ページ2・混乱
学校からバスに乗って20分。
俺は隣町の『新沢下市』に来ていた。
新沢下市。
関東最大の都市だ。
西には市の経済を経済を支える貿易港があり、東には美しい山々が連なっている。
財政は自治体の中でもトップクラス。
国内外から様々な企業を誘致し、たくさんの繋がりを生み出しているようだ。
九州の「伊予4区」や、東北の「山瀬市」、さらに欧州にある「グランロード市国」と友好都市条約を結んでいる。
どの地域も最近急速に成長しており、世界経済の中心になりつつある都市だ。
また、表向きにはできないが、この町は魔導連盟との関係も根強い。
市役所の真下に、連盟が管理する魔法の研究所があるのだ。
そこでは新しい魔法の開発を中心に、合成獣の研究や、未来の観測も行われている。
ではなぜ、魔法とは無縁なこの場所で、そんな実験が続いているのか。
進んだ科学を隠れ蓑に、開発がしやすいからか。
人が多く集まる場所では、魔導師が大人数で会合を開いても、違和感を感じさせないからか。
……もちろん、そういった思惑があることは間違いない。
市街地には、魔導連盟ご用達の店がゴロゴロあるし、道を歩いている人なんか半分以上が魔導師だ。
だが、最も大きな要因は「龍脈」がちょうど市の中心部で湧き出しているからだろう。
全ての生き物と同じように、地球にも魔力は回っている。
その大きな流れが龍脈だ。
古来より、龍脈は魔法学の要として考えられてきた。
浴びれば不死になれるとも、天変地異を起こせるとも言われていた。
しかし、完全にコントロールができたのは20世紀に入ってから。
部分的な恩恵は得られても、その全てを得ることは難しかった。
力が強大すぎて制御しきれなかったのだ。
故に、持っているエネルギーは計り知れない。都市を発展させるなど造作もないことなのだろう。
知識がある人なら、ここがどれほど異常なのかわかるかもしれない。
科学と非科学が混在する場所ーーそれがこの町である。
# # # # # # # #
俺は本屋近くのバス停で降車した。
車は黒煙を上げて走り去っていく。
その煙の量に、思わず咳き込んでしまった。
日本を台頭するような大都市になったのだから、もっと交通機関も新しいものにしてほしい。
地下にはエネルギーが有り余っているのだ。
それを有効活用すれば……。
いや、ダメか。
市長は龍脈のことを知っている。
知った上で隠しているのだ。
でなければ、ここまで大きな都市を築けるはずがない。
理由は多分、金だろう。
魔導連盟を招致し、かつ全面的にサポートをすれば、この町には未知のエネルギー以上のものが入ってくる。
世界を裏で牛耳るような連盟だ。
金なんて腐るほどあるに違いない。
日本人口と同じくらいの資金なら、お小遣い感覚で出してきそうだ。
つまり、市長は不確定な要素を持つ龍脈よりも、町にとって確実な利益を生む金を選んだ、という事になる。
非生産的と言われれば、「そりゃそうだ」と頷くしかないが、それもまた一つの処世術だろう。
悪いことだなんて思わない。
少し歩くと、賑わいを見せる通りに出た。
ここまで来れば本屋はもう目と鼻の先だ。あと数分で到着する。
そう思って歩いていたが、列はすぐそこまでできていた。
考えていたよりも長い。ちょっとだけたじろいでしまった。
こりゃ帰りが遅くなりそうだ。
家でヤツに怒られちまう。
「にしても、人多いな」
人、人、人。人まみれ。
歩行者天国を圧縮したみたいになってる。
