ページ6・後悔の先に
バトルって大変。
(…………?)
おかしい。
俺は疑問に思った。
いつまで経っても痛みが来ないのだ。
それどころか、体を貫かれる感覚もない。
あれだけの衝撃があったのに。
吐血の一度や二度はするだろうと覚悟していたが、この通りピンピンしている。
まさか、何も感じることなく即死したとか?
……いやいや、ありえないだろう。首を刎ねられたわけじゃないんだから。
と、腹の上に温かく柔らかい何かが覆い被さってきた。
反射的に、固く瞑った目蓋を開く。
ーー最初は、目の錯覚だと思った。
度重なる非日常との遭遇や、命懸けの戦いによる緊張で疲れているのだと、そう思っていた。
だが、何度見直しても目の前の事実は変わらない。
自分の目を疑うのは、今日1日の中で何度目だろうか。そろそろ視覚が信用ならなくなってきた。
俺の上には、腹に握りこぶし程の穴を開けた水野が力なく横たわっていた。
「ぐふっ……」
彼女は大きく喀血する。
ビシャっと、大量の赤い液体が撒き散らされた。
水野は震える手で口元を拭うと、そのまま燃え尽きるように脱力した。
「水野……水野!」
返事はない。
小さく体が上下していることから辛うじて生きていることは確認できるが、それももう数分の命だ。即死ではないものの、顔には苦悶の表情を浮かべており、もう息をすることさえ辛そうだった。
何もできない自分を罵る。
俺は回復魔法なんて使えない。
このままじゃ、いずれ水野は死ぬ。
畜生。
本末転倒じゃないか。
くだらない意地を張ったせいで、本当に守りたいものまで傷つけてしまった。
俺自身を否定する?
自分の価値を失う?
そんなもの、彼女に比べればオマケにも満たないだろうが。
水野は身を挺してでも俺を救おうとしてくれた。完全に足手まといな俺を、だ。
それに比べて、俺はどうだ?
彼女のために、一体何ができた?
いつだって守られてばかり。
口先だけのクズ野郎だ。
と、今まで俺たちをジッと見ていたヴェルゴが口を開いた。
「ありゃりゃ、残念。勝手に出しゃばって来なきゃ、死ぬことだってなかったのに」
それは、ともすれば水野を侮辱するような。
そんな物言いだった。
奴は続ける。
「だいたい、姫様って言ってもただの人間でしょ? 腹に風穴開いたくらいで死ぬような、弱い生き物じゃないか」
…………めろ。
「他人の命より、まずは自分を守らなきゃ。いくらカッコつけようったって、死んじまったら元も子もない」
やめろ。
「そんな簡単なことすらわからないなんて、」
やめろよ。
「彼女、どうしようもないバカだよねぇ?」
ブツっと、頭の中で何かが千切れた。
心の奥底からドス黒い感情が溢れ出す。
何もかも、全て真っ黒に染め上げていく。
けれど思考は恐ろしいほどクリアだった。
苦しそうに呻く水野を抱きかかえ、メルの隣に寝かせる。自分のシャツを切って傷口に巻いた。そして、顔にかかる髪を払ってやった。
赤黒く染まった傷口を眺める。
とめどなく流れ出る血液は、布一枚など何の意味もないと言わんばかりだった。
……多分もう、長くない。
けど、俺が水野にできることと言ったらこれくらいだ。せめて、親しい人の近くで眠ってほしい。
ギュッと拳を握り締める。自分の爪で手のひらが切れても全く気にならなかった。
悔しい。
彼女のために何もしてあげられない己に腹が立つ。できることならば、その傷全て肩代わりしてでも助けたい。だが、いくら魔法があれどそんなことは無理だ。
それよりも今俺がしなければならないことは他にある。
立ち上がってヴェルゴを睨んだ。
奴はニヤニヤ顔を浮かべ、さも面白そうに俺たちを見ている。
ーー俺が、あいつを殺さなきゃ。
拳を握る力が一層強くなった。
「お別れは済んだかな? あんまりにも感動的だったからつい見惚れちゃった……ブフッ」
ヴェルゴは口元を押さえて噴き出す。
もう、ヤツに思うことはなかった。
流動的に、機械的に、事務的に殺す。
