かってくれたなんて、真面目な子だな、
それが彼女への第一印象だった。
そして、恋と言う深い深い穴に落っこちた瞬間だった。
その後、彼女とは席替えで隣同士になって、少しずつ会話 できるようになっていた。彼女は相変わらず真面目で、日直の日誌から視線も上げずに、一生懸命記入しながら僕と会話していた。
「サンカクカンケイ…」自分には縁遠い単語で何かの呪文のようだ。
「そう、三角関係。いや、二股?んー、二股はやだな…やっぱ三角関係。先輩モテるんだもん、三角で済んでるだけマシかなぁ」
「マシ…」三角がマシってどういうことだ。今時の交際は三角以上が当たり前なのか?
そもそも、どうして三角関係などという、僕には縁のない話しをするに至ったのだろうか。確か「達巳くんは彼女いるの?」という、ベタな一言からだったと思う。いない、と答えた僕に彼女は
「私はね、三角関係なんだ」
そう教えてくれたのだ。
彼女が僕にそんな話しをしたのは、存在を主張しない景色みたいな人間だったからだと思う。
好きな人を挟んで向こうにいるのは友人だそうで、なかなか周りに言えない。だから単に誰かにいいたかっただけだと微笑んだ。
恋なんてものに縁がなかった僕は、胸の奥の感覚が『切なさ』だ、と初めて解ったけど、彼女には幸せになって欲しい。応援しよう、と心に決めた日だった。
ーーー
ーーーー
紗弓は三角関係の末に彼をゲットして、色々ありながらも、彼との仲は続いていたようだった。ところが、つい最近別れたらしい。
それどころか、仕事も友人も全てを失って、彼女に残っているのは、支え続けた俺だけだ。
今、目の前に立ってうつむく彼女に近づきたくて、冴えない、暗い自分を変えようと必死に努力した。
女の子にしては背が高い彼女と並んでも釣り合うよう猫背を直した。
電話一本で会いに行き、見返りも求めず話しを聞いた。彼女を慰め励まそうと、高いランチに連れて行き、景色の綺麗な山の橋までドライブに来ているのに。
彼女は俺に、ごめんね、と言う。それでも、俺ではダメなのだ、と。
そうか、それなら仕方ないね。
「安岐くんごめんなさい、あたし安岐くんの事友達以上に思えないの。本当にごめんなさい。でも本当に大切な友達だから…」言外に今のままでいようと匂わせ、切れ長の瞳からは涙が滑り落ちる。
「紗弓さん…」
紗弓を死なせて、俺も死ぬよ。
「ごめんね、安岐くん」俺の決断に気づきもせず、辛そうに泣き続ける彼女の髪を、冷たい風が巻き上げた。
乱れた髪の毛を撫でるように直してやる。
「いいから、気にしないで。
だって、
俺は
あなたを」
髪を耳にかけてやり、耳元に唇を近づけて、そっと囁いた。
ーーーーあなたを、憎んでいるから。
俺の言葉の意味がわからないのか、きょとんとした顔で首を傾げる。俺をコントロールする武器と信じて都合よく流してきた涙もすっかり止まっていた。
「ねぇ紗弓さん、桐子さんって覚えてる?」
桐子の名前を聞いた途端にザッと音がしそうな程一瞬で顔色が蒼白になった。
「トウコ?知らないわ、誰?」
「やだな、高校の時に男を取り合ったでしょ。ほら、こないだ別れた元カレ。
あの男が桐子さんに傾きかけてたから彼女を嵌めてさ、追い込んで追い詰めて死に追いやった、自分が殺した人間の事忘れたのかよ!?」
「違う、自殺よ!私が殺したなんて言わないでっ!!…安岐くん、私を信じてくれないの?」ついさっき知らないと言ったトウコさんを自殺と言い切り、再び目に涙を溜める。
生憎、そんな生理現象に、もはや何の効果もない。条件反射的に今まで通り泣き真似をして、俺の表情に微塵も変化が無い事で、ようやく味方じゃないと認識したのか、唸るように睨み付けてきた。
「何よ、あんた桐子の何なの?一体、私と桐子の何がわかるっていうのよ」
「あんたの事なんて知らない。俺が知ってるのはあんたのやった薄汚い事と、桐子さんは潔白だって事、そして桐子さんの