ところてんにでもなった気分だ。
右を見ても人。左を見ても人。
さすがに上を見ても……ってことはないか。
「すみません……コンタクト見かけませんでしたかぁ?」
「うおっ! あ、ごめんなさい。見てないです……」
と思っていたら下から現れやがった。
すげえびっくりした。なんで死角から出てくるんだよ。
てか、まだ並んでもいないのになんでコンタクト落としてんだろう。ここ最後尾により後ろなのに。
人の間を縫って消えた誰かに愚痴をこぼしながら、目の前の列に加わった。
それにしても、随分と人気のある作家さんのようだ。
サインを貰い終えたたくさんの人たちが、列の横を歩いていった。
「年齢層も、結構幅広いんだな……」
ざっと見渡しても、歳や性別の偏りが見えない。
たいてい、若手の作家さんには主に中高生のファンがつくことが多い。年齢が近いので、作家と読者の好みが一致しやすいからだ。
逆に、芥川龍之介や太宰治など、かつての文豪たちが生み出した作品は、少し高齢な方々に愛されている。
そういったジェネレーションギャップがある中、今日の作者は多くの愛読者がいるのだ。
老人相手ではともかく子どもにも愛されているから、持っている才能には少し驚いた。
例えば、俺のすぐ横を通った少女。
彼女は満面の笑みを浮かべていた。
恐らく母親であろう、穏やかな雰囲気の女性に手を引かれ、嬉しそうに歩いていた。
少女の腕の中には、サインの書かれた本が大事そうに抱かれている。
母親もその様子を見ながら、彼女の話を笑顔で聞いていた。
ああやって子どもが無邪気にはしゃいでいる姿は、とても微笑ましい。
作者はよっぽどファンを大切にしているんだろう。
なんだか俺もサインが欲しくなってきた。
ついでに貰っておこうか。
「でも、これ並ぶんだよな……」
目線を前に戻す。
まだ待っている人は大勢いた。
誘導している警備員も、まさかここまで人が集まるとは思っていなかったようだ。
あまりの人の多さに、あたふたとしている。
お兄さん、若いんだから。
顔もそこそこイケメンじゃないですか。
優柔不断な男はモテませんよ。
……。
…………。
……俺の言えたこっちゃないか。
「はあ……」
自分で言っといて何だが、結構心に来るもんがあるな。
ちょっと自分が嫌いになりそう。
「言動がオヤジ臭い」なんてのは、実家を引っ越す前から言われていたことだ。
「見た目は普通の学生なのに、性格が残念なんだよね」
いつか、姉にそう言われたのを覚えている。
当時はそんなことないと思っていたが、最近、ちょっと自覚する機会が多くなった。
原因なんて知らない。本人がわからないのだから、もちろん周りがわかるはずもない。
でも、母曰く、若いうちからオヤジみたい所は父に似ているそうだ。
嬉しいような、悲しいような。
まあ破天荒な母のことだから、どうせなんの気もなしに言ったことなんだろうけど。
そんなことを考えていると、なんだか前の方が騒がしくなってきた。
野次とか聞こえてくる。
何やってんだろう。
気になって列から身を乗り出した。
「さっきの警備員さんと……誰だ?」
かなり前の方で揉め事が起こっているようだ。
見ると、少し頭髪が寂しい感じのおじさんと警備員のお兄さんが、何やら言い合っていた。
おじさんはいかにも中年男性といった風貌で、大声をあげながら怒鳴り散らしていた。
「いつまでここにいさせんだよ! こっちは仕事終わりで疲れてんだ!」
「そ、そう言われてもですね……」
「だいたい、おめえ誘導係だろ? もっと働けよ」
「はい、すみません……」
なかなかドギツいことを言う人だな、あのおじさんは。
言われて本人じゃないけど、今のはちょっとイラっとした。
お兄さんはよく耐えられてると思うよ。
俺なら勢いで殴っちゃうぜ。
「ったく……じゃあもういいや。サイン会やってんのはどこだ」
「鹿山書房です」
「入口は」
「あちらにあります……、って、お客様、困ります! 割り込みはご遠慮ください!」
「うるせえな! 混んでんだから仕方無えだろ!」
あー、割り込んだ。
あんのジジィ……。
一体何様のつもりだ。
王様にでもなったつもりか。
警備員が必死に並ばせようとしているが、あれはダメだな。
何言っても聞かない頑固者タイプだ。
反対に警備員のお兄さんは、いかにも押しに弱そうな感じ。
相性は最高に悪い。
また面倒なのが来たなぁ。
人が多いと、その分トラブルも起こりやすい。
満員電車がいい例だ。
今までどれだけの人が割り込み乗車に腹を立てただろう。
ここも似たような状況だったので、いつかは起こるだろうと思っていた。が、こんなにも早いとは。
まったく、大人気ない。
段々と周囲にもイライラが溜まってきているのがわかった。
「どけ! 俺ァ待つのが一番嫌いなんだ!」
いやいや、みんなそうでしょ。
ああいう自己中心的な考えの大人は、本当に我が強い。
「俺は正しい」「俺がルールだ」と思い込んでいて、全く会話が成り立たない。
今だって、自分のしていることがどれだけ周りに迷惑をかけているか、考えもしていないんだろう。
「ちょっと! 何するのよ!」
あーあー、暴れまくっちゃって。
腕が周りの人間の顔や頭にぶつかっている。
まるでガキだ。
欲しいものをねだる子供と同じだ。
人に当たってケガでもさせたら、一体どうするつもりなんでしょう。
下手したら暴行罪で訴えられるぞ。
と、その時。
一瞬、ざわめきが大きくなり、そして収まった。
程なくして子どもの泣き声が聞こえてくる。
見えていなくとも、状況は手に取るように理解できた。
さっきのオヤジが子どもを転ばせたのだ。
ついにやらかしたか、おっさん。
「おい、子供泣かせてんじゃねぇよ!」
「いい歳した大人がくだらねえことすんな!」
「とっとと帰りなさいよ!」
「そうよ!迷惑よ!」
手のつけられなくなった獣のように、周りの人間が一斉にヤジを飛ばし始めた。
罵詈雑言の嵐だ。
もう苦笑いしか出てこない。
流石の彼も、自分を通すのは難しい雰囲気だと悟ったのか、その場に立ち尽くして顔を真っ赤にしていた。
まるで茹でダコみたいだ。
「とっととそいつを連れてけ!警備員!」
「は、はいぃぃ……」
反対に、さっきまでオジさんと小競り合っていた警備員は真っ青だった。
ただでさえ気の弱そうなお兄さんなのに、並んでいる人たちが軽く暴徒化してるせいで、もう死にそうになってる。
苛立っているのはわかるが、それを彼にぶつけるのはやめてあげよう。
本当に死んじゃうから。
「ほら、行きますよ、お客さん……」
「……」
先ほどから一点を睨みつけたまま動かなかったオジさんを、警備員が連れて行こうとした時だった。
「大丈夫ですか? 体調が悪くなったりとか……」
「あああアアアああアああアアあア!!」
突然、猛獣の咆哮のような叫びが鼓膜を震わせた。
辺りに不穏な雰囲気が漂う。
どことなく気持ちの悪い感じが、肌にまとわりつく。
寒気がするほどの鳥肌が立った。
さっきの声、あれは一体誰のものだ?
人にしては狂気的過ぎる。
耳にした瞬間、神経を丸ごとヤスリで削られるような感覚がした。
人間が出していい声ではない。
加えて、僅かだが魔力の反応もあった。
突如現れた狂人と魔法の気配。
もう訳がわからなくなってきた。
いったい何が起こってるっていうんだ。
と、その刹那。
前方から悲鳴が響き上がった。
全員の視線が、一斉に集まる。
俺も周りと同じように、反射的に|《、、、》そちらを見てしまった。
「あ……あ……」
目の前には、口を押さえて言葉を失くしている女性がいた。顔をは真っ青で、ホラー映画とかで、見かけるゾンビを連想する。
彼女は、オジさんと小競り合っていた警備員を指差し、ガタガタと震えていた。
理由がわかった途端、俺はどうしようもない悪寒に襲われた。
ーー警備員の腹には、ぽっかりと大きな穴が開いていたのだ。
彼は、足元が自分の血で赤く染まっていくのを見ていた。
みるみる顔が青ざめていく。
二、三度たたらを踏むと、大きく咳き込み、吐血した。
より一層、赤い色が広がる。
そして、自分が何をされたのか理解できないまま、前のめりに倒れた。
静寂が辺りを包み込む。
時間が止まってしまったかのように、周囲の人たちは固まってしまった。
誰も、今目の前で起こった出来事を飲み込めていなかった。
いや、飲み込もうとしなかったのかもしれない。
突然人が殺されるなんて、普通に生きていればまずありえないからだ。
俺もあまりの衝撃に、その場に立ち尽くしていた。
すぐそばに転がる遺体。
次第に大きさを増す血の海。
鼻の奥を刺すような臭い。
「うぶ……」
胃袋から熱い何かが昇ってくるのを感じる。
慌てて口元を押さえたが、耐えきれずに嘔吐してしまった。
思わずしゃがみこむ。
まだ脳の処理が追いつかない。
発狂しそうなほど耳鳴りがしている。
そうして考えている間にも吐き気は止まらず、何度も吐いた。
腹の中が空っぽになっても吐いた。
「け、警察を!早く警察を呼んで!」
どこかで叫びにも似た声が聞こえる。
周りは逃げ出す人たちで溢れてそうだ。
きっと大混乱だろうな。
もうサイン会どうこうの話じゃない。
ここで起こったのは、立派な殺人事件だ。
けど、果たして警察が来たところで意味はあるのか?
まだ確証は得られていないが、多分この事件は魔法が関係している。
列に並んでいた人たちを無作為に選んで操ったんだろう。事件の少し前に感じた魔力はその時のものだ。
原因が魔法によるものなら、いくら警察が捜査を行ったところで解決できるはずがない。
たとえ警備員を殺した人物が捕まっても、そいつは実行犯だ。ただ操られていただけで、なんの罪もありゃしない。
真犯人を突き止めるためには、警察なんかより魔導師に頼んだ方が得策だ。
あぁ、でもこの事態を知っている人じゃないとダメなのか。
現場の状況を把握していて、なおかつ魔法の知識がある人物といえば……。
「……俺、なのか」
そうだ。
俺しかいないんだ。
彼の無念を晴らせるのも、ここにいる人たちを助けられるのも、俺だけ。
なら、これから俺がとるべき行動は決まっている。
沸々と、形容し難い感情が湧きあがってきた。
バカみたいに吐いてる場合じゃない。
ーー覚悟を決めろ。
自分にそう言い聞かせると、両脚に力を込め、立ち上がった。
バキバキと関節が鳴る。
若干ふらつきながら周りを見回すと、もう既に人はいなくなっていた。まだ若干の吐き気は残るが、これくらいならどうってことはないだろう。
残っているのは俺と警備員の遺骸のみ。遠くから車や人の音が聞こえるだけで、他は何の音もしない。
普段の騒がしさを知っているせいか、この異様なほどの静けさが何より恐ろしく感じた。
「魔法」という非科学的なものに関わっているので、幽霊などのオカルティックなものには恐怖も感じない。が、そういった場所に漂う沈んだ空気は嫌いだった。
「よし」
一呼吸置いてから、目蓋を閉じる。
まずはこれ以上被害を大きくしないためにも、さっきのおじさんを見つけなければ。
事が起こってからそれほど時間は経っていない。
混乱の中、身を隠しながら移動するのは難しいはずだ。
顔だってバレているし、多分そんな遠くには行けていない。
広く見積もってもせいぜい1、2㎞程度。その範囲の中で隠れていそうな場所を見つけるんだから、一人でもなんとかなる。
両手で頬を叩く。
気合いを入れるおまじないみたいなものだ。
靴紐を固く結いて、軽く飛び跳ねた。
時間は限られている。警察が絡んだり、また違う場所で騒ぎが起これば、多分もう俺だけではどうにもできない。
急ごう。
頭の中で周辺の地図を確認してから、荷物を置いて走り出した。
背後で、誰かが俺を見ていることも知らずに。