一切の感情を持たずに、奴をこの世から消し去る。
「いやー、お涙頂戴のクサい演技をありがとう。おかげでちょっとは楽しかったかな。けど、姫様が助けてくれた命をそうやって無駄に使っちゃうのは勿体ないと思うなぁ」
「……『契約を以って命ずる』」
聞く耳なんて持たなかった。
全身の魔力を一点に集中させる。
この魔法を使うのは、果たしていつぶりだろうか。昔、ヒーローになると決めた日から封印していた魔法だ。
『罪を憎んで、人を憎まず』という言葉があるように、ヒーローはたとえ相手が極悪非道の大罪人だったとしても、命を奪うことはしなかった。
どれだけ罪深い人間でも、その命だけは平等なのだと、子どもながらに悟ったものだ。
最初は、俺もこの魔法を使って悪を懲らしめようとしていた。だが、強大すぎるこの力は、他人どころか自分の命さえ危ぶまれるような代物だった。
ヒーローは人の命を奪ってはならない。まして、制御できないような力を使うなどもってのほかだ。
俺は、夢を目指し始めたその日から、コレを使うことをやめた。
「『我が身に宿りし魔の者よ、』」
だが、今は違う。
俺を縛る夢はどこにもない。
ただ殺すための機械として動けばいい。
右腕が徐々に熱くなる。
袖をまくり上げ、だらんと垂らした。
「『我が声に応えよ』」
と、どこからか黒い靄が集まり始める。
煙は意志を持ったかのように腕を包み、数秒としないうちに腕は真っ黒になっていた。
「『忌まわしきその力、』」
途端、現れた錆びた鎖が腕を絞め上げる。
ギリギリ、ギリギリ。このまま千切ろうとせんばかりの強さだ。
痛みに歯を食いしばる。ここで詠唱を止めてしまえば何が起こるかわからない。
今俺がしているのは普通の魔法じゃない。中途半端な呪文ではかえって危険を冒してしまう。
「『この腕に宿れ』」
あと、もう一息。
「『我を阻む全ての敵を、』」
「『討ち払う牙とならん!』」
瞬間、靄が弾けた。
爆発でも起こったかのように、黒い煙が辺り一帯に広がる。
「おおっ!」
ヴェルゴは自身にまとわりつく闇と同化した。
気配が消える。
けど、残念。もう遅い。
「どうなっても知らねえからな……!」
右腕は人のものとは思えない形をしていた。
錆びついた鉄のような色をしており、そこかしこに大きなヒビ割れが見られる。それらを縛り付けるように幾重にも鎖が巻かれ、ジャラジャラと音を立てていた。
何よりも目を引くのは指先。研ぎたての刃物のように鋭く、寒気がするほど凶悪だった。
ふと、歪に変形した手を見る。
この姿になるのはいつ振りだろう。
久しく使っていなかった魔法だ。失敗してしまうかも、と思っていたが、とりあえずうまくいって良かった。
一応、今のところは力のコントロールもできているし、大丈夫そうだ。
「何だかパワーアップしたみたいだね。そんな技を隠してたなんて、意外と策士なんだねぇ」
不意に、ヴェルゴの声が響く。
「けど、僕の居場所がわからないんじゃ、それも無意味だ」
気配が溶けた。
四方八方、どこを探してもヤツは見当たらない。完全に消えてしまったようだ。
けれど、今となってはどうでも良かった。
結局は向こうから出てくるんだ。わざわざこちらが焦って探す必要はない。
ただ待っているだけで、ヴェルゴは罠にかかる。そこを笑いながら叩いてやれば、ヤツのプライドもろともこの世から消し去ることができるのだ。
「おっと、諦めたのかな?」
「いいから来いよ、三下」
舌打ちが、聞こえた気がした。
直後、さっきとは比べ物にならない程の殺意が辺りを満たしていく。
「人間風情が、言ってくれるじゃないか!」
事は一瞬。
俺の右上、丁度、変異した腕を狙うように、ヴェルゴが飛び出してきた。
瞬間、体が大きく揺れる。
ヴェルゴは静かに着地すると、ピタリと動きを止めた。
「……これを待ってたんだよ」
思惑通りだ。
まんまと引っかかってくれた。
俺は無傷。
対して、ヴェルゴは腕をズッパリと失っていた。
動揺を隠しきれない様子で自分の傷を見るヴェルゴ。
折角のすまし顔が台無しだ。そんなに慌てちゃ、カッコがつかないだろう。
「グッ!」
遅れてきた痛みに、ヤツは思わずその場にうずくまった。
「お前、何をした!?」
キッとこちらを睨みつける。
初めて奴が声を荒げた。
明らかに焦っているのがわかった。傷口は塞がりかけているが、新たに腕が生えてくる様子はない。
流石の吸血鬼といえど失った腕を再生するのは難しいらしい。純白の礼服は真っ赤に染まっていた。
俺は余裕ぶっていたヤツの真似をして、
「これが俺の魔法だよ」
笑いながら教えてやった。
「昔、オヤジの本を漁ってたら出てきたんだ。お前、この腕切ろうとしただろ?」
右腕を指差す。
「この腕で触れたもんは、生き物だろうが何だろうが消し去っちまう。それが俺の能力だ」
当時、幼かった俺は手っ取り早く強くなることを望んだ。
正義の味方になるには強い力が必要不可欠だ。俺はオヤジの遺した本の影響で、「自分は選ばれた存在」だと勘違いしていた。魔法なんて世論一般に出回っているものじゃない。そんな異能力を知っている自分は、特別なんだと思い違いをしていた。
ーーそして、コレに出会ってしまった。
なんて取り返しのつかないことをしたんだろうと思う。ろくに基礎知識も知らず、ただただ純粋な力だけを求めてしまった。
しかも、自分が間違えていることさえ、魔法が暴走するまで気づけなかった。
おかげで今、過去の過ちを取り戻すために努力せざるを得ない状況になっている。
魔法だってほとんど知らないし、使えない。
もっと前から頑張っていれば、こんなに苦しむこともなかったのに。
この魔法を使おうとするたび、後悔ばかりが脳裏を掠めた。
だから、使わなくなった。
夢にふさわしくない、というのもあるが、やはり耐えられなかったのだ。
けど、今はどうだ。
戒めとして魔法を封じてきたせいで、今度はメルや水野が傷つけられた。嬲られた。侮辱された。
……悩む必要なんてどこにもなかったんだ。
「俺は、この手でお前を倒す」
拳を前に突き出した。
やるしかない。やらなきゃいけない。
ヴェルゴは落ち着いた様子で立ち上がった。見ると完全に傷は塞がっている。が、相変わらず片腕は無かった。
不意に、ヤツは膝を屈める。
「やれるもんなら、やってみなよ!」
瞬く間に風景へと溶ける。
気配も何も無くなった。
「わざわざ自分の能力を敵に教えるなんて、君は相当なバカみたいだね! いいだろう、君の親切心に免じて、一応僕の魔法も教えてあげよう」
ヴェルゴの声が木霊する。
「名は『舞台裏闊歩』。術者の選んだもの全ての気配を消すことができる。もちろん、大きさや形は関係ないよ」
やはりそうか。
心の奥でクソっと毒づいた。
戦闘において、「姿が見えない」というのはそれだけで不利になる。いくら俺が無敵の腕を持っていたところで、相手に触れられなければただのオマケだ。
さっきはヴェルゴ自ら当たりに来てくれたが、次はそうもいかない。
風に揺られて、草木が葉音を立てる。
空には星が輝いていた。
一つ、大きく息を吐く。
今相手にしているのは規格外の化け物だ。いくら考えたところでそれが通じるわけがない。
ここからは、本能と直感による勝負になる。
余計な考えは捨てろ。頭の中を空っぽに、でも感覚だけは鋭敏に。
心に復讐の炎を燃やせ。
「ご説明どーも。まあどっちにしろお前は倒すけどな」
「おっ、言うねえ、劣等種さん?」
声が聞こえる。
それとほぼ同時に、空気を切る音を感じた。
咄嗟に体を左へ逸らす。
間髪入れずにミサイルのような蹴りが飛んできた。
当たっていれば即死だ。
あまりの威力に思わず息を飲む。けれど休んでいる暇なんて無かった。今度は鎌のように折り曲げられた足が、俺の命を刈り取りにやってくる。
「この……ッ!!」
俺は横向きになった体を力ずくで捻ると、前のめりになりながら右腕で掴みかかった。
これには流石のヴェルゴといえども応えたようで、出しかけた足をしまう。あまりに一瞬のことだったので、再び暗闇に消える姿を捉えることができなかった。
やはりヤツらは遺伝子レベルで我々を凌駕している。
普通ならあんな蹴り、一度始めればブレーキなんてかけられない。
電灯の下にヴェルゴの姿が照らし出される。
しばらく膠着状態が続いた。
「……寸止めなんてちょっとズルくねえか?」
「それを言うなら君の魔法だって。チート過ぎるでしょ」
ヤツの言葉を聞きながら思った。
「チート過ぎる」と言ったか。そんなことはない。
俺の魔法、従魔を呼び寄せて自分に憑依させているのだが、この腕以外はただの人間だ。特に強化はかかっていない。
車に轢かれただけでも呆気なく死んでしまう。
加えて、魔力の消費も激しい。発現させているだけでもかなりの魔力を使っている。
M78星雲から来た宇宙人ではないが、多分あと3分も持たないだろう。
だから、戦闘中は相手にそのことを知られてはならないのだ。
どんな魔法にも絶対に弱点はある。
問題は、いかに自分の弱味を隠すことができるか、ということだ。
実際、今俺は平常を保っているふりをしているし、魔力だって消費を最小限に抑えている。一応布石は打っておいたが、成功する可能性は半々くらいだ。正直言って、不安の方が大きい。
残り限られた時間で、せめてヴェルゴの弱点だけでも見抜くことができればいいのだが……。
「さて、そろそろ無駄話も終わりにしようか」
と、ヴェルゴが動いた。
どうやら考える暇も与えてくれないようだ。
ため息を吐いてから、もう一度意識を研ぎ澄ました。
直後、音が途切れる。
虫の音も、街の音も、自分の鼓動さえ消えた。
完全なる無音の世界だ。
多分ヴェルゴの能力だろう。
野郎、この辺の音を全部消しやがった。
「………ッ!…………、………!!」
俺がどんなに大声で叫んでも、何も聞こえない。無声映画の中へ入り込んだみたいだ。
これじゃ反応のしようが無い。背後から襲われたら一貫の終わりーー。
「チェックメイトだ」
ーー体が揺れた。
猛烈な勢いで風景が飛んでいく。
直後、何か固いものが砕ける音がした。
ゴリゴリ、ゴリゴリ。聞いていて不快だ。
一体何の音だろう、と考えた時、飛ばされたのは自分だったことに気づいた。
何度も地面を跳ねる。
体がゴムボールにでもなったようだ。
木にぶつかっても、岩にぶつかっても、勢いは止まらなかった。
反対側にあった公園のフェンスをぶち破り、衝撃を一身に受けたところでようやく動かなくなった。
「ぐ……あ……」
息ができない。
呼吸をしようとすると、胸に尋常じゃない痛みを感じた。多分あばらが肺に刺さっている。体の中もグチャグチャになっているだろう。
手足はピクリとも動かない。見ると何ヶ所か白い物が飛び出していた。
骨だ。
じゃあさっき聞いたのは、骨の砕ける音か。
「ゲホッ」
大きく血を吐いた。
口元が真っ赤に染まる。
また随分とこっ酷くやられたもんだ。
たかが一発食らっただけでこれか。
結構いいところまでいったと思ったんだけど。
やっぱり俺には無理だったようだ。
結局、水野に助けてもらった命も無駄にしてしまったし、最期の最期まで本当に情けない。
「バカ……だなぁ、俺……」
と、段々足音が迫ってきているのが聞こえた。
ヴェルゴがすぐそこにいるんだろう。
虫の息になった俺を見に来たのか。
相変わらずいい性格してるぜあの野郎。
ピタリと音が止まる。
もう顔を見る気力すら無かった。
「どうだよ、呆気ねぇ、だろ? 勝手に怒ったくせ、に、返り討ちだ。笑えねえよ、チクショウ……」
ヤツは喋らない。
「こんなに、なるんだっ、たら、もっと好きなこと、やっときゃ、よかったなぁ」
まだ、喋らない。
「やるならやれ、よ。どうせ、すぐ死んじまうん、だから」
なかなかトドメを刺さないヴェルゴに少し腹が立って、少しだけ語気を強めた。
すると、
「ヒーローになるんじゃなかったのか」
返ってきたのは、女の声だった。