ーーー最期だよ。
あの日高校の屋上から彼女は俺の伸ばした手をすり抜けて、跳んだんだ」
俺がそう言ったのと、紗弓の身体が大きく後ろに傾いだのは同時だった。
俺が彼女の肩を思い切り突いたと同時に足元を掬いあげるように足払いしたからだ。紗弓の華奢な身体は橋の欄干を背面飛びのフォームのように越えて行った。
完全に落下する直前、橋から身を乗り出してガシッと腕を掴むと、彼女の身体は俺の腕一本を命綱にして、橋の外側にゆらゆらとぶら下がっている。
「何すんのよ!引っ張ってよ、早くっ、腕が痛い…早くしてっ!!」
「・・・どうして今あんたの腕は掴めたんだ。あんたなんかの・・」
「何ぶつぶつ言ってんのよ、こんなことして許されると思ってんのっ!?」
「掴むなら、あの日の桐子さんの事を掴めれば良かったのに。桐子さんの苦しみや俺がどれだけ後悔しているか、あんたにわかるか?」
「知らないわよそんなもん!・・・っ!わ、わかるわ!早く・・そっちへ・・腕が・・痛いからっ」
さっきまでの威勢は何処へやら、俺の本気と狂気に気圧されて、紗弓の眼は混乱と恐怖で一杯だった。
その顔を見て苦笑してしまった。よっ、と腕に力をこめて紗弓を引き上げる。橋の外側にしがみついて青い顔でハァハァと息を乱す紗弓に微笑みかけた。「内側に来たい?」
紗弓は唇を戦慄かせただけで何も答えない。
「あんたって、沢山の人間に恨まれているんだね。
そいつらがね、あんたの幸せなんて許さないってさ。
あんた、そいつらに、言ったんだってな。
『騙されたり、利用された位で、仕事や恋人を失うなんて、その程度の人生なだけだろ。あたしのせいにするなバーカ!』って。酷ぇ事言うなぁ。
その言葉を、あんたにそっくり返すよ。
自分にネットで自分の名前を検索してみたら、きっと驚くよ。実家の家族が引っ越す日も近いかもね」
紗弓は、俺の一言ごとに絶望を濃くしていく。
ゆらり。思わず手の力が抜けたのか、自ら死を選んだのか紗弓の体が後ろに倒れて数十メートル下の川へ落ちていった。
**
*****
大量の睡眠薬を、強いアルコールで飲み込んで、屋上から落ちた桐子さんが倒れていた場所に横たわる。本当は同じ場所から同じように死にたかったのに、桐子さんの死をきっかけに屋上は厳重に施錠されていて諦めざるを得なかった。
まぁいいか、飛び降りて桐子さんがいた場所と違う場所に墜ちたりするよりは。
あぁすごい、真冬の夜は星が綺麗に見えるんだな。
あの日、久しぶりに登校した彼女が見た現実は、僅かに残っていた生きる気力を削ぐだけのものだった。初めて授業をサボり、消えた彼女を探して探して、屋上で見つけた時には彼女はフェンスの向こうに無気力にペタリと座りこんでいた。
「の、能世さん!探したよ、あぶ、危ないからこっちに来て」
「達巳くん・・私学校が好きだったよ。毎日すごく楽しかったな」魂のない言葉が、僕をすり抜けて行った。何か判らない恐怖で、必死に話しかけた。
「能世さん人気者だっ・・もんね」
「達巳くん、だった、って過去形でいいよ」
ゆっくりと立ち上がった背中に、嫌な予感がして、心臓が一層早く脈動する。ダメだ、いくな。逝かないでくれ・・!
「桐子さんっっっ!!!」
生まれて初めて好きな女の子を名前で呼んだ。悲鳴のような呼び掛けに、ゆっくりと振り返った桐子さんも
「安岐くん、またね」と見惚れる笑みで、初めて俺を名前で呼んで、視界から消えた。
ガシャンとフェンスに飛び付いたときには、彼女は既にーー
自殺すると天国には行けないって聞いてから、俺も自ら命を絶つしかないと決めていた。同じところに堕ちて、きっと彼女を探す。あの女に復讐を遂げて、漸く彼女のところへ行けるのが嬉しい。
桐子さん、驚くかな。そしたらちゃんと伝えよう
ーー死んでも貴女と一緒にいたい